天浜線紀行(12)遠州森から天竜二俣へ

時刻は11時を過ぎ、遠州森駅に戻って来た。借りていた自転車を返却する。駅舎本屋並びの自転車を格納している倉庫は、昔の転轍機操作てこ小屋らしい。

この遠州森駅から、更に西進し、沿線の最大の主要駅である天竜二俣駅に向かおう。今度の下り列車は、11時21分発になるので、待合室で暫く待つ事にする。その間に、スタンプラリーの駅スタンプも忘れずに押しておく。

数分前になると、駅長氏の昔ながらの口頭での列車案内がある。駅見学と観光案内のお礼を丁寧に言い、改札口前の構内踏切を渡って、下り2番線ホームに向かおう。遠くから、「フィー」と汽笛が響き、鉄橋を渡るガラガラ音が聞こえると、2両編成の下り125列車・新所原行きがやって来た。先頭車は「宝くじ号」号のTH9200、後ろはTH2106の2両編成で、2両目の後方扉から乗車のワンマン方式になる。スタンプラリー用の整理券も、忘れずに取っておく。


(下り125列車・新所原行きに乗車する。)


(遠州森から遠江一宮間。※訪問時は、森町病院前駅は開業していない。)

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【停車駅】◎→列車交換可能駅 ★→登録文化財駅
遠州森◎★1121====円田====遠江一宮◎★===
下り125列車・普通新所原行(TH9200+TH2106・2両編成)
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先着していた上り124列車・掛川行きのTH2104と列車交換をし、ディーゼルエンジンを轟かせ、定刻に発車。2両編成の乗客は数名で、車窓撮影の為に列車最後尾の運転席横に陣取る。この遠州森駅から天竜二俣駅までは、南アルプス最南端の低山の端を縫う様に線路が伸びる。なお、天竜二俣駅までは、路線キロ13.4km、所要時間約20分かかる。


(遠州森駅を発車する。※当列車後方の遠州森方を撮影。)

(後方車両のTH2106の車内。)

西に1.3km走ると、真新しい大きな高架橋【赤色マーカー】をアンダーパスする。建設中の新東名高速道路の交差部で、この森町にインターとパーキングエリアが、設置される予定になっているという。


(新東名高速道路の園田高架橋。※朝の上り114列車後方の天竜二俣方を撮影。)

また、遠州森駅から次の駅の円田(えんでん)駅までの約2kmは、左右の開けた直線が続き、太田川沿いの大水田が左窓に広がっている。列車の速度はかなり速く、後部運転席の速度計を見ると、時速80km近い。そして、切り通し部の緩やかな勾配を登ると、約3分で円田駅に到着する。


(円田駅前の切り通し部。※当列車後方の遠州森方を撮影。)

円田駅は、第三セクター転換後の昭和63年(1988年)3月に開業した、単式一線の終日無人駅になる。ホーム上には、「次郎柿の里」の大きなブリキ看板が掲げられ、この森町が原産地になっており、町の特産品になっている。森町市街地の太田川に架かる森山橋の近くに、樹齢160年の原木が、保存されているとの事。


(円田駅。名物看板が見える。※当列車後方の遠州森方を撮影。)

なお、円田の地名の由来は、はっきりと判っていない。駅の正面向かいには、八雲神社【鳥居マーカー】の小森があり、右窓越しに見える。天浜線の運転士達も、運行安全の願掛けをしているという。地元住民が手入れをしている花壇もあり、南向きなのこの神社は日当たり良好の為か、春の花木が咲き始めている。


(円田駅正面の八雲神社の石鳥居。向こうには、金生寺もある。)

短い汽笛が一吹き後、円田駅を発車すると、直ぐに大きく右にカーブし、南アルプス端の山裾を横断する2km近い直線のピーク【黄色マーカー】を越える。エンジンは全開、独特で豪快なカミンズサウンドが轟くスリリングな区間で、先にトンネルがある様に見えるが、木が左右から覆い被さった「木のトンネル」になっている。

なお、カミンズエンジンとは、米国カミンズ社の汎用ディーゼルエンジンの事で、甲高い乾いた豪快なエンジン音が特徴である。本来は、船舶用であるが、鉄道車両用に転用された。国内では、昭和57年(1982年)に、大井川鐵道井川線の専用機関車DD20形に初めて採用。後に、JR東海特急型気動車キハ85系、JR東日本キハ100・110系等や、非力な国鉄気動車キハ40系の換装エンジンとして採用され、その高性能が評判になった。最近では、非電化ローカル線鉄道向けの新型気動車に、採用される例も多い。国鉄時代の国産ディーゼルエンジンよりも、遥かに高出力・高トルクのハイパワーエンジンで、走行や加速性能の改善に大きく寄与し、電車並の性能に達している。


(円田駅から遠江一宮駅間の大ピークと木のトンネル。※朝の上り114列車後方の天竜二俣方を撮影。)


(遠江一宮から天竜二俣間。)

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【停車駅】◎→列車交換可能駅、★→登録文化財駅
=遠江一宮◎★===敷地===豊岡◎===上野部===1142天竜二俣◎★
下り125列車・普通新所原行(TH9200+TH2106・2両編成)
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中間地点の踏切付近のピークを越え、今度は下り勾配を走り、左にカーブすると、朝に訪問した登録文化財駅の遠江一宮駅に到着する。此処での列車交換はなく、直ぐに発車となる。


(遠江一宮駅を発車する。※当列車の後方を撮影。)

