この馬来田(まくた)は、豊かな自然が広がり、万葉集に歌われる程の古い歴史のある土地柄になっている。この変わった地名は、古代の「望蛇郡(もうだぐん)」が由来と思われ、江戸時代までは、望蛇郡を「まくだのこおり」と読み、「宇馬具多(うまくた)」とも書いていた。明治22年(1889年)の町村制施行の際、「望蛇郡(もうだぐん)馬来田村」になった。
駅の近くには、真里谷(まりやつ)や富来田(ふくた)と呼ばれる字(あざな)も見られる。この付近の里山一帯の名の真里谷は、上総武田氏が築城した山城の名称にもなっている。なお、「谷(やつ)」とは、丘陵が浸食されて出来た浅い谷を指し、水利の良い農地として、古くから使われてきた。
一方、富来田はかつての町名であり、馬来田村と富岡村の一部が合併し、その合成地名になっている。その為、「馬来田=うまくた(宇馬具多)=真里谷=富来田」は、同じ場所を指し、公共施設名等に混在して表示されている為、余所者は混乱してしまう。例えば、隣り合わせの小中学校も、小学校は馬来田小学校、中学校は富来田中学校になっている。また、駅名の馬来田は字に全く残っておらず、所在地は真里(谷)である。
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駅から北東方向の山際に行くと、「うまくたの路」と呼ばれる自然散策道があるらしい。ちょっと行ってみよう。観光案内所は無く、頒布している観光マップやトイレは無い為、色々と事前準備が必要である。
駅前の大きな観光案内板を見ると、武田川沿いの里山を散策するショートコースと、上総武田氏の居城であった真里谷城や菩提寺の真如寺(しんにょうじ)を巡るロングコースがあり、手軽なショートコースを選んでみた。このショートコースは、馬来田駅【電車マーカー】を出発、武田川の河畔【カメラマーカー】を散策し、小さな谷(やつ)の一番奥にある湧水地「いっせんぼく」【噴水マーカー】を目指す。更に、その湧水池の東にある古刹の妙泉寺(みょうせんじ)【万字マーカー】も行ってみたい。往復7km程度なので、所要時間は約3時間みておこう。
(駅前の観光案内板。地元ライオンズクラブが設置した。)
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鉄道に乗ったり、街歩きばかりではなく、ハイキングもたまには良いものである。また、この駅からのJR東日本の鉄道利用促進イベント「駅からハイキング」も、シーズン毎に実施しているらしい。服装や靴も万全に用意し、水分補給用の飲料確保や事前のトイレも済ませておく。
出発前に、駅前の万葉碑を最初に読んでおこう。馬来田由来の和歌になっている。馬来田周辺には、地元ボランティア団体の「万葉の歌碑を建立する会」が建立した八つの万葉碑が設置されており、その内の三つが地元由来になっている。この万葉碑も紡ぎながら、散策する事にしよう。
この会は、東京湾アクアライン開通がきっかけとなり、郷土の歴史を町づくりに生かし、「行政に頼るだけではなく、自分達で活動しよう」と、馬来田や木更津の住民が手弁当持参で活動している。万葉碑の設置場所や制作費は、寄進や寄付で賄われており、1年から4年毎に一基のペースで建立され、九基目も計画されているという。石碑に刻まれる文字は、県内を代表する書家が揮毫する。
「馬来田の 嶺(ね)ろに隠(かく)り居 かくだにも 国の遠かば 汝(め)が目欲(ほ)りせむ」
作者・読み人知らず(巻14-3383・東歌/平成9年建立・茨城県真壁産御影石)
(馬来田駅前の万葉碑。平成9年建立、ふたつ目に建立された万葉碑である。)
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早速、出発しよう。駅前の久留里街道を左手の木更津方面に行き、140m程歩くと、真里谷交差点に出る。この交差点の角に、とても大きな諏訪神社【鳥居マーカー】が鎮座している。上総武田氏と共にやって来た神社といわれ、この真里谷(馬来田)の村社になっている。民家の様な造りの社殿は覆屋になっており、その中に木造寺社建築の本殿が少し見える。明治27年(1894年)に社殿を再建し、昭和49年(1974年)に改築と覆屋を設けた。なお、ここの住所は木更津市下内橋1番地になっている。やはり、交差点名と字は一致していない。
