時刻は13時過ぎ。時間的に余裕があるので、もう一駅訪問しよう。駅周辺が広く開けている三河鳥羽駅が良さそうである。
(吉良吉田駅から三河鳥羽駅へ向かう。乗客は10人位である。)
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吉良吉田1331======1335三河鳥羽
下り1362列車・普通・蒲郡行
名鉄6000系6009編成(←6009+6209)2両編成
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再び、美しい田園地帯が広がる吉良町乙川地区と小ピークを越えると、三河鳥羽駅に到着する。三河鉄道時代の三河線終着駅として開業しており、今はその面影も無いが、現在も、蒲郡線の列車交換主要駅として機能している。
昭和4年(1929年)8月に三河吉田駅(現・吉良吉田駅)からの延伸開通により、終着駅として開業した。起点の蒲郡駅から8駅目、14.4km地点、所在地は愛知県西尾市鳥羽、海抜約2m、昭和42年(1967年)に終日無人駅化している。
東西に配された二面二線対向式ホームは、吉良吉田方に旧ホームの石積みが残っており、蒲郡方に鉄骨床下の近代的なホームが増設されている。駅舎は既に無く、上下線別々に開放式待合所と自動発券機が設置されている。なお、この駅は、通常の構内左側進行になり、分岐器は片開き式の一線スルー配置で、上り蒲郡方が本線、下り吉良吉田方が副本線になっている。
(蒲郡方から三河鳥羽駅全景。番線は振られていない駅である。)
跨線橋も構内踏切も無い為、隣接する県道踏切を構内踏切代わりにし、駅の出入口は、上下ホーム毎に別々に設けられている。また、下り吉良吉田方面のホームには、庇のとても大きな古い木造待合所が、設けられている。建物財産標に相当するプレートが見当たらないので、竣工年は不明であるが、構造を見ると戦後のものであろう。
(吉良吉田駅方面下りホームの開放式待合所。)
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三河鳥羽は、鳥羽川の両岸に広がった、緩やかな傾斜にある平坦地の静かな町で、東隣の西幡豆地区と一体化している。また、ハワイの様な景観が広がる吉良温泉・吉良ワイキキビーチの最寄り駅となっているが、駅に接続する連絡バスは無いらしい。
駅舎があったと思われる線路北側の街道沿いには、大きな駅前広場がある。現在は、西尾市が借用しているそうで、駐車場とトイレが整備されている。徒歩で、ワイキキビーチに行こうと思ったが、結構な距離と急坂がある様なので諦め、駅前にある大きな観光看板の神社に行ってみよう。
沿線ガイドマップを見ると、鳥羽川上流に向かって、1km程の場所にあるらしい。とても穏やかな冬の昼下がりの中、緩やかな上り坂の平坦地を歩く。大きな旧家も多く、この三河の古い雰囲気が良く判る。途中に、古刹の通因寺【万字マーカー】があるので、立ち寄ってみる。
(鳥羽の町風景。田畑が広がる中に、集落が点在する。)
通因寺は、この付近で一番の大寺で、宗派は浄土真宗大谷派になる。庭作業をしている住職に挨拶し、「是非、御本尊も見ていって」と言われたので、お邪魔する事にする。御本尊は、近くの鳥羽神明社境内にあった神明寺が、戦国の兵火で廃寺になった為、神明寺御本尊の阿弥陀如来を、この寺にお迎えした伝説があるとの事。また、本堂横には、清水次郎長十一人衆のひとり、鳥羽熊(本名・梶川藤次郎)の墓がある。明治末期に建てられた約2.5mもある大きな墓で、生前に墓を建て、自分の墓を拝んだ任侠男として知られている。
(通因寺本堂。)
住職にお礼を言い、県道317号線に出ると、駅から徒歩30分程で、鳥羽神明社に到着。平坦地からスッと山が盛り上がる場所に神社があり、町の地鎮としては、規模が大きい。平安時代初期の創建と言われる古社で、斎田(さいでん※)もあり、日本的な風景が広がっている。
鳥羽神明社公式HP
(鳥羽神明社。)
長い上り坂の参道を歩いて行くと、山の中腹の開けた場所に社殿があり、伊勢神宮内宮と同じ天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀る。社殿の左右にも、末社を三社ずつ鎮座した東社と西社があり、西外れに稲荷社もある。
(社殿。)
この神社は、約1,200年の歴史がある奇祭「鳥羽の火祭り」が有名で、国の民族無形文化財にも指定されている。その年の天候や農作物の豊凶を占う神事として、竹や茅で作られた高さ5m・重さ2tの燃え盛る二本の巨大松明に氏子達が飛び込んで、松明の中に納めてある神木や注連縄を取り出すのを競う、豪快な火祭りである。丁度、2月の第二日曜日が開催日なので、直前の準備中らしい。
