昨夜は、銚子駅からの大通りを利根川の方に10分程歩いた場所にある、地元系ビジネスホテルの「かもめホテル」に投宿した。シングル素泊まり5,000円位の気軽な感じなので、早朝出発の鉄道旅行に、相性が良いと感じる。
銚子かもめホテル公式HP
早めに就寝し、とても静かな夜であったので、良く眠れた。朝の5時半に起床して、息が白くなる肌寒い早朝の中、駅に向かう。天気は良い予報であるが、今日も気温が低いらしい。
(駅前大通りを駅に向かって歩く。)
駅前のコンビニエンスストアで、朝食や飲料の手配をし、銚子電鉄のホームに向かう。成田線の上り普通列車と並んで、朝二番列車の銚子発6時27分発のデハ1001が待っていて、ホーム南側のJRの側線を見ると、特急しおさいE255系9両編成が夜間滞泊していたらしい。
「おはようございます」と運転士氏に挨拶をして、今日の弧廻手形(大人620円)を購入する。暖房で十分に暖かな車内は極楽至極である。発車をそのまま待とう。
(朝二番列車の銚子発6時27分発のデハ1001とJRの列車達。)
二日目の今日は、海鹿島駅(あしかじま-)、君ヶ浜駅、犬吠駅(いぬぼう-)と終点・外川駅(とかわ-)の四駅訪問と下車観光で、銚子電鉄メインどころの目白押しになる。先ず、この銚子駅から、6駅目の海鹿島駅に行こう。
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銚子627======640海鹿島
下り外川行き(デハ1001・単行)
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乗客は自分を入れて3名。銚子駅を定刻に発車し、朝焼けの中の単線をコトコトと走る。早い時間帯なので、平日の通勤通学ラッシュ前の車内は、落ち着いている。本銚子駅(もとちょうし-)からは、中年女性がひとり乗車し、笠上黒生駅(かさがみくろはえ-)にて、スタフ交換と白の2000形電車(※1)と列車交換をする。海鹿島駅は、昨日、最後に立ち寄った西海鹿島駅の次の駅になる。
(早朝の車内の様子。)
西海鹿島駅を出発すると、キャベツ畑と住宅が混在している中の緩やかな登り勾配を、時速30km位で、草の線路をゆっくり食む様に真っ直ぐに走る。住宅の庭先と木々の間を走る様になると、海鹿島駅に到着し、ここで下車をする。
列車は直ぐに発車。「カタッ、カタッ、カタッ」とジョイントを規則正しく踏み鳴らしながら、踏切を通過した列車は右カーブを曲がり、遠ざかって行った。ホームに咲く菜の花が歓迎してくれるが、朝の7時前なので、とても静かになっている。
(ホームには、菜の花が沢山咲いている。)
(海鹿島駅と駅名標、関東最東端駅の石碑。)
この海鹿島駅は、静かな住宅地の中にあり、駅前商店は殆ど無い。海鹿島町は、海に寄った砂防林周辺が中心地となっており、駅はやや西の外れにある。この駅も、隣駅と同じ由来の駅名になっていて、関東最東端の駅として知られている。最近になって、立派な黒い石碑も建てられたらしい。起点の銚子駅から3.6km地点、6駅目、所要時間14分、銚子市小畑新町、標高25mにある。銚子遊覧鉄道時代から設置されている古い駅で、通勤通学時間限定の有人駅であったが、今は、終日無人駅となっている。
一面一線の単式ホームの外川方踏切横に、中規模の駅舎がある。外壁は新建材のパネル張りになっているが、補修がされている木造駅舎である。銚子電鉄の他の木造駅舎とは異なり、無機質な感じと軒下の長さが非対称であるのは、国鉄風の感じもするので、戦後に建て直されたのかもしれない。
(道路側からの駅舎外観。)
この駅舎は、駅事務室と待合室が分離しており、中央通路に改札がある長屋門風になっている。仲ノ町駅と同じ金属製ポールの改札があったが、腐食の為に撤去され、外に面した開放形の出札口がふたつあるのも、この駅の特徴になっている。銚子方の待合室も、出入り口に扉が無い開放的な造りで、コの字の大型木造ベンチが、窓下にぐるりと据え付けられている。
(開放形の出札口跡と改札口。)
(銚子方の待合室。)
駅から徒歩15分程で、景色の良い海鹿島周辺の海水浴場に行く事が出来、観光ホテルや民宿が建ち並ぶ、古い保養地になっている。明治から大正まで、文人や歌人が訪問滞在し、磯めぐりと文学碑の町でもある。明治の大文豪である銚子出身の国木田独歩(くにきだどっぽ)の石碑があり、画家・詩人の竹久夢二(たけひさゆめじ)も、この地に立ち寄っている。
(駅前にある観光案内板。クリックすると、拡大。1024×768ピクセル・184kbyte)
