別所線紀行(7)別所温泉散策 前編

上田駅から別所温泉駅まで、折り返してきた。時計を見ると、13時前である。午後は、鉄道から離れて、この別所温泉郷の散策をしてみよう。夫神岳(おがみだけ/標高1,250m)の東麓、山谷最上部にあり、600m四方の大変狭い場所に温泉街が発達している。標高は570m程で、外湯の大湯周辺の大湯地区と寺院が集まる院内地区に大きく分かれている。

日本最古の温泉といわれるこの温泉郷は、古くは、七久里の湯ともいわれ、枕草子にも登場する。後に、塩田北条氏が別院として使っていた事から、別所の名前が付いた。今は、古めかしい雰囲気はなく、明るく近代的な温泉郷になっており、肌が滑らかになる美人の湯として、女性観光客に人気がある。町内には、三ヶ所の外場、二ヶ所の無料足湯と市営大型温泉複合施設もあり、古刹も多い。

駅併設の観光案内所で、観光パンフレットを貰う。それに載っている散策コースを、時計回りに回ってみよう。別所温泉駅の北側には、貨車や付随車(客車)の入れ替えに使った微勾配の側線跡があり、丸窓電車として親しまれたモハ5250形(元・デナ200形)が保存展示されている【電車マーカー】。保存状態は非常に良く、再塗装も丁寧にされており、イベント時に車内が公開されているという。

この紺色とクリーム色のツートン車両塗装は、関東の横須賀線に採用された特徴的なもので、鉄道ファンの間では、通称「スカ色」と呼ばれるものである。昔の上田電鉄(上田交通)の電車は、単色の塗装であったが、国鉄富山港線(現・富山ライトレール富山港線)から譲渡された、元・伊那電気鉄道の買収国電モハ5261(モハ5260形)がスカ色で好評であった為、上田丸子電鉄時代の昭和29年(1954年)に正式採用された。


(「スカ色」のモハ5250形5252号。お洒落な丸窓から、鉄道友の会エバーグリーン賞も受賞した。)

モハ5250形5252号は、昭和2年(1927年)に川西線(現・別所線)専用電車として、日本車輌製造名古屋工場で製造されている。翌年の昭和3年(1928年)5月から昭和61年(1986年)9月まで長年運行されたが、架線電圧が直流750Vから1,500Vに昇圧した際に廃車になった。同形式は、モハ5251、5252、5253の計3両があり、この側線跡には、5252が保存されている。他の2両は地元高校と地元精密機械会社に引き取られ、大切に保存展示されているとの事。鉄道関連団体でない点も、地元からの親しみの厚さを感じる。

【上田交通モハ5250形(元・デナ200形)の主な諸元】
昭和2年(1927年)製造、日本車輌製造名古屋工場製、全長14.7m、自重32.7t、
定員100人(うち座席40人)、吊り掛け駆動、直流750V直巻モーター75kW×4基、
複式抵抗制御方式、SME(非常弁)付き直通空気ブレーキ。


(乗降扉とトレードマークの丸窓。)

なお、丸窓電車とは、この戸袋の丸窓が由縁である。当時、丸窓が流行したが、後年は採用されなくなっている。また、「自動ドアー」の表示があるが、ドアを開けるのは手動で、閉まる時のみ自動である。

駅舎から大階段を上がった駅前は、道がふたつに分かれている。ガイドマップの通りに左に進もう。温泉街は駅よりも上方にあり、長い坂を登って行く。雲が少し出てきたが、時々、日が差す感じで、天気は持ちそうである。


(緑の多い、静かな温泉街の長い坂を登って行く。)

格式のありそうな大湯宿の横を過ぎ、長い坂を登り切ると、外場の大湯【赤色マーカー】がある。入浴税150円(大人・小児同額。※取材時)のみで、入れるとの事。また、大湯の直下には、最近出来た無料の足湯・大湯薬師の湯【波形マーカー】がある。

この大湯は、木曽義仲(源義仲/朝日将軍とも)が、丸子城に籠もって上洛の機会を伺っていた頃に湯屋が建てられ、配下の女武将・妾であった葵の前と時々訪れていた事から、「葵の湯」と呼ばれた。後に、塩田北条氏の祖・北条義政も湯屋を立て、「北条湯」と名付けたが、湧出量が多い為、「大湯」に改めたとの事(観光客利用可、6時から22時まで、第一・第三火曜日定休、入浴税150円、駐車場無し。※取材時)。

また、湯船の他に、独自源泉の大湯源泉を使った小さな上がり湯がある。かつては、上田藩主の持ち湯で、藩主や住民達が愛用してきた医薬湯である。この大湯の脇に、上田藩主の保養所「御茶屋御殿」が、明治維新まであったという。


(外湯大湯。玄関横に飲泉塔もある。)

大湯前を右に曲がると、水平な道になり、温泉街の中を北西に向かう。学生時代の浩宮皇太子殿下(現在の天皇陛下)が宿泊した有名旅館「南條旅館」、居酒屋や小さな商店等も並び、長閑な温泉街になっている。

この通りを左に曲がると、鬱蒼と木々が茂った場所がある。その中に進むと、別所温泉を見下ろす北向観音【祈りマーカー】の境内に入る。山際の平らに均された狭い境内に、幾つかの小堂も、建ち並んでいる。

