さて、もうひとつの「りゅう」のこと、関東鉄道竜ヶ崎線(りゅうがさきせん)に行ってみよう。JR常磐線の佐貫(さぬき)駅が接続駅になっている。取手までは沿線の町並みが途切れることは無いが、昭和のベッドタウン化の波は当初の電化区間終点の取手付近までになり、この先は駅間距離も長くなり、長閑な車窓が少しずつ増してくる。開通当時の古い駅で、水戸街道の7番目の旧宿場町である藤代(ふじしろ)駅を過ぎると、次が佐貫駅である。上野駅からは、47.7km地点、所要時間約50分かかる。
定刻通りに到着。結構な人数が下車する。時計を見ると、朝の8時を過ぎた所である。すこぶるいい天気であるが、今日の最高気温の予報は5度で、北風がとても強い。佐貫駅は、昭和60年(1985年)に橋上駅化しており、改札に上がり、東口階段を再び降りた先に竜ヶ崎線の乗り換え口がある。以前は、同じ駅構内にあり、連絡通路で結ばれていた。
駅出入口前の横断歩道先では、龍ケ崎市の公式マスコットキャラクター「まいりゅう」が迎えてくれる。唐草模様の服など突っ込みどころ満載である。地元の子供達には、とても人気があるらしい。駅周辺は、駅舎に隣接する建物以外は疎らで、閑散とした印象を受ける。
(佐貫駅東口。)
(龍ケ崎市の公式マスコットキャラクター「まいりゅう」。)
佐貫駅は常磐線(当時は、日本鉄道土浦線)開通当時の駅では無く、竜ヶ崎線開通時に接続駅として、明治33年(1900年)8月14日に増設された。竜ヶ崎線も流山線と同様に、町の中心地と常磐線を結ぶ連絡鉄道であり、関係部署に相当の嘆願を行ったのであろう。
また、現住所と駅名が一致しておらず、ここは龍ケ崎市内になっている。元々、佐貫は旧字(きゅうあざな)であり、後に龍ケ崎町を経て、龍ケ崎市になった。以前から、龍ケ崎市駅に改称する計画があるが、JR側の運賃表や路線図などの大規模な変更や費用負担が必要であるため、延期されていた。やっと、2020年春に変更する予定という。竜ヶ崎線の終点は竜ヶ崎駅であり、間違いやすいが、こちらは変更しないらしい。
(東口階段下のタイル絵「佐貫の春」。ご当地の歴史や風物を題材にしている。牛久沼、筑波山や富士山などが描かれ、空を飛ぶ小さな蒸気機関車が可愛らしい。かつての竜ヶ崎線をイメージしたものであろう。)
ちなみに、千葉県内のテーマパークで有名なマザー牧場の最寄り駅は、JR内房線の佐貫町駅であり、とても間違えやすい。実際、間違える人もいる様で、構内コンコースに注意書きも張り出されているが、この佐貫駅から佐貫町駅までの所要時間は約2時間もかかり、その場合は気の毒である。龍ケ崎市駅と竜ヶ崎駅は、所要時間10分未満の至近距離であるので、苦にはならないだろう。
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朝の8時40分を過ぎた。先ずは、東口階段下のマクドナルドで、朝マックを食べよう。温かいコーヒーが冷えた体に染み渡る。この佐貫周辺は遮る山もなく、平原と沼が広がるため、冷たい北風が吹き付けて顔が痛い程である。筑波山からの空っ風「筑波おろし」が吹き下ろし、その西隣の利根川流域も関東山地からの風の通り道になっているため、冬場の乾燥や冷え込みも激しい。
一服して、身支度を整えたら、竜ヶ崎線の旅のスタートである。乗車と駅訪問の後、龍ケ崎市内をゆっくり散策したい。乗車する前に、駅の近くにある牛久沼(うしくぬま)【カメラマーカー】を見に行こう。反対側の西口から徒歩10分程度の国道6号線水戸街道沿い場所にある。
周囲25.5km、面積6.5km²、最大水深3mの大きな淡水沼である。東谷田(ひがしやた)川と西谷田川が、小貝川の土砂でせき止められたため、北西・南東方向の二方に細長い。名称は牛久沼であるが、隣の牛久市ではなく、全域が龍ケ崎市内にある。マコモ(※)や葦(アシ)が生い茂り、鰻、鯉、ヤマメやオイカワなどが生息し、茨城県内の釣りのメッカとしても有名である。
