いずっぱこ紀行(3)反射炉と三嶋大社

修善寺温泉郷から、修善寺駅に路線バスで戻ってきた。駿豆線のもうひとつの代表的観光地の韮山(にらやま)反射炉に行ってみよう。なお、最寄り駅は、韮山ではなく、隣の伊豆長岡になっている。13時41分発の上り三島行き列車に乗車し、15分ほどで、伊豆長岡に到着する。


(伊豆長岡駅前でタクシーを待つ観光客。駅舎は、昭和61年に建て替えられた。)

(帰りの観光客で混雑する改札口前は、温泉観光駅の賑わいを見せる。)

伊豆長岡駅は、豆相(ずそう)鉄道初開業時の終着駅であった。今も、沿線一の大温泉の玄関駅になっており、修善寺駅と同じ位に乗降客が多く、土産物袋やカバンを携えた観光客でごった返している。また、昭和風の平屋建て駅ビル内には、伊豆箱根鉄道直営の土産店兼コンビニや駅蕎麦店もある。駅蕎麦屋は、15時過ぎまでの短い営業時間であるが、たぬきそば330円、名物伊豆椎茸そば380円など、手頃な料金で生そばが食べられ、駿豆線を訪れる鉄道ファンにも人気がある(料金は取材時)。

駅前ロータリーの左手に、プレハブ建ての観光協会があるので、行き方を訪ねてみよう。駅から線路を渡った東に2km・徒歩20分程の山際に反射炉があり、少し待てば、運賃100円のコミュニティバスが来るらしい。帰りのバスは、広域循環バスのために時間ロスが大きく、行きはバス、帰りは徒歩が良いとのこと。

20分ほどの待ち時間の間、隣の土産店の大きな看板につられて、蒸したての温泉まんじゅう(1個税込み60円)を買ってみる。「うちの饅頭を食べると、駅で売っている饅頭は買えないよ」との年配店主の豪談で、食べてみると、ふかふか柔らか生地に程よく甘い餡のハーモニーが、とても美味い。「この(地元老舗和菓子店の)柳月(りゅうげつ)の温泉まんじゅうは、旅館の引き合いも多いよ」と、話してくれた。


(駅前土産店の満州屋。のんびりとした温泉土産屋の雰囲気が漂う。)

観光協会前に中型の路線バスが到着し、観光客三人を乗せて、山際に向かって走る。10分ほど乗ると、真新しい駐車場と大きな建物が見えてきて、韮山反射炉前に到着。世界遺産に指定されてから、観光施設や駐車場などが大規模に整備されたらしく、団体観光客を乗せた観光バスもぞくぞくと入って来ている。

ガイダンスセンター見学と反射炉間近の見学と合わせ、有料施設になっており、出入り口を入った横の自動券売機で、入場券(大人300円)を購入する。見学者が非常に多くなると、駐車場の誘導員、トイレやゴミ処理などの環境整備維持が必要になるので、有料化は致し方なかろう。

ガイダンスセンターでは、大画面の立体映像を使って、歴史や大砲の製造法をわかりやすく解説している。大砲の砲身ができた後、水車の力を借りて砲身をくり抜くのに、一門あたり約二週間かかったらしい。上映が終わった後に、順路を通って、反射炉近くに行ける。


(真新しいガイダンスセンターと反射炉。)

耐熱煉瓦でできた金属溶解炉である反射炉は、熱を反射させて約1,300度の高温になる工夫がしてあり、江戸時代幕末の大砲製造のために造られた兵器工場跡になっている。天保11年(1840年)のアヘン戦争以降、西洋列強の軍事力に恐れをなした幕府は、海防に詳しい幕臣の江川英龍らに命じ、蘭学技術書(オランダの技術書)を参考に反射炉と大砲製造工場を巨額の資金を投入して建設した。なお、韮山は江戸幕府直轄の反射炉で、先進的であった九州の佐賀藩や薩摩藩などでも建設されており、佐賀藩の技術協力もあったという。

当初は、下田に建設していたが、アメリカ・ペリー艦隊の水兵が偵察潜入したため、江川英龍が代官をしていた内陸部の韮山に急遽移された。難工事と技術的困難を克服し、安政4年(1857年)に、高さ15.7mの二連四炉の反射炉ができ、鉄製18ポンドカノン砲(※)や青銅砲を製造。東京の品川台場(今のお台場)に据え付けられている。なお、反射炉の周りに多くの建物があったが、今は反射炉のみが残り、国内で唯一現存するとされる。しかし、稼働期間は短く、7年後の元治元年(1864年)まで稼働し、後の明治政府陸軍省に移管した(※)。


(韮山反射炉。鉄帯は明治時代の耐震工事の際、取り付けられた。)

(後背地の茶畑の丘からは、反射炉と富士山が見える。)

