神明宮の前まで戻り、県道を東に歩く。登り坂の小さな路地に入り、家々の間を抜けると、ながめ余興場・ながめ公園【双眼鏡マーカー】に到着する。
マピオン電子地図・ながめ余興場
大正14年(1925年)に、開園した町の公園である。ここからの高津戸峡の絶景と花々の眺めが、当時の関東一円に知れ渡り、大変な人気があったと言う。現在も、大間々町の代表的な桜花見スポットになっている。
(ながめ余興場・ながめ公園。)
昭和12年(1937年)には、木造2階建ての劇場・ながめ余興場が建てられている。東京・歌舞伎座を模しており、人力で回せる直径6.3mの廻り舞台や花道、床暖房付きの桟敷席(さじきせき)や二階席もある立派な造りになっている。現在は、みどり市の公共施設になっており、指定重要文化財になっている。
立派な唐破風付きの大きな玄関が、非日常の楽しみへと誘う。昭和20年代から30年代に最も栄え、当時の有名流行歌手も公演をした。なお、現存する戦前の伝統的劇場建築は、全国的に大変珍しい。テレビ等の娯楽が少なかった頃は、町の人達の大きな楽しみとして、賑わったのであろう。現在も、芝居、寄席、発表会や歌謡コンサート等に使われており、館内見学も可能である(※)。
(ながめ余興場。建物は二階建て延べ約280坪、観客収容は650人。)
ここからの渡良瀬川の眺めは、春はツツジと桜、秋は菊が満開になり、「関東の耶馬渓(やばけい※)」と呼ばれる程の絶景になっている。秋の「関東菊花大会」では、菊人形・大菊・盆栽菊等が千鉢以上展示され、多数の見学客で賑わう。
(ながめ公園展望台からの渡良瀬川。)
(この付近を過ぎると、渓谷は終わり、両岸が開けている。)
暫く、花見を楽しもう。春うららな、ゆったりとした時間が流れて行く。
(ながめ余興場と大桜、太鼓橋。)
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ながめ余興場から、大間々を南北に縦断する大通りの国道に行こう。大間々は、足尾・日光に向かう国道122号線と、渋川に向かう国道353号線の分岐地点になっている。車の交通量も多く、朝夕は国道交差点を中心に激しく渋滞する。また、市場町・宿場町として大変栄えた大間々は、大火の多い町であったが、古い商家や懐かしい昭和の町並みが残っている。
ながめ公園から神明宮前に戻り、わたらせ渓谷鐡道の踏切を横断する。二本目の大きな通りが国道122号線になり、幅の広い片側1車線の道路になっている。国道交差点脇には、133年ぶりに復活した三丁目常夜灯【記念碑マーカー】が建っている。
マピオン電子地図・三丁目常夜灯
江戸時代末期の文化・文政年間(1813-1825年頃)には、この通りの中央にあった堀に設置され、街区の境に五基の常夜灯があった。しかし、明治10年(1877年)、明治政府の命令により、中堀を埋め立てる事になり、地元神社の境内等に移設された。
(国道交差点脇に建つ、三丁目常夜灯。)
町発展の歴史と重なる常夜灯への大間々町民の思いは、とても強いと言う。そこで、地元の老舗商店主を中心に、元の場所に戻そうと気運が高まり、平成22年(2010年)春に、そのうちの三基が元の場所に戻っている。また、大間々の商業関係者の心得に、「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方良し」があり、この心意気も大きく働いたと言う。近江から大間々にやって来た近江商人がもたらした心得である。
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三丁目常夜灯から、国道沿いを南に歩いて行こう。高層建築は少ないが、住宅や商店が多く、他のわたらせ渓谷鐡道の駅周辺とは違う。
本町通りと呼ばれる国道沿いには、幾つかの個人商店が今も営業している。かつては、関東屈指の絹市が開かれ、足尾方面への玄関口・銅街道の宿場町として、江戸中期頃までは、桐生を凌ぐ程の繁栄をしていた。創業100年を超える店も、30店以上あり、三丁目と四丁目に集中している。
