三時間ほど大洗を観光し、大洗駅に戻っきてた。時刻は13時前である。水族館やマリンタワーなども立ち寄ると、丸一日必要になるだろう。機会があったら、次回に訪問してみたい。再び、大洗鹿島線に乗車して、もうひとつの途中主要駅である新鉾田(しんほこた)に向かおう。
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大洗1314==涸沼==鹿島旭==徳宿==1338新鉾田
下り141D列車・鹿島神宮行き(8000形二両編成・←8001+8003)
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ときわ路パスを改札係氏に見せ、下り鹿島神宮行きホーム1番線に向かう。今度の下り列車は、13時14分発である。ホームの広告看板を見ると、この大洗駅には駅弁があるらしく、地方ローカル線としては珍しい。また、水戸駅で駅弁を販売していた老舗の鈴木屋が倒産したが、名物駅弁であった「印籠弁当」のレシピを受け継ぎ、復活販売している。今回は魚市場で昼食を取ったので、次回訪問時に食べてみたい。
万年屋公式HP
(万年屋の駅ホーム看板。ローカル線の一駅で、多種類の販売も珍しい。)
上り水戸行きの6000形2両編成が先着し、列車交換待ちになる。定刻通りに下り鹿島神宮行き列車が到着する。車両は朝に水戸から乗車した、新型の8000形2両編成である。観光をしていた間に一往復したのであろう。車内に入ると、乗客は意外と多く、40人位いる感じである。
大洗を発車すると、高架橋からの左窓に、大洗の町並みと大洗マリンタワーが見える。そのまま、木々が生い茂る低山帯の中を一直線に駆け抜ける山区間に入り、線内で一番長いトンネルに突入する。
(高架線からの大洗の町並みとマリンタワー。)
相変わらず直線区間が続き、時速は90kmと速い。ローカル線乗りとしては、困難な地形をクリアするカーブや勾配に列車が挑む姿も面白いが、こう真っ直ぐであるのも逆に潔く感じる。この区間は、切り通し(掘割)とトンネルが連続し、車窓からは木々と原野ばかりで、人家は殆ど見えない。原野の直線高速運転と気動車の組み合わせは、本州でありながら、北海道的な路線であると感じる。また、踏切もなく、道路と全て立体交差になっているのも、そう感じさせるかもしれない。
以前は、水戸から鹿島神宮まで、1日1往復の「快速はまなす」が運行されていた。また、大洗から終点の鹿島サッカースタジアムまでは、交換可能駅がひと駅ごとに設置されているので、対向列車との待ち合わせの時間も少なくなっており、元々は、国鉄鹿島線になる予定であった新線である。
(8000形の車内の様子。線路が良いので、揺れも少なく、高速でも快適である。)
四つの短いトンネルを連続で抜けると視界が開け、ゆるく左にカーブをして、涸沼(ひぬま)に到着。駅の手前になると、沼が少しだけ見える。沼といっても、周囲20kmもある大きな汽水湖で、関東有数の釣り場としても有名である。なお、鹿島臨海鉄道には、臨海の名が付いているが、海が見えない路線である。この涸沼は、ラムサール条約に登録された水鳥生息地の最寄り駅として有名で、構内の観光センターが駅業務委託を受けている。
(高架線から見える涸沼。9km²の広さがあり、シジミが特産である。)
涸沼からは、涸沼に注ぐ小さな川谷を高架線で、ほぼ真っ直ぐに南下して行く。ここも水田地帯であるが、田植えの時期でありながら水を引いておらず、休耕田が多い。次の鹿島旭の手前から低山帯に上がって、地上線になり、再び木々が生い茂った中を直進する。低山帯を抜けると、平地に出る。線路の両側にビニールハウスが多くなり、この付近は畑作やハウス栽培の野菜作りが盛んらしい。
(涸沼から鹿島旭間の低山帯を真っ直ぐに快走する。※最後尾から水戸方を撮影。)
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鹿島旭と徳宿(とくしゅく)を過ぎ、低山帯のトンネルを抜けると、大洗から19.4km、24分ほどで新鉾田に到着。沿線主要駅のひとつであるので、ちょっと下車してみよう。列車は1分ほど停車し、列車交換をせずに、直ぐに発車して行く。乗降客は数人と意外に少ない。
鉾田は北浦の最北端にある人口5万人の街で、この鹿島灘エリアの中心地になっている。しかし、大洗鹿島線の駅は街の中心から東に外れており、駅周辺は寂しいので、拍子抜けになる。かつては、常磐線石岡から鹿島鉄道も乗り入れていたが、親会社の関東鉄道の経営悪化により、10年前の平成19年(2007年)3月末に廃止になった。また、県内有数の農業が盛んな土地柄で、水菜、アンディスメロン、甘藷(さつまいも)の生産量は全国1位、人参、苺、ミニトマト、ほうれん草、根三つ葉、長芋、小松菜も県内1位になるとのこと。
