この東幡豆駅(ひがしはず-)の周辺を、少し散策してみよう。吉良吉田方にある踏切を渡り、小さな坂を少し下ると、直ぐに海が見えてくる。そのまま、真っ直ぐ行くと、東幡豆漁港【錨マーカー】がある。
三河湾中央部北岸にある東幡豆は、東西を低山が海に迫り出した小半島の奥にある小さな湾で、古くからの天然の良港になっている。幡豆の地名は、他所者には難しい読みである。船の停泊地である意味の「泊(はく)」から転じたとの説があり、奈良時代の書物にも見られる古い地名になっている。なお、平成23年(2011年)4月に、幡豆町は西尾市と市町村合併した。
また、東幡豆の背後にある愛宕山(標高280m)は、良質な花崗岩「幡豆石」を産し、中部地方最大の砕石地になっている。この東幡豆港は、漁港であるが、この砕石の搬出港にもなっているとの事。なお、幡豆石は、江戸時代から採掘され、名古屋城の城壁や平成の掛川城再建にも使われた。硬く、粘りが強い特徴から、石切り場を「石割り場」と呼ぶ程であり、高い摩擦係数から施工後にズレにくく、石垣や河川等の石材に適しているという。
(東幡豆港と幡豆湾。西側には、砕石の積出桟橋がある。)
海岸に出る手前の交差点角には、漁師食堂「魚直」【食事マーカー】がある。創業40年を超える老舗で、三河湾で捕れた新鮮な魚介料理を楽しめる。ここで、昼食にしようと思ったが、あいにく開店前であった。潮干狩りシーズンならば、地元名物「アサリの味噌焼き定食」が、食べられるらしい(毎年6月頃まで)。
(港前の交差点角の魚直食堂。向こうに、蒲郡線の踏切がある。夕方に撮影。)
魚直のある交差点を左に曲がると、東浜とも呼ばれる、美しい白い砂浜海岸【波マーカー】が残っている。大きな古民宿も建ち、歌謡曲を流しているのも、長閑な昭和の風景で、海も青々と美しい。
(東浜。砂浜からは、「うさぎ島」の前島が見える。)
(東浜全景と民宿街。人工保全砂浜であるが、幅170mもある。)
穏やかな波打ち際に、沢山の鳥が羽を休めており、微笑ましい。遠くシベリアから渡ってくる鴨の仲間のホシハジロで、国内最大級の越冬地になっている。幡豆の冬海の風物詩との事。
(波打ち際で、羽を休めるホシハジロ達。)
浜辺の中央に、見事な黒松の大木が何本も生えている場所があり、その奥に「かぼちゃ寺」と呼ばれる妙善寺(みょうぜんじ)【万字マーカー】がある。脳卒中や脳出血の後遺症である中風除けや、生活習慣病予防の寺として、有名との事。立ち寄ってみよう。
(大黒松。寺の前は、参拝者駐車場になっている。)
浄土宗西山深草派の寺院で、山号は性海山宝樹院。奈良時代の高僧行基(ぎょうき)の天台宗での開基とされ、1,300年の歴史がある古寺になっている。隆盛荒廃を繰り返した後、江戸時代の半ば頃に、現在の寺名になった。浄土宗の阿弥陀如来が本尊であるが、十一面観世音菩薩も安置された「ハズ観音」として、広く親しまれており、西浦のガン封じ寺無量寺と並び、蒲郡線沿線の名刹になっている。また、この寺も、三河新四国お遍路の65番と66番の巡礼寺になっている。
(妙善寺の山門。)
(山門横のかぼちゃ絵看板。)
黒松に巡らせてある赤い大数珠と山門を潜り、境内に入る。門前が大きい割には、境内は狭く、参道も短い。また、毎年の冬至の日には、全国から寄進された南瓜を観音様に祈祷奉納した後、南瓜しるこの大接待が行われ、大変賑わうとの事。また、本堂前から振り返ると、海が見える。
(本堂。)
(本堂横の石の南瓜をくり抜いた仏と、南瓜の蓮台に乗った観音像が面白い。)
(三十三観音堂。三十三の化身を持ち、民衆の悩みを救済する仏である。)
ここは、南瓜伝来の地といわれており、これ程の南瓜だらけである縁は、寺伝にも残っている。夏の終わりのある夜、寺の和尚の枕元に観音様が立ち、「授けたい福徳がある。明日の朝、浜辺に出てみると良い」とお告げがあった。浜に出てみると、無数の南瓜が、プカプカと流れ着いたそうな。それを拾い上げて、観音様にお供えした後、瓜に似ているこの南瓜を煮てみた所、あまりもの美味に感動したそうで、月に一度、村人達に振る舞ったのが由縁との事。なお、南瓜が流れ着いたのが、この寺の前の東浜であると伝えられている。
