小布施めぐり(4)小布施中心部 前半の部

小布施駅の見学後は、駅を出発点として、町中を散策してみよう。大きな観光案内板が駅前ロータリー横にあり、主な観光名所は駅周辺と山際に集まっている。


(駅前の観光案内板。)

この小布施町は、町役場から半径2km以内に殆どの町並みが入る程のコンパクトさで、長野県下でも、最も小さな町になっている。地名の由来は、千曲川(ちくまがわ)と、町の南を流れる松川が合流する場所にあり、このふたつの川の「逢う瀬」が訛り、「小布施」となったという。

寒暖差の激しい内陸高原性気候になり、夏は35度、冬はマイナス15度、年間降水量が900mm程度と大変少ない。千曲川・松川・篠井川の三つの川と東方の雁田山(かりたさん)に囲まれた、緩やかな大扇状地の右翼上にある。観光業、林檎・ぶどう・栗栽培、和菓子製造等が主な産業になっており、町の人口は約1万人であるが、その数十倍の観光客が毎年訪れている。
国土地理院電子国土web(長野県小布施町付近)

元々は、谷街道(現在の国道403号線)と谷脇街道(※1)が交差する小さな宿場町であった。江戸時代に入ると、毎月6回の市が立つ様になり、周辺の町々から農産物や物資が集まって、このエリアの経済中心地になっている。更に、千曲川の舟運(通船)が幕末から始まると、小布施にはふたつの川港が出来、最大七十石級(約11t)の大型船も発着し、大変栄えたという。

また、盛んになった物流や商取引を通じて、江戸の最新文化も同時に入って来た。絵師・葛飾北斎が幕末に滞在した由縁から、北斎画を小布施町が集め、美術館を開設している。今では、北信州の代表的観光地になっており、人気が高い。

小布施駅前から、国道403号線・谷街道方面に歩いて行こう。駅周辺はやや低い場所の為、緩やかな登り坂になっており、その途中に町で一番大きな皇大神社(こうたいじんじゃ)【鳥居マーカー】がある。


(駅前から緩やかな上り坂を歩く。)

(皇大神社鳥居。)

何と、本殿は四方のガラス張りで、外から御神体の鏡が見える、珍しい造りになっている。「皇大神」の名の通り、伊勢神宮内宮の天照大御神(あまてらすおおみかみ)が御祭神である。地方や病気などの為、伊勢神宮に参詣出来ない人達の為に御札を授けていた神社で、旅屋(旅館)も境内に併設されていたという。現在、長野県で有名な三大市のひとつ、「安市(やすいち)」が旧正月の2日間開催されている。沢山の福達磨や縁起物が並び、行者火渡りも行われ、大変賑わうとのこと。この市は、江戸時代の市の名残という。


(本殿はやや小ぶりで、拝殿を設けていない。)

(御神体の鏡が見える。質素な造りの神社なので、近世以降に再建されたのかもしれない。)

皇大神社を出て、歩道を歩いて行くと、紙芝居のスタンドや投句箱が所々に設置してある。絵が描かれたプレートをスライドすると、続きを見る事が出来、なかなか面白い。


(紙芝居スタンド。地元の民話を紹介している。)

(投句箱。)

国道403号線を渡り、町営観光駐車場方面に少し戻ると、栗の小径【赤色マーカー・カメラマーカー】と呼ばれる入り口がある。ここに入ってみよう。ジグザクと直角に枡形を3回曲がると、建物の間を縫う様に小径が続いている。栗の木のブロックが敷き詰められ、遠くの観光客のざわめきが少し聞こえるだけで、ひっそりとしているのも良い。小径脇には、野菜を売っていたり、干し柿が吊るされていた。


(栗の小径。高井鴻山記念館の入口もある。)

(野菜の無人販売。どことなく、お洒落な感じがする。)

(干し柿作り。)

(小径を振り返って見る。)

このまま、栗の小径を通り抜けると、メタセコイヤの大木がある大きな広場に出る。小布施の観光中心地の広場で、大勢の観光客が集まっている。広場周辺には、地元有名菓子店の小布施堂と桜井甘精堂の店舗があり、室町時代からの栗の名産地として、栗を使った和菓子作りが盛んである。江戸徳川将軍家にも献上されていた程で、今では、町にある十二の美術館と和スイートを合わせ、特に女性観光客に人気になっている。


(観光客が集まるメタセコイヤの広場。)

広場の一角には、小布施観光の中心的施設の北斎館【博物館マーカー】もある。富嶽三十六景の名所絵を収蔵しており、旅好きとしては見逃せないので、美術館に入る事にしよう。一階には、富嶽三十六景の専用展示室もあり、ゆっくりと鑑賞出来る。他の展示も見てみると、肉筆の人物画が意外に多いのが特徴で、風景の版画絵が世界的に有名であるが、晩年は肉筆画を主に描いたという。なお、葛飾北斎の専門美術館としては、世界で唯一になる(館内は撮影禁止の為、写真はご容赦願いたい。)
北信濃・小布施/北斎館公式HP

江戸時代末期、町の豪商であった高井鴻山(たかいこうざん)が北斎を招き、客人として、通算4年間も小布施に滞在した。また、俳諧師の小林一茶や、松代藩の佐久間象山(象山先生/屋代線編で紹介済み)も招かれた記録がある。若い頃に江戸や京都を遊学した高井鴻山は、美術や学問思想に理解が深く、幕末の文化人や思想家の語らいの場を、この小布施に設けたという。今では、その文化的功績を称え、記念館も建てられている。


(北斎館エントランス。)

(館前の展示案内。)

北斎館前は、整備されたお洒落な観光エリアであるが、北側には、昔懐かしい感じの土産店も並ぶ。大勢の団体観光客が断続的に集まり、結構、賑やかである。


(美術館北側の土産店街。)

南の国道の方に行ってみよう。国道沿いには、造り酒屋の桝一市村酒造場本店【酒マーカー】が構える。約250年前、江戸時代中期の宝暦年間(1750年代)創業になり、長野県下で最も小さな造り酒屋のひとつになっている。北斎館から国道への道路の西側には、大きな蔵部(酒蔵)が聳え、レンガ煙突も残る。
北信濃・小布施/桝一市村酒造場本店公式HP

立派な木造建築店の主屋には、手盃台(てっぱだい)と呼ばれる店内カウンターがあり、量り売りや一杯飲みも出来る。店内の一角にも、寄り付きと呼ばれる職人の休憩所が残っている。


(桝一市村酒造場本店。)

(店主屋後ろの蔵部が並ぶ坂道[写真左側]。この道の奥には、メタセコイアの広場がある。)

広大な蔵部(くらぶ/酒蔵)が店主屋の背後にあり、仕込み時期には、職人が二階に泊まり込むという。また、蔵部の一部は和食レストランになっており、仕込み時期に職人達が食べている「寄り付き料理」をコンセプトにした、メニューを提供している。


(和食処・蔵部。)

(つづく)


(※谷脇街道)
谷街道のバイパス道。須坂宿を通らずに、綿内から小布施を結んでいた。小布施町内の高札場があった交差点で、本道の谷街道と合流した。

【歴史参考資料】
「信州おぶせ」小冊子(小布施町発行)

2020年3月31日 ブログから転載・文章修正・校正。

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