大鐵本線紀行(12)下泉駅

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駿河徳山1454==田野口駅==1503下泉
上り 普通 金谷行き
大井川鐵道16000系 2両編成
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E10形102号機と交換を行い、14時54分発の金谷行き元近畿日本鉄道16000系がやって来る。駿河徳山駅から、ふたつ先の下泉駅に向かおう。

駿河徳山駅を出ると、再び、大井川の流れと並走する。昨日は大雨であった為、水量も多く、濁っているが、川面に日が反射して美しい。いつも色々な表情を見せてくれる大井川は、見ていて飽きない。また、16000系の窓はとても大きく、旧型客車よりも、車窓からの見晴らしが良い。


(大井川の流れを見るのも、この大井川鐵道の楽しみである。)

また、大井川と言えば、東海道の最大の難所のひとつになっており、こんな都々逸(どどいつ/馬小唄)を、一度は聞いた事がある人も多いと思う。

「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」


(東海道五十三次金谷宿・広重画。※著作権フリー画像。)

この大井川は、五街道が整備された江戸時代でも、橋が架けられなかった。中上流部の年間降水量は、国内平均約1.8倍の3,000mmもある日本有数の多雨地域になっており、川幅は約2km、ダムの無い当時の水深は、常水で二尺五寸(75㎝)もあったと言う。また、江戸や徳川家康ゆかりの駿府城の防衛上の役目もあったと言われているが、当時、この大河の増水時に、流されない木造橋を架ける技術は無かった。

そのため、「徒渡し(かちわたし)」と呼ばれる東海道筋の幕府指定場所から、川越え人足の肩車や輿(こし)に乗り、旅人はこの大井川を渡った。なお、指定場所以外の渡河や渡し舟は、厳しく禁止されていた。水深が四尺五寸(136cm)以上になると、川留め(渡河禁止)になり、旅人を困らせたが、川留めの度に島田と金谷の町は大変賑わった。ちなみに、1-2週間の川留めはざらにあり、最長28日間の記録がある。川留めの最中に、旅費を使い果たしてしまう旅人もいたと言う。

川渡しの料金は、川辺りに置かれた川会所(役場)が、水深を毎日調べ、それに応じた公定料金を決定していた。公定料金は五段階あり、川越え人足一人当たり48文(約1,500円・股下以下)から94文(約3,000円・脇下)まで、輿の場合は、担ぎ手の人数分(四人分から)と輿代(種類により二人分から、身分にもよる)の料金が必要になり、庶民の殆どは、料金が安い肩車を利用していた。なお、常水(二尺五寸・75㎝)以上は、補助人足がもう一人必要になり、二人分の料金が必要であった。

なお、川越え人足は、島田と金谷に約700人以上おり、明治3年(1870年)に、渡船になるまで活躍した。廃止後、職を失った多くの川越え人足達は、周辺の茶畑の開墾に携わり、現在の茶名産地の礎を築いたと言われている。また、島田市博物館の横に、当時の川会所と町並みが一部再現されている。
マピオン電子地図・島田博物館周辺

大井川を右窓に眺めながら南下し、10分程で下泉駅に到着する。列車交換設備があり、SL急行列車も停車する有人駅になっている(※)。昭和6年(1931年)2月の延伸開通時開業、起点の金谷駅からは13駅目、27.4km地点、所要時間約50分、榛原郡(はいばら-)川根本町下泉、標高214m、1日乗車客数は約50人になる。

また、大井川支流の横沢にある名瀑「不動の滝」の玄関駅になっている。奥大井県立自然公園にある高さ45m、幅10mの水量豊かな滝になっており、片道徒歩40分位かかる。
グーグルマップ・下泉不動の滝


(建て植え式駅名標。)

この下泉は、大井川支流の下泉河内川と大井川が合流する地点にあり、半島状の平坦地になっている。広さは300m四方程度しかなく、背後に山が迫り、大変狭い。昔は、周辺の山林で伐採された木材の輸送を、この駅から行っていた。


(国土地理院国土電子Web・下泉付近。)

千頭寄りに駅舎があり、島式ホームから長い連絡路と構内踏切が接続している。島式ホーム一面二線を南北に配し、駅舎側に側線が1本敷かれ、北側に下泉トンネル、南側に下泉河内川を渡る鉄橋と横郷トンネルがある。


(千頭方と駅舎。向こうのトンネルは、下泉トンネル。)

ホームの向かいには、倉庫小屋があり、草臥れた感じが堪らない。


(ホーム向かいの倉庫らしい小屋。)

駅舎に行ってみよう。下泉駅では、年配の駅長氏が勤務しており、構内はよく手入れがされている。先に、フリー切符を見せ、挨拶をし、撮影見学の許可を貰おう。

先程の駿河徳山駅よりも一回り小さい、古い木造駅舎が建っている。また、駅舎前の遮断機の後には、錆びた台貫が置いてある。チッキ(鉄道小荷物)取り扱いの頃、使われていたものであろう。


(ホーム側からの駅舎。)

(構内踏切からの下泉トンネル。)

(小さな花壇も手入れされている。奥には、古い台貫が置いてある。)

待合室に入ると、昔の小さな国鉄駅を思い起こさせる。金谷方に木造のロングベンチがあり、窓も大きい。冬はストーブもあり、SL列車が窓越しから発車するのが見え、最高の雰囲気が味わえる。


(待合室。)

改札口は、幅広になっており、簡単な鉄製ポールが立っている。出札口では、硬券切符の発券をしている。その並びの鉄道小荷物窓口は、ポスター等が掲示されているが、ほぼ原状のままになっている。


(改札口。)

(出札口。)

柱に架かっている寒暖計も、大分、古そうである。強力かぜ専門薬「カルト」、強力虫下し「ジゲサント」とは、凄い名前である。右側の目盛りをよく見てみると、懐かしい華氏表示(カ氏・°F/水の凝固点0℃=32°F)になっている。なお、井上製薬は廃業しており、奈良県桜井市にあった明治時代創業の配置薬(置き薬)メーカーらしい。


(古い寒暖計。)

駅前広場は無く、二車線の県道に直接面している。駅舎の外壁は、駿河徳山駅と異なり、板の下部を瓦の様に被せるささら子下見板になっている。とても綺麗な状態であり、補修されている様である。また、駅舎南側には、貨物ホーム跡と思われる広いスペースがあり、駐車場になっている。なお、大井川に架かる下泉橋を渡った西岸には、元・中川根町の下長尾集落があり、川を挟む双子の様な町になっている。


(県道からの駅舎正面。)

(駅舎。駅前広場は無く、大変狭い。左側の小屋はトイレ。)

40分程、のんびりと見学をし、年配の駅長氏と少し話をする。今度の金谷行きの列車接続が悪く、上りSL急行に一部区間乗車する為、SL急行券を発券して貰う。15時40分を過ぎると、北側のトンネルから、C56-44号機がバック運転でやって来た。


(上りSL急行かわね路号がやって来る。)

(つづく)


※)訪問時は有人駅であったが、2010年5月1日付けで無人駅化している。

2017年8月2日 ブログから保存・文章修正・校正
2017年8月3日 文章修正・音声自動読み上げ校正

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