わ鐵線紀行(11)草木ダム観光 その2

大きな掛樋(かけひ)の場所を過ぎ、遊歩道を更に進んで行くと、赤い小さなローゼ橋のわらべ橋【赤色マーカー】が架かっている。橋袂の銘板を見ると、平成2年(1990年)3月の竣工になっている。


(わらべ橋を渡る。)

向かいの左岸に渡ってみよう。川面からの高さも相当あり、幅1m程度の人道専用橋は、とてもスリルがある。


(わらべ橋と渓谷。※下写真は、渡った先の左岸から撮影。)

実は、高所恐怖症であり、恐る恐る、橋の中央を慎重に歩く。下流の桐生方を望むと、切り立った崖の深いV字谷になっており、流れも大変穏やかな淵になっている。新緑や紅葉の時期は、素晴らしい景色になると言う。


(わらべ橋上から、渡良瀬川下流方の渓谷を望む。)

わらべ橋を渡り、左手に行くと、支流の柱戸川を小橋で渡り、水辺公園の「水の広場」【散歩マーカー】に出る。ダム下の緑化公園として整備され、公園を囲む土手に桜が沢山植えられており、地元の隠れた花見名所になっている。丁度、桜が満開になっており、凄い光景である。


(桜が上下に取り囲んでいる水の広場。)

(わらべ橋と水の広場。下の平坦部分は、放水時の安全確保の為らしい。)

この公園の南側には、東町座間地区(あずままちざま-)の集落があり、地元福利施設として整備された野球場やプールのある東運動公園、童話ふるさと館、落差20mの「柱戸の不動滝」【水マーカー】がある。山中に関わらず、立派な施設が多いが、ダム水没地立ち退き住人の移転地であるかもしれない。東村(現・みどり市東町)への補償も兼ね、建設されたと思われる(※)。


(観光案内板。)

この公園からは、草木ダムの威容を正面から見る事が出来る。とても巨大な重力式コンクリートダムは、高さ140m、横の長さ405m、昭和51年(1976年)11月に竣工した。発電、取水、洪水対策を兼ねた多目的ダムであり、国土交通省の管轄になる。

オーソドックスな直線基調のスマートなデザインになっており、ラジアルゲート4門の非常用大型洪水吐が圧巻である。ちなみに、通常の放流時は、発電所横の利水バルブ(最大毎秒65m³)で放流、間に合わなくなると、本体中腹中央部のふたつのスリットの常用洪水吐(オリフィスゲート/最大毎秒540m³)から放流を行う。なお、天辺の非常用洪水吐(クレストゲート/最大毎秒3,650m³)は、非常時のみ使う。なお、設備点検時以外では、1回しか使われていない。

直下には、ブーンと大きな音を立てている発電所【灰色マーカー】がふたつある。東発電所は水圧管路の導水、東第二発電所は放流水で発電し、発電量は約2万KWhと240kWhになる(kWhは、1時間当たりの発電量)。また、下流の発電所にも、山中を貫くトンネルを使い、送水している。発電所の直ぐ横には、放流水の勢いを和らげる小さな副ダムがあり、直下は真っ直ぐでは無く、大きくカーブしている。


(草木ダムと発電所。)

旧線の頃、神戸駅を発車した列車は、ダム本体付近で鉄橋を渡り、左岸に渡っていた。また、発電所の近くには、わらべ橋付近に仮設された鉄橋と共に造られた国鉄足尾線の仮線トンネル【灰色マーカー】が残っている。現在は、その役割を終えて閉鎖され、入口側の数百メートルが残っているが、間藤方の出口側は湖の底に行き当たっている。

この仮線は1.04kmあり、昭和45年(1970年)10月に着工し、翌年の昭和46年(1971年)12月に開通している。その後、本付け替えの草木トンネルが、昭和48年(1973年)6月に開通し、その役目を終えた。


(建設時の旧国鉄足尾線仮線トンネル跡。)

わらべ橋を再び渡り、右岸の遊歩道に戻ろう。この旧線遊歩道も、巨大ダムに行く手を阻まれてしまう。ここからは、つづら折りの急坂で斜面を登り、一気に堤の高さまで上がる。

