別所線紀行(4)中塩田駅

生島足島神社(いくしまたるしま-)から、下之郷駅(しののごう-)に戻って、コマを進めよう。9時23分発の下り別所温泉行きに乗車して、隣駅の中塩田駅に向かう。


(9時23発の下り別所温泉行きに乗車する。)

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【停車駅】〓→主な鉄橋、◇→列車交換可能駅。
下之郷◇923===〓===925中塩田
下り普通・別所温泉行き(1000系1004編成・2両編成)
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この下之郷駅から90度線路が曲がり、西に進路を変える。広大な塩田平を東西に横断し、沿線の住宅も少なくなって、信州の気持ちの良い田園風景となる。昔は、信州の主要産業であった養蚕の為の桑畑が広がっていたが、今は、りんご畑に変わり、水田も広がっている。車内ものんびりとした雰囲気で、乗客各々が寛いでいる。

塩田平の中央を流れる千曲川支流の産川(うぶがわ)を、デッキガーター鉄橋で渡り、住宅が建て込む中の勾配を上って行くと・・・約2分で、中塩田駅に到着する。なお、下之郷駅から中塩田駅間は、別所線で二番目に長い、1.3kmの駅間距離になっている。下車すると、美しいパステルカラーの駅舎と見事な大花壇が迎えてくれ、とても驚く。


(中塩田駅。)

(ホーム南側にある大花壇。地元ボランティア団体が、丁寧に手入れをしている。)

この塩田は、水利の良い産川中流左岸に発達した大きな町で、グーグルマップの空撮写真を見ると、産川沿いに家々が連なっているのが、良く判る。なお、隣駅の塩田町駅は無人駅であるが、そちらに上田市支所、銀行や学校等が集まっており、この中塩田駅は東側川沿いの旧市街地の中にある。

また、「信州の鎌倉」と言われ、塩田北条氏の本拠地であった、塩田平の中心地になっている。塩田北条氏は、鎌倉幕府二代執権・北条重時(しげとき)の五男である北条義政(よしまさ)が、この信濃国塩田荘を拝領して、鎌倉幕府滅亡までの三代約60年間続いた。町から約2.5km南にある山中に居城の塩田城があったので、城は町中に無いが、ある意味では城下町である。おそらく、当時は山城が一般的であった事や水利の関係であろう。鎌倉時代からの古寺も、塩田城近くの山際に多くあり、散策も人気がある。

駅の開業は、大正10年(1921年)6月の上田温泉電軌開通時、起点の上田駅から9駅目、7.4km地点、所要時間約20分、所在地は上田市大字五加富在家、標高469mの終日無人駅である。この駅には、古い中型の木造駅舎が残っており、開業当時は、大字を冠した五加駅(ごか-)の駅名であった。昭和4年(1929年)に、現駅名に改称した。


(木造駅舎に掲げられた小型木製駅名標。)

(別所温泉寄りから、ホーム全景。駅舎横幅と同じ長さの旅客上屋になっている。)

かつては、当駅発着の列車も運行され、対向式二面二線のホームと構内踏切があった。レールは残っているが、別所温泉方の分岐器(ポイント)は取り外され、上田方のみ接続している。現在は、バラスト(砕石)積み場と除雪兼砕石運搬の保線用車両留置線として使われている。


(北側にホーム擁壁の一部が残っている。当時、木造旅客上屋があった。)

東の上田方の踏切先には、引き込み線と広場がある。現在は、保線用車両が留置され、譲渡車両の搬入口、廃車解体や保線用資材置き場になっている。この中塩田駅は、別所線の保線車両基地になっているらしい。


(上田方。)

西の別所温泉方は、住宅地の中の上り勾配が続き、この町の中心地である塩田町駅に向かう。40m先に県道171号線と交差する踏切があり、昔は、踏切手も詰めていたとの事。

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(別所温泉方。向かいの線路は、切断されている、)

木造旅客上屋の下は、しっとりとした感じがあり、この日陰感が心地良い。また、開業当時の木造改札口が残り、待合室も20畳ある大きなもので、最盛期は混みあったのであろう。出札口や鉄道手小荷物窓口は板で閉鎖されているが、保存状態は大変良く、上部に補助窓のある大きな窓が連続し、待合室内はとても明るくなっている。残念ながら、外壁の窓枠は老朽化の為、アルミサッシ化している。


(改札周辺。ホーム確認用の出窓もあり、昔の国鉄ローカル駅に準じる造りである。)

(出札口・鉄道手小荷物窓口跡。左右の段差のあるテーブルのみが、残っている。)

(待合室の窓側には、ロングベンチが据え付けられている。天井も若草色である。)

外に出てみよう。以前、大変荒れて傷んでいた駅舎は、平成21年(2009年)11月に全面補修され、綺麗にペンキも塗り直し、往年の輝きを取り戻した。鉄道軌道輸送高度化事業として、国1/3、上田市1/3、上田電鉄1/3の負担で、総事業費約600万円をかけて、補修工事が行われたとの事。

妻面に駅出入り口があり、ハイカラなデザインの車寄せと上田丸子電鉄の社章が掲げられている。信州の山里のローカル線駅としては、大変垢抜けており、当時の町の人々は驚いたと思う。また、大窓の外側に枠が取り付けられているが、窓ガラスが大型アルミサッシ化されているので、原形の格子窓を再現しているらしい。


(縦張り下見板付きのモルタル壁で、補修前は一部剥がれ、蔦が絡まっていた。)

この美しい駅舎は、上田丸子電鉄時代のものらしく、開業当時の駅舎ではないらしい。元々、別所線前身の上田温泉電軌は、軌道法による路面電車規格で開業した為、駅と言うよりは、簡素な停車場であったのであろう。昭和14年(1939年)に、地方鉄道法による普通鉄道に格上し、上田温泉電軌から上田電鉄に社名を改称したので、その頃に建てられたと思われる。

現在の1日の乗車客数は20人以下で、600m西隣の塩田町駅の1/10位であるが、駅舎の傷みも少なく、辛うじて、取り壊されなかったメリットもある。なお、塩田町駅は老朽化の為に取り壊され、近代的な駅になっている。


(駅出入口周辺。英語で駅名を表示し、下り棟と洋風の尖塔がある。)

また、別所温泉方の県道と交差する踏切からも、駅舎が良く見える。駅舎と旅客上屋の一体感と配色が素晴らしく、まるで、童話に出てくる様な駅舎である。ローカル線派の鉄道ファン的には、草臥れた木目の古い駅舎が良いが、開業当時の輝きを取り戻したこの駅も新鮮に感じる。特に、レプリカとして建て替えるのでなく、元の駅舎を使っているのも良い。


(県道踏切付近から、光学ズームで撮影。112mm相当。)

駅周辺を一巡し、ホームの大花壇を眺めていると、先程、乗車した1004編成が折り返して、やって来た。タイフォンを「ファーン」と軽く鳴らすと、ゆっくりと発車して行く。


(上り上田行き列車がやって来た。)

この中塩田駅近くにも、男池と女池と呼ばれている大きな溜池がふたつあるらしいが、駅や線路からは見えない。直ぐ近くを線路が通るが、土手の護岸で囲まれているので、見え難いらしい。

(つづく)


【参考資料】
RMライブラリー「上田丸子電鉄」上巻・下巻
(宮田道一、諸河久著・ネコパブリッシング刊・2005年)

2017年7月12日 FC2ブログから保存
2017年7月14日 文章修正・校正(濁点抑制と自動校正)

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