時刻は8時半前。わたらせ渓谷鐵道終点の間藤駅(まとう-)に無事到着する。渡良瀬川支流の松木川の南北に伸びる、やや狭い谷間に駅があり、高さ100mもあろうかと思われる切り立った崖の西側真下にある。
(建て植え式駅名標と、わ89形101「こうしん号」。)
足尾鐡道が開通した大正元年(1912年)12月に開業し、起点の桐生駅から16駅目、44.1km地点、所要時間約1時間30分、標高669mの終日無人駅であり、所在地は栃木県日光市足尾町下間藤になる。駅の東側に大きな崖があるので、午前中の日当たりが大変悪い。
(間藤駅に到着した列車。駅舎屋根上の国鉄型時計タワーが面白い。)
20パーミル前後の急勾配の途中に設置された、幅2m程のコンクリートパネル単式ホームの棒線駅になっており、側線やポイント(分岐器)はない。国鉄時代に造られた長さ100m以上あるこのホームは、長大貨物列車対応の為であろう。なお、国鉄末期の旅客列車は、気動車2両編成で運行されていた。
(桐生方と長いホーム。)
桐生方のホーム南寄りには、「軽食もしかし亭」が平成24年(2012年)にオープンした。コーヒー、うどん、おむすび、大学芋、味噌じゃが、味噌こんにゃく等の軽食が食べられ、列車内への持ち帰りも可能との事。近年、わたらせ渓谷鐵道がテレビや雑誌等で良く紹介される様になり、一般観光客や女性客も増えている様子で、この終着駅でそのまま折り返す乗客も多い。人が来れば、地元活性化と雇用創出にもなり、駅周辺に飲食店も無いので、大変助かる(11時から16時30分まで営業、定休日は不明)。
(軽食もしかし亭。※2012年夏の追加訪問時に撮影。)
反対側のホームの北端は、わたらせ渓谷鐵道の終末部車止めになっている。この先も、足尾本山駅までの貨物線が延びているが、現在は廃線となっている。線路脇の26.7パーミルの上り勾配標が、綺麗に塗り直されているのが、この先にまだ行けそうな感覚にさせる。
(わたらせ渓谷鐵道終末部と上り勾配標。)
また、20パーミルを超える急勾配の途中に設置された駅だった為、かつては、行き止まりの線路が設けられ、単式ホーム、側線とスイッチバックが設置されていた。開業当初から、旅客列車はこの駅までの運行であったが、貨物駅の足尾本山駅行き下り貨物列車は、スイッチバックをして、更に北上していた。しかし、昭和45年(1970年)の動力近代化(※)により、スイッチバック設備は廃止され、足尾本山駅へ向かう本線脇に現在のホームが移設された。
因みに、昭和62年(1987年)までは、貨物列車が運行されていた。現駅舎とその北側付近が、元々の旅客ホームと駅構内だったと言う。駅舎に面した単式ホームと、その奥に引き込み配置の貨物側線、ホーム向かいに側線が1本、足尾本山への本線の線路は一段高い築堤上にあった。スイッチバック配置は、X(エックス)型で、一度、行き止まりの駅ホーム側に入り、ホームから桐生方の引き上げ線にバックし、引き上げ線から、足尾本山方への本線へ入って行った。
(桐生方のスイッチバック引き上げ線跡。小さな築堤と道床跡がある。)
ホーム中程の植え込みの中を良く見ると、開業当初のホームの縁石を見る事が出来る。今よりも、ホームが西に寄っていた事が判る。また、駅舎近くの建て植え式駅名標は、開業当時の旧ホーム上にあるらしい。
(旧ホームのスロープ部。後ろの直角に配されたコンクリート壁は、埋め立て時の土留めと思われる。)
(旧ホームと現在のホームの間は埋め立てられていて、植栽や花壇になっている。
その中に旧ホーム端の石材が一列に並んでいる。※共に、今春の追加取材時の午後に撮影。)
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ホーム中央には、ログハウス風の見晴台と公衆トイレがある。この深い谷間の見晴台に登っても、景色は特段に良くないが、この駅に訪問したら、登るのがお約束である。駅の西側には、古川金属グループの鋳物製造会社・古川キャステック間藤工場があり、その背後にゴツゴツとした岩山が迫っている。これが、足尾銅山こと、備前楯山(びぜんたてやま/標高1272.4m)である。非常に大きな山で、ここから見えるのは、その東側山麓の一部になる。また、雪を頂いた日光連山も遠く北に見え、あの山々の向こうには、有名な中禅寺湖がある。
(見晴台からの備前楯山。植生が少ない岩山なので、迫力がある。)
(見晴台からの日光連山と古河キャステック間藤工場。)
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駅舎本屋を見てみよう。ホーム北端にある駅舎は、アルプス山小屋風に建て替えられており、近代的になっている。国鉄時代の最盛期には、20人近い駅員が勤務していたそうだが、現在は終日無人になっている。
(時計台がある近代的な駅舎。)
アルミサッシの引き戸を開けると、大きな待合室があり、地元のコミュニティ施設も併設している。また、有名鉄道紀行作家の宮脇俊三氏が、代表的著書の「時刻表2万キロ」の国鉄全線完乗を達成した記念すべき駅でもあり、原稿の一部や資料が展示されている。
(待合室。)
この間藤駅に宮脇氏が到着したのは、今から35年前の昭和52年(1977年)5月28日。国鉄足尾線の足尾発14時21分、間藤着14時25分の区間運転列車が最終の列車であった。宮脇氏の影響を受けた鉄道旅行派の鉄道ファンも大変多く、非常に感慨深い。なお、残念ながら、平成15年(2003年)に他界している。
(宮脇氏の展示資料。※夏の追加取材時に撮影。)
(宮脇先生の追悼号が走ったらしい。)
掲示されている駅時刻表と運賃表を見ると、1日の始発列車数は12本で、大凡、1時間に1本になっている。桐生駅からの普通運賃は、大人片道1,080円なので、間藤までの往復乗車ならば、1日フリーきっぷ(1,800円)は、かなりお得になっている。なお、折り返しの21時24分発足尾行きが、最終列車になっており、ひと駅だけの区間運行になる。
(駅時刻表と運賃表。)
この駅のシンボルの大きなステンドグラスも立派である。この付近では、天然記念物のニホンカモシカが、数多く生息していると言う。
(ニホンカモシカの大ステンドグラス。※2013年夏の追加取材時に撮影。)
駅前には、日光・中禅寺湖方面への路線バス停留所がある。週末や夏秋のハイシーズンは、日光方面への近道の接続駅として、一般観光客も多く利用している。
(県道からの間藤駅。)
間藤駅からの上り列車に乗らず、ここで、下車観光をしよう。更に、松木川上流の足尾本山周辺を散策する。
(つづく)
(※動力近代化)
蒸気機関車を廃止し、電気機関車、ディーゼル機関車、電車や気動車にする事。扱いが簡単で、蒸気機関車よりもパワーもあり、スイッチバックの必要も少なくなった。
2018年2月3日 ブログから転載。
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