また、昭和30年代に入ると、新宿発や我孫子発の国鉄キハ10系気動車の臨時快速列車が、終点の外川駅まで直通運転され、大勢の観光客や海水浴客が訪れた。その後、輸送力を向上した国鉄キハ20系が導入された際、キハ10系よりも車体幅が200mmも広がった為、直通運転が出来なくなってしまった。話によると、観音駅のカーブしたホームに、車体が接触した為である。後に、キハ20系1両ならば、観音駅を通過可能である事が判り、キハ10系と2-3両編成で併結運転がされていたが、運行上の手間がかかると言う国鉄側の都合で、昭和35年(1960年)に直通運転は取り止めになっている。
(踏切脇から、ホームと駅舎。)
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海鹿島708===712外川718===721君ヶ浜
下り外川行き(2000形2002+2502・2両編成)
上り銚子行き ※同上・折り返し。
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次の下り外川行きに乗って、終点外川駅まで行き、引き返して、君ヶ浜駅に行こう。まだ陽が低く、撮影の色味修正と露出不足の為、時間調整を少ししたい。
笠上黒生駅にて、列車交換をした白い2000形2両編成がやって来る。海鹿島駅を発車し、踏切先の半径310mの右大カーブをゆっくりと曲がって行くと、平坦であった線路は下り25パーミルの急な下り勾配になり、砂防林西端の松林の中を走る。この区間は、銚電の最急勾配区間になっている。なお、大部分を下総台地(しもふさ-)の上を走る路線なので、アップダウンはあるが、苦しい峠越えは無く、カーブ半径も地方ローカル民鉄としては比較的大きい。また、トンネルがひとつも無い鉄道になっている。
(急勾配区間の松林を抜けると、キャベツ畑の中を走る。)
鬱蒼とした松林の下り急勾配を抜けると、視界が急に開き、左右に畑が広がる。この付近は、沿線で一番見晴らしが良く、撮影スポットとしても有名である。広大な畑の中の小さな第四種踏切をふたつ越え、半径400mの左カーブの手前で勾配は水平になって、線路が真っ直ぐになると、君ヶ浜駅に到着。そのまま、終点まで行き、折り返す。
(君ケ浜駅ホーム全景。)
(ヤマサベンチと駅名標。)
外川駅折り返しの上り列車で、7時21分に到着する。ホーム並びの大きな亜熱帯植物が生い茂り、温暖なこの土地の雰囲気を盛り上げているが、今では、少し寂しげにも感じる。昭和6年(1931年)の追加設置駅で、起点の銚子駅からは4.7km地点、7駅目、所要時間17分、銚子市君ケ浜、海抜16mの終日無人駅である。元々は、観光目的では無く、別荘分譲の為の玄関駅として、開業した駅である。最近は、駅猫の「きみちゃん」が住んでいるので、人気がある(※2)。
一面一線の単式ホーム端はタイル貼りされ、残念ながら、駅舎は解体されている。昔、正三角形の急傾斜屋根の曲家風木造駅舎が、ホーム下にあったらしい。ホーム上には、背の低い小さな開放式待合所もあったが、後年は、プレハブ風の小さな待合所になっている。現在、平成2年(1990年)2月に、地元工務店時代の観光鉄道化事業で、南ヨーロッパ風のアーチが建てられたが、老朽化の為に天井部分が撤去されて、柱の部分のみが残っている。
(アーチの柱のみが残る君ケ浜駅外観。)
なお、ホームから階段を降りた駅の東側は、民家はあまりなく、畑と砂防林が広がっている。5分程歩くと、松林の向こうから、大きな波音が聞こえて来て、「関東舞子」と呼ばれる風光明媚な大白砂浜が、1kmに渡って弓状に広がっている。
元々、この土地は霧が多い場所から、「霧ヶ浜」と言われ、訛って、「君ヶ浜」になったとの事。現在、海浜公園の君ケ浜しおさい公園が整備され、「日本の渚・百選」に選ばれている。しかし、外海で波が高く、潮の流れが複雑な為、通年遊泳禁止になっている。泳げないのは残念であるが、キャンプ、バーバキューやサイクリング等が楽しめる。
(犬吠埼灯台下から、銚子港方の君ヶ浜を望む。※昼頃撮影。)
なお、銚子の夏は海霧が良く発生し、関東では一番、全国的にも三番目に発生日数が多い。年間平均40日弱発生し、6-7月は月10日以上も発生する。海水温度が空気温度より低い為で、銚子沖でぶつかる親潮と黒潮の影響や、利根川の冷たい雪解け水がぶつかるのが理由らしい。
とても景色が良いので、清々しい気分になり、時間を忘れそうである。これが、銚電を一度訪問すると、何度も訪問したくなる理由かもしれない。
(つづく)
(※1)銚子電気鉄道オリジナルのツートンカラーに、変更された。
(※2)残念ながら、平成28年(2016年)8月に死去したとのこと。
2017年7月15日 FC2ブログから保存・文章修正(濁点抑制)・校正
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