これにて、終点の下仁田駅から順に、古い木造駅舎のある駅と主要な途中駅の訪問を終えた。それを数えてみると、起点の高崎、根小屋、山名(やまな)、吉井、馬庭、上州福島、上州富岡、西富岡、上州七日市、上州一ノ宮、南蛇井(ないじゃい)、千平、終点の下仁田の13駅になり、その内、古い木造駅舎のある駅は10駅と、全21駅の約半分もあるのは、他の民営鉄道よりも多い方であろう。
最後に、上信線で最も新しい佐野のわたし駅が面白いので、紹介したい。
南高崎から根小屋間の烏川東岸に、平成26年(2014年)12月22日に新設された駅で、駅名や駅のデザイン等は群馬県内の小中学生から公募された。駅横を流れている烏川に渡し船があった事が、駅名の由来になっている。また、佐野は金井沢碑にも記されており、この烏川両岸の古い地名になっている。
駅は高崎寄りの烏川橋梁の袂に設置されており、大きなカーブの出入口付近にある。起点の高崎駅から2.2km地点、3駅目、高崎市上佐野字舟橋、標高81mの終日無人駅である。標高90m前後の高崎台地から、10m程下った烏川沿いの低地帯で、周辺の宅地化と人口が増えた事から、地元住民から設置を請願されていた。
(デキの駅名標。デキは、沿線の一般住民の間でも有名で、人気が高い。)
新しい無人駅なので、簡易な現代風デザインになっている。改札口や自動券売機は無く、長さ45mの単式ホーム中央付近に半開放のガラス張り待合所、小さな旅客上屋がホーム両端に設置されている。真ん中に旅客上屋が無いのは、無人駅では、列車進行方向最前方のドアでの乗降となる為である。
(下仁田方から、ホーム全景。)
下仁田方は、烏川橋梁を直ぐに渡り始める。駅前ロータリー西側歩道は、鉄橋を渡る列車が撮れる手頃な鉄道撮影スポットになっている。上信線には、三つの大きな鉄橋がかかっているが、その中でも、この烏川橋梁の架橋には大変苦労したらしい。電化改軌工事の際、9本あった橋脚に4本追加されて、13本となっており、全長は約256mとなっている。現在も、軽便鉄道時代の橋脚はそのまま使われ、上部を嵩増ししてある。
また、この烏川は、かつては相当な暴れ川で、度々、大きな被害が出ていた。特に、上野鉄道時代(こうずけ-/軽便鉄道時代)の明治40年(1907年)8月16日、暴風雨で増水していた烏川橋梁に高崎発第9列車が差し掛かった所、第八橋梁付近から橋が傾き、機関車と客車の3両が川に転落。即死1名、重傷2名(乗務員)、軽傷8名(旅客)の大事故が起こっている。この時は、馬庭(まにわ)-上州福島間の下流鏑川橋梁も流されたそうで、上野鉄道から現在の上信電鉄時代までを通して、最大の鉄道水害になっている。この豪雨被害は甚大で、明治45年(1912年)には、復旧資金の確保の為、株式減資を行う程であった。
(駅前ロータリー西側歩道から、下仁田方と烏川橋梁。工事をしている。)
高崎方は、大カーブと新幹線高架橋が上空にあり、500m先には、佐野信号所が設置されている。
(高崎方。)
ホームのフェンスには、可愛らしいイラストと解説文が掲げられている。有名な能の謡曲を題材にしたもので、ご当地由縁となっている。雪のある日、落ちぶれた元・領主が、旅の僧に扮した時の執権・北条時頼に宿を供した際、鎌倉武士の忠誠を誓ったあらすじで、あの「いざ鎌倉」の由来にもなっている。
「最明寺殿さへ修行に御出で候ふ上は候。かやうにおちぶれては候へども。御覧候へこれに物の具一領長刀一えだ。又あれに馬をも一匹つないで持ちて候。これは只今にてもあれ鎌倉に御大事あらば。ちぎれたりとも此具足取つて投げかけ。錆びたりとも長刀を持ち。痩せたりともあの馬に乗り。一番に馳せ参じ着到に附き。さて合戦始まらば」
※最明寺殿=北条時頼のこと。
(能「鉢木」のイラスト。)
この「鉢木」のあらすじを現代風に紹介すると、
