さて、平成29年(2017年)のゴールデンウィークである。皆一斉に休みになり、どこも大混雑するので、期間中はどこにも行かないと決め込んでいた。しかし、家にいるのも酷く退屈になってきて、急に思い立った様に近場に出かけることにした。
最近、あまり行っていない地方ローカル線のうち、関東近県であることを条件に検討した結果、茨城県中部・水戸近隣のひたちなか海浜鉄道への1泊2日の取材に出かけたのである。今、2日目の夜19時過ぎ、本社・中核駅である那珂湊(なかみなと)にいるところである。
今日中に東京へ帰る予定であったが、気分が良く、明日の天気も引き続き良い。某路線バスの旅番組よろしく、昨晩泊まった勝田駅前のビジネスホテルに延泊をお願いして、明日ゆっくり帰ることにした。なお、ひたちなか海浜鉄道については、後日の長編記事で詳しく紹介したい。
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翌朝の5月4日、ゴールデンウィーク後半連休の二日目である。今日は本取材ではないこともあり、少しばかりゆっくりと7時過ぎに起床。素泊まりなので、朝食は駅で済ますつもりである。その後、水戸に向かおう。時々晴れの天気予報で、気温も20度近く上がるらしい。
ホテルをチェックアウトし、徒歩3分ほどで、勝田駅東口に到着。改札口のある二階コンコースに、エスカレーターで上がる。国営ひたち海浜公園のネモフィラの丘が満開なので、この朝の早い時刻でも観光客が非常に多く、駅なかも公園行き直通バスのりばも混雑している。また、東京方面へ観光に出かける感じの地元の人も多い。
(JR勝田駅東口。明治43年に開業した古い駅で、1日1万人以上の乗降客がある。)
電車に乗る前に、朝食を済ましておこう。常磐線上野方面上り2番線ホームの日立寄り橋下に、小さな駅蕎麦屋がある。一見、普通の駅蕎麦屋であるが、とても蕎麦の味が濃く、旨い。昔から、勝田に下車した時は、必ず寄っている。昼までの腹持ちを考えて、天ぷら蕎麦を注文。つゆも濃い目であるのは、常陸(ひたち)風なのであろう。
(勝田駅上り2番線ホームの駅蕎麦屋。店名は掲げられていない。店内は仕切られており、駅前ロータリー側からも利用できる。)
(天ぷらそば。税込み430円。不思議に、一度食べると、忘れられない。※価格は取材当時。)
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勝田0759======0805水戸
JR常磐線・上り532M水戸行(10両編成)
※時刻はダイヤ通り、約2分遅れで運行。
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美味しい蕎麦を食べ終わり、そのままホームで待っていると、7時59分発の普通水戸行き列車が2分遅れでやって来る。水戸はすぐ隣駅になり、路線キロ5.8km・6分程度の乗車である。10両編成の乗客は少なく、シートに疎らに座っている程度の乗車率である。祝日の休校日であるが、運動系部活の自主練習と思われる高校生達も結構乗っている。
(そのまま2分遅れで、水戸駅3番線に到着。列車は、折り返しのいわき行きになる。)
朝8時7分、水戸駅3番線に少し遅れて到着。一度、改札を出てみよう。この水戸は、那珂川(なかがわ)河口から10km遡った河岸段丘南岸にある大きな街で、茨城県の県庁所在地として、また、徳川御三家のひとつの水戸藩が置かれた歴史のある街になっている。交通や物資の集積地としても、古くから栄えた。国鉄時代は、常磐線かなめの水戸機関区も置かれており、常磐線、水郡線、水戸線(友部から乗り入れ)と鹿島臨海鉄道(大洗鹿島線)の乗り換え駅になっている。
(水戸駅改札口。)
(上野方の水戸機関区跡。側面に流星マークのある、「星釜」の国鉄EF81形電気機関車が留置されていた。)
水戸といえば、世間一般では、光圀公(みつくにこう)こと「黄門様」や梅林を思い起こすだろう。市内には、梅の名所として名高い偕楽園(かいらくえん)や水戸城の外堀であった千波湖(せんばこ)、水戸藩由来の史跡などがあり、歴史散策観光も楽しめる街である。丁度、こいのぼりまつりを開催しているそうで、鯉のぼりが駅前に連なって、風に泳いでいる。
