冬の秩父路紀行(3)長瀞へ

12時24分発の上り普通羽生行き7500系3両編成に乗車する。上り列車は、ずっと長い下り勾配を走るので、急カーブでは十分な減速を行い、軽快に下って行く。

三峰口からの乗客は、自分を入れて2、3人であるが、やはり、御花畑からドッと乗客が乗り、次の秩父でドッと降りてしまう。御花畑で接続している西武秩父線は、昭和44年(1969年)10月の遅い開業であり、当初計画では秩父鉄道主要駅の秩父まで開業する予定であった。秩父地方の交通主導権を取られることを危惧し、西武横瀬駅近くの三菱セメント(現・三菱マテリアル)の石灰石輸送も行ったために営業上のライバルとなり、秩父鉄道が乗り入れを反対したといわれる。しかし、特急で1時間半、各駅停車2時間ほどで、東京都心の池袋まで行けるようになり、完全にその主導権は取られてしまった。

なお、西武線秩父線が開通する以前は、熊谷から国鉄、寄居から東武も乗り入れ、長瀞などに直通運転がされていた。今は、西武のみが乗り入れている。

秩父市玄関駅の秩父から、20分で長瀞駅1番線に到着し、数人が下車する。丁度、下り普通影森行き5000系3両編成と列車交換をして、お互いに発車。島式ホーム外側の3番線には、デキ100形102が牽引する下り貨物列車が待機していた。この電気機関車は、昭和29年(1954年)製、全長12m・50トン級の日立製で、同時期に登場した国鉄EF15に似ている民営鉄道向けの中型機である。また、抵抗器(※)の放熱方法が自然通風式なので、ブロア(強制冷却ファン)がなく、とても静かな電気機関車である。


(長瀞駅3番線で出発を待つ、デキ100形102牽引の石灰石貨物列車。下りなので、積荷は空である。)

秩父鉄道の石灰石貨物列車は、1日9本程度運行されており、影森近くの秩父太平洋セメント三輪鉱業所や大野原手前の本社工場(※)から石灰石を積み込み、途中主要駅である武川から貨物引き込み線が延びる同社熊谷工場まで、輸送している。以前は、製品のセメントも輸送していたが、現在は、原料の石灰石のみを輸送している。1両35トン積みホッパー車(※)の20両編成とし、編成重量は3両編成の電車の約10倍の1,000トンもあるので、電車よりもゆっくり走る。また、このホッパー車も、秩父鉄道のオリジナルである。


(短汽笛を一声後、長瀞駅をのっそりと発車する。)

列車が来ない間は、改札口を閉鎖する駅なので、先に改札口の女性駅員氏に撮影の許可を貰っておこう。この長瀞駅は、明治44年(1911年)9月に波久礼(はぐれ)からの延伸時に開業した、社員配置の直営駅である。開業当時からの立派な木造駅舎を擁し、「関東の駅百選」に選定されている文化財級のものである。当時は、宝登山(ほどさん)の駅名であったが、大正時代後期に現駅名に改称された。


(ホーム側からの駅舎。明治期の建築らしい、小粋なデザインが各所に見られる。)

(熊谷方の駅舎側1番線ホーム。向かいの島式ホームも、木造旅客上屋が残っている。)

(小タイルで美しく装飾された1番線ホームの水場。蒸気機関車時代は煙煤で顔が汚れたため、乗客のホーム洗面所と思われる。)

(待合室からの改札口周辺。待合室は20畳程あり、木造ロングベンチが窓際にある。※帰りに撮影。)

改札口を通り、駅前に出てみよう。大きな駅前広場兼駐車場があり、今日は週末の土曜日なので、観光客がとても多い。駅舎の並びには、構内売店のちちてつ長瀞売店と駅蕎麦屋もあり、どちらも秩父鉄道の直営店らしい。なお、蕎麦屋で試食したことがあるが、味は普通である。


(長瀞駅出入口。左側の窓口は、多客時に使われた臨時出札口跡である。)