【妙善寺「ハズ観音」(東幡豆)】
年中無休、朝9時から夕方まで、参拝無料、個人祈祷3,000円から、無料駐車場あり。
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ハズ観音に健康祈願と道中安全の祈願する。線路の北側に小さな歴史的名所があるそうなので、行ってみよう。踏切を再び渡り、旧国道まで出てみると、郵便局や店が少し並んでいる。三叉路横の急な石段の高台に、わんかし塚【祈りマーカー】がある。弘法大師作と伝えられる石造りの観音像が、小堂内に安置されている。道路から急峻で数メートルも高い上、非常に狭く、元々は古墳の頂上部にあるらしい。地元では、塚越観音とも呼ばれており、飛鳥時代の大化(645年)頃まで、ここに隠れ住む人が、不思議や西国一の札所である熊野那智山の滝壺へ越えた事から、「塚越し」と呼ばれたのが由来という。
(塚越観音。小堂には、正観音の扁額が掲げられている。)
このわんかし塚の由来は、小見行村(こげんぎょう-/現・東幡豆の一部)に、八兵衛という名の鍛冶屋がいた。働き者であったが、根っからのお人好しでいつも貧乏暮らしであった。息子の結婚式に客膳を揃える事が出来ず、困っていた所、この観音様に「膳を貸してくだされ」と願を掛けると、「手を叩いた数だけの膳と椀を貸すが、1日だけじゃ」と言われ、借りる事が出来たそうな。その後、村の人々は、事ある毎に膳と椀を借りに来たが、大助と名の大酒飲みが、酔って1日限りの約束を破ったので、二度と借りる事が出来なかったそうである。どうやら、全国各地にある池や洞穴等の貸椀伝説と同様である。
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そろそろ、駅に戻ろう。駅の桜の大木【茶色マーカー】の前にある、海老煎餅専門店の中新本舗【赤色マーカー】に寄ってみる。蒲郡線沿線の町には、この専門店が各町に必ずある程、ポピュラーである。カラカラと、引き戸を開けると、女将が、「いらっしゃい」と出迎えてくれた。
尋ねると、東幡豆駅が開業した昭和11年(1936年)から営業しているとの事。海老煎餅といえども、何種類も販売しており、お勧めの上小花(税込324円)を購入する。地元三河湾の新鮮な赤車海老(あかしゃえび)を使い、一枚毎、丁寧に焼き上げている。他にも、抹茶掛けやわかめ入りの変わり種、タコやイカの姿焼きや贈答用も豊富に取り揃えている。
(中新本舗。老舗の海老煎餅専門店で、幡豆の土産に最適である。)
実は、朝が早かったので、小腹が空いてきた。駅の待合室ベンチで、試食してみよう。サクサクと海老の香ばしい香りと旨味がしっかりとし、塩っぱすぎず、素朴でやさしい味がする。なお、赤車海老は、猿海老(地元三河では、ザルエビと呼ぶ)ともいい、三河湾で良く捕れる体長10cm程度の車海老の仲間である。塩茹で、唐揚げや天ぷらにしても、美味しいらしい。
(中新本舗製「えびせんべい上小花」。店により、味も違うという。食べ比べも面白い。)
三河湾で大量に獲られた赤車海老は、当初は食用にされず、中国(当時は清国)に輸出されていた。中国では、この海老を使った高級煎餅を作り、日本に輸出していたという。そこで、明治の中頃、地元幡豆の蒲鉾屋がこの海老の国内加工を始め、今では、三河湾沿岸の代表的な水産加工品になっている。原料は海老と片栗粉等のみの自然食品であり、この赤車海老を使うのが、一番美味しいとの事。なお、この三河湾沿岸には、100社程のメーカーがあり、海老煎餅は生産量日本一になっている。
【えびせんべい処・中新本舗】
月曜日定休、朝8時から夜19時まで、専用駐車場なし(駅前に駐車スペースあり)。
【参考資料】
現地歴史観光案内板
2017年7月14日 FC2ブログから保存・文章修正(濁点抑制)・校正
2025年1月14日 文章修正・加筆・校正
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