江戸幕府の小さな大砲製造工場跡は、日本の近代的洋式製鉄の重要な史跡であり、今の日本の重工業の基点と感じる。なお、竣工当初、煉瓦造りの煙突は、漆喰塗りの美しい白亜の煙突であったという。

時刻は15時40分前。韮山反射炉の見学を終え、伊豆長岡駅に徒歩で戻ってきた。冬陽も斜めになってきているが、最後に三嶋大社に参拝して、東京に帰ることにしよう。上り三島行き列車で、最寄り駅の三島田町まで乗車する。

この三島田町駅は、駿豆線の歴史が始まった記念すべき駅で、初開業当時の起点駅である。屋根の高い大きなコンクリート造りの昭和中期風駅舎になっており、駅舎側単式ホームと島式ホームがある列車交換可能駅で、JR直通特急の踊り子号も停車する。


(三島田町駅下り1番線ホームと改札口。)

改札口を出て、駅前ロータリーから右に250mほど行くと、旧下田街道の小さな交差点に出る。ここを左に曲がった先に三嶋大社があり、この下田街道自体が参道であるが、商店街は大分廃れている。途中には、音声付きのからくり水人形や国登録有形文化財・大正末期建築の看板建築商店があり、目を引かれる。また、住宅や商店が多く、意外に感じないが、この周辺は神社や寺院が集まるエリアになっている。


(からくり水人形「つるべっ子」。近寄ると、音声付きで、水を汲み上げる。)

(参道途中の国登録有形文化財の「ムラカミ屋」。元・洋品店であったという。緑青色に錆びた銅板張りの看板建築が目立つ。)

寂れた商店街を290m程北に歩くと、三嶋大社の大鳥居前に到着する。この交差点付近は、土産店や飲食店が集まり、観光客も多いので活気がある。通ってきた本来の参道よりも、三島広小路駅から、この東西の目抜き通りを歩いて来る参拝者が多いらしい。


(三嶋大社の大鳥居。この鳥居の前が、下田街道の起点になっている。)

境内はとても広く、大きな神池を擁する厳島(いつくしま)神社や立派な宝物館もある。内垣の神門を潜ると、広い砂利敷きの中央に四方ガラス張りの舞殿(神楽殿)があり、その真後ろに御殿(ごてん/三嶋大社では、本殿・幣殿・拝殿)が鎮座している。

江戸末期に起きた東海地震で倒壊したため、慶応2年(1866年)に再建された総欅素木造り(そうけやきしらきづくり)の豪勢な造りで、力強い彫刻が施されている。高さ16mの古式神社建築として、東海一の威容を誇った。再建には、約1万6千両(現在の16億円位)の巨費を投じ、関東一(京から見て、関ヶ原の東の意)といわれていたそうで、今も、三島のランドマークになっている。


(三嶋大社御殿。平成12年には、国重要文化財に指定されている。)

創祀の時期は不明であるが、奈良時代や平安時代の書物にも、記録が残っている。御祭神は、大山祇命(おおやまつみのみこと/山の神。三島では海の神にもなっている)と、積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ/宣託神。恵比寿と同一とされ、海の神でもある)の二柱。この二神を一体としてみなし、東海一とされる神格の「三嶋大明神(三嶋神)」としている。無論、三島の地名の由来になっている。

中世以降は、鎌倉幕府成立前に伊豆蛭ヶ島(ひるがしま)に流されていた源頼朝などの武家の信仰が厚く、伊豆国の一の宮となっている。明治になると、同県富士宮の富士山本宮浅間(せんげん)大社と同じ官幣大社(かんぺいたいしゃ)となり、現在も、国宝や重要文化財を擁する大社として、遠近からの参拝者が絶えない。また、御祭神を乗せて、箱根山に毎朝駆け上がるといわれる実物大の神馬の彫刻がある神馬舎や、源頼朝と妻・北条政子が並んで座ったと伝わる、腰掛石も見どころになっている。


(腰掛石。平家追討祈願の百日参りの際、左は頼朝、右は政子が腰掛けた。)

日没となり、大分薄暗くなってきた。大鳥居前の交差点角に、山本食品のコロッケスタンドが建っている。現在の三島では、コロッケで町おこしを行っている。参拝者が次々と引き上げる夕刻なので、普通のコロッケしか残っていないが、それで良く、1枚注文する。なお、山本食品の本業は、明治38年創業のわさび漬け製造会社である。

地元産の三嶋メークインを使った昔ながらのコロッケである。三島市商工観光課みしまコロッケの会事務局が認定し、普通のコロッケの他、各店に創作メニューも任せているらしい。ひとくち食べてみると、外はカリッと、中はホクホクの柔らかい、やさしい自然な風味のコロッケである。なお、三嶋大社の名物としては、境内参道横の「福太郎の草餅」が大変有名であるが、本日の営業は終了していた。次回訪問時に食べてみたい。


