上高地線紀行(8)新村車両所とイイダヤ軒

新村駅周辺を少し散策してみよう。上高地線が開通する前までは、近くに専称寺(せんしょうじ)があることから、「専称寺っ原」と揶揄されるほど、狐や狸が出てきそうな怪しい所であったという。大正10年(1921年)10月に松本から新村間が初開通すると、筑摩電気鉄道の本社も置かれ、雑貨屋、飲食店、菓子屋や肥料商などが建ち並ぶようになり、賑やかな商店街ができた。しかし、今は数軒の商店が残るだけになっている。


(駅前商店街の古い商家造りの肥料商。手前交差点の向かいには、衣料品店兼酒屋がある。)

新村駅構内の北側には、車両の点検整備工場や車庫を備える新村車両所があるので、覗いてみる。駅前から右手に進み、上高地線の踏切を横断すると、東京の東急電鉄から譲渡され、「白ガエル」の愛称で親しまれた5000形が保存されている。今は、緑一色の東急色「アオガエル」に戻されている。昭和61年(1986年)から平成12年(2000年)まで運行された後、ここに静態保存されているという(※)。


(東急色に戻された5000形電車。第三編成の5005+5006になる。運転席窓のしましま本店のシールは、本の展示販売イベントを開催する地元団体。この5000形の車内のほか、上高地線を走る電車内でも開催している。)

その脇には、相当の経年の木造貨車が佇む。2軸有蓋貨車のワ1とワ2である。おそらく、筑摩電気鉄道開業当時の貨車と思われ、これだけ古い木造貨車が現存しているのも珍しい。車台は鋼鉄製、筋交いなどで木造車体(上屋)を一部補強している。妻面に標識灯などを掛けるフックも残る。なお、連結器と台車などの下回りは撤去されているが、大正時代の貨車に見られる、ねじ式連結器のふたつの左右の穴(バッファ/緩衝器の装着のため)が台枠妻面にある。今は、倉庫として使われているらしい。なお、無動力の普通貨車のほか、有蓋貨車の両端に運転台、集電ポールとモーターを備えた電動貨車デワも開業当初から使われており、伊那電気鉄道(現・JR飯田線の一部)から譲渡された、デワ2(二代目・全長7.6メートル・自重8.5トン・100馬力・貨物積載量5トン)が、昭和3年(1928年)頃から戦後まで使われていた。


(奥がワ1、手前がワ2。昭和39年[1964年]撮影の古い写真では、上高地線を走る2軸スポーク車輪の美しいシルエットが見られ、戦後も現役であった。)


(傷みも激しく、木製扉の標記は読み取りにくいが、台枠右下のワ1を確認。ワ2も同様に発見。)

広い構内に人気はなく、静まり返っている。その中央の留置線には、古い電気機関車が留置されている。このED301は、アメリカのウェスティングハウス・ボールドウィン社製、大正15年(1926年)製造で、昭和35年(1960年)に西武鉄道から譲渡された。長年、ダム建設資材輸送列車や貨物列車仕業に使われ、貨物全廃後は、構内入換、除雪や線路工事などに使われてきた。現在、本線を走ることはできなくなったが、有志の人達により、丁寧に補修され、外観は新車かと見まごうばかりである。

元々は、信濃(しなの)鉄道(JR大糸線の一部・松本から信濃大町間/現在の第三セクター鉄道しなの鉄道とは別会社)が、新製購入した3両の電気機関車のひとつである。国鉄や各地の民営鉄道会社を渡り歩き、この筑摩の地が最終になった。幸いにも、同形式3両は全車現存しており、1号機は青森県の弘南鉄道で除雪仕業などの現役機として、2号機は三岐(さんぎ)鉄道三岐線終点の西藤原駅構内に静態保存、3号機がこの上高地線の現車になる。


(ED301と「現代のアオガエル」。鉄道院・国鉄時代は、ED22形の形式を付与されている。)

この30トン級・駆動輪4軸・総出力280kw(70kw×4)の中型の凸型電気機関車は、今や上高地線のシンボル的車両になっている。ちなみに、西武鉄道からの譲渡代金は、当時の金額で2,732,900円であったとのこと。また、松本電鉄時代のダム資材輸送列車用に、中型箱型車体の電気機関車ED400形2両(40トン級・4軸)も新製購入され、活躍していた。貨物全廃後は、静岡県の岳南(がくなん)鉄道に2両共に譲渡され、平成24年(2012年)に引退している。

手前の保線トロッコには、車輪や下回りを外された軽トラックが乗っている。ちょこんと乗る感じが可愛らしい。自走するための動力ではなく、夜間作業用の投光器発電機の代わりという。地元鉄道ファンの間では、「現代のアオガエル」と呼ばれており、地方民営ローカル線らしい手作り感がたまらない。なお、ヘッドライト側の線路を照らすのではなく、保線列車最後尾から、照明用器具でトロッコの積載資材を照らすとのこと。

