明知線紀行(3)岩村へ

1両のみの単行列車が右カーブを下り、踏切を越えて、ホームにゆっくりと到着する。今日は、大きなヘッドマーク付きである。それにしても、大きなヘッドマークである。

明知鉄道は、全線非電化の路線である為、気動車での運行になっている。このアケチ10形は、富士重工宇都宮工場製の15m車体・295馬力ディーゼルエンジン搭載の軽快気動車で、従来の国鉄形気動車よりも、ふた回り程小さい気動車である。なお、急勾配路線の為、珍しい2軸駆動の動力台車と砂撒き機搭載の重装備になっている。気動車は、モーターを各台車に搭載する電車の電動車(モ/M車)違い、エンジンの動力が繋がっていない従台車と繋がっている動力台車の組み合わせになり、動力台車は1軸駆動(片軸)の場合が多い。


(巨大なヘッドマークを付けた明知鉄道のアケチ10形。)

この小さな気動車に大勢の人が乗車して、たちまち、通勤電車並みの大混雑になる。ゴールデンウィーク中の為か、観光客が非常に多い。居合わせた人達の会話を聞いていると、終点の明智町で祭りがあるそうで、今日は特に混んでいるらしい。

着席は難しいので、進行方向の一番前に陣取る。富士重工業製軽快気動車の標準的なレイアウトの運転台は、マスコンハンドル(主幹制御器/アクセルに相当)が小さいのが特徴である。運転台中央には、抑速ブレーキのスイッチも装備されている。


(アケチ10形の運転台。)

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【恵那駅から岩村駅までの停車駅】
恵那1141※======1212岩村======
下り9D列車・普通明智行(アケチ10形(11)・単行)
※定刻から3分遅延あり。

恵那 起点駅・中央西線に接続

東野

飯沼 第三セクター転換後の新設駅・平成3年(1991年)設置

阿木 主要駅・元列車交換可能駅・開通当初の終着駅(恵那-阿木間)

飯羽間 国鉄時代の追加設置駅・昭和34年(1959年)設置

極楽 第三セクター転換後の新設駅・平成20年(2008年)設置

岩村 主要有人駅・列車交換可能駅
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運転士が戻って来て、出発時刻になる。定刻は11時38分発であるが、JRの列車が若干遅れている為、3分程遅れて発車する。先ずは、終点明智駅まで乗車し、木造駅舎のある駅や車窓ロケハンをしながら、行く事にしよう。

踏切を通過して、中央西線と少し並走した後、右に急カーブをすると、直ぐに33‰(パーミル)の上り急勾配が始まる。300馬力近いハイパワーディーゼルエンジンも豪快に唸るが、車内は超満員であり、速度は自転車並の時速20-30km程度で、とても苦しそうに坂を登って行く。


(恵那駅先の踏切を通過すると、直ぐに急坂が始まる。)

緑の多い山際を、ぐんぐんと登る。20‰以上の長い急勾配、半径200m級の急カーブ、小川や窪地を渡るガーターや第四種踏切も多く、タイフォンもふんだんに鳴らすので、山線好きには堪らない豪快な力行区間になっている。

1kmポスト付近の踏切を越えた付近から、恵那の東側にある山裾沿いの高所に上がり、右窓に広がる恵那市街を木々の間から見下ろしながら、更に登って行く。


(恵那東側の高台に上がる。)

峠ではないが、国道19号線と交差する1.6kmポスト付近に、この上り急勾配のピーク地点があり、ここからは下り坂となって、人家から離れた長い雑木林のトンネルを抜けると、最初の停車駅の東野駅(ひがしの-)に到着。なお、恵那駅から東野駅までは、路線キロ2.6kmしかないが、時間は5分も掛かるので、表定速度は時速約30kmとなり、大変な登り勾配である事が判る。


(国土地理院国土電子Web・恵那から東野間。)

ひと息つく様に、東野駅に少しばかり停車。近年に立て替えられた駅舎は、介護施設の一階が駅待合室になっているユニークな構造になっている。向こうの踏切横を見ると、小さな女の子が祖母と見に来ており、ローカル線らしい、ほのぼのとした光景にほっとする所である。