長瀞周辺は、東京からの日帰りができる観光名所として、鉄道開通後の早い時期から観光開発が行われた。有名な岩畳をメインに、大正元年(1912年)と大正11年(1922年)に秩父鉄道直営の旅館もオープンし、この頃から名物の長瀞舟下り(現在の長瀞ライン下り)が始まった。また、反対側の西には、秩父を一望できる宝登山(ほとさん/標高497m)や宝登山神社もあり、日帰りハイカーに人気である。

折角なので、長瀞観光をしてみよう。駅の東側にある岩畳に行ってみる。駅からも近く、三峰口方の踏切を渡り、仲見世が続いている先にある。幾つかの土産店は廃業しているが、他の地方観光地と比べれば活気はある。しかし、純粋な土産店よりも、軽食処や蕎麦屋の方が多い。


(岩畳への仲見世。)

仲見世を抜けて、コンクリートの大階段を降りると、岩畳のある荒川河原に到着。秩父鉄道が経営する長瀞ライン下りの船着き場もある。この岩畳は幅80m(東西)・長さ500m(南北)あり、パイ状の積層岩石の大きなテーブルになっている。太古の昔、海底の土砂や火山灰が高温高圧下で変性した結晶片岩(けっしょうへんがん)で、地下20〜30kmから地殻変動により上昇し、地表に現れたとのこと。その後、荒川に浸食され、現在の岩畳になった。


(岩畳と荒川。対岸には、秩父赤壁と呼ばれる断崖が続く。)

長瀞駅に戻り、今度は西側の宝登山(ほどさん)神社に行ってみよう。駅から850m離れており、長い上り坂を10分位歩く。坂の上の方からは、朝の下り列車で見かけた中高年のハイカーが沢山下ってくる。どうやら、宝登山頂に大梅園があり、この時期はロウバイ(蝋梅)が見頃らしい。それで、行きの列車は特に混んでいた様で、山頂までロープウェイで登れる。

上り坂の突き当りまで行くと、神社があり、砂利敷き駐車場の奥に鳥居がある。社殿は山際の一段高い場所に鎮座しており、途絶えることなく、参拝者がやって来ている。


(宝登山神社前の鳥居から。)

由縁は、今から1,900年前、ヤマトタケルノミコト(日本武尊)が東北平定の際、この宝登山頂に神武天皇、山の神と火の神を祀ったのが始まりになっている。また、登山者が山火事に遭遇し、進退きわまった時に巨犬が現れて、火を消し止めて助けた伝説がある。そのことから、古くは「火止山(ほどさん/同じ読み)」と書き記したが、後になって、現在の「宝登山」に改称されたとのこと。

この巨犬伝説から、火災・盗難・災害除けの神社として信仰を集めており、「宝に登る」を担ぎ、商店や企業の商売繁盛などの信仰も厚いらしい。社殿はさほど大きくはないが、極彩色の立派な彫刻が周囲に彫られていて、とても豪華である。また、社殿裏の木立には、稲荷社や菅原神社などの末社も個別に祀られていて、ミニ散策ができる。


(宝登山神社拝殿。見事な極彩色彫刻が目を引く。)

そろそろ駅に引き返そう。長い下り坂の途中に、国指定重要文化財の旧・新井家住宅があるので、少し立ち寄ってみる。江戸時代中期建築の名主宅で、築約270年の秩父地方の板葺き養蚕住宅とのこと。解体修理と移築保存されており、状態は大変良い。

土間(台所兼作業場)と板張りの部屋、奥に畳の座敷があり、二階は寝室と倉庫になってる。この地方の冬期はとても寒いため、屋内の土間の一角に馬屋あるのが特徴で、土間側の板張りの部屋は養蚕部屋にもなり、シーズンは蚕に占領されたという。


(旧・新井家住宅。町の郷土資料館敷地内にあり、見学は有料。)

(質素な作りの住宅内。)

時刻は、16時を過ぎたところである。陽がまだ高いので、秩父まで戻り、夕食を取って帰ろう。もちろん、秩父名物を食べたい。

秩父に到着し、出札口の中年駅員氏に、どこか美味しい食堂がないかと尋ねてみると、この駅ビル二階の食堂がお勧めらしいが、名物のわらじ丼を食べるなら、よした方が良いと言う。何故かと理由を聞くと、「他の店よりも、ちょっと肉が薄いよ」とのことで、お互いに爆笑である。駅からひとつ目の交差点を左に曲がると、飲食店が幾つかあるそうなので、そちらへ行ってみよう。

