天浜線の岩水寺駅から、地元の古刹である岩水寺に向かう。駅前の幅の広い通りには、工事中の新東名高速道路の高架橋を潜って、北に450m程歩く。この付近は、住宅も疎らで、畑が多い。
国道362号線に突き当って右折し、次の根樫大門交差点の左折先に岩水寺が見えて来る。駅から徒歩で15分程度、距離は約1kmである。交差点の横を流れている小川沿いには、見事な桜が咲いている。しかし、門前町(仲見世)があると思いきや、全く無く、大きな昭和風の広告入り歓迎門だけが建つ。
(岩水寺の門前通り。)
(歓迎門。大火の為、山門は焼失したという。仲見世が無いのも、その為かもしれない。)
この龍宮山岩水寺は、山裾の広大な境内に20以上の諸堂と1,300年の歴史を有する大寺である。古くから、「家を護るは岩水寺」といわれ、地元の家護りの寺として信仰を集めており、パワースポットとしても有名である。
寺伝では、奈良時代初期の神亀2年(725年)、当時の聖武天皇の勅命を受け、東国巡礼に赴いた高僧の行基(ぎょうき)が、薬師尊像を自ら刻み、ここに開基したという。元々の山号は、瑠璃山であるが、奈良時代最末期の征夷大将軍・坂上田村麻呂より、龍宮山の山号を賜った。それ以来、この山号を使っている。時代が下ると、今川・徳川・武田・織田が拮抗した遠州の場所柄、戦国時代に兵火に見舞われ、大半の諸堂が焼失してしまった。しかし、諸武家の信仰も厚く、甲斐武田家、真田家や江戸時代の徳川家によって、復興されている。
(歓迎門のすぐ先には、庫裏、本堂と鐘楼がある。)
(手書きの境内案内板。山中の道沿いに諸堂が点在する配置になっている。)
歓迎門を潜ると、宗祖・弘法大師像(空海像)や鐘楼堂がある。鐘楼堂には、400年前の礎石が一部使われているという。その大師像の横から、山中に行く道が長く続き、赤い奉納幟が沢山翻っている。なお、元々の宗派は、奈良興福寺に属する法相宗で、現在は高野山真言宗になっている。真言宗寺院の中でも別格本山とされ、寺格は高い。
(弘法大師空海像。)
山に登る様に境内は広がり、本堂は麓にあるので、入って直ぐの場所にある。これ程の大寺であるが、相応な山門が無い。かつては、大きな仁王門があったが、明治21年(1888年)の大火災で焼失した為、本堂南方の江戸時代建築の総門を、本堂前に移築したという。
なお、現在も再建途中であり、殆どの建物は明治時代以降の再建になっている。仁王門の左右の仁王像は、室町時代から江戸時代にかけての制作といわれている。本堂を囲む全長約200mの石垣は、鎌倉時代から室町時代に作られたもの。なお、本堂前に小川が流れている為、境内は横に長く、狭い。
(本堂前の元・総門の仁王門。)
(仁王門から本堂を望む。)
仁王門を潜ると、木造唐破風造りの本堂(地蔵堂)が正面に鎮座する。鎌倉時代の仏師・運覚作の厄除子安地蔵(2代目/初代は弘法大師空海作と伝えられている)が、本尊として祀られている。
通常、地蔵尊は男性であるが、この寺は珍しい女性である事から、家内安全、安産祈願や子授け等に特に縁起があるという。また、坂上田村麻呂の奥方・玉袖姫がモデルといわれ、毎年、正月の三が日に開帳されている。
この浜松の地で玉袖姫が坂上田村麻呂と出会い、俊光を身籠ったが、姫の正体は遠江沖の海に住む赤い大蛇で、天竜川の龍神の化身であったという。出産直後、田村麻呂に正体を見られた姫は、袖ヶ浦(現在の浜松市東区付近)の海に消えたという伝説がある。その8年後、田村麻呂が再訪し、成長した俊光が母親の姿を知らない事から、玉袖姫に会う為に一週間篭って祈祷した所、発現した玉袖姫の姿を写し取ったのが、この地蔵尊といわれている。あくまでも、伝説であるが、なかなか興味深い。
(本堂「地蔵堂」。本尊・厄除子安地蔵を安置する。)
本堂前右手の一段上がった高い場所に、社務所(大日堂)がある。軒下には千羽鶴が沢山吊るされている。子安の地蔵尊なので、普通のお寺とは、少し違う感じである。
(社務所前の千羽鶴。)
御手洗(みたらし)には、たんたんと水が貯えられ、天竜川に通じる立派な龍神の水口が、取り付けてある。
(御手洗。)
(立派な龍神の水口。)
本堂の裏手も覗いてみよう。小川に沿って左に大きくカーブして回り込み、土手の桜も大分咲き始めている。500本余りの桜の名所としても有名で、毎年、大勢の花見客が訪れるという。また、土手の中腹には、三体の青銅色の仏像が安置され、水子地蔵堂もある。
(土手の桜並木。)
脇道が分かれる交差点角の金城稲荷大明神は、赤鳥居が見事で社殿も大きく、秋祭りでは、福餅投げをするという。また、近くに白山神社もあり、この寺の表鬼門の守護社になっている。
(境内社の金城稲荷大明神。)
(金城稲荷大明神本堂。)
本堂(地蔵堂)の真後ろには、薬師根本堂(やくしこんぽんどう)がある。ここに総本尊である秘仏・薬師如来(口伝では行基作)が安置されている。遠州四十九薬師霊場の第二十八番札所として、開基した1300年前より、眼病、肩痛や腰痛を癒やすとされる。元々は、当時在位した嵯峨天皇の病気平癒を祈願したのが、始まりという。なお、「根本」とは、病気平癒を願う地域信仰のこと。この岩水寺には、本尊の厄除け子安地蔵尊と総本尊の薬師如来があり、本尊はふたつあることになる。
(明治時代に再建された薬師根本堂。)
また、薬師堂の東側には、赤池と呼ばれる小さな池がある。赤蛇の玉袖姫がこの池に入り、境内の奥にある鍾乳洞を通って、二俣町鹿島の椎ケ脇神社に面する天竜川に通じたとされ、遠く信州の諏訪湖にも通じていると伝えられている。また、この寺は開運の寺としても有名であり、赤池の水が霊水として境内を流れ、その水が運勢を変えるという。
さらに見学したいが、1時間程度の観光予定なので、駅に戻ろう。心地良い水の音を聞きながら、岩水寺を後にする。また、境内の大駐車場脇の遺跡からは、浜北人と呼ばれる日本最古の化石人骨が発見された。縄文時代以前、旧石器時代の1万8千年から1万4千年前の新人とされ、東京大学総合研究所博物館が所蔵し、研究や検証が続けられている。
(本堂前の小川。山中から流れ、赤池とも繋がっている。)
(つづく)
2021年9月25日 ブログから転載・文章修正・校正。
©2021 hmd
文章や画像の転載・複製・引用・リンク・二次利用(リライトを含む)や商業利用等は固くお断り致します。