天浜線紀行(24・2日目初回)三ヶ日駅 前編

天浜線の旅の2日目を迎える。昨夜は、JR掛川駅南口から徒歩3分の地元系ビジネスホテルに宿泊した。朝5時に起床し、身支度を整えよう。

6時過ぎにフロントに降り、係の若い男性氏から「是非、朝食を召し上がって下さい」と勧められたが、朝一番の列車に間に合わない為、丁寧に礼を言い、チェックアウトする。全国チェーン系の大手ビジネスホテルは品質も一定で快適であるが、地元経済に貢献する為、出来るだけ地元系に泊まる様にしている。今回利用した地元系「ホテル玄(げん)」は、大手チェーン系と殆ど変わらない設備、サービスや手頃な宿泊料金で快適であった。また、機会があったら利用したい。

今日の予定は、昨日訪問した宮口から終点の新所原(しんじょはら)までと、天竜二俣機関区の公開見学に参加の予定である。その為、昼に天竜二俣に戻らなければならない。まずは、有形文化財駅で一番西寄りの三ヶ日駅に行き、他の有形文化財駅に立ち寄りながら、天竜二俣まで引き返すことにした。機関区見学の後は、終点の新所原駅に向かって再乗車したい。

今日は、朝から素晴らしい快晴だ。昨日は肌寒かったが、今日の日中は暖かくなる予報になっている。JR線路下の自由通路で北口に行き、駅前のコンビニで朝食や飲料の手配をした後、天浜線掛川駅に向かおう。


(早朝のJR掛川駅北口と天浜線掛川駅。)

天浜線の出札口で、今日の天浜線1日フリーきっぷ(1,500円)を購入する。昨日の出札口係と違う、とても若い駅員氏が対応してくれる。うちを鉄道ファンと見るや、色々なパンフレットやイベント情報も教えて貰った。

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【乗車経路】
掛川0632==========0830三ヶ日
下り104列車・普通新所原行(TH2112・単行)
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若い駅員氏にお礼を言い、朝一番の新所原行き列車に乗り込もう。車両形式はTH2112、平成16年(2004年)製の最新車両になり、車椅子スペースが大きく取られている。発車直前には、自分を含め乗客は6人になる。そして、定刻通りの6時32分に発車。三ヶ日駅まで、約2時間の旅になる。

朝日を背面に受けながら軽快に走る。列車交換駅では、2分間から7分間の交換待ち合わせをしながら、西進して行く。沿線一の中核駅・天竜二俣には、50分後の7時22分に到着。30人位の乗客が乗り込んできたが、天竜川の大鉄橋を渡り、遠州鉄道接続駅の西鹿島駅に到着すると、20人程下車してしまう。どうやら、浜松市内への通勤通学、買い物や病院通いの人達の様だ。10人程になった乗客を乗せ、宮口先の天浜線東西サミットを越えた後、徐々に平地に下りて行く。周りは広大な野山と田園風景が広がり、天浜線の東側とまた違う雰囲気がある。日も大分上がり、窓際も暖かくなってきた。


(長閑な浜名湖北岸のローカルな風景の中を軽快に走る。)

途中駅を紡ぐ様に停車して行き、数人が乗降する光景は、とてもローカルな雰囲気である。西気賀(にしきが)では、列車交換の為に10分間停車し、若い男性運転士も外で一服している。挨拶をして、話を少し聞くと、このTH2100形の最大馬力は320馬力、変速機は直結3段、変速1段との事。自重も30.0tと軽く、パワーもあるが、天浜線は細かいアップダウンが多い為、マスターコントローラー(マスコン/自動車のアクセルに相当)の操作は、結構忙しいと言う。


(西気賀駅1番線で、列車交換待ちをする下り当列車。)

やがて、上り列車がやって来て、列車交換後に発車。ちらほらと、左窓に浜名湖を見ながら、小さな駅に幾つか停車する。山間に入った後、美しい湖面が再び見えてくると、三ヶ日に到着する。運転士に挨拶をして、ここで下車しよう。


(三ヶ日の手間では、美しい湖畔を走る。正確には、浜名湖本体ではなく、支湖の猪鼻湖になる。)

8時30分に三ヶ日駅2番線ホームに降り立つ。上り320列車・天竜二俣行きのTH2106とTH9200「宝くじ号」の2両編成と交換の後、短い汽笛を鳴らして、発車して行く。


(三ヶ日駅での列車交換風景。)

この駅は有人駅になっている。新所原方の構内踏切を渡り、初老の駅員氏に1日フリーきっぷを見せて、見学と撮影の許可を先に取ろう。「いいですよ」と快諾して貰った。


(2・3番線ホームの建て植え式駅名標。国鉄時代のものではなく、第三セクター転換後初期の仕様らしい。)