(山本食品の三島コロッケ。1枚税込み130円。)

三島駅まで1km程度しかなく、徒歩で行ける距離なので、歩くことにしよう。道端の観光道標に従って、暗くなった大きな水路の歩道を歩くと、親水公園も途中に整備されている。この三島には、親水公園、用水路や水にまつわる社などが沢山あり、水の町を実感できる。なお、三島駅の南にも、楽寿園と呼ばれる大きな親水公園がある。


(用水路横を歩いて行く。水量も多く、たぷたぷと流れる。)

この親水公園を過ぎて、居酒屋などの飲食店が立ち並ぶ繁華街を抜けると、三島駅に到着。帰りの夕食は駅弁にしようかと思い、JR改札口横の桃中軒(とうちゅうけん)の売店に立ち寄ってみる。中年の男性店員に聞くと、あいにく、全品売り切れとの事。「新幹線ホームの売店には、まだ残っているよ」と教えて貰い、新幹線ホーム入場券(140円)を購入し、待合ロビー内の駅弁販売所で無事に入手した後、在来線の上り熱海行き列車に乗車する。

15分程で、JR東海とJR東日本のジャンクションの熱海に到着。帰りも、熱海からグリーン車に乗り、入手した駅弁を楽しもう。今回は、一般的な幕の内弁当で、弁当名も「御弁当」とシンプルである。

桃中軒は明治24年(1891年)に沼津駅で開業した老舗調整所(駅弁業者)で、この三島駅でも販売を行い、沼津駅や御殿場線内では駅蕎麦店も経営している。明治末期から販売している鯛めし(760円)が看板駅弁であるが、新幹線売店でも売り切れており、売店の中年女性に国鉄時代由縁の駅弁を紹介してもらった。

なお、明治時代末期か大正時代初期から、販売されていたらしい。現在の幕の内弁当は、平成16年(2004年)の御殿場線開通70周年・丹那トンネル開通70周年にあたり、昭和43年(1968年)頃のメニューを再現したそうで、容器も木製の経木(きょうぎ)の折箱に戻した。逆さ富士の掛け紙もレトロで、イベント時には限定掛け紙に変えられたりしている。

右側の「明るい車内」の標語も、国鉄時代らしく感じる。昔の掛け紙には、「(駅弁の)空箱を車窓から捨てないで下さい」などの注意書きもよく見られた。窓の開かない車両が多く、普通列車内で食べる雰囲気の無くなった今は、殆ど見かけなくなっている。


(桃中軒「御弁当(幕の内)」、税込み780円。)

薄い経木の蓋を取ると、オーソドックスな幕の内で、七種の具と日の丸俵飯を詰めてある。特に、地元和牛・愛鷹(あしたか)牛の旨煮と筍の旨煮、鯖照焼き、わさび漬けが美味しい。粘りのある俵飯は、老舗タムラ食品のわさび漬け載せると、更に楽しめる。容器も昔ながらの経木(ひのき)を使い、香りがとても良いのと、飯が乾燥しにくいのが良い。国鉄時代を思い出させる、懐かしい駅弁になっている。


(見かけによらず、量がある。玉子焼き・魚・蒲鉾は、駅弁の三つの神器。)

今旅では、沿線観光がメインになってしまったが、次回は駅巡りもしてみたい。東京上野まで、まだ1時間以上もかかる。ゆったりとリクライニングシートで休みながら、帰るとしよう。

(おわり/伊豆箱根鉄道駿豆線ダイジェスト版)


(※カノン砲)
比較的低い弾道で、遠距離の目標を攻撃できる大砲。18ポンド級は、重さ2.5トン、射程2,500m程。
(※反射炉と世界遺産)
日本に反射炉が建設された時点で、ヨーロッパでは、150年前の旧技術の金属溶解炉であった。すぐ後に高炉が使われるようになり、反射炉の歴史は短かった。この歴史の短さと現存する反射炉が世界的に少ないことから、世界遺産に指定されている。

【参考資料】
現地観光歴史案内板
いずっぱこ沿線旅ノすすめ -駿豆線・大雄山線-(伊豆箱根鉄道発行/現地で入手)
韮山反射炉見学者用パンフレット(伊豆の国市教育委員会文化財課発行/現地で入手)

【取材日】平成29年(2017年)1月29日(日)
【カメラ】RICOH GRII

2017年7月11日 ブログから転載
2020年7月18日 文章修正・校正
2020年8月18日 画像再処理・追加(カラー化・4K化)
2024年9月3日 文章修正・校正・一部加筆

【リニューアル履歴】
2024年9月3日 伊豆箱根鉄道駿豆線(短編)全話

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