対岸の中の島へは渡らず、この橋を降りよう。来た道を駅の方向に引き返す。駅前大通りの富士見通りの北側に魚河岸の旧市街エリア、南側に古刹が集まっている。太平洋戦争の頃、東京に近かった木更津には、海軍航空隊、飛行場や軍需工場も置かれ、帝都防衛の重責を担っていた。この散策中、「写真を撮っているのかい」と声を掛けて頂いた地元年配男性によると、「小さな爆弾や焼夷弾の投下、戦闘機の機銃掃射はあったが、大きな空襲被害は無かった」そうで、「占領後に米軍が飛行場を使いたかった為、空襲をしなかったらしい」と、地元で言い伝えられていると話してくれた。そのお陰で、古い寺院や戦前の建物が数多く残っている様である。
駅方向に戻りながら、魚河岸・旧市街エリアの代表的な古い建物を見て行こう。なお、大正12年(1923年)9月1日に発生した関東大震災の影響では、津波の被害はなかったが、街中の大部分が家屋倒壊してしまい、大正時代以前の建物は殆ど無い。関東大震災直後に建て直された昭和初期の木造建築が多い。
(街中に展示されている、昭和4年頃の木更津町の鳥瞰図。)
富士見通りの中程に、道標の石柱【A地点】が立っている。ここからスタートしよう。碑文によると、木更津市制70周年記念として、平成24年(2012年)に設置されたとある。江戸時代末期の木更津にあった道標と、同じデザインとサイズになっている。
(市制70周年記念道標。)
この道標から北に入ると、白亜アール付き縦窓の洒落たデザインの金沢美容室【赤色マーカー/営業中】がすぐにある。昭和初期の1930年代(昭和5年から15年頃)のモルタル洋風建築で、縦窓は上げ下げ窓になっており、アールの部分は本物ではなく、モルタルで扇窓が表現されているのが面白い。後ろの住居部分は木造日本家屋なので、看板建築である。
(金沢美容室。今も営業している現役店舗である。)
一本、港側に戻り、幅がやや広い南片町浜通り沿いには、木更津の老舗銭湯・人参湯【黄色マーカー/廃業】がある。昭和7年(1932年)の創業、昭和27年(1952年)に建て直したもので、千鳥破風の装飾がある重厚な屋根になっている。総金属製の煙突もレトロである。
(銭湯「人参湯」。)
何故か玄関が開いており、外観の撮影をしていると、中年男性が出て来た。挨拶をすると、この銭湯のオーナーとの事。大変気さく方で、「良かったら、中も見てみますか」と声をかけて頂き、ご厚意に甘えて、内部も見学させて貰う事になった。
5年程前に廃業してしまったそうで、親子兄弟三人で営業していたそうだが、父と兄が他界し、後継者問題と人手不足、過酷な重労働から、やもえずに廃業したとの事。町の老舗銭湯として、あの力道山、初代貴乃花や若乃花も、木更津興行の際に貸切入浴に来たと言う。番台も当時のままに残っており、床は総板張りで、二階吹き抜けの大きな格天井(ごうてんじょう)が見事である。湯船の上方に大きな銭湯富士の壁画が描かれているが、浴場を使わないと乾燥する為、塗料膜がベロンと剥がれてしまっている。また、かつての銭湯前の通りは、蒸気船が接岸する蒸気河岸と呼ばれ、市場も設置された最も栄えた場所であった。町の娯楽衛生施設として、この銭湯も大いに栄えたと話してくれた。
(人参湯玄関。※内部写真の公開許可を頂いていない為、ご容赦願いたい。)
15分程お邪魔し、昔の木更津と魚河岸の色々な話をして頂いた。丁寧にお礼を言って、出発しよう。木更津の人達は、対岸の横浜よりも、オープンで親切な気質であると感じる。人参湯先の信号機のある交差点を右に曲がると、次の交差点角に安室薬局【緑色マーカー/廃業】がある。金沢美容室とよく似ている装飾アール付きの縦窓のある大きな薬局で、モルタル建築の様に見えるが、木造二階建てになっている。東京銀座の文房具屋をモデルとして、昭和4年(1929年)に建築されたという。