駅は島式ホーム一面二線の高架上の島式ホームで、高架下に改札口と駅事務室が設けられている。そのため、湿った感じのコンクリート駅になっている。開業は、大洗鹿島線開業時の昭和60年(1985年)3月14日、起点駅の水戸から31.0km、7駅目、所要時間約38分、鉾田市新鉾田、標高5mの社員配置駅である。
駅構内は大変広いが、利用客は少なく、置いてあるベンチよりも異様に広い待合所がある。このエリアも車の利用が多いことや、街の外れにあることから、利用が進んでいないらしい。
(改札口。)
(駅前ロータリーからの新鉾田駅舎。)
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新鉾田1420==北浦湖畔==大洋==鹿島灘==鹿島大野==長者ヶ浜潮騒はまなす公園前
==荒野台==鹿島サッカースタジアム==1456鹿島神宮(終点)
下り143D列車・鹿島神宮行き(6000形二両編成・←6013ラッピング車両+6006)
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鉾田の中心部には、幾つかの古刹があるが、駅からの距離もあるので、次の機会にしよう。次の下り列車は、14時20分発である。コーヒーを飲みながら、ベンチで少し一服をする。
発車時刻10分前にホームに上る。列車は定刻通りに到着し、開業時に導入された6000形二両編成に乗車することができた。先頭車の6016は黒ウサギの広告ラッピング車両になっており、地元クリーニング会社がスポンサーらしい。実は、全く同じデザインのラッピング車両が、ひたちなか海浜鉄道にもある。
製造から30年経過し、相当くたびれているが、転換クロスシートになっており、ローカル線本来の旅を楽しめる。この新鉾田から、一気に終点の鹿島神宮へ向かおう。二両目の赤色塗装に白帯の標準色車体6006の後部左側座席に陣取る。
(6000形6006の車内。車内トイレの前は、ロングシートになっている。)
ディーゼルエンジンが唸り、新鉾田を定刻に発車する。高架線で大きく左にカーブし、返しの右カーブをして、低山帯の切り通しを抜けると、右窓に北浦が見えてくる。この付近は水利が良いので、大水田が広がっているのが見える。沿線でも一番景色が良い場所なので、時間の余裕があれば、途中下車するのも良い。そのまま、列車は北浦湖畔に到着する。
(北浦。新鉾田〜北浦湖畔間。36km²の霞ヶ浦を構成する浦のひとつである。)
北浦湖畔から次の大洋までは、北浦の東に南北に連なる低山帯を避ける様に、西から東へと2.3km海側にシフトするので、ちょっとした山越え区間になっている。山といっても標高は低く、高規格軌道なので、そう苦しい区間ではない。この山越え区間を難なく過ぎると、大洋に停車。大洋村と呼ばれる太平洋のイメージそのままの様な村であったが、鉾田市と合併した。
大洋からは、人家が疎らな、平野の畑作地帯の地上線を快走する。線路も直線が続き、鹿島灘の海岸線に平行しているが、1.5km内陸側を走るので、海は全く見えない。鹿島灘と鹿島大野を過ぎると、長者ヶ浜潮騒はまなす公園前に到着。読み仮名では、日本一長い駅名として知られ、ホームには高さ2mもあると思われる、巨大駅名標が据え付けられているのに驚く。
(名物の巨大駅名標。)
次の荒野台を過ぎ、住宅と木々が生い茂る直線区間を走って行くと、架線柱のある電化区間に入る。そのまま、左右が開けて、貨物側線が並行すると、大洗鹿島線終点の鹿島サッカースタジアムを通過する。実は、試合日のみの停車のため、本来は終点であるが、普段は素通りしてしまう珍しい駅になっている。なお、鹿島サッカースタジアムと鹿島神宮の間は、JRの区間になっており、列車はJR鹿島線にそのまま乗り入れるため、鹿島神宮が事実上の終点になっている。
(本来の終点である、鹿島サッカースタジアムを通過する。)
14時56分。新鉾田から36分で、定刻に鹿島神宮に到着。なお、水戸から途中下車しない場合の所要時間は、1時間15分程度である。大洗からの乗客の殆どが終点まで乗ってきた感じで、30人ばかりの乗客の大半が、向かいのホームのJR鹿島線佐原行きの電車に乗り換えている。なお、JR鹿島線も、戦後の鹿島臨海工業地帯の開発によって敷設された、貨物専用線がルーツになっている。
(鹿島神宮に到着。運転士は直ぐに、折り返し仕業を行っている。)
昭和45年(1970年)に開業した新しい路線のため、やや無個性な国鉄末期の駅の雰囲気が残る。また、鹿島神宮の門前駅でもあるが、開業が遅いこともあり、利用客は非常に少ないらしい。1日乗車客数も1,000人程度である。
(鹿島神宮駅改札口。)
(つづく)
2017年7月15日 FC2ブログから保存・文章修正(濁点抑制)・校正
2024年8月31日 文章修正・校正・一部加筆
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