14時15分、終点の賢島駅に到着する。頭端式ホームの一角には、特産の真珠貝のオブジェが雰囲気を盛り上げている。遠くは、大阪や京都からの特急が、約3時間を掛けてやって来るという。関東ならば、特急踊り子号に乗り、東京駅から伊豆急行下田駅に行く感覚であろう。
(頭端式ホームの歓迎オブジェ。)
この賢島は、干潮時に徒歩「かち」で渡れる事から、「かちこえ島」が訛ったもので、本州と賢島の最短間隔は、20m程しか離れていない。なお、縄文時代から人が住んでいたが、後に長らく無人島になり、志摩電気鉄道が開通した昭和4年(1929年)から観光開発が進んだ。現在は、志摩観光の玄関駅として、年間30万人以上の観光客がこの駅を利用している。
(吊り下げ式駅名標。)
(5番線に到着した各駅停車列車。)
4面5線の頭端式ホームには、大きな駅ビルが直結しており、ローカル線の終点としては、立派な観光駅になっている。1日100本以上もの列車が発着し、海側の1番線から4番線は特急専用ホーム、内陸側のホーム長が短い5番線が普通列車用のホームになっている。なお、日中の上り列車は、大阪・京都・名古屋行きの特急が毎時各1本と、各駅停車が2本発車する。また、特急は始発・終着駅付近の主要駅のみ停まる速達の「甲特急」と、途中の主要駅も停まる「乙特急」があり、この呼び方は近鉄の伝統との事。大阪から賢島間、名古屋から賢島間、大阪から名古屋間の特急のみに使用される名称になっている。
(特急専用ホームで、折り返しを待つ伊勢志摩ライナー。)
(伝統的な近鉄特急色である12000系特急名古屋行き。)
開放的な改札口を出ると、駅ビル内には、待合室、売店や土産店、2階にレストランや喫茶店もある。改札上右手には、懐かしいパタパタ式の列車発車案内表示機が吊り下がっている。なお、正式には、反転フラップ式と呼ばれるが、近鉄社内では、ソラリー式と呼ぶ。
(改札口。)
駅構内を少し見学した後、売店横のコインロッカーにバックを預けて、外に出てみよう。駅は半高架になっており、改札の左手の海側は一段低い為、改札口からの階段を降りる。昔は、上下二段に分かれ、下段に各駅停車のホーム、上段に特急ホームがあったという。
(海側駅出入口。)
出口横の観光看板を見ると、駅の近くには、あまり観光施設が無い様子である。この賢島に降り立つと、余り感じ無いのだが、英虞湾内に浮かぶ島になっている。
(駅前の観光案内板。)
駅出口から南に100m歩くと、英虞湾内の島々への連絡船と観光遊覧船の船着き場があり、狭い平坦地に、郵便局、宝飾店や土産店が集まっている。英虞湾はリアス式海岸の為、木々が生い茂った山々が海岸まで迫り、景色が良く見えない。周辺を少し散策をしてみたが、海岸線から良い景観の場所は、大きなリゾートホテルが建ち並んでおり、一般観光客は立ち入る事は出来ず、展望公園も見当たらない。
(駅前の繁華街。)
(湾内の島に渡る連絡船。)
(賢島港。川の様に横幅が狭く、長細い。)
船着き場の係員に、遊覧船の景色の具合を尋ねた所、「(賢島の)海岸線からは、英虞湾の全景は見え難い。遊覧船なら良く見える」と言う。折角なので、1,500円の遊覧船料金を支払い、乗船する事にする。
志摩マリンレジャー公式HP
出航時間まで少し時間があり、船着場の周りを散策する。幾つかの店があるが、ゴールデンウィーク中に関わらず、開店している店は少ない。かつては大いに栄えたと思われるが、1970年代から80年代の観光地の風情が残っている。船着き場に面して、この地で最も古い真珠専門店である、明治38年(1905年)創業の松井真珠店が構えている。賢島まで鉄道が開通した同じ年の昭和4年(1929年)の建物という。
(松井真珠店。)
この英虞湾では、太古の昔から真珠が特産で、京の天皇に献上されていた。現在も、この地方の主要産業になっている。店内には、何十万円もする本真珠のアクセサリーも陳列され、目玉が飛び出そうになるが、手軽な料金で小物創作体験も出来る(要事前予約・20分程度・1,500円から)。また、裏手には、「小さな蔵の賢島美術館(要予約・大人200円)」があり、松井家が代々所蔵する美術品を展示している。
松井真珠店公式HP
なお、賢島駅から伸びていた貨物線と貨物駅の真珠港駅は、この船着場先の岸壁に駅があった。駅や線路跡は、幅が広い道路になっている。
マピオン電子地図・志摩電気鉄道真珠湾駅(貨物駅)
(つづく)
2020年4月11日 ブログから転載・文章修正・校正。
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