(西尾市観光協会観光紹介映像・鳥羽の火祭り。※音量に注意。再生時間26秒。)
鳥羽神社の裏は、高台になっているので、行ってみよう。車は登れそうにない、60度もありそうな急坂を登ると、三河湾と渥美半島を望む絶景になっている。暫く、気分良く眺めていると、蒲郡線の列車の汽笛とジョイント音が、此処まで聞こえてきた。
(鳥羽の町並みと三河湾。)
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三河鳥羽1535======1541東幡豆
下り1562列車・普通・蒲郡行
名鉄6000系6012編成(←6012+6212)2両編成
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時刻は15時。まだ、陽も高いので、どうしようかと考えたが、もう一度、風光明媚な東幡豆に行ってみよう。この旅の締め括りに、東幡豆の海岸を散策してみたいと思う。東幡豆駅に降り、港まで出てきたが、東の海岸に行くか、西の海岸に行くか迷う。丁度、通りがかりの地元の年配女性に挨拶をし、尋ねてみた所、「東の海岸の方が景色が良いよ」との事。お礼を言い、東へ向かおう。
(かぼちゃ寺前の東浜の砂浜。誰かの足跡があった。)
東浜の砂浜と海岸沿いの堤防道路を歩いて行くと、船溜があり、前島とトンボロ干潟が見える。今の時間帯は干潮の様である。しかし、潮干狩りシーズン前なので、観光客は誰もいない。うさぎ島があった頃は、大勢の観光客が港内を往来していたらしい。
(東幡豆船溜。)
(東幡豆前島トンボロ。左は沖ノ島、右が前島「うさぎ島」。)
この海岸には、鋼鉄の防潮扉が幾つも設置され、強固な古いコンクリート堤防が続いている。埋め込まれている銘板を見ると、昭和34年(1959年)の伊勢湾台風直後に造られたらしい。三河湾沿岸には、3mを越える高潮が押し寄せ、甚大な被害であった。なお、道床流失や架線柱倒壊の大きな被害を受けた蒲郡線は、人海作戦により、何と五昼夜で復旧させた。
(堤防道路。この付近は、湾に張り出しているので、素晴らしい景色が広がる。)
駅から徒歩30分程で、東幡豆海岸の最突端部の浜ノ山の下に到着。180度海が見渡せる大展望で、後背地は山林になっており、愛知こどもの国の園地になっている。気温がかなり下がってきたが、日没までの1時間、波の音を聞きながら過ごす事にしよう。
波も穏やかで、とても静かである。この堤防道路は、隣町を結ぶ地元の連絡道になっているらしく、時々、車が通ったり、犬の散歩やジョギングの人が通る。
(沖ノ島と対岸の渥美半島の山々。渥美半島の海岸まで、直線で約13kmある。)
(西浦半島を望む。先端部の大きな建物は、西浦温泉郷。)
時刻は17時過ぎ。海は凪となり、前島の横の知多半島に夕陽が沈む。今日一日、風光明媚な三河湾と赤い電車の小さな旅を楽しめた。廃線問題も持ち上がり、大変な状況と思うが、今後も地元の足として活躍して欲しいと思う。
(西の知多半島に陽が沈む。)
夕陽を見納め、この蒲郡線の旅を終えるとしよう。堤防道路を引き返して、東幡豆の駅へ戻る。今晩も、掛川にもう一泊する予定である。
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東幡豆1811====1834蒲郡==上り東海道本線==掛川
(対向列車遅れの為、蒲郡駅到着3分遅延。)
下り1860列車・普通・蒲郡行
名鉄6000系6009編成(←6009+6209)2両編成
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(おわり/名古屋鉄道蒲郡線編)
【取材日】2016年2月11日
【カメラ】PENTAX MX-1
【参考資料】
名鉄西尾・蒲郡線沿線おすすめマップ(市民まるごと赤い電車応援団発行・2014年)
はず夢ウォーク「海・山・民話にであうみち」
(西尾市教育委員会事務局生涯学習課、幡豆公民館発行・2014年)
三河鳥羽神明社しおり(鳥羽神明社発行)
天下の奇祭「鳥羽の火祭り」パンフレット(西尾市観光協会発行)
2017年7月14日 FC2ブログから保存・文章修正(濁点抑制)・校正
2020年12月22日 文章校正・小変更
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