昔からの本通りがあり、昭和風の商店街が続いていて、古い町家も残っている。少し歩くと、セブン-イレブンの近くに、「大むら」という明治30年創業の老舗蕎麦屋があり、お目当てのわらじ丼ののぼりもあるので、ここにする。店に入ると、重厚で落ち着いた農家風の造りである。中央のテーブル席に座る。手元のメニューを見ると、セットもあるが量が多いので、単品を注文する。このわらじ丼は、形や大きさは店によって若干違うが、大判のカツを二枚乗せたご当地カツ丼である。大正時代の頃から、郷土食として食べられており、市内の多くの飲食店で提供されている。

卵で煮詰めず、揚げたカツを秘伝のタレに潜らせた和風カツ丼で、下仁田カツ丼に似ている。味は下仁田よりも甘辛く、より和風な感じである。どうやら、秩父味噌が隠し味で使われているらしい。ベトつかないので、食べやすく、後味も割りとさっぱりしていて、結構美味しい。なお、正統な食べ方があり、上のカツを丼の蓋の裏に置き、下のカツから食べるそうで、蓋裏に置いたカツの食し方は、酒の肴やそのまま食べるなど、自由とのこと。


(秩父名物わらじ丼。お新香付き税込み800円。)

ついでに、秩父の小昼飯(こじゅうはん)である、みそポテトも追加注文する。忙しい農作業や林業の合間にさっと食べる郷土料理で、今でも軽食としてよく食べられている。町中の観光客向けの軽食処でも、よく見かける。じゃがいもを軽く揚げ、程よく甘辛い秩父味噌ダレをかけた、じゃがいも版の大学芋風である。外はカリッと軽く、中はしっとりホクホクで、なかなかいける。酒の肴にも、良さそうである。また、この秩父味噌がなかなか美味しく、嵌まる味になっている。


(みそポテト。税込み400円。)

この秩父の昼食時には、うどん(煮込み風のおっきりこみ、釜揚げ風のずりあげ)や手打ち蕎麦、つみっこ(すいとん/小麦を水で溶かして、野菜を煮込んだもの)などが、昔から好まれている。間食としては、炭酸饅頭(噛む程に味が出ることから)、蕎麦饅頭、味噌おでん、芋田楽(小芋の串焼き)、えびし(ゆべしが訛ったもの)、たらし焼き(お好み焼き風小判焼き)などがご当地となっている。町中を散策しながら、食べるのも面白い。

満腹となったところで、家に帰るとしよう。今旅は、三峰口までの乗り鉄と長瀞観光、秩父名物の食道楽がメインであった。より詳しい沿線探訪の秩父鉄道編も取材したいと思う。

(おわり/秩父鉄道編ダイジェスト版)

【取材日】平成29年(2017年)1月28日
【カメラ】RICOH GRII


(※秩父太平洋セメント本社工場)
本社工場の近くに石灰山がないが、群馬県との県境に近い群馬県神流(かんな)町の叶山鉱山から、延長22.6kmのベルトコンベアーで輸送され、ここで貨車に積み込まれている。
(※抵抗器)
モーターに流れる直流電流をコントロールし、出力を制御する電気動力車両の主幹機器。熱が大量に発生するため、冷却が必要である。
(※ホッパー車)
小麦や砕石、石灰石などのバラ積み貨物を運ぶ専用貨車。車体下部に搬出口があり、重力を利用し落下させて、積荷を降ろす。国鉄形式は「ホ(石炭はセ)」、秩父鉄道では「ヲ」。鉱石の旧仮名遣い「コヲセキ」からといわれている。

【参考資料】
現地観光歴史案内板

2017年7月11日 ブログから保存
2017年7月13日 文章修正・校正(全話分の濁点抑制と自動校正)
2020年9月1日 画像再処理(カラー化・4K化)
2024年8月31日 文章修正・校正・一部加筆

【リニューアル履歴】
2024年8月31日 冬の秩父路紀行全話

© 2017 hmd all rights reserved.
文章や画像の転載・複製・引用・リンク・二次利用(リライトを含む)や商業利用等は固くお断り致します。