北向観音は近くにある常楽寺の観音堂で、平安時代初期から霊場になっている。厄除け観音として古くから親しまれ、二年参りや節分には大いに賑わう。戦乱により焼失した事もあるが、源頼朝や塩田北条氏の北条国時によって再建。観音堂が北向きであるのが由来で、全国的にも大変珍しく、信濃一の古刹である善光寺と対をなすと考えられており、両方に参詣する事が良いとされる。


(北向観音。西暦825年、比叡山延暦寺座主の慈覚大師・円仁によって開基されたとされる。)

千手千眼観世音菩薩を御本尊とする。北を向いているのは、北斗七星(妙見/みょうけん)を、より所にする言い伝えもある。本堂近くには、小堂でありながら、細密な木工彫刻が施された愛染堂がある。縁結びや家庭円満の愛染明神を安置し、藍染めに通じる読みから、織物業の守護神にもなっているとの事。


(本堂近景。扁額も北向山である。天台宗別格本山の高い格式の寺である。)

(愛染堂。明治15年[1882年]、地元上田の色川徳兵衛が寄進建立したという。)

境内の西側には、樹齢1,200年と伝えられる桂の大木「愛染桂(カツラ)」があり、縁結びの霊木である。愛染堂と合わせて、直木賞作家の故・川口松太郎氏の代表作品「愛染かつら」の由来であり、長野県の天然記念物になっている。


(愛染桂。高さ約22m、目通り周囲約5.5mもあり、樹勢も良い。)

愛染桂の向かいの見上げる様な崖上にも、医王尊瑠璃殿(温泉薬師)が聳えている。優れた温泉の効能を薬師如来に託し、建立したものである。奈良時代の高僧・行基(ぎょうき)によって創建、北向観音を建立した慈覚大師円仁の再建とされ、以前は、外湯大師湯(だいしゆ)の西隣りにあったという。しかし、江戸時代中期の寛保2年(1741年)、湯川の氾濫で薬師堂が流された為、文化6年(1809年)に移転再建したとの事。


(医王尊瑠璃殿。瑠璃は、薬師如来を瑠璃光如来とも呼ぶ由来から。)

観音前には、大きな石段と狭い路地に小さな仲見世【青色マーカー】がある。湯川の深い川谷を横断し、下っては登る参道が面白い。向こう側に行ってみよう。


(北向観音仲見世通り。境内側石段上から。)

(北向観音仲見世通り。振り返って、北向観音を望む。)

小さな川を渡り、向こう側の石段を上がると、立派な門柱が立っている。山門代わりなのであろう。車の往来も多く、湯川沿いの狭い場所に温泉旅館が建ち並んでおり、ここが温泉街中心地になっている様だ。


(北向観音門柱。直ぐ下り急階段があり、湯川が流れている。)

(別所温泉中心地湯川沿いの旅館群。)

道路横下に湯川が流れ、北向観音表門柱から坂道を少し登ると、ふたつの外湯がある。


(湯川。今は、コンクリート護岸に囲まれた小川になっている。)

外湯「大師湯(だいしゆ)」【白色マーカー】は、平安時代の天長2年(825年)、慈覚大師円仁が北向観音建立の為に別所温泉を訪れた際、好んで入浴したのが由来である。また、参詣した駕籠かき(駕籠を担ぐ人足)が夜通し入れ替わり利用したので「籠の湯」とも、矢傷を負った雉子(きじし/山鳥)が傷を癒やしたので「雉子湯」とも呼ばれていた。

この外湯には怪綺談がある。安楽寺に安置されている開祖と二代目の禅師の木像が、夜な夜な入浴に来るとされ、恐れをなした村人達が、木像の目玉を抜き取ったという伝説もあるという(観光客利用可、6時から22時まで、第一・第三火曜日定休、入浴税150円、駐車場無し※取材時)。


(外湯「大師湯」。湯川に面した温泉街中心地の中にある。)

(湯川沿い下流の参道横に、大師湯の飲泉塔があり、自由に試飲できる。)

更に急坂を登って行くと、岩風呂で有名な外湯「石湯」【黒色マーカー】がある。天然の岩間をそのまま浴槽にしているのが特徴で、昔、野飼いの牛が傷ついた脚を癒やしたので、「牛湯」と呼ばれていた。戦国時代、真田幸村、真田一族やその忍び達が、傷を癒やした隠し湯でもある。また、真田幸村と幸村を影で支えた女忍者・お江(おこう)と出会った場所とされている(観光客利用可、6時から22時まで、第二・第四火曜日定休、入浴税150円、駐車場無し※取材時)。


(外湯「石湯」。飲泉塔の刻字は、池波正太郎の揮毫という。小説「真田太平記」由縁である。)

この石湯は、別所温泉の最も高い場所の外湯になっている。なお、有名な温泉地であっても、観光客お断りの外湯も多いが、別所温泉の外湯は観光客に全て開放されており、昔ながらの番台もある。湯宿の内湯を目当てに泊まるのも良いが、外湯めぐりも、通な温泉好きには堪らないだろう。但し、地元住民のコミュニティー施設でもあるので、マナーを守って