水戸駅は大きな駅ビルになっており、水戸城址・旧市街地側の北口に出ると、そのまま空中歩道になっている。右手には、おなじみの黄門様と助さん格さんの銅像もあり、記念撮影にもってこいである。また、直下のバスターミナルからは、水戸市内や内陸部への路線バスが発着している。
(水戸駅北口と駅ビルのエクセル。)
(水戸黄門と助さん格さんの銅像。)
(デッキ下のバスターミナルと駅前。白バスは茨城交通、青バスは関東鉄道である。)
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今日は、この水戸から、太平洋側の鹿島臨海鉄道大洗鹿島線に乗って、鹿島神宮、佐原と成田を経由し、東京に帰ろうと思う。できれば、途中下車観光もしたい。鹿島大洗線は、茨城県南部の太平洋側にある大洗、鉾田(ほこた)を経由し、鹿島まで南下する単線非電化のローカル線で、那珂湊対岸の大きな港町・大洗と水戸を結ぶ連絡線にもなっている。
ちなみに、那珂川(なかがわ)河口付近まで、左岸にひたちなか海浜鉄道、右岸に大荒鹿島線が那珂川を挟んで並走するのも、ローカル線として珍しいかもしれない。大体は、片岸だけである。これは、那珂湊と大洗の位置関係やお互いの町の歴史、鉄道敷設の歴史も絡んでいる。この点については、ひたちなか海浜鉄道編にて、詳しく解説したい。
(グーグルマップ・水戸駅から鹿島神宮駅へ。)
JRの自動切符売り場に戻ると、鹿島臨海鉄道の普通運賃案内と発車時刻表以外は掲示されていない。改札口詰所の若い男性駅員氏に尋ねても、鹿島臨海鉄道の1日フリーきっぷは、70歳以上のシルバー向けのもの以外はないという。一旦、途中下車観光は諦め、鹿島神宮までの通しの切符(大人1,570円)を自動券売機で買い求めたが、ホームに向かっていたところ、あの「ときわ路パス」があるのを思い出した。
急いで改札口に戻り、事情を話すと、みどりの窓口で切符を交換してくれるそうなので、助かった。みどりの窓口の若い窓口嬢が、「逆に運賃が高くなりますよ」と、わざわざ気遣ってくれた。「途中下車観光をしながら、乗り降りしますから」と伝えると、なるほどと安心した様子で、切符の差額を追金し、無事に発券して貰った。また、前日夜に、鹿島神宮から東京への片道乗車券を勝田で購入していたので、フリー区間の東京寄り終端の潮来(いたこ)から東京への片道乗車券に乗車変更して貰う。なお、乗車変更(区間変更・行き先の変更)とは、JRの旅客営業規則第248条に明記されており、使用開始前の切符を1回に限り、無料で同種の切符に変更できる制度で、差額は精算になる。2回目からは、払い戻し手数料が必要となり、切符の買い直しになる。
この「ときわ路パス」(大人2,150円)は、JR東日本の企画切符で、通年発売ではなく、春と秋の二回の期間限定発売・土休日利用限定になっている。茨城県内のJR線と関東鉄道、ひたちなか海浜鉄道、真岡鉄道、鹿島臨海鉄道の普通列車・普通列車自由席が1日乗り放題(特急券・グリーン券も併用可能)になり、真岡鉄道や鹿島臨海鉄道は自社発行の1日フリーきっぷがないので、同線訪問時にとても重宝する。なお、フリーエリア内のみの発売なので、東京方面から常磐線利用の場合、茨城県に入った最初の取手で一度下車し、購入する必要がある。これで、途中下車観光も気兼ねなくできるので、ひと安心である。
(ときわ路パスと乗車変更した片道乗車券。)
大洗鹿島線は一番南側、8番線からの発車である。エスカレーターで降りると、8時46発の大洗行き列車二両編成が既に入線し、アイドリングをしながら待っていた。