駅開業は昭和11年(1936年)12月、起点駅の掛川から31駅目、55.6km地点、所要時間約2時間、所在地は浜松市北区、標高5mの業務委託有人駅で、天浜線最西の主要駅になっている。なお、終点の新所原の方が近く、6駅目、12.1km地点、約20分である。

天竜二俣駅よりも開業が早くなっているのは、東西から別々に建設されて開業した為で、国鉄二俣西線として、新所原から三ヶ日間が開通した。その為、金指(かなさし)まで延伸開通するまでの約1年半の間は、西線の終着駅であった。意外にも、天竜二俣を含む遠州森から金指間は、最後の開通区間になっている。

◆旧国鉄二俣線の開業略史◆

昭和7年(1932年)5月 国鉄二俣線の建設決定、翌年から、東西から別々に建設開始。
昭和10年(1935年)4月 二俣東線の掛川駅から遠州森駅まで開業。
昭和11年(1936年)12月 二俣西線の新所原駅から三ヶ日駅まで開業。
昭和13年(1938年)4月 二俣西線の三ヶ日駅から金指駅まで延伸開業。
昭和15年(1940年)6月 遠州森駅から金指駅まで開業し、東線と西線が接続。全線開通。

東西に2面3線を配置し、下り2・3番線ホームは島式ホームになっている。3番線は待避や折り返しも出来るが、現在は使われていない様子である。かつては、トロッコ列車の折り返しをこのホームで行っていたという。また、跨線橋は無く、新所原方に遮断機の無い構内踏切と通路、スロープと階段がある。

上下ホーム共に80m以上ある長いホームは、二段の嵩上げと近代化工事が施工され、アスファルトで舗装されている。なお、近代化されていない部分は、立ち入り禁止になっている。また、有名ミュージシャン・桑田佳祐氏出演のコカコーラのテレビCMを、この下り2・3番線ホームで撮影した逸話が残る。


(天竜二俣方からの下り2・3番線ホームと駅全景。)

東側の天竜二俣方を眺めると、特養老人ホームなどの大きな建物が並び、線路際まで迫っている。駅舎に並んで、2本の貨物側線が東側に残っているが、現在は使われていない。なお、貨物ホームは残っておらず、昭和45年(1970年)に貨物取り扱いは廃止された。


(天竜二俣方。)

西側の新所原方は、大きく左カーブしながら、浜名湖の支湖・猪鼻湖(いのはなこ)に注ぐ宇利山川(うりやまがわ)河口部に架かるプレートガーター橋を渡る。湖は至近距離にあるが、南側に大きな建物があるので、駅からは湖面が見えない。昔は、駅西側に養殖場が広がっていたらしい。


(新所原方。)

駅舎を見てみよう。構内西寄りの北側に建てられた中規模の木造駅舎は、国登録有形文化財に指定された開業当時の建物で、縦長板張りの外壁が特徴になっている。駅事務所や待合室は、西側の新所原寄りにある。


(下りホームからの駅舎全景。)

(改札口周辺。)

◆国登録有形文化財リスト「天竜浜名湖鉄道三ヶ日駅本屋」◆

所在地 静岡県浜松市北区三ヶ日町三ヶ日字門田1148-3
登録日 平成23年(2011年)1月26日
登録番号 22-0146
年代 昭和11年(1936年)4月建築、昭和62年(1987年)改修。
構造形式 木造平屋建(瓦葺、一部鉄板葺、建築面積194㎡)
特記 北面して建つ木造平屋建、建築面積194㎡。
東西棟の寄棟造瓦葺で、正面西寄りに寄棟屋根を突出し、
鉄板葺庇を背面ホーム側に付設する。
西寄りに待合室、東に駅務室などを配する小規模な駅舎。

※文化庁公式HPから抜粋、編集。

アルミサッシ窓に交換されているが、開業当時の雰囲気を良く残している。桜木駅や遠州森駅等の旧国鉄二俣東線開業初期の駅舎とは、違う印象がある。上り1番線の旅客上屋は木造であるが、支柱は鋼鉄製、鉄板トタン葺きの併用構造になり、駅舎本屋から出庇の様に取り付けられている。また、本屋側から梁が延長して突き出ており、線路側でY字に組まれている。


(上り1番線ホームの旅客上屋。駅事務所からのホーム確認用の大出窓があるのも、国鉄主要ローカル駅によく見られた。)

駅舎東側の凹んだ一角には、「天浜線趣味の会」と呼ばれる応援団の木製看板が掛かり、宝箱の様なものが置いてある。コンクリートで床が覆われているが、転轍機(てんてつき/線路のポイントを動かす機械)の操作てこが置いてあった小屋らしい。


(元・転轍機操作てこ小屋の展示。)

次は、駅舎内と駅前を見てみよう。国鉄風の駅名標と色褪せたプラスチック製カラーベンチが、国鉄時代を思い起こさせる。ワクワクしながら、改札口を通る。


(国鉄風駅名標とカラーベンチ。)

(つづく)


2022年1月1日 ブログから転載・文章修正・校正。

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