また、明治37年(1904年)に製造された、元電車の木造貨客車(荷物室を備える貨客合造車)ハフニ1形も長年保存されていたが、JR最古の電車であったこと判明し、平成19年(2007年)に埼玉県大宮市の鉄道博物館に寄進されている。今は、その解説板だけが、新村制御塔裏に残る。明治時代末期、甲武鉄道(御茶ノ水から八王子間/現在の中央東線の一部)が新製導入した車両で、信濃鉄道を経て、筑摩電気鉄道に譲渡された。


(かつて、保存されていたハフニ1形の解説板。元は、電車であるが、客車に改造された。筑摩電気鉄道では、大正11年[1922年]から昭和23年[1948年]まで運行。早くからその貴重な価値を認識し、解体はせず、新村の車庫内で大切に保管していたという。)

この踏切の先にある専称寺に行ってみよう。交通量の多い県道の交差点向こうに、大きな寺が構えている。宗派は浄土宗、山号は三明山、御本尊は阿弥陀如来。子育ての呑龍上人、信州七福神「弁財天」、松本三十三観音霊場第十九番「北向観音・聖観音像」を安置する寺として、地元の信仰を集めている。なお、戦国時代末期の永禄11年(1568年)に創基し、江戸時代末期になってから、この地に移転したと伝えられている。


(専称寺本堂。交差点に面して山門があるが、改修工事中であった。この本堂も、平成15年[2003年]に大規模な改修工事がされている。)

(聖観音を安置する北向観音。南向きの善光寺と向い合せになっている。正面扉上の欄干には、極彩色の龍神、雷神や風神の彫り板が掲げられ、脇には、江戸時代らしい庶民の生活の様子の板絵も掲げられていた。)

境内は広く、隅々まで手入れが行き届いており、美松が並び、気持ちのいい寺である。この専称寺で、筑摩電気鉄道株式会社の設立総会を開き、当初の本社もこの近くに置かれた。大正10年(1921年)10月1日の開通式典では、街を上げての大祝賀になり、浪花節や狂言などの演芸会、仮装行列、夜は花火、映画やスライド上映なども催された。鉄道の開通は、人々に熱狂的に歓迎されたという。

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新村1307======1321松本
列車番号24・上り松本行き
第三編成(3005+3006)・ワンマン運転
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専称寺に参拝し、駅に戻るとしよう。もう一度、駅舎横の筑摩電気鉄道の社章を見納めする。このくさび状の印が9つ囲む由来は、筑摩の「チ」に9「ク」をかけ、中央の丸「マ」で、「チクマ」とのこと。長い歴史の鉄道会社の社章は、不可解なデザインも多いが、意外に単純だったりする。

新村駅13時07分発の上り松本行き列車に乗り、起点駅の松本へ戻ろう。新島々へ最初に乗車した、観光仕様の第三編成(3005+3006)が到着。この駅での列車交換はなく、直ぐに発車する。

この新村から松本間は、上高地線で最も早く開通した区間であるが、当初、現在のルートよりもかなり南側を通る計画であった。松本を出た電車は、鎌田、征矢野、笹部を経て、奈良井川を渡り、北栗から専称寺の南を通って、波田への案であった。しかし、北栗の大地主・小岩井家が頑なに反対。協力的であった信濃荒井の肥料商・塩原家の助力もあり、現在の野麦街道沿いのルートになったという。


(当初の松本から新村間の敷設計画。※イメージであり、正確な計画ルートを示したものではない。)

新村駅先の小ホップを越え、なだらかな扇状地を軽快に下っていく。この時間帯の上り列車の乗客は少ないと思いきや、50人以上と多い。北アルプス山中の各温泉地からの帰りの宿泊客が多い様である。車窓を眺めると、駅の周辺は住宅が建て込んでいるが、駅間は信州らしい長閑な田園が広がっている。

次の北新駅は私立松本大学の最寄り駅として、北新・松本大学前駅に改称された。実は、「御伽草子(おとぎぞうし/室町時代から江戸時代初期の読本)」に登場する、ものぐさ太郎の由来地でもある。働かず寝てばかりの堕落した生活をしていたが、ひょんなことから京に上り、類まれな和歌の才能を開かせたという話である。なお、名前の由来は、食べ落とした団子を地頭(当時の村長)に拾わせたということからなので、本当にどうしようもなかったらしい。駅から徒歩5分の庵のあった場所は、立派な銅像が立つ記念公園になっている。

また、途中の下新駅の近くには、アルプスの伏流水を使った造り酒屋があるので、時間があったら立ち寄るのもいいだろう。明治18年(1885年)築の母屋や酒蔵も見学でき、試飲や即売もしている。


(明治2年[1869年]創業の亀田屋[かめたや]酒造店。下新駅から徒歩4分の旧・千国街道沿いにある。※追加取材時に訪問。以下同。)

(当時の雰囲気を残す母屋の帳場。かなり豪勢な家屋で、奥の座敷は、結婚式や村の会合に使われたという。)

(代表銘柄の「秀峰アルプス正宗大吟醸」[寒仕込み・15度・歩合39パーセント/720ml・税込み3,240円]。やや辛口であるが、口当たりはスッキリとやわらかく、飲みやすい日本酒である。香りも豊かで、日本酒の品評会でも、毎年受賞している秀作。)