(国道122号線大間々駅入口交差点から、桐生方を望む。※追加取材時に撮影。)
暫く、歩いて行くと、江戸時代中期の寛延2年(1749年)創業の奥村酒造【酒マーカー】(※)がある。地元では、「和泉屋(いずみや)」と呼ばれ、近江商人の奥村久左衛門が江戸時代に来町し、醤油醸造から始まったと言う。昭和16年(1941年)までは、醤油を醸造していた。
マピオン電子地図・奥村酒造
代表銘柄の清酒「福榮(ふくえい)」と「起龍(きりゅう)」は、昔と変わらない製法を今も守り、本来の日本酒の風味を活かしたすっきりとした喉越しに、ふくらみのある味と甘い香りが特徴になっている。なお、江戸時代の大間々には、造り酒屋が六軒もあり、うち四軒は近江商人の店であった。酒造りに適した土地柄であり、人々の往来も多く、自然にそうなった様である。
(奥村酒造の店蔵。県内最古と言われる明和8年(1771年)築の仕込み蔵もある。)
奥村酒造の向かい側には、旧・野口材木店とコメヤ商店の店蔵【黄色マーカー】がある。どちらも、通りに面した間口は狭いが、敷地は裏通りまで続く大屋敷になっている。特に、旧・野口材木店は、江戸時代の商家の間取りを、そのまま残している。
(旧・野口木材店。二階にも、木枠窓が残る。)
(コメヤ商店は、店名の通りに米屋(米穀商)らしく、現在も営業している。)
近くには、大間々博物館(愛称・コノドント館)【博物館マーカー】もある。大正10年(1921年)に建てられ、地元産業・企業を支援した大間々銀行本店跡である。群馬県下で最初の私立普通銀行であり、後に、現在の群馬銀行に合併されている。銀行の移転後は、大間々町(現・みどり市)の歴史民俗博物館になっており、館内は出来るだけ改修をせず、建築当時の雰囲気を残している。
マピオン電子地図・コノドント館
総レンガ造りの大正洋風建築に見えるが、木造二階建てになっており、外壁に煉瓦をタイル状に貼ってある。タイル下は、大谷石を挟む様に積んであり、耐火性がより良くなっている。
(大間々博物館コノドント館・旧大間々銀行本店。)
ちなみに、コノドントとは、1mmに満たない何億年前の水棲動物の小化石である。鰻の祖先の歯ではないかと考えられおり、地層の年代を調べる基準となる化石(示準化石)になっている。昭和33年(1958年)、大間々に住む研究者の林信吾氏が、国内初の発見したのが由来である(休館日は毎週月曜日、祝日の場合は翌日休館、入場料大人100円)。
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更に、国道を南下すると、この周辺でも、広大な敷地と大きな建物を擁する日本一醤油・岡直三郎商店【工場マーカー】がある。
マピオン電子地図・岡直三郎商店
(日本一醤油・岡直三郎商店の店蔵。※)
(店舗横の鉄製門扉の看板。日本一の文字デザインが面白い。)
店頭には、巨大な鉄釜が鎮座しており、その大きさに驚く。生醤油(きじょうゆ)の生きている酵母を殺菌し、醤油の色・味・香りを整え、長期保存が出来る様にする工程で使った2,000Lの火入れ釜である。太平洋戦争の金属供出の際は、このひとつだけが、防火用水用に残されたと言う。
(火入れ釜。明治初期から昭和15年頃まで、使われたと言う。)
天明7年(1787年)、近江の日野から大間々に移住し、創業した岡直三郎商店は、群馬県下で最古の醤油醸造メーカーになっている。「河内屋」の屋号で創業し、今もそう呼ばれている。今も、国産大豆と天然醸造にこだわった本物の醤油造りを継承する。なお、神戸駅(ごうど-)で食べた「やまと豚弁当」は、ここの醤油を使っている。
明治の初めに建てられた二階建て店舗の引き戸を開けると、所狭しに商品がずらりと並び、醤油の香りが漂う。中年女性店員に工場見学を申し出た所、快諾を頂き、お邪魔する事にしよう。
(岡直三郎商店の店先。)
ポリキャップを借り、頭に被る。創業家の家族らしい若い男性から、丁寧な説明をして貰えた。店蔵の後ろには、三つの煉瓦煙突が聳え、大きな蔵が密集して幾つも建っており、むせる様な濃厚な醤油の香りが立ち込めている。