(駅前の久留里街道を北に歩く。商店や駅前旅館も、少し並んでいる。)
(真里谷交差点角の諏訪神社。上総武田氏の守り神であった。)
(諏訪神社社殿。中の本殿の見学ができないのが、残念である。)
神社角の真里谷交差点を右に曲がり、二車線分の町道を東に歩いて行く。その先に、「ハンノ木」と呼ばれるガーデンカフェ【カップマーカー】が見えてくる。大きなフラワーガーデンが設けられており、無料で見学できる。このカフェでは、コーヒー、パフェや手作りケーキ等の他、ピザ、パスタや焼きカレーの軽食も提供しており、観光やハイキングの昼食や休憩に良さそうである。
【花とカフェ・ハンノ木】
定休日;毎週月曜日と第二・四火曜日、10時半から16時まで営業、専用駐車場あり。
千葉県木更津市真里谷49(真里谷交差点を東に入る)。
(カフェ「ハンノ木」とフラワーガーデン「小さな路の駅」。)
ガーデンの土手を見ると、馬来田由来の万葉碑が埋め込まれている。刻まれた石材も、関東近県等の銘石を贅沢に使い、その風合いの違いも楽しめる。
「旅衣 八重着重ねて 寝(い)のれども なお肌寒し 妹(いも)にしあらねば」
作者・望蛇郡上丁玉作部国忍(巻20-4351・西暦755年作・防人歌/平成11年建立・茨城県筑波産筑波石)
(小さな路の駅の防人万葉碑。三番目に建立された碑になる。)
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そのまま、道路を東に歩いて行くと、小川に架かるコンクリート道路橋があり、道標が設置されている。第一目的地の湧水地「いっせんぼく」へは、2.0kmと表示してある。
この小川の上流方向に少し歩くと、川水門の武田堰【赤色マーカー】があり、うまくたの路入口に到着する。遠く前方には、緑豊かな房総の里山が広がり、とても長閑な良い雰囲気だ。
この武田川の河岸では、地元ボランティア「武田川コスモスロードの会」が、コスモスや菜の花や各種草花の種を撒き、手入れをしているという、春から秋にかけて、草花が咲く美しい散策路になり、特に春は川辺の桜並木と菜の花のコラボレーションも見られる。毎年秋の10月上旬には、武田川コスモスフェスティバルも開催されているとの事。
(うまくたの路入り口。「武田川コスモス・菜の花ロード」とも、愛称が付けられている。)
コンクリートと鉄製の止水板を設けた近代的な武田堰は、元々は、真里谷城主の上総武田氏が、天正元年(1573年)に水田灌漑の為に整備したと伝えられる。現在も、約270ヘクタールの水田と防火・生活用水として使われているという。
(武田堰。この手前の小川は、堰から引水した用水路である。)
堰を通り過ぎると、川幅一杯に滞水し、穏やかな川面になっている。数人の地元中年女性グループも、散策や休憩に訪れており、挨拶を交わす。この河畔にも、万葉碑が置かれており、馬来田の名が入るご当地和歌になっている。
「馬来田の 嶺(ね)ろの笹葉の 露霜の 濡れてわ来(き)なば 汝(な)は恋(こ)うばそも」
作者・読み人知らず(巻14-3382/平成8年建立・茨城県稲田産御影石)
(武田川堰堤の桜並木。休憩用のベンチも設置されている。)
(堰堤の万葉碑。平成8年、最初に建立された歌碑である。かなり大きい。)
対岸の大きな竹林から、サワサワと笹が擦れ合う音が聞こえ、風に大きく揺られると、「コーン」と大きな音が響くので驚く。最近では、竹林が減少し、あまり聞かれなくなった竹の幹同士がぶつかる音は、とても懐かしさを感じる。なお、堰堤の反対側は、湿地の荒れ地になっており、土手に遅咲きの菜の花が咲き続いている。
(武田川と対岸の大竹林。川辺の竹林も、房総の里山によく見られる風景である。)