遠江一宮駅から先は、標高100mから130m程度の低い山の間に、平地が広がる風景の中を走り、南アルプス末端の山裾を迂回しながら走るので、カーブが意外に多い。暫く、真っ直ぐに走った後、90度近く右にカーブをし、北向きに進路を変える。東西を低山に挟まれ、一宮川支流の敷地(しきじ)川が流れる細長い谷間に入る。なお、この右カーブを曲がる角の場所に、一宮川が流れており、そこに架かるプレートガーター鉄橋【青色マーカー】は、国登録有形文化財に指定されている。

◆国登録有形文化財リスト「天竜浜名湖鉄道一宮川橋梁」◆

所在地 静岡県袋井市川会地先
登録日 平成23年(2011年)1月26日
登録番号 22-0168
年代 昭和15年(1940年)
構造形式 鋼製単桁及びコンクリート造二連桁橋、橋長40m、橋台及び橋脚付。
特記 橋長40m、単線仕様の鋼製単桁橋及びコンクリート造二連桁橋からなり、
全体で緩やかな曲線を描く。橋脚は鉄筋コンクリート造。
端部の上路式RC桁、河川上の下路式鋼製桁と、変化のある景観をつくる。

※文化庁公式HPから抜粋、編集。

この南北に伸びる川谷は、南アルプス最南端のふたつの山裾に挟まれており、特に狭い。しかし、線路は殆ど平坦なので、列車の速度も時速60km以上と速い。左窓に広大な水田、右窓の山際に茶畑が広がり、柿の名産地にもなっている。


(北に進路を変える。※当列車の後方を撮影。)

次の敷地(しきじ)駅は、国鉄二俣線開業時の単式一線の駅であるが、ホームや駅舎は近代化され、ホームに錆びた国鉄時代の駅名標だけが残っており、次郎柿と古老柿(ころかき/干し柿の事)の立体看板が名物になっている。太古の昔には、「あばれ天竜川」と呼ばれていた天竜川の河原であったそうで、その大スケールに驚く。地名や駅名も、それに由来しているという。
天竜浜名湖鉄道公式HP・敷地駅 ※駅舎と柿の立体看板が見られる。

敷地駅の先は、起点の掛川駅から数えて、三つ目のピーク越え【白色マーカー】になり、低い山の稜線が途切れた場所を左に大きく弧を描きながら横断する。この付近は、西ノ谷と地元では呼ばれ、標高はあまりないが、長くて緩い上り勾配、短いトンネル、直線の下り勾配を走り抜ける。西向きになった線路が右カーブをした後、次の豊岡(とよおか)駅に到着。なお、車窓からは見えないが、このピークのトンネル西側には、ヤマハ発動機等の大工業団地がある。


(敷地駅から西ノ谷を登る。高架橋は新東名自動車道。※当列車の後方から撮影。)

豊岡駅は、平成14年(2002年)にホームが2面2線に増設され、列車交換が出来る。翌年には、地元商工会支所と併設した近代化駅舎に建て直された。磐田市の北部になり、市役所の支所、病院や商店街が集まる中心地になっている。かつては、天竜川の広大な河原であったので、平地が広がり、駅周辺も建物が大変多い。しかし、天竜川は駅からが見えず、約1km西側に流れている。県西一の梅の名所としても、よく知られているという。
浜名湖鉄道公式HP・豊岡駅

数人の乗降を済まし、豊岡駅を発車。住宅地の中の真っ直ぐな緩い勾配を上り、次の単式一線の上野部(かみのべ)駅は、カラフルに塗られた横板壁の小さな木造待合室がある。「天竜川に一番近い駅」と大々的に謳っているが、天竜川は西側100m先の為、川面はやはり見えない。また、天浜線内で乗降客が最も少なく、1日10人以下であるが、鮎釣りの時期は釣り人で賑わうという。鉄道趣味的には、やや怪しいデザインの蒸気機関車が描かれた、隣駅案内のブリキ看板が有名である。
天竜浜名湖鉄道公式HP・上野部駅 ※待合室の写真が見られる。

上野部駅から町から離れ、小さな谷間の水田の中を盛り土で横切ると、天竜川河畔まで伸びたふたつの山裾を潜る、2本のトンネルを連続通過する。1本目のトンネルの神田トンネル【トンネルマーカー】は、国登録有形文化財に指定されている。実は、国鉄二俣線開業時に掘削されたものではなく、開通前に廃線になった、光明電気鉄道のトンネルを転用したものである。

◆国登録有形文化財リスト「天竜浜名湖鉄道旧光明電気鉄道神田隧道」◆

所在地 静岡県磐田市上野部字神田2434-5他
登録日 平成23年(2011年)1月26日
登録番号 22-0167
年代 昭和5年(1930年)※光明電気鉄道開通時。
構造形式 コンクリート造、延長260m、幅員4.6m。
特記 天竜二俣駅の1,000m南東に位置する。
延長260m、単線仕様、馬蹄形アーチ断面になるコンクリート造の隧道。
光明電気鉄道の軌道として建設されたもので、
坑門には迫石及び笠石を表現するなど、丁寧な仕上げが見られる。

※文化庁公式HPから抜粋、編集。

箱庭の様な小谷を過ぎ、最後の2本目のトンネルを抜け、勾配を少し下って、左にカーブする。突然、大きな車両区と駅構内が見えて、天竜二俣駅下り2番線に到着する。


(最大の途中主要駅である天竜二俣駅に到着する。)

(つづく)


2020年5月19日 ブログから転載・加筆・文章修正・校正。

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