(ハイカラな雰囲気の安室薬店。縦窓の数が凄い。金沢美容室よりも古く、アールの装飾も深くなっている。)
安室薬店から入った通りは、先の市政70周年記念道標から通り抜ける「さかんだな通り」と呼ばれ、海産物を取り扱う店が多く連なっていた。その中程に、国登録有形文化財のヤマニ網島商店【史跡マーカー/不明】がある。江戸時代末期の慶応2年(1866年)の創業当時から、焼海苔などを扱う乾物屋を営んでいる。この旧市街地で最も古いと思われる建物で、創業当時の木造平屋一部2階建、瓦葺きの店蔵になっており、棟高の異なる蔵造が前後に並ぶ独特の外観になっている。因みに、JR千葉駅の駅ビル「ペリエ千葉本館」地下(通称・ペリチカ)に、テナントとして入っているという。
(ヤマニ網島商店。)
安室薬店まで戻ろう。駅方向の東に進むと、紅雲堂(こううんどう)書店【青色マーカー/営業中】がある。江戸時代は、干物卸業であったそうだが、明治元年(1868年)に、本屋に業態変更した。業種を変えた明治初期の建物で、関東大震災時の倒壊を免れた貴重な店舗になっている。民家風の木造平屋建て、トタンの方形[ほうぎょう]葺きで、大看板下の波模様が可愛らしい。なお、当時の書屋は「書肆」(しょし)と呼ばれていた。
(紅雲堂書店。)
紅雲堂書店の隣には、旧金田屋洋品店【紫色マーカー/別業種が営業中】がある。この旧市街の最も栄えた場所の交差点角の大きな店舗で、本町通りに面している。創業は明治期、現在の建物は昭和7年(1932年)の築、正面の菱形の色ガラスやアーチ上部の櫛形の装飾等の凝った外観になっている。
ここは、地元で「本町四つ角」と呼ばれ、木更津の古地図を見ると、銀行や呉服屋などの商店がびっしりと集まっていた。商店街が元気だった頃は、七夕まつりが毎年催され、大いに賑わっていたという。
(旧金田屋洋品店。現在は、骨董品店になっている。)
旧金田屋洋品店の交差点向かいには、崩れかけた大きな白土蔵の店舗【灰色マーカー/廃業】がある。観光案内所で貰ったガイドマップに記載が無く、何の建物か不明であったので、帰りがけに駅前観光協会の年配男性ボランティアガイド氏に尋ねると、「砂糖濱田屋(はまだや)」と呼ばれる砂糖商だったとの事。かなり古そうであるが、築年時期は不明である。なお、浜田一族はこの付近で、広く商売をしていたらしく、ここは本家であったという。正面向かいには、「呉服はまだや」が構えていて、今も営業している。
(砂糖濱田屋。創業は江戸時代後期の寛政2年[1790年]頃という。)
一度、大通りの富士見通りに戻り、駅前の与三郎通りの狭い路地に入る。入って直ぐの所の志保沢園【茶色マーカー/営業中】は、昭和23年(1948年)創業の茶店で、創業当時の建物になっている。店頭には、茶器がガラス越しに端正に展示されていた。
(志保沢園。終戦直後に建てられた店であるが、しっかりとした造りになっている。)
更に奥の方に行くと、内山洋品店【黒色マーカー/営業中】がある。昭和10年(1935年)に建てられた、木造モルタル平屋建ての看板建築である。洋服にした仕立てに使う机や道具も残っており、ショーウィンドウに若干展示されている。また、蔦が絡んで良く判らないが、正面の壁上部には、米軍の焼夷弾の破片がめり込んだ跡がある。
(内山洋品店。)
(古い写真や仕立て道具が展示されている。※トリミング拡大。)
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この内山洋品店を見学後、休憩をしよう。西口駅前のデパートに戻って来た。
(数分で駅前デパートに戻る。やや閑散としているが、店舗も営業している。)
