時刻は9時40分。伊豆箱根鉄道駿豆(すんず)線の終点・修善寺(しゅぜんじ)に到着。温泉観光らしい中年女性の数グループが、楽しそうにお喋りをしながら、改札口に向かっている。
この修善寺は、曹洞宗の古刹・修善寺を中心とした、狭い川谷に広がる門前町になっている。伊豆長岡温泉と並び、1,200年以上前から湧き出ていると伝わる伊豆最古の湯治場である。丁度、伊豆半島の真ん中辺りで、ふたつの支流の川が狩野川に合流する場所にあり、ここより南の内陸部は険しい山がちな地形になるため、平地を使った鉄道での南下の限界地点になっている。また、鎌倉時代には、源頼朝の弟・源範頼(のりより)や二代将軍源頼家が政争により幽閉され、源氏一族滅亡の舞台になっており、その由縁の史跡も幾つか残る。
修善寺駅は、伊豆長岡から延伸電化開業した、大正13年(1924年)の開業の社員配置直営駅で、二面五線の大きな頭端式ホームを備える。平成26年(2014年)に駅舎が建て替えられ、木の優しさをイメージした近代的な造りになっており、開放的な大きなコンコースに、観光案内所、物産販売店兼食堂やコンビニなどを配置している。また、天城方面や鉄道の無い伊豆半島西海岸エリアへの、路線バスの重要な乗り換え拠点にもなっていて、駅前に大きなバスターミナルも隣接している。
(伊豆箱根鉄道修善寺駅改札口。)
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改札口を出ると、大きなコンコースの斜め向こう側に観光協会がある。散策マップを貰いに行こう。中年女性の係員に尋ねると、修善寺は駅から大分離れており、狩野川支流の桂川沿いにあるそうで、徒歩30分程度かかる。後から判ったが、駅から路線バスも出ている。ついでに、地元の美味しい食べ物はないかと聞くと、「伊豆特産の生わさびと椎茸以外は、特段無いですよ」と意外にあっけない答えで、観光地的に無難ではあるが、蕎麦がお勧めと言う。しかし、長野県以外の観光地の蕎麦屋はハズレも多いので、評判の店を教えて貰い、出発する。
散策マップを見ながら、狩野川の大きな赤トラス橋を渡り、西の桂川の方に歩いて行く。山間の狭い川谷なので、駅周辺以外は起伏も多く、坂が多い。県道の歩道を歩き、国道136号線バイパスの修善寺インターを潜ると、修善寺温泉入り口にやっと到着。長い坂を更に登って行くと路線バス停があり、この付近から小さな仲見世が続いていて、昭和風建物の土産店や旅館が並んでいるが、殆ど閉まっているのが残念である。その中でも、地元特産の干し椎茸を扱う古い町家の専門店もあって、年配のお母さんが佇むように店番をしているのも、のんびりとした温泉地らしい光景に感じる。
(坂の多い修善寺の町並み。)
(バス停付近からの仲見世を歩く。路地は細く、車は一方通行である。)
駅から約2.5km、徒歩25分程で、修善寺温泉の中心地に到着。狭い川谷に土産店や旅館が立ち並んでおり、とても小さな温泉郷になっている。しかし、中国や台湾からの来日観光客が多く、とても賑やかである。もともとは、伊豆の温泉地の中でも、特に静かな環境であったことから、芥川龍之介、島崎藤村、夏目漱石や川端康成らの文豪が滞在し、執筆活動をした文芸温泉としても知られている。
(修善寺温泉中心部の虎渓橋付近。温泉旅館は、ここより西側の高台に集まっている。)
(高台の温泉旅館エリアには、古い建物も残る。)
虎渓橋近くの河原を見ると、一段高い岩山があり、東屋風の岩舟が設置されている。川で病の父を洗う少年に心を打たれ、弘法大師が独鈷(とっこ)で川の岩を打ち砕き、温泉を湧き出した場所と伝えられる「独鈷の湯」で、この修善寺のシンボルになっている。なお、独鈷とは、真言密教で使われる、両端が尖った短い棒状の仏具のことである。
(独鈷の湯。見学のみで、入浴は不可であるが、実際は足湯代わりになっていた。)
この小さな温泉中心地の桂川北岸に修善寺がある。正式には、福地山修禅萬安禅寺(ふくちざんしゅぜんばんなんぜんじ)と呼ばれ、1,200年の歴史を刻む大古刹である。由来は、平安時代初期の大同2年(807年)に弘法大師によって開かれ、当初は真言宗の寺院であったが、鎌倉時代に臨済宗、室町時代に曹洞宗に改宗している。宗派の移り変わりが多いこともあり、宗派にかかわらず、寛容な寺風らしい。
山門を潜ると、左に鐘楼、右に水屋があり、掃き清められた砂利敷きの境内が広がる。先に水屋に立ち寄って、手を清めると、お湯である。なんと、温泉を引いている。また、社務所前には、寺犬の柴犬・ゴマがいて、観光客の人気者になっている。
(修善寺山門前。地形の関係で、門前には仲見世がない。)
境内は山際の高台にあり、全国的に名の知れた有名寺院としては、コンパクトな感じがする。現在の本堂などの伽藍は、江戸時代後期の大火後に再建された。また、曹洞宗の一般的な御本尊は釈迦牟尼仏であるが、この寺は大日如来になっている。早速、参拝しておこう。
(修善寺境内と本堂。老若男女の参拝が絶えず、若い人達も意外に多い。)
