天浜線紀行(19)天竜二俣観光 その4

この二俣川東岸の寺は、東谷山栄林寺(とうこくさんえいりんじ)【万字マーカー】である。南北朝時代の貞治4年(1365年)の開基。山門は江戸時代の享保3年(1718年)建立で、本堂は安永2年(1773年)の再建と伝えられている。現在の宗派は曹洞宗、御本尊は釈迦牢尼仏(釈迦如来)になる。一見、旧家風にも見えるが、小さなお寺の独特な雰囲気が心地いい。


(栄林寺山門。)

(栄林寺本堂。)

地元では、白モクレンのお寺として有名らしく、とても良い花の香りが一帯に漂う。日当たりも良い為か、境内の紅梅や桜のウバヒガンも咲き始めている。木蓮の後ろの庫裏(くり/僧職の居住建物)も大きく立派で、昭和9年(1934年)の再建という。


(白木蓮と庫裏。)

(満開の白モクレン。「天竜の樹」にも選ばれている。)

(境内のウバヒガン。)

寺は山裾にあり、南側の崖下には、小さな石仏や馬頭観音も並んでいる。この付近は、礫岩が剥き出しており、太古の昔は海であった。また、栄林寺の北東には、秋野不矩美術館(あきのふくびじゅつかん)【赤色マーカー】がある。明治末期・二俣町生まれの女性日本画家で、独特な外観が特徴の市立美術館になっている。


(崖に掘られた石仏群。)

栄林寺を出発しよう。少し南に行くと、トンネル跡【トンネルマーカー】がある。旧国鉄二俣線が開通する以前、東海道本線磐田駅(当時は中泉駅)から二俣町まで、光明電気鉄道が開通しており、その鉄道トンネル跡である。終点の二俣町駅は、現在の秋野不矩美術館の下【黄色マーカー】にあったという。

阿蔵トンネル呼ばれ、反対側の南側にもポータルが残っているが、線路跡に民家が建て込んでおり、よく見えない。なお、トンネル内は崩落箇所があり、立ち入りは危険との事。


(光明電気鉄道阿蔵トンネル跡北ポータル。)

二俣川東側の細い道をそのまま南下して、駅前大通りの国道を横断する。斜め向こうの細い路地に入り、駅ホームから見えた留置車両を見に行こう。手前の道路脇には、光明電気鉄道の二俣口駅跡【青色マーカー】があり、車両二両分程の低いプラットホームが残っている。一目では、何か判らない感じである。


(国道側からの光明電気鉄道二俣口駅プラットホーム跡。置いてある自転車は、自分が借りた駅レンタサイクル。)

(天浜線側から。この道路も軌道跡になる。)

光明電気鉄道は、佐久間の久根銅山からの鉱石輸送を見込んで建設された。国鉄と同じ狭軌1,067mm、路線キロ19.8km、直流1,500V電化路線であった。旧国鉄二俣線開通前の昭和5年(1930年)に、東海道本線磐田駅(当時は中泉駅)から二俣町まで開通している。

当時、珍しい電車運行で注目を浴びたが、銅山からの鉱石輸送が断られ、無理な計画と投資、二俣町から先の工事の強行により資金繰りが悪化してしまった。最終的には、電車を運行する電気代が支払えなくなり、終点の二俣駅開業後のわずか6年後の昭和11年(1936年)に、全線廃止になっている。実は、天浜線の豊岡駅(当時は野部駅)から天竜二俣駅までは、光明電気鉄道の廃軌道を、国鉄が二俣線として再利用しており、昭和15年(1940年)6月に開通している。途中の伊折トンネルと神田トンネルのふたつのトンネルも、光明電気鉄道時代のものである。

ホーム跡の奥には、元貨物操車場と思われる広大なスペース【白色マーカー】がある。線路際の錆びた側線には、2両の国鉄形車両が保存されている。


(天竜二俣鉄道公園。)

元々、鉄道公園を作ろうとしたが、諸般の事情で難しくなり、車両の保存展示のみになっているとの事。数年前には、傷んでいた塗装を綺麗に修繕し、保存状態も大変良い。

新所原方に向かって留置しているのは、国鉄二俣線を走っていた国鉄形気動車キハ20-443になる。転籍もなく、一生涯、この国鉄遠江二俣機関区に所属し、生粋の「二俣っ子」との事。天竜二俣駅の駅員氏の余談では、入念にレストアされており、エンジンの起動が可能で、ヘッドライトや室内灯も点灯するという。


(国鉄キハ20-443。)

掛川方には、寝台特急用の三段式開放B寝台車ナハネ20-347が展示されている。昭和45年(1970年)の日本車輌製造製で、国鉄時代は下関運転所に所属し、寝台特急「あさかぜ号」に主に使用されていたという。こちらも丁寧に修繕され、室内灯や通路灯が点灯する。


(国鉄ナハネ20-347。)

この角度から見ると、後ろの旅客上屋との組み合わせが国鉄時代を感じさせ、駅から走り出したかの様に見える。ATS等の問題をクリアし、是非、天浜線を実際に走って欲しい。なお、地元ボランティア団体の「TRTC天竜レトロ・トレインクラブ」が管理を行っており、定期的に車内公開等のイベントを実施している。地道な鉄道保存活動には頭が下がる思いである。


(キハと天竜二俣駅。)

時刻は14時10分になった。下車観光に出てから約3時間経過している。そろそろ駅に戻る事にしよう。

(つづく)


【参考資料】
現地歴史観光案内板
「ふたまたの見処 味処」散策マップ(観光協会で入手/天竜観光協会発行)

天竜二俣駅内の観光協会窓口で観光地図を入手。観光地図に載っている「壬生郷の歴史散策路コース」(約1時間30分・5.5km)を、反時計回りに田代家・二俣城・秋野不矩美術館を割愛し、天浜線の二俣本町駅や鉄橋等の鉄道の見所と、昼食を追加したコースである。
天竜区観光協会公式HP

2021年9月17日 ブログから転載・文章修正・校正。

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