旅僧に扮していた鎌倉幕府第五代執権・北条時頼が信濃から鎌倉に向かう途中、上野国佐野の渡りに着いた所で大雪となり、この地に建つあばら家に泊めて貰うことになった。貧しい生活を送っていた主人は、暖を取る為に大事に育てていた鉢植えの「梅・松・桜」を折り、囲炉裏に焚べて、もてなしたという。旅僧が主人に名を尋ねると、佐野荘の領主であった佐野源左衛門常世(つねよ)と名乗り、今は一族に所領を奪われ落ちぶれているが、鎧、薙刀(なぎなた)、馬は大事に保管してあり、いざ鎌倉にお大事という時には、真っ先に鎌倉に馳せ参じる覚悟の程を語った。翌朝、旅僧は、「鎌倉に来ることがあれば、私を訪ねて下さい」と言って、立ち去った。
程なくして、鎌倉幕府より、関東八州の諸大名に参集の命が発せられた。吉常は古びた武具に身を固め、痩せた馬に乗って鎌倉に馳せ参じると、時頼から呼び出しを受けた。時頼は常世に、いつぞやの旅僧は自分であると告げ、覚悟の通り馳せ参じた忠節を賞して、一族に奪われた佐野荘の返還を安堵し、更に「梅・松・桜」にちなんで、加賀国梅田荘、上野国松井田荘、越中国桜井荘を与えたと伝えられている。常世は大変喜び勇んで、故郷へ帰った。
(※現地パネルの解説文を補足・編集。)
との話で、江戸時代には、大変人気があった題目であった。
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駅前は大きなロータリーが整備されており、車での送迎もしやすくなっている。また、駅出入口横には、公衆トイレや駐輪所も整備されている。出入口には、改札口代わりの歓迎門があり、渡し船の立体オブジェが取り付けられている。
(佐野のわたし駅全景。)
(駅名標代わりの特製立体オブジェ。)
烏川橋梁の下流に、佐野橋と呼ばれる流れ橋があるので、ちょっと行ってみよう。関東エリアでも、荒川流域で若干見られるが、群馬県内では珍しい。
流れ橋とは、洪水時に橋桁が橋脚から外れて破損を防ぐ特殊な橋で、この高崎市街地の近くあるのに驚く。なお、流れた場合、橋桁を結んでいるワイヤーを手繰り寄せて直すので、復旧も簡単である。橋脚は鉄骨であるが、橋桁は木造で出来ている為、自動車の通行ができない。人やバイクの通行は意外に多く、橋脚に固定されていないので、上下に少し揺れる。話によると、今でも、数年毎に流されているらしい。
(流れ橋の佐野橋。長さ121m、幅2.2mある。)
なお、ここに橋が架けられる前は、渡し船や小舟を並べて繋いで板を渡した舟橋があった。葛飾北斎の浮世絵・諸国名奇覧「かうつけ佐野ふなはし」にも、取り上げられている。
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【乗車経路】
根小屋1611======1706下仁田 上信線下り(普)39列車・下仁田行(150形第二編成)
(折り返し乗車)
下仁田1725======1830高崎 上信線上り(普)50列車・高崎行(150形第二編成)
(JRに乗り換え)
高崎1847======2033上野
高崎線上り・上野東京ライン1939F直通熱海行き(サロ230-1045乗車)
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根小屋駅の見学撮影を終えると、時刻は16時を過ぎた所である。もう一度、終点の下仁田まで乗り納めに行き、高崎に折り返してこよう。夕方の時間帯なので、学生が多く、下り下仁田行き列車に60人近く乗車している。終点の下仁田まで乗車する高校生も20人程おり、更に、バスを乗り継いで、帰宅する学生もいる。折り返しの上り高崎行き列車も、下仁田からの乗客は殆どいないが、富岡付近から徐々に増え、50人位と結構混む。
先日、将来の県内鉄道利用の予測が、群馬県から発表された。高齢化と少子化の為、県人口減少率よりも早く鉄道利用者数が大きく減少するらしく、20年後の2037年頃には、東京方面の減少率は少ないが、多くの路線で20%以上の減少となり、上信電鉄の一部区間は50%減少と大変厳しい予測になっている。最大の原因は、通学生の減少によるもので、現状でも、高崎から富岡間は比較的利用者が多い様であるが、富岡以西の区間は利用者が少ない様子である。沿線住民のマイレール意識も低い傾向があり、上信電鉄単独経営も難しいと考えられる事から、何かしらの対策が必要であろう。