少なく見積もっても、100mは登る感じである。ビル30-40階分を階段で上がる感じになり、結構ハードである。カメラのフレームに収めきれない大きさになり、大迫力である。このコンクリートの向こうに莫大な水があると想像すると、ゾクゾクとしてくる。


(大迫力の草木ダム本体。)

(つづら折りを登る。下に水の広場が見える。)

約20分で、天辺右岸の展望台【緑マーカー】に到着する。少し広い駐車場と休憩所やトイレがあり、数人の若いバイクツーリングの人達と挨拶を交わす。

初対面であっても、バイクツーリングライダーの人達は、コミュニケーションのマナーが良い人が多い。なお、このわたらせ渓谷鐡道沿いの国道122号線は、軽いワインディングと景色が楽しめる関東屈指のツーリングコースになっており、週末には、多くのライダーが訪れている。


(右岸展望台から。左岸に管理所がある。天辺も、車で通行出来る。)

(目も眩む高さがある。傾斜面は45度位ある。下の建物は発電所。)

上流方面の草木湖を望むと、遠くには、雪を頂いた日光連山が見える。カヌー利用もでき、毎年、花火大会や湖一周マラソン大会も開かれている。


(草木湖と日光連山。)

この草木ダムは、当初、神戸ダム(ごうど-)の名称であった。昭和22年(1947年)9月、カスリーン台風による大水害により、700名以上の死者・行方不明者を出す大惨事になった事が、建設のきっかけになっている。また、当初は、足尾銅山の鉱毒流下防止の役割もあった。


(埋め込まれた扁額。)

しかし、カスリーン台風直後には、諸般の事情で建設ができなかった。その18年後の昭和40年(1965年)に調査所が開設され、地元の反対運動等の迂曲を経て、12年後の昭和52年(1977年)3月に完成している。この付近は、急峻な地形な上、川も急勾配(河川勾配1/50=鉄道勾配率換算20パーミル)、工期も短く、難工事であった。工事中に7名が殉職しており、左岸展望台には、大きな慰霊碑が建立されている。

【草木ダムの略史】
昭和22年(1947年)9月 カスリーン台風による大水害。渡良瀬川流域の被災甚大。
昭和40年(1965年)神戸ダム調査所を開設。
昭和42年(1967年)12月 建設開始。
昭和45年(1970年)8月 水没の為、国鉄草木駅の廃止を決定。
昭和45年(1970年)10月 国鉄足尾線の草木トンネル掘削工事開始。
昭和46年(1971年)12月 国鉄足尾線の仮線付け替え工事完了、仮線で営業運転開始。
昭和48年(1973年)3月 国道迂回路完成、供用開始。
昭和48年(1973年)5月 本体工事開始。
昭和48年(1973年)6月 国鉄足尾線の草木トンネル完成、線路の本付け替え完了。
昭和52年(1977年)3月 草木ダム完成。
平成13年(2001年)9月 大量降水の為、非常用洪水吐を初使用。
平成15年(2003年)10月 独立行政法人水資源機構草木ダム管理所へ組織変更。

高さ140m、横の長さ405m、本体の体積132.11万m³(本体のみ)、総貯水量6,050万m³(うち有効貯水量5,050万m³)、常時満水位海抜454.0m、当時の事業費総額は約500億円になり、鹿島建設と西松建設が施工している。ちなみに、日本一のダムの高さの黒部ダム(通称・黒四ダム/富山県黒部川)は、高さ186m・横の長さ492mになっており、草木ダムは国内屈指の巨大ダムのひとつである。なお、水没の為、渡良瀬川左岸を走っていた国鉄足尾線の旧線と草木駅が廃止になっている。


(諸元銘板。)

休憩所の自動販売機で購入したポカリスエットを飲み、一息ついた後、もう少し、上流に行ってみよう。

(つづく)


(※)立ち退きは230世帯であった。半数は地域外に移転したと言う。

【参考資料】
現地観光案内板・解説板
独立行政法人水資源機構発行パンフレット「水が支える豊かな社会 草木ダム」
草木ダム建設における水没移転世帯の生活再建実態調査報告書
(水資源開発公団発行・1974年)

2017年8月10日 ブログから保存・文章修正・校正
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