鰻丼発祥の地でもあり、鰻専門店が国道沿いに何軒か構えている。かつては、牛久沼産の天然鰻も食べられたが、沼の水質低下で難しいという。近年の養殖技術発達で、養殖物の方が安全性が高く、柔らかくて美味しい。ちなみに、「食って寝てばかりいると、牛になる」の寓話も、この沼が発祥といわれている。牛になった近くの寺の小坊主が、畜生道に落ちた恥のあまり、入水したため、「牛を喰う沼」が牛久沼の名称由来とのこと。
なお、寓話以前は、太田沼と呼ばれていた。岸辺に立つと、凍てつくような北風が吹き付け、水面も激しく波打つ。遠くの真っ正面には、筑波山のシルエットが見える。白鳥や鴨などの越冬地になっており、バードウオッチングも楽しめるそうだ。
(牛久沼水辺公園【カメラメーカー】から牛久沼を望む。)
また、かつての小貝川は暴れ川の上、牛久沼の水深が浅いために水害も多く、駅東の小高い台地上に旧・水戸街道が通っていた。8番目の若柴宿【黄色マーカー】が置かれ、宿場の突き当たりの金竜寺【万字マーカー】には、あの新田義貞一族(※)の墓所がある。戦国時代末期の天正18年(1590年)、義貞子孫の由良国繁(ゆらくにしげ)が牛久城主になり、上州新田郡(現・群馬県太田市)より、ここに菩提寺を移転したという。若柴宿は古い旧家は残っておらず、大きな敷地に近代的な家々が建ち並んでおり、宿場町の面影は殆ど無い。なお、小貝川は、下総(現・千葉県北部)と常磐(ときわ/現・茨城県)の国境であり、渡し船があったという。
牛久沼の南端には、八間堰と呼ばれる水門がある。沼の水位を調整し、ここから小貝川に接続し、利根川へと流れていく。水路の幅が八間「約15m」あるのが由来らしいが、20m以上はある。西側に旧水路があり、それが由来らしい。後ろの高架橋は国道6号線で、2kmに渡る牛久沼沿いと名物の鰻から、「鰻街道」の異名もあるという。
(牛久沼の八間堰と国道6号線。茨城県を縦断する国道6号線は、地元では「ろっこく」の愛称で呼ばれている。)
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佐貫駅に戻り、関東鉄道の駅に向かおう。四階建ての鉄筋コンクリートビルの一階に駅がある。同じ一階には、居酒屋や龍ケ崎市の観光案内所があるが、時間が早いため、まだ開いていない。
(関東鉄道乗り換え口。駅前ビルとJR佐貫駅ホームの間に入って行く。)
有人駅であるが、朝夕の通勤通学時間帯だけ勤務している。竜ヶ崎線では、Suica(スイカ)とPASMO(パスモ)が使えるので便利である。しかし、他のエリアの交通系ICカード(JR西日本のICOCAなど)は使えない。この時間は、出札口が開いていないので、1日フリー切符(大人500円)を終点の竜ヶ崎駅で購入できる。なお、終点までの片道正規大人運賃は220円である。
フリー切符には、コロッケのカラー写真と割引券が付いており、龍ケ崎市のB級ご当地グルメとして、町を挙げてアピールをしている。もちろん、現地散策時に試食してみよう。
龍ケ崎コロッケクラブ 公式ホームページ
(1日フリー切符「竜鉄コロッケ☆フリーきっぷ」。平成29年3月末で終了予定であったが、好評らしく、延長しているらしい。)
ここで、関東鉄道について、簡単に紹介したい。茨城県南部の常総線(じょうそうせん/取手から下館間)、竜ヶ崎線のふたつの鉄道路線と、多くの路線バスを運行するローカル民営鉄道会社である。大正12年(1922年)に創業。土浦に本社を構え、茨城県下で最も大きな地元交通系会社であり、京成グループに属する。
元々は、昭和40年(1965年)に常総筑波鉄道(現・関東鉄道常総線、廃止された筑波線と鬼怒川線)と鹿島参宮鉄道(廃線された関東鉄道鉾田線/最末期は鹿島鉄道へ分社化。石岡から鉾田間)が合併した。太平洋戦争時の国策により、竜ヶ崎線の前身である龍崎鉄道(りゅうがさきてつどう)が、鹿島参宮鉄道に吸収合併されていたため、そのまま関東鉄道の路線になっている。鉄道ファン的には、常総線に珍しい非電化複線区間(取手から水海道間まで)があることで、よく知られている。
駅ビルは新しい感じで、平成21年(2009年)1月から供用され、風防や待合所のない簡素な造りである。出札口と三台の自動券売機が備え付けてあり、そのうちの一台が駅構内にありながら、バス専用であるのも珍しい。
