わ鐡線紀行(46)通洞駅下車観光 その2

足尾銅山観光の坑道見学を終えた所である。近くの市民センターの横には、通洞鉱山神社(つうどう-)【鳥居マーカー】がある。最盛期の大正9年(1920年)、本山から通洞に事業所が移転した際、造営された山神社である。それまでは、江戸時代から祀られていた、渋川上流の簀子橋山神社(すのこばし-※)が、この付近の山神社であった。現在は、鉱毒を沈殿するダムが出来て、元の神社はなくなっている。

何故か、正面の大鳥居からは、入れない。横の小鳥居から、境内に入るのも、とても珍しい。


(通洞鉱山神社。)

本殿は小さいながら、立派な造りになっている。愛嬌のある表情の小さな狛犬は、200年以上前の江戸時代中期・寛保3年(1743年)のものと言われ、造営時に簀子橋山神社から移設されたと伝えられている。


(本殿と狛犬。)

駅周辺の鉱山施設跡や、わたらせ渓谷鐵道(旧国鉄足尾線)の鉄道施設を見て回ろう。足尾銅山観光の正門から駅方向に戻ると、町中心部を南北に貫く旧国道沿いに、遺構が集まっている。この通洞地区は、鉱山の主要施設が大正時代以降に移転して来た為、遺構の数も多い。

正門から緩やかな坂道を上り、旧国道の信号機のある交差点を左折して暫く歩くと、大きな古建物が、渡良瀬川寄りの道路際に三つ並んで建っている。この古い鉄筋コンクリート建ては、重油式火力発電の旧・新梨子油力発電所【赤色マーカー】である。なお、通常時の発電は、間藤や細尾の低コストな水力発電で行い、この発電所は非常時用であった。竣工した大正4年(1915年)当時、国内最大級の発電量を誇り、昭和29年(1954年)に廃止になっている。


(旧・新梨子油力発電所。発電量は1,000kWであった。)

その隣には、赤トタンの大屋根が崩れかけた、大きな赤煉瓦の廃屋がある。通洞動力所跡(つうどう-)【青色マーカー】である。鉱夫が銅鉱石採掘をする際、圧縮空気を動力とした削岩機を使っており、その動力源の圧縮空気を大型コンプレッサーで大量に作っていた。ここは、丁度、通洞坑口の真上になる。

コンプレッサーの動力は電気を使っており、間藤発電所(明治末からは細尾発電所)から高圧電線で送電し、隣の変電施設で変圧をして使っていた。また、大正元年(1912年)には、国内最大級320馬力のドイツ製「インガーソルランドPE-2」と呼ばれる大型コンプレッサーが据え付けられた。なお、現在は撤去されているとの事。


(通洞動力所跡。※老朽化の為、屋根が落ちた情報がある。)

最も南側には、通洞変電所【橙色マーカー】がある。足尾銅山の中心機能が移転した大正以降、銅山や通洞周辺の鉱山施設の電力を集中管理した、四階建て鉄筋コンクリートの大型変電所になっている。現在も使われており、ブーンとした大きな変圧音が周囲に鳴り響き、生き延びた鉱山設備として、異彩を放つ。


(現役の通洞発電所。大正から昭和初期の竣工と思われる。)

(渡良瀬川側に、送受電のトラスがある。)

剥き出しの無骨なコンクリート建てであるが、当時は画期的なデザインの建物だったと思われ、大きな縦窓も流行だったと思われ、当時の雰囲気をよく感じさせる。北側に平屋の建物から、大きな音が聞こえてくるので、大型変圧器が置かれているらしい。


(北並びの変圧器室の建物。)

わたらせ渓谷鐵道のレールは、変電所向かいの高い盛土の上にあり、道路との交差部には、通洞橋梁【緑色マーカー】が掛かる。足尾鐡道開通時に架橋された、全長13mのデッキガーター鉄橋で、奥に通洞選鉱所(現・古河機械金属足尾事業所)の正門がある。この通洞選鉱所【工場マーカー】は、通洞坑から運び出された精錬前の銅鉱石を選別し、間藤の本山精錬所に送る前処理施設であった。以前は、各抗口に選鉱所があったが、大正10年(1921年)以降、この通洞選鉱所に集約されたという。大型最新設備を揃え、東洋一の最先端金属選鉱所として、外国の鉱山関係者の見学も多かった。


(通洞橋梁。橋台は、フランス積みである。)