開通当時の橋脚が残る奈良井川橋梁を渡り、松本手前の大築堤カーブを越えると、定刻の13時21分に松本駅の到着。どっと、乗客が下車する。これから上高地や北アルプスに向かう人々もホームに大勢おり、一時、首都圏のラッシュ並みに混雑する。


(松本駅に到着する。乗降客でごった返す松本駅7番線ホーム。)

正午を過ぎて、お腹も空いてきた。午後の松本市内観光の前に腹ごしらえにしよう。この松本といえば、あそこである。改札口から右手のお城口に出て、斜め左向かいのホテルの1階に向かう。長年、松本駅で駅そばを提供していたイイダヤ軒である。国鉄時代は、駅構内で営業していたが、今は駅前のみになっている。曰く、昔は「駅そば(蕎麦)」、今は「駅(の)側(そば)」との洒落をかます。


(駅そばイイダヤ軒松本駅前店。南松本と村井の駅前に支店がある。)

味自慢を感じる信州そばの暖簾を潜り、アルミサッシの引き戸をカラカラと開けると、「いらっしゃーい」と明るいお母さんの声がする。前金食券制のため、入口横の券売機で食券を購入。ここは蕎麦の本場の信州、そのまま素の「かけ蕎麦(税込み300円)」で行こう。早速、お母さんが小気味よく湯がいてくれ、直ぐに出来上がる。


(かけ蕎麦。ネギはカウンター前に山盛りになっており、かけ放題無料である。単品トッピングも多彩で、特大サイズの自家製かき揚げが名物。)

一見、なんの変哲もない、普通の駅そばのように見える。しかし、一口食べれば、首都圏の駅そば店の比ではない旨さなのである。麺はスマートですっきりとし、蕎麦の旨みがしっかり感じられる無添加自家製。つゆも辛すぎず、甘すぎずの絶妙なバランスの癖になる旨さと評判で、麺との一体感があるのが素晴らしい。この松本への旅の裏目的は、「イイダヤ軒の蕎麦を食べる」と言っても過言でない。なお、蕎麦屋としては珍しい、替え玉も可能で、1玉130円と安い。蕎麦好きには嬉しくなるサービスである。

イイダヤ軒は、駅前ビジネスホテルを経営しているホテル飯田屋(当時は飯田屋旅館/明治37年[1904年]創業)が、大正9年(1920年)に名古屋鉄道管理局の許可を得て、駅弁の製造販売を始めたのがルーツになっている。戦後の昭和24年(1947年)に弁当部が独立し、現在のイイダヤ軒を設立。昭和33年(1958年)からは、大糸線ホームでの駅蕎麦店営業も開始し、松本駅の味としての旅人達の人気を博した。

同じビルの左端には、駅弁や仕出し弁当の調製所があり、事前予約の販売もしてくれる。実は、蕎麦だけでは足りないと思い、先に駅弁も調達してある。「駅弁も買ったので、ここで食べてもいいですか」と尋ねると、「いいわよ」とのこと。今回は、国鉄時代からの松本駅の代表的駅弁である「月見五味[ごもく]めし(税込み870円)」を選んでみた。昭和35年(1960年)発売のロングセラー駅弁とのこと。


(イイダヤ軒「月見五味めし」。国宝松本城や手まりなどが描かれ、郷土色満点のパッケージが楽しい。)

丁寧な化粧箱を開けると、プラスチック製のわっぱに入った和洋折衷の釜飯になっている。山国らしく、しっかりとした味付けが特徴で、あの有名な「おぎのやの釜飯(信越本線横川駅の代表駅弁)」と比べても、こってりとした濃い味付けになっている。具の種類も多く、豚肉煮やワカサギの甘露煮が特に美味しい。竹の子、わらび、しめじやうどなどの山菜がしっかり入っているのも、嬉しいところである。

なお、駅弁名の由来は、江戸時代初めの慶長年間の頃、松本藩初代藩主の石川数正が、狩猟の獲物や山菜を武者料理し、月見櫓で宴を催して、月見をしながら城下の繁栄を願ったことからとのこと。味のあるイラストと共に、松本の歴史を感じる趣向になっている。


(下のご飯は茶飯になっており、地元の安曇野産米を使用。ロングセラー駅弁のため、時代により、容器や具に変化があるという。漬物のように見える、りんごしそ巻きがご当地名物。)

やや量が少なく見えたが、丁度いい感じであった。なお、松本駅改札内のコンコースに駅弁販売所があるが、イイダヤ軒の専売所ではなく、塩尻駅などの他社の駅弁も混合して販売している。イイダヤ軒調製であっても、扱いのない駅弁も多いため、事前予約したほうがよい。

旨い蕎麦と駅弁で腹ごしらえが済んだら、松本の街を歩いてみよう。「ごちそうさまでした。美味しかったです」と伝えると、「はーい」とお母さんは笑みを返してくれ、入れ違いざまに山男や観光客がぞろぞろと入ってきた。とても繁盛しているようである。

イイダヤ軒公式サイト

(つづく)

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(※5000形)
譲渡され、新村車両所から搬出された模様。

※価格は取材時。

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