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堰堤の砂利道を歩いて行こう。川から離れ、休水田と湿地の中にある小さな農道になると、目の前に里山の素晴らしい自然が広がる。足元には、小さなたんぽぽも沢山咲き、誤って踏まない様に歩く。湿地側の土手を見ると、菜の花、たんぽぽ、カルフォルニアポピーやスイバ等が咲いている。どうやら、花咲きは終わりの頃らしく、満開時はもっと見事であろう。
(堰堤先の農道と里山。)
(湿地側土手の草花達。)
更に先に進み、前方に水田が見えて来ると、横に長い赤石の万葉碑が鎮座している。句末の「月かたぶきぬ」は、何処かで聞いた事がある気がする。教科書に取り上げられている柿本人麻呂のあの有名な歌である。
「東(ひむかし)の 野にかぎろひの 立つ見えて かえりみすれば 月かたぶきぬ」
作者・柿本人麻呂(巻1-48/平成24年建立・岡山県産竜王石)
(農道先にある人麻呂万葉碑。六番目に建立された碑になる。)
近くでは、農家の人が畦道の草刈りをしており、挨拶をする。ここまで来ると、音が清らかに響きながら川は流れ、陽に反射したキラキラと美しい水田が広がり、豪快に「ゲコゲコ」とカエル達が合唱している。なお、水田際には、猪避けの電気柵が設置されている為、触れない様に注意が必要である。
(武田川。水量はとても多い。)
しかし、川の北側を見ると、山が大きく切り崩さた無残な赤土が見え、酷いものである。後日、千葉県の担当部署に問い合わせてみると、メガソーラー発電所の建設現場という。何も、自然を壊して設置する必要はなく、人に壊された自然の回復は何十年もかかる上、自然動植物にも大きな影響があるのは、素人が見ても明らかである。県の担当者はしきりに弁明していたが、昭和のゴルフ場開発の様な乱開発は、今の時代に反する。全国にも幾つかの同例があるらしく、太陽光発電がエコロジーとは、名ばかりと感じる。
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人麻呂の赤い万葉碑の奥へ進み、川と水田の間を歩いて行くと、小さなコンクリート橋の町原橋【黄色マーカー】に到着。各方面への分岐地点になっており、橋を渡った先には、万葉集の編纂に携わった大伴家持の万葉碑も設置されている。ここは、谷(やつ)が川に面する広い草地になっている。
「春の野に 霞たなびき うら哀(がな)し この夕かげに 鶯鳴くも」
作者・大伴家持(巻19-4290・西暦753年作/平成14年建立・神奈川県真鶴産本小松石)
(分岐地点の町原橋。左手の山には、発電所工事現場が迫っている。)
(町原橋先の家伴の万葉碑。)
その横を流れる小川の側に、白い軽トラックが一台停まっており、地元農家の二人が何かの作業をしている。「こんにちは」と挨拶し、「何を洗っているのですか」と若い男性に尋ねると、稲の苗代のトレーを洗っていると言う。この小川の水源が、これから目指す湧水地の「いっせんぼく」である。小川を遡りながら、谷(やつ)の奥に伸びる細い道を歩いて行こう。
(とても小さな小川が、足元を流れる。)
背丈より高い草木が生い茂った小さな谷に入って行くと、視界も徐々に遮られる。独り歩きは少し怖い感じもし、猪が飛び出して来そうな雰囲気であるが、大丈夫であろう。周りからは、「ホーホケキョ」、「カッコウカッコウ」、「ホウホウツツー」と山鳥達の鳴き声がこだまし、まるで山奥に来た様な気分になる。小川の水を大量に含んだ足元も、ふかふかと柔らかい。
(小川に沿い、谷に入って行く。ちょっとした、探検気分である。)
(つづく)
【歴史参考資料】
現地観光歴史案内板
うまくたの路マップ(馬来田地区武田堰環境保全会・2013年/駅観光案内板に掲示)
朝日新聞 2011年1月15日朝刊「ひと・つなぐ ちば沿線版/馬来田発」
(駅観光案内板に切り抜きが掲示)
※うまくたの路は追加取材。
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