駅開業は、昭和8年(1933年)5月の開通時、起点駅の恵那駅から2.6km地点、所要時間約5分、所在地は恵那市東野、標高は314mで、恵那駅から約50mも登って来た事になる。この東野は、恵那と同じ木曾谷にある東野地区の中心地で、北流している阿木川(あぎ-)と飯沼川の扇状地上にある肥沃な農村地帯が広がっている。


(東野駅に到着する。)

(明智方と列車を見送りに来た小さな女の子。)

ここからは、本格的な山越え区間となり、木曾谷に並行する南側の山脈に真っ直ぐに入って行く。東野駅を出発すると、再び、上り勾配が始まり、前方の山が折り重なる方に目指す。扇状地の大水田地帯を抜けると、飯沼川が流れる非常に狭い谷間に針を通す様に入って行き、20‰(パーミル)を超える長い上り急勾配と急カーブに挑む。

この飯沼川の川谷の最上部にある日本一の急勾配駅で有名な飯沼駅(いいぬま-)、ひとつ目の峠の2本のトンネルを抜け、広く開けた安寧な場所にある阿木駅(あぎ-)と、ひとつずつゆっくりと停車して行く。この付近は、500-600m級の山々の間に川が幾つも流れて、複雑な地形になっており、その川谷に集落と田圃が広がっている。恵那の木曽谷から山をひとつ越え、北東-南東に並行するふたつの山地の間にある地溝帯(盆地)になっている。

阿木駅から大築堤の急勾配を上り、森を抜けると、田園地帯の小さな単式ホームの飯羽間駅(いいばま-)に停車。国鉄時代の昭和34年(1959年)に、追加設置された駅である。この駅から南東に約1kmの場所に、「日本一の農村景観」と言われる岩村町富田地区があり、溜息が出る様な美しい田園地帯が広がっている。


(飯羽間駅。上り恵那行き列車の最後尾から撮影。)


(YouTube岩村町富田地区・農村景観日本一。※再生2分37秒。音量注意。)

そして、目出度い駅名の極楽駅に停車する。近くにスーパーマーケットやホームセンター等が隣接した利便駅で、数人の乗客が下車する。この駅名は、この付近に平安時代から室町時代にあった極楽寺からの由来で、第三セクター後の平成20年(2008年)12月開設の新設駅の為、駅舎はプレハブ風で味気無いが、駅名に乗じた縁起切符も発売されている。


(極楽駅の駅名標。)

ホームの一部は、愛知万博の用材をリサイクルしており、「極楽おんど」のご当地ソングが流れる押しボタンも待合室にあって、ちょっとした遊び心のある駅になっている。なお、駅設置費を半分負担した某県内スーパーマーケットの店名を駅名に冠しておらず、一般公募で選ばれている。


(極楽駅。上り恵那行き列車の最後尾から撮影。)

極楽駅を発車し、視界が開けて田圃が広がり、左手に家々が多くなってくると、恵那駅から約30分で、列車交換設備がある有人駅の岩村駅に到着。この岩村は、小さな城下町であり、江戸時代までは、この東濃エリアの政治の中心地であった。駅開業は、明知線延伸開通時の昭和9年(1934年)1月、起点の恵那駅から15.0km地点、所要時間約30分、所在地は恵那市岩村町、標高501mになり、東野駅から一気に200m近くも登って来た事になる。また、木造モルタル駅舎、昔ながらの構内踏切付きの千鳥式ホームや側線もある主要駅になっている。

なお、千鳥式ホームは、対向式ホームが交互にずれて設置されており、国鉄時代のローカル線の主要駅によく見られた。長い敷地が必要であるが、ホーム端に構内踏切を設ける事が出来、設置も低予算で利用しやすい。


(岩村駅。ホームも殆ど重ならない、美しい千鳥式ホームである。)

混雑の為、岩村駅も定刻より遅れて発車。ここは観光地でもあるので、まとまった人数が下車し、車内が少し空いてくる。岩村駅構内のY字のスプリングポイントを渡り、新緑の中の上り勾配を再び力行する。しかし、勾配はやや緩やかになり、列車の速度も上って、とても気持ち良く走る。


(岩村駅を発車する。)

(つづく)


2017年7月29日 FC2ブログから保存・文章修正・校正
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