18時30分、既に日没となり、起点の高崎駅に戻ってきた。最後の車両は、上信電鉄で最もインパクトがあるデザインの150形第二編成群馬サファリパーク号であった。ここに来て、脱力感が出てきたのは、二日間に渡る駅巡りが少しハードであった為と感じる。帰りは、高崎18時47分発の上野東京ライン熱海行きに乗り換えて、グリーン車で帰るとする。
(18時30分、高崎駅に上信線巡りの最後の列車が到着する。)
この旅の締めの夕食も手配しよう。勿論、駅弁である。あの「高崎の赤いヤツ」のこと、たかべん「だるま弁当(税込1,000円)」をJR改札口横の駅弁販売所で購入した。
鶏めし弁当と並ぶ高崎駅の代表的駅弁である。昭和35年(1960年)の発売で、実は、鶏めし弁当の方が、戦前の昭和9年(1934年)発売と古い。毎年1月6日・7日に開かれる少林山達磨寺のだるま市の縁起にあやかって、駅弁容器に採用されたのが始まりという。発売当初は、瀬戸物であったが、軽くて衛生的なプラスチック容器になったのは、少し残念な所である。なお、白い瀬戸物製の「復古だるま弁当(税込1,500円)」も限定発売しており、具材が少し違う。
(たかべん「だるま弁当」。このお面を見ると、結構、インパクトがある。)
醤油味で炊いた香ばしい茶飯に、山菜を中心に12種の具を乗せた釜めし風駅弁である。有名な信越本線横川駅の「おぎのや峠の釜めし」と比べると、味はかなり濃く甘めで、具材の種類が多い。創業者が九州の出身である為と思われる。
特に、具の下に敷き詰めた山菜きのこ煮が、甘辛く美味しいのが印象に残る。たかべん名物のコールドチキンや鶏八幡巻(ゴボウの鶏肉巻)も入り、大きな筍も九州風と感じる。なお、空き容器は、口の部分にスリットがあり、貯金箱として使えるようになっている。
(だるま弁当の盛り付け。峠の釜めしとの食べ比べも、面白い。)
名物駅弁で締め、この二日間に渡る上信電鉄の旅も、これにて終了である。車窓の暗闇に中の町の明かりをやり過ごしながら、列車は上野を目指す。
(おわり/上信電鉄編)
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旅立つ朝 帰る夜
上信電車は ふるさとの
匂いを乗せて さわやかに
野山を走る ローカル線
上信電鉄新鉄道唱歌1番より/鈴木比呂志作詞・昭和56年。
◆旅程表◆
【本取材日】
平成28年(2016年)2月18日・19日の二日間。
【追加取材日】
平成28年(2016年)2月26日、平成28年(2016年)10月15日・16日の二日間。
【カメラ】
PENTAX MX-1(本取材と2月の追加取材時)・RICOH GRII(10月の追加取材時)
【乗車列車数】
1日目上り6本・下り2本、2日目上り7本・下り2本(本取材のみの本数)。
【駅訪問】
高崎・佐野のわたし(2月の追加取材時)・根小屋・山名・馬庭・吉井・上州新屋・
上州福島・上州富岡・上州七日市・上州一ノ宮・南蛇井・千平・下仁田の14駅。
【下車観光】
高崎・高崎白衣観音、山名・山名八幡宮、馬庭・馬庭念流道場、吉井・多胡碑、
上州福島・城下町小幡、上州富岡・富岡製糸場、上州七日市・七日市藩邸、
上州一ノ宮・一之宮貫前神社、南蛇井・おきなわ屋、千平・不通渓谷、
下仁田・市街中心部散策。
【地元グルメと駅弁】
上野・チキン弁当(駅弁)
高崎・たかべん鶏めし弁当、たかべんだるま弁当(共に駅弁)
下仁田・きよしや下仁田カツ丼、一番タンメン、一番下仁田ネギ入り餃子(追加取材時)
南蛇井・おきなわ屋のホルモン揚げ、青しそ巻き(追加取材時)
上州富岡・おぎのや峠の釜めし(駅弁)、原田精肉店の工女コロッケ
上州福島・火群庵焼きまんじゅう(追加取材時)
山名・ピコリーノチーズパンハーフサイズ(追加取材時)