散策を始めてから、約二時間が経過している。少し早いが、昼食を取るとしよう。近くの食事処でも良いが、この木更津に来たら、あの例のモノをはずす訳にはいかない。かつては、木更津駅の名物駅弁として有名であった「浜屋BBQ(バーベキュー)弁当」である。現在、駅構内の販売は撤退し、西口階段下の日本食堂(NRE)系駅弁販売所で、少量を委託販売しているが、駅前デパートと観光案内所の間の路地先の直営店【丼マーカー】に買いに行く。
道路角に大きな狸看板が出ており、直ぐに判る。ここで調製も行っており、出来たての弁当を提供してくれる。勿論、お目当ての「BBQ弁当(御飯普通盛り・税込み565円)」を購入。イートインが無く、「何処か食べられる場所がないですか」と、愛想の良い中年女性店員に尋ねると、デパート正面エントランスを入った所の休憩スペースで、食べられるとの事。
(浜屋木更津西口店。他に、市内に二店舗ある。)
デパートのエントランスに入ると、大きな円形の児童用遊具の周りに、テーブルと椅子が沢山設置されている。ここで良いのかと思うが、周りの大勢の人達も軽食取ったりしているので、大丈夫そうである。
早速、食べてみよう。證誠寺(しょうじょうじ)の狸が、バーベキューをしている掛け紙がトレードマークである。初期のデザインの復刻になっており、昭和37年(1962年)に木更津駅の駅弁として登場した。なお、この木更津駅西口のみまち通りに戦前から店を構え、既に看板商品であったBBQ弁当を駅弁化したという。
(BBQ(バーベキュー)弁当。地元では、「バー弁」と呼ばれ、木更津名物の味になってる。)
掛け紙と蓋を開けると、温かいご飯の上に国産豚ロース肉が二枚乗っているだけである。しかし、一口食べると、衝撃の味なのである。40年以上、製法を変えていない秘伝のタレが美味しく、甘すぎず、辛すぎず、ほど良い味の円やかな旨味を深く感じさせる。外がカリッとした直火焼きの肉は、油っぽさが無く、地元米「かずさの純粋米こしひかり」を炊き上げた白飯は、米粒の立体感もあって、非常に美味しい。これらが組み合わさって、食べ終えても、また直ぐに食べたくなる。更に、揚げポテトも二個付いており、これもまた美味しい。木更津に寄る機会があったら、是非、現地で食べて頂きたい。
(この御飯普通盛りの他、大盛り669円や、ご飯と肉の両方大盛りの特製772円もある。)
また、もうひとつの看板的商品「あさり飯」も、なかなか美味しいので、紹介したい。国産の大粒アサリをたっぷり使った筍入り炊き込みごはんは、港町・木更津の名物料理になっている。生姜と醤油と味醂のみでふっくらと炊き上げ、あさりの旨味と優しい味が楽しめる。特に3月~8月の旬の時期は、地元水産加工場で剥いた生アサリの剥き身を使っているとの事。
(「あさり飯」。税込895円。オフシーズンは、旬に剥いた冷凍アサリを使用。)
(パンチ感のある味のバー弁とは対照的な味わい。)
【お弁当の吟米亭・浜屋木更津西口店】
定休日なし、10時から19時まで(持ち帰りのみ、イートインなし)、
駐車場なし(周辺の有料駐車場利用)、千葉県木更津市富士見1-10-24
(アクア木更津ビル南側/西口階段下から、180m・徒歩2分)。
※駅西口階段下の駅弁販売所でも、少量の取り扱いがあるが、昼頃には売り切れるとの事。
直営店まで行けば、温かい出来たてを購入出来る。
(つづく)
【参考資料】
現地観光歴史案内板
ぶらり木更津まち歩き(みなと木更津再生構想推進協議会発行・2014年/現地観光案内所で入手)
2018年5月12日 ブログから転載
2024年8月27日 文章校正・修正
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