城下地区から本町通りに戻ろう。帰りは長い下り坂なので、楽々である。本町通り最奥のT字路周辺【茶色マーカー】には、昭和風の専門店が集まる小さな商店街があり、左折して、町役場、消防署や郵便局の前を通る。この付近が、森町の行政サービス機関が集まるエリアになっている。
森町の代表的な寺院のひとつである、「萩(はぎ)の寺」こと、蓮華寺(れんげじ)【万字マーカー】に向かおう。町役場の裏山の小高い場所にある山寺になっている。萩の花が群生する事で有名であるが、開花シーズンは4月中旬頃からになっており、まだ早い。緩やかな坂を少し登り、町役場裏から約10分で到着する。道路からの小さな石段は木々に囲まれ、とても清々しい雰囲気がする中、ゆっくりと登って行く。
(蓮華寺境内案内板と仏教格言石碑。)
(現代風の山門がある寺出入口。)
(参道の石階段を登る。)
朱色に塗られた山門は小さいが、菊の御紋の帳が掛かっているので、天皇家由縁の寺である。当初の宗派は、遣唐使由縁の法相宗(ほっそうしゅう※)で、現在は、天台宗になっている。なお、法相宗とは、遣唐使によって唐から伝えられた大乗仏教の宗派であり、当時の仏教中心地でもあった奈良を中心に教えが広がった。かつては、奈良の法隆寺や京都の清水寺もこの宗派に属し、奈良の興福寺や薬師寺が現在の本山になっている。
(菊の御紋が掛かる連華寺山門。)
山麓の狭い場所に建てられている為、境内は横に細長く、建物は横一列に並んでいる。とても小さな寺であるが、1,300年の歴史がある森町で一番古い寺になり、多数の寺宝や古文書等が受け継がれているという。なお、この寺が、遠州森の町が造られるきっかけであったといわれ、鎌倉時代に市場ができ、室町時代以降に町並みが発達したという。
御本尊は文殊(もんじゅ)菩薩、仏の悟りに至る為の智慧(ちえ)を司る仏とされ、知恵や学業の仏様として知られている。由縁は、飛鳥時代末期の704年(慶雲元年)、文武天皇の勅願により高僧の行基(ぎょうき)が開基。遠江の中心となる仏寺として、高僧を輩出し、地元武将の信仰も厚かった。平安時代には、七堂伽藍・一山三十六坊も擁した大寺であったそうで、驚きである。
しかし、戦国時代最末期の1572年(元亀3年)、甲斐武田氏が侵攻した際に、寺は焼き討ちされ、正親町天皇の勅命を受けた徳川家康によって、後に再興された。しかし、明治政府の廃仏毀釈政策を受けて規模が縮小し、現在に至っている。また、江戸時代末期には、遊行僧の木喰上人(もくじきじょうにん)が来訪し、一晩で彫ったと伝わる晩年傑作の子安地蔵尊像も安置され、安産や子育ての寺としても、地元の信仰を集めている。
(境内左手にある小さな本堂。寺宝を保管する文化財記念館も、別に建てられている。)
(寺の庶務と住職が住まう庫裏[くり]。)
西側の一段高い場所に、小さな鐘楼堂があり、参拝者は自由に打つ事が出来る。ここでひとつ、記念に鳴らしていくことにしよう。寺の山号でもあり、八形山(はっけいざん/標高198m)と呼ばれるこの山は、頂上に奇石奇岩が多い霊山として、堂坊が沢山建てられたそうで、今でもその一部が残っているという。また、この蓮華寺付近から、北の信州方面に通じる古街道があり、塩や物資を背負った馬が多く行き来し、賑わったと伝えられている。
(鐘楼堂。)
(柱の注意書きを読んでから、ひとつ打ち鳴らす。合掌。)
□
本堂に参拝し、深々と静かな境内のベンチで一休みした後、石段を下り、駐車場から見上げると、とても古い木造建築の建物がある。ちょっと、見に行こう。
(旧周智郡役所・森町歴史民俗資料館。)
大きな窓のある下見板の外壁に、車寄せの上に二階が迫り出した特徴ある構造になっている。明治18年(1885年)築の総二階建て、昭和40年代頃まで使われていた旧周智郡役所で、現在は、森町歴史民俗資料館【建物マーカー】として使われている。なお、近くの森小学校にあったが、蓮華寺境内の一角を借り受けて、移築したという。
(二階が迫り出した車寄せ部。)
(玄関周辺。)
館内には、江戸時代頃から昭和中頃にかけての農耕具、生活用品や歴史資料が大量に展示されており、その量に圧倒される。特に、古道具は必見で、大変珍しいものも多い。施設を管理されている初老男性の町職員氏に、付きっきりで丁寧に説明をして頂いた。
町職員氏に、じっくりと町の歴史などの話を聞けた。お礼を言って帰ろう。また、「土蔵が残っていますよ」と教えて頂いたので、行ってみよう。小学校の南にある路地を入った所にあり、本町通りの裏手になるが、母屋と塀がある本通り側からは見えないとの事。
(森町の土蔵群。最盛期には、数百棟の土蔵が町内にあったという。手前の自転車は、駅レンタサイクル。)
三階建ての本瓦葺きらしい立派な土蔵【水色マーカー】が、四棟が並んでいる。かつての森町は、江戸時代後期から20軒余りの古着商が軒を連ね、「古着の町」として栄えたそうで、当時の全国の古着相場を動かす程であった。当時の衣服は高価な為、古着の需要が今以上に高く、安価な衣服が大量生産できる戦後になるまで、栄えたという。
この繁栄を極めた古着商の土蔵は、殆どが取り壊されているが、町内に幾つか残っている。また、毎年の桜の花見シーズンになると、森町の観光イベント「過去の町並みと蔵展」が開催されている。本町通りを中心に、古い蔵の公開や歴史講演会、人力車などの実演、地元商店や団体の出店がある。
□
旧街道筋と城下町、蓮華寺、歴史民俗資料館の訪問だけであったが、時刻はあっという間に、11時近くになっている。もっと見学したいのだが、駅に戻る事にしよう。
町が川に沿って細長い為、移動距離が長い事や寺社が小高い山中にある場合も多いので、思った以上に時間がかかった。その為、ゆっくり観光するならば、半日以上の時間を取った方が良いと感じる。
遠江森の代表的な寺社を巡るならば、今回訪問した「萩の寺」こと蓮華寺、「桔梗寺」こと香勝寺(こうしょうじ)、「紫陽花寺」こと極楽寺の花寺と、峠を越えなければならないが、清水次郎長子分の森の石松の墓がある大洞院(だいとういん)が有名である。また、森山焼と呼ばれる4つの窯元や、太田川沿いの大桜並木も見所になっている。城については、町内の山中に3つあるが、全て廃城になっているという。
(つづく)
2020年5月12日 ブログから転載・加筆・文章修正・校正。
【参考資料】
「よんない 遠州森町のご案内」(森町役場発行のイラスト散策マップ/遠州森駅で入手。)
©2020 hmd
文章や画像の転載・複製・引用・リンク・二次利用(リライトを含む)や商業利用等は固くお断り致します。