大豆を蒸す麹室(こうじしつ)を見学した後、仕込み蔵に入ると、薄暗い蔵の中に大桶が並ぶ様に圧倒される。桶の上に登ると、上面に無数の麹や泡が浮かび、蔵の梁に麹がびっしりと付いている。これは、蔵麹(くらこうじ)と言い、この蔵に住み着いた酵母菌であり、天然醸造の仕込み蔵の証であると言う。
(仕込み蔵の大桶。右側にも、大桶が並んでいる。※撮影と掲載承諾済。)
昔ながらの天然醸造法を守り、味が濃く、塩分が多い典型的な関東醤油を造っている。木桶は人の背よりも高く、一番大きな七尺の大桶は、深さ210cm、直径260cmもある。現在、明治から昭和初期に造られた約100本の大桶を大切に使っており、工場内の殆どの建物が仕込み蔵になっている。なお、とても大きな桶の為、樽を置いてから、蔵を建てたと言う。また、明治28年(1895年)の大火の際、水が不足し、この大量の醤油を使った珍話も残っている。
醤油の天然醸造法は、酒に似ている。10月から6月にかけて寒仕込みをし、夏に発酵させ、冬に熟成させる。機械を使わない天然醸造の為、1年以上の時間と手間、熟練した職人の経験が必要との事。大間々は、日中や季節の寒暖差が大きく、深井戸の名水が豊富に得られ、酒や醤油造りに適している。
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約40分程の見学をし、大通りに面した店舗に戻る。急な見学申し込みの御礼に、国産有機丸大豆・有機小麦使用の二段仕込み醤油の「日本一しょうゆ」(瓶入り500ml/税込1,200円)と、「忠兵衛のつゆ」(瓶入り500ml/税込598円)を購入しよう。
(代表商品の日本一しょうゆと忠兵衛のつゆ。帰宅後に撮影。)
この日本一しょうゆは、岡直三郎商店の代表商品として、木桶仕込みに普通醤油の二倍の原材料と熟成期間を掛け、まろやかで濃密な最高級醤油である。醤油自体に非常に重みがあり、リッチな味と風味がする。特に、国産有機大豆は、ダイヤモンド並みに貴重になっており、小麦も上州産の有機小麦を厳選している。
つゆは、まろやかで、自然な風味が特徴である。風味が大変良く、大手メーカー製品とはひと味もふた味も違う。商品名の「忠兵衛」は、創業者の初代・岡忠兵衛氏の名前からである。
また、人気の醤油ソフトクリーム(300円)も、食べられる。今回は、特別に予約無しの工場見学をさせて貰ったが、事前予約をして欲しいとの事。
【岡直三郎商店大間々工場の案内】
営業時間・平日は8時30分から17時、土日は9時から16時。
工場見学可能(要事前予約/仕込み期等の繁忙日は不可)。
岡直三郎商店公式HP
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国道向かいの南側に、岡直三郎商店の塩蔵【紫色マーカー】がある。醤油造りに使う食塩水を作る塩を保管した石蔵である。
(岡直三郎商店塩蔵。追加取材時、南側公道から撮影。)
(つづく)
(※耶馬溪/やばけい)
大分県中津市にある山国川流域の渓谷。新日本三景。国の名勝にも指定されている大景勝地。
中津耶馬溪観光協会公式HP
(※奥村酒造について)
平成25年(2013年)に自主廃業した。店蔵は文化財として、みどり市に買収されたらしい。
(※岡直三郎商店の店蔵について)
東日本大震災により損傷した為、平成24年(2012年)に、原型を元に補修・改装されている。
岡直三郎商店新店舗画像(追加取材時に撮影・86kbyte)
【参考資料】
現地観光案内板・解説板
みどり市公式HP
三方良しの会公式HP
岡直三郎商店パンフレット
岡直三郎商店様より、撮影・掲載許可承諾済み。厚く御礼申し上げる。
2017年8月12日 ブログから保存・文章修正・校正
2017年8月14日 文章修正・音声自動読み上げ校正
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