◆国登録有形文化財リスト◆
「わたらせ渓谷鉄道通洞橋梁(つうどうきょうりょう)」

所在地 栃木県日光市足尾町中才
登録日 平成21年(2009年)11月2日
年代 大正元年(1912年)竣工
構造形式 鋼製単桁橋、橋長13m、橋台付。
特記 通洞駅より約620m南西に位置する。橋長13m、単線仕様デッキガーター鉄橋で、
桁両側面に銘板を付け、橋台は花崗岩をフランス積風に積む。

(文化庁文化遺産データベースを参照・編集。)

選鉱所後ろの山には、高く聳えるコンクリート柱が、ひとつだけ見える。貨物用ロープウェイを支えた、有越鉄索塔【塔マーカー】である。選鉱後に発生した廃棄物の廃泥を、山向こうの堆積場に運搬していたロープウェイで、昭和14年(1939年)に竣工。渋川上流に堆積場が完成する昭和35年(1960年)まで運行された。なんと、貨物用であるが、登山家も乗せた逸話もある。


(有越鉄索塔。※光学ズーム三倍で撮影)

選鉱所南側には、職員や坑夫の社宅であった中才鉱山住宅(なかさい-)【黄色マーカー】があるので、行ってみよう。通洞橋梁から大間々(おおまま)方200m先にある、有越沢橋梁【紫色マーカー】を潜り、山側に入ると、鉱山住宅エリアに入る。

この有越沢橋梁も国登録有形文化財に指定され、足尾鐡道開通時架橋の全長14mのデッキガーター鉄橋は、橋下に小さな道路橋がクロスする二重橋になっている。通洞橋梁と比べると、保線用の通路が無いシンプルな作りで、橋台の石の積み方も違う。


(有越沢橋梁。橋台は、イギリス積みになる。)

◆国登録有形文化財リスト◆
「わたらせ渓谷鐵道有越沢橋梁(ありこしざわきょうりょう)」

所在地 栃木県日光市足尾町中才
登録日 平成21年(2009年)11月
年代 大正元年(1912年)竣工
構造形式 鋼製単桁橋、橋長14m、橋台付。
特記 通洞橋梁より約200m西方に位置する。渡良瀬川水系有越沢に架かる橋長14m、
単線仕様のデッキガーター鉄橋で、桁はスティフナーをJ形とし、
2本の主桁をT字鋼によるロ字形ブラケットで連結する。
橋台は花崗岩をイギリス積風に精緻に積む。

(文化庁文化遺産データベースを参照・編集。)

橋下を潜り、道なりに急坂を少し登った先の山裾の平地に出ると、長屋が多数並ぶ。昔ながらの共同浴場や共同トイレがあり、集会所や神社も設置されている。現在は、日光市の公営住宅になっている。


(中才鉱山住宅。)

中央付近には、赤煉瓦の防火壁(火災時の延焼防止壁)が残っている。高さは屋根程あり、その大きさに驚く。しかし、陽当たりが悪くなる事や、消防体制が良くなっているので、取り壊されるものも多いという。


(赤煉瓦の防火壁。)

住宅入口付近には、シックナー(沈殿槽)と呼ばれる、排水処理用の円形ブールが幾つかある。最大級のものは、直径約25mもある。廃坑や廃石堆積場から、鉱毒に汚染された水が今も大量に湧出しており、現役の鉱山設備になっている。また、この中才地区の下流にも、大きな鉱毒浄水場が設置されている。


(中才鉱山住宅入口に隣接する、巨大シックナー。)

用途廃止になったシックナーを、恐る恐る覗くと、すり鉢状の巨大さに驚く。コンクリート壁縁には、レールが円周しており、何かの機械を載せていたかも知れない。今も使われているものは、ゴポゴポ、ザーザーと非常に大きな水の音がし、太い黒パイプが外壁の周りに幾つも引き回されている。


(廃棄された直径25m級シックナー。)

(円縁のレール。)

渡良瀬川に架かる砂畑橋【カメラマーカー】から、眺めてみよう。対岸からは、通洞変電所、わたらせ渓谷鐵道の盛土、選鉱所と索塔が一望出来る。暫くすると、エンジンの唸りを響かせながら、気動車が急勾配を登って来た。丁度、子供達も学校から帰って来た様である。小さな男の子が、走りながら、元気よく挨拶をしてくれた。


(急勾配を登る気動車。)

陽も少し傾いて来ており、時刻は15時を過ぎた。そろそろ、駅に戻ろう。

(つづく)


2018年6月9日 ブログから転載・校正。

© 2018 hmd all rights reserved.
文章や画像の転載・複製・引用・リンク・二次利用(リライトを含む)や商業利用等は固くお断り致します。