なお、修善寺の北東には、修善寺の山王堂であった日枝(ひえ)神社がある。御祭神は大山咋神で、寺と同じ年に創祀された、鬼門封じの神社である。樹齢800年の子宝の双子杉や一本樫(いちいがし)の巨木が聳える厳かな感じの場所で、通りから吸い込まれるように立ち寄る人が多い。奥に続く坂の参道の石段を登った先に、古い素朴な本堂が鎮座している。また、この神社の境内に、初代将軍の源頼朝の弟・源範頼(のりより)が、謀反の疑いをかけられて幽閉されていた信功院があったが、今は石碑がひっそりと建つのみである。
(日枝神社鳥居。参道にも、巨大な木が生い茂っており、とても気を引く。)
(日枝神社社殿。)
(巨杉の御神木。樹齢約800年といわれ、夫婦円満に由来する「子宝の杉」とも呼ばれている。)
桂川に沿って小さな遊歩道が整備されており、竹林の小道があるそうなので、行ってみよう。京都嵯峨野のあの道の小型版で、この修善寺温泉の新名所になっている。なお、山中の小さな温泉にかかわらず、来日観光客が多いのは、この竹林や修善寺が、ミシュランガイドに載っているためらしい。
(竹林の小径。中央に大円形の竹ベンチが置かれ、のんびりと眺められる。)
修善寺の川向いの山際には、鎌倉幕府二代将軍源頼家由縁の仏堂がある。表通りからの人が通れるだけの細い路地の急坂と石段を登って行くと、指月殿と呼ばれる大きな仏堂が建っており、伊豆最古の木造建築であるという。鎌倉幕府の主導権をめぐる政争に巻き込まれ、この修善寺で暗殺された頼家の冥福を祈って、母・北条政子が建立したと伝えられている。金色の御本尊も鎌倉時代のものと伝えられ、素朴で力強い感じがする仏堂である。ここに訪れる観光客は少なく、とても静かな佇まいになっている。
(北条政子が建てたとされる指月殿。屋根がとても高い平屋の建物である。)
(御本尊の木造釈迦呂来坐像。右手に蓮花を持っているのは、珍しい。)
この指月殿の西の高台には、頼家の墓があるので、参拝しておこう。頼家は十八歳の時に鎌倉殿(将軍)になった。しかし、この修善寺に幽閉された1年後の満二十一歳の時、修善寺前の浴場で入浴中、北条氏の刺客に暗殺されてしまった。以降、北条家が鎌倉幕府を仕切るようになったのである。
手前の大きな石には、「征夷大将軍左源頼家尊霊」と刻まれている。実は、江戸時代中期に、修善寺住職が五百周忌を記念して建立したもので、その後ろのふたつの小さな石塔が本来の墓石であり、とても将軍の墓とは思えない大きさである。鎌倉からも遠く離れ、とても無念であったであろう。子供好きで世話の良い人柄であったと、地元で語り継がれている。毎年7月に御霊を偲ぶ頼家祭りが開かれ、仮装行列が町を練り歩いて、墓参りをするという。
(源頼家の墓。)
なお、頼朝の弟・源範頼(のりより)の墓も、温泉街を見下ろす西の高台にある。修善寺信功院に幽閉された直後、誅殺されたと伝えられているが、越前に逃げて生き延びた伝説もある。同じ弟の義経の悲話が有名であるが、もうひとりの弟の範頼も同じような運命をたどったのは、何とも言えない気分になる。
(頼朝の弟・源範頼の墓。)
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丁度、昼を過ぎたところである。観光協会で教えて貰ったお勧めの蕎麦屋で、昼食を取ろう。路線バス発着場から、坂を少し下った所にある「禅風亭なな番(ぜんぷうていななばん)」である。なお、この店と竹林近くの「朴念仁(ぼくねんじ)」が、人気の二大蕎麦屋らしい。
昔の農家風の造りの店で、雰囲気は良く、掘りごたつ風の大テーブル席に案内される。テレビや雑誌などでも、よく紹介されている人気店で、早く営業が終わる場合も多いらしい。
(蕎麦屋の「禅風亭なな番」。木曜日定休、10時〜16時営業。)
看板メニューの「禅寺そば(税込み1,260円)」を注文。品書きの写真よりも豪華に見える蕎麦定食で、観光客向けと思われる仕様である。せいろそばとぶっかけとろろ蕎麦のダブルで、伊豆特産の葉付き生わさびが一本付いている。自分でわさびをおろしながら、色々な山菜や薬味を添えて、食べる趣向になっている。
とろろを先に食べると、蕎麦の味が判らなくなるので、せいろから食べてみよう。蕎麦は3:7の田舎風で特段秀逸ではないが、艶があり、スルスルとのどごしの良いスマートな蕎麦である。生わさびの風味もとても良く、スッキリ清々しい感じにしてくれ、つゆは甘めである。なお、生わさびが残った場合は、持ち帰りの用意もしてくれる。
(名物の禅寺そば。税込み1,260円。右の栓付きの徳利に、つゆが入っている。)
テーブルに置いてあるパンフレットを見ると、かつての修善寺は修行道場で厳しい修行をしていた僧侶たちは、断食の後や満願の日の朝、山野から山菜や山芋を採り、蕎麦を打って食べた。以来、この地で蕎麦を食すると、僧侶と同じ功徳があるとされ、参拝者も食べるようになったという。参拝も済ませ、これで、少しは功徳があると信じよう。
時刻は13時を過ぎたところである。そろそろ、駅に戻ることにする。帰りには、路線バス(片道運賃220円)に乗ることにした。
(つづく)
【参考資料】
現地観光歴史案内板
修善寺温泉マップ(伊豆市観光協会修善寺支部発行/現地観光協会で入手)
2017年7月11日 ブログから転載
2020年7月18日 文章修正・校正
2020年8月18日 画像再処理・追加(カラー化・4K化)
2024年9月3日 文章修正・校正・一部加筆
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