再び、日野駅のホームを見てみよう。南北に配された千鳥式ホームと中線のある、大きな駅である。駅の周辺は、北側と駅舎のある西側は住宅地となっており、西側は広大な田圃が広がっている。貴生川方には、この駅発着の列車の為の引き上げ線が、設けられている。
(米原寄りから、ホーム全景。中線は使われていないらしい。)
(米原方。中線は上り側の線路にまとまっているが、中線が一線スルーになってる。)
(貴生川方。この駅での折り返しに使われている、引き上げ線がある。)
この駅舎本屋とは別に、下り1番線貴生川方ホームの米原寄りには、鉄道手小荷物倉庫と思われる木造倉庫と木造建てトイレが、別棟で並んでいる。なお、黄色い木造モルタル建てのトイレは、使われていない。横に新しいトイレが設置されている。
(鉄道手小荷物倉庫と古い駅トイレ。)
駅舎前の下りホームは、駅舎本屋から伸びた庇が、旅客上屋になっている様に見えるが、梁の一部が駅舎に連結した小さな三角屋根になってる。ホームの全長は長いが、駅舎前から貴生川寄りは、使われていない。
米原寄りにスロープがあり、ホームが嵩上げされているので、下り貴生川行き列車は米原方に停車する。車両1両程度の長さの片勾配トタンストレート葺き木製上屋が、駅舎前の屋根に接続している。こちらも相当古い感じで、柱の間に置かれた草臥れた木製ベンチが、存在感を放っている。
(構内踏切からの下り1番線ホーム旅客上屋。)
(片流れの旅客上屋。)
(よく見ると、駅名標の柱にも、レトロな装飾がある。)
(草臥れた木造ベンチが並ぶ。もう、背板の文字も掠れている。)
また、駅舎本屋端の旅客上屋下に、古い広告付き番線案内があるのが、懐かしい。見学していると、丁度、下り貴生川行列車800形電車808編成が到着する。この駅には、乗務員区もあるらしく、運転士も交代の様である。
(広告付き番線案内と交代の運転士。)
今度は、改札口前の警報機遮断機付きの構内踏切を渡って、向かいの上り2番線に行ってみよう。幅の広い上りホームには、大きな開放式待合所があり、独特なデザインになっている。風除けの壁面には、ロングベンチが据え付けられ、板張りトタン屋根らしい。また、内側は、白ペンキで塗られていて、明るい感じになっている。
(上り2番線の開放式待合所。)
(広告付きの小さな番線案内板も、柱に取り付けられている。)
また、貴生川方には、小さな保線小屋、貨物ホーム跡と思われるスペース、小さなピット兼車庫と給油施設がある。「全線電化路線であるのに、何故、給油機が」と思うが、昭和61年(1986年)から10年間、八日市駅から貴生川駅間の運行コスト削減の為、5両の富士重工製LE-CarIIレールバス(初期型の二軸仕様)が導入され、この駅が整備と留置拠点になっていた。しかし、削減効果があまりなく、車両の老朽化が早い為に全廃され、電車運行に戻っている。現在、彦根駅の近江鉄道ミュージアムに、当時のレールバス1両が静態保存されている(※)。
(下り1番線ホーム貴生川方のレールバス導入時に使われた、ピットと給油機。)
(上り2番線ホーム貴生川方の保線小屋。)
時刻は17時半を過ぎて、日も斜めなり、そろそろ帰る時間になる。駅長氏にお礼を言い、起点の米原駅まで戻って、新幹線で帰る事にしよう。2番線の古い開放式待合所で、上り米原駅行きを待つ。駅舎も夕焼けに染まってきた。
(夕焼けに染まる日野駅。)
そろそろ、この駅とお別れである。古い駅舎本屋も凄いが、付属する設備も見応えがあり、とても満足である(※)。17時46分発の米原行き列車がやって来たので、改札口の駅長氏に会釈して、この列車に乗車する。列車は、夕暮れの蒲生野を、足早に走って行く。
(最後尾から、後方の貴生川方を撮影。)
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
日野1746======1904米原
近江鉄道本線・上り普通列車・米原行き・800系電車(802編成)2両編成
米原======新横浜
東海道新幹線・上り。東京行き(記録なし)
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
(おわり/近江鉄道本線・信楽高原鐵道編)
(※)彦根駅の整備の為、廃車解体された模様。
(※)日野町と近江鉄道で、補修保存工事を行っている。
【訪問日】2011年4月2日(浜松城)・3日(彦根城・信楽)
【カメラ】PENTAX Optio S10
2017年7月17日 FC2ブログから保存・文章修正(濁点抑制)・校正
2017年7月17日 音声自動読み上げ校正
© 2017 hmd all rights reserved.
文章や画像の転載・複製・引用・リンク・二次利用(リライトを含む)や商業利用等は固くお断り致します。