【本取材1日目/平成28年(2016年)2月18日】
上野0600 JR高崎線下り1820E列車・高崎行(グリーン車利用・サロE230-1055)
0748
高崎0821 下り(普)11列車・下仁田行
0923
下仁田1304 上り(普)34列車・高崎行 ★下仁田散策
1312
千平1341 上り(普)36列車・高崎行 ★不通渓谷
1344
南蛇井1423 上り(普)38列車・高崎行 ★おきなわ屋(同年秋追加取材)
1430
上州一ノ宮1526 上り(普)42列車・高崎行 ★一之宮貫前神社
1528
上州七日市1618 上り(普)44列車・高崎行 ★七日市藩邸(同年秋追加取材)
1620
西富岡1644 下り(普)39列車・下仁田行
1706
下仁田1725 上り(普)50列車・高崎行
1830
高崎1847 JR高崎線上り1939E列車・上野東京ライン直通熱海行(サロE231-1080)
2033
上野
【本取材2日目/平成28年(2016年)2月19日】
上野0543 JR高崎線下り823M列車・高崎行(グリーン車利用・サロE232-3002)
0728
高崎0739 下り(普)9列車・下仁田行 ★高崎白衣観音(同年秋追加取材)
0818
富岡1110 上り(普)126列車・高崎行 ★富岡製糸場観光
1116
上州福島1138 上り(普)28列車・高崎行 ★小幡観光(同年秋追加取材)
1141
上州新屋1222 上り(普)30列車・高崎行
1227
吉井1253 上り(普)32列車・高崎行 ★多胡碑(追加取材)
1257
馬庭1348 上り(普)34列車・高崎行 ★下流鏑川橋梁・馬庭念流道場(秋追加取材)
1353
山名1500 上り(普)38列車・高崎行 ★山名八幡宮
1505
根小屋1611 下り(普)39列車・下仁田行
1706
下仁田1725 上り(普)50列車・高崎行
1830
高崎1847 JR高崎線上り1939E列車・上野東京ライン直通熱海行(サロE230-1045)
2033
上野
【追加取材】
平成28年(2016年)2月26日
線形調査・下仁田追加取材・多胡碑・佐野のわたし駅。
平成28年(2016年)10月15日
小幡観光・七日市藩邸・不通渓谷再取材・南蛇井おきなわ屋。
平成28年(2016年)10月16日
下仁田追加取材・山名カーブ・上信フェア2016・高崎白衣観音。
【主な鉄道資料】
「上信電鉄百年史-グループ企業と共に-」(上信電鉄・1995年/公式社史本)
「ぐんまの鉄道-上信・上電・わ鐵のあゆみ-」(群馬県立歴史博物館・2004年)
共に群馬県立図書館所蔵。2016年9月に調査。歴史事項の調査・裏付けに利用。
【旅費】
JR上野-高崎間・片道運賃1,940円×8=15,520円
JR上野-高崎間・平日普通車グリーン券(駅事前購入)980円×6=5,880円
JR上野-高崎間・土日祝日普通車グリーン券(駅事前購入)780円×2=1,560円
JR高崎−前橋間・片道運賃195円×2=390円(IC運賃・秋追加取材時)
上信電鉄1日全線フリー乗車券 2,220円×3=6,660円
上信電鉄第23回鉄道の日記念1日全線フリー乗車券 1,800円×2=3,600円(秋追加取材時)
高崎市内循環バスぐるりん・片道運賃200円☓2=400円(高崎白衣観音観光時)
秋追加取材時のビジネスホテル・5,200円(カントリーホテル前橋に宿泊)
合計;39,210円
自宅から上野駅までの交通費・飲食費・雑費は含まず。
【参考資料】
上毛新聞ニュースHP(2017年3月29日記事)
「上信電鉄百年史-グループ企業と共に-」(上信電鉄・1995年)
「ぐんまの鉄道-上信・上電・わ鐵のあゆみ-」(群馬県立歴史博物館・2004年)
2017年7月26日 FC2ブログから保存・文章修正・校正
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