(駅前ビル一階の関東鉄道佐貫駅改札口と自動券売機。)
(ホーム側からの改札口。簡易IC乗車券改札機が置かれている。京成グループの決済システムを利用しているので、この小規模路線で可能であるとのこと。)
関東エリアでは、大手民営鉄道の枝線を除く本線級路線のうち、二番目に短い鉄道路線になる。他社相互乗り入れのない単独路線としては、関東一である。路線キロは4.5km、所要時間約7分、途中駅はひとつだけ、日中は1時間に約2本の列車が運行されている。通勤通学時間帯を除き、サイクルトレインも利用できる。また、常磐線に接続していながら、終列車が23時台前半と早いが、竜ヶ崎駅行きの深夜バスを自社運行し、帰りの遅い人達の代替え手段になっている。
(駅時刻表。)
改札を通り、ホームに出てみよう。単式ホーム1面1線の近代化されたホームを南北に配し、2両編成程度の長さがある。ホーム上も待合所は無く、大型の吊り下げ式の駅名標もない。なお、竜ヶ崎線は全線非電化の単線路線であるため、電車では無く、ディーゼルエンジンを搭載した気動車(ディーゼルカー)で運行している。架線や電柱がないので、空がすっきりとしているのが良い。
(竜ヶ崎方ホーム端からの全景。)
(線路終端部。駅ビルの外壁の前で終わっている。レールを山形に曲げた簡易な第三種乙車止めに、砂利盛りと枕木載せであるのも、面白い。)
ホーム端から竜ヶ崎方を望むと、直ぐに踏切を渡り、半径207mの左急カーブを曲がる。国鉄丙線(最急カーブ半径200mまで)や簡易線(半径160mまで)規格並のかなりの急カーブで、線内で最もきつい。ここで一気に90度進行方向を変え、南東に向かう。
(竜ヶ崎方と左急カーブ。)
撮影をしていると、9時55分発の折り返し竜ヶ崎行き列車が到着。もちろん、ローカル線お約束の1両編成(単行)のワンマン運転である。到着した列車からは、40人程が下車し、次々にJRの駅に向かっていく。この佐貫駅からの乗客は10人位である。
この関東鉄道キハ2002(2000形)は、平成9年(1997年)・新潟鉄工所(現・新潟トランシス)製の竜ヶ崎線で最も新しい軽快気動車(※)である。龍ケ崎市公式マスコットキャラクター「まいりゅう」のラッピング列車になっており、龍ケ崎コロッケを車内でアピールし、つり革に模型のコロッケも付いている。車内運転室後ろの車番を模したシールも、「コロ2016」とジョークをかますのが笑える。平成28年(2016年)にコロッケフェスティバル(第四回・日本コロッケ協会主催)が、龍ケ崎で開催されたので、それに合わせた由縁である。
(竜ヶ崎線開通115年周年ヘッドマークを掲げるキハ2002。)
(つり革のコロッケ達。とてもシュールな光景である。)
(確かにそうかもしれない。この車両は、「コロッケトレイン」の愛称が付けられている。)
(つづく)
(※マコモ)
イネ科の多年草。長く平らな葉で、河川や湖沼などに群生し、人の高さ位になる。日本では古くから食用にされ、出雲大社の祭祀に用いられている。
(※新田義貞)
鎌倉幕府を滅ぼした鎌倉末期の武将として有名。上野国(こうずけ/現在の群馬県)出身。南北朝時代の南朝の総大将として活躍したが、北朝側の足利尊氏に破れ、越前国(現・福井県)で戦死した。
(※軽快気動車)
従来の非力で鈍重な国鉄形気動車と比べ、軽量車体とハイパワーなディーゼルエンジンを搭載した第四世代の新型気動車。もっぱら、ローカル線普通列車向けの車両を差し、バス車体を流用したレールバスや特急形気動車は呼ばない。主なメーカーは、新潟トランシス(旧・新潟鉄工所)や富士重工業(現在は撤退し、新潟トランシスに事業譲渡)など。
◆地名表記について◆
市名は、龍ケ崎市(旧漢字とケが大きい)、関東鉄道の路線名と駅名は竜ヶ崎線・竜ヶ崎駅(新漢字とケが小さい)。地元では、龍の字が難しいため、竜ケ崎と書く場合がある。また、竜ヶ崎線の前身・龍崎鉄道は、読みは同じであるが、ケがない。
2024年8月30日 文章校正・修正
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