大洗鹿島線は全線非電化のため、気動車(ディーゼルカー)での運行になっている。この真新しい8000形気動車は、昭和60年(1985年)の開業時に導入された6000形の老朽化により、平成28年(2016年)から順次導入されている。330馬力ディーゼルエンジン、20m車体、自重33.5t、最高速度95km/h、電気指令式ブレーキ、オールロングシートの新潟トランシス製軽快気動車(※)である。内装は電車風になっており、三扉車であるのも特徴で、両端は幅広の片開き扉、中央は幅狭の両開き扉と変則であるのが面白く、水戸から大洗間の通勤通学客が多いためであろう。また、空気ばねで乗り心地が改善し、車内の床も低くなり、冷暖房も6000形より良くなっているという。
特徴のある外装カラーリングは、大洗鹿島線の新しい標準車体色である。下部のクリームは砂浜と大地、上部の濃いブルーは鹿島灘の海と空、車端部の斜行がある赤ラインは、地域の支持と発展を表現しているとのこと。この斜行は、6000形のアイデンティティを受け継ぎ、大洗鹿島線らしさを感じる。
(鹿島臨海鉄道8000形気動車。最近のトランシス製軽快気動車の標準的デザインである。)
ホームにある駅時刻表を見ると、平日・土日祝日共通で毎時1〜3本で、半分は大洗止まりになる。最終列車は、終点の鹿島神宮行きが21時台後半、途中の新鉾田行きが22時台、大洗行きが23時台まで。ワンマン運転を実施しているが、混雑する時間帯は車掌が乗務しており、行き先は関係ないらしい。なお、隣の7番線は、常磐線上り上野方面の特急専用ホームになっている。
(ホームの駅時刻表。)
ここで、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の歴史について、簡単に触れておこう。国内の地方鉄道の殆どが、明治中期から大正期にかけて開業しているのと比べ、戦後の昭和60年(1985年)開業と、大変、新しい鉄道になっている。元々は、大正時代後期の国の鉄道計画に依って、水戸から鹿島までの太平洋沿岸の縦断鉄道が、計画されたのが発端である。この地域は、太平洋の鹿島灘に面した長い海岸線があるが、内陸部に入ると、北浦や霞ヶ浦の大きな浦や低山帯があり、陸上交通の大きな障壁になっていた。
結局、戦前では、縦断鉄道計画が立てられたのみで、特に進展はなかった。戦後高度成長期の昭和30年の終わりに、鹿島臨海工業地帯の建設が始まると、国鉄・茨城県・進出企業の共同出資により、原料や製品を運ぶ貨物専用鉄道として実現した。当初は、北鹿島(現・鹿島サッカースタジアム)から、鹿島臨海工業地帯内への貨物専用線のみであったが、国鉄末期の経営問題から、日本鉄道建設公団が建設を進めていた、水戸から北鹿島間の路線も受け継ぐことになった。その経緯のためか、水戸が起点駅になっているが、社名に水戸由来の地名が含まれていない。現在も、第三セクターの鉄道会社として、鹿島臨海工業地帯内の貨物専用線・鹿島臨海線(19.2km)と、南北縦断の旅客線・水戸から鹿島サッカースタジアム間の大洗鹿島線(53.0km)の二路線を営業している。
◆略史◆
大正11年(1922年)
水戸から鹿島間が予定線となる。
昭和44年(1969年)
国鉄・茨城県・進出企業の出資により、第三セクター鉄道・鹿島臨海鉄道を設立。
昭和45年(1970年)
貨物専用の鹿島臨海線(北鹿島〜奥野谷浜間/鹿島臨海工業地帯内)が開業。
昭和46年(1971年)
第二期区間として、鹿島新線(水戸〜北鹿島間/現・大洗鹿島線)が着工。
昭和59年(1984年)
国鉄と茨城県が、鹿島新線の経営を鹿島臨海鉄道が行うと合意。
昭和60年(1985年)
大洗鹿島線(水戸〜北鹿島(現・鹿島サッカースタジアム)間)が開業。
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乗客は意外に多く、2両編成のロングシートは、ほぼ埋まっている。
そろそろ、発車時刻である。
(つづく)
(※軽快気動車)
旧来の国鉄形気動車と比較して、軽量車体やハイパワーエンジンを採用し、性能を大幅に向上させた新世代の気動車のこと。
2017年7月15日 FC2ブログから保存・文章修正(濁点抑制)・校正
2024年8月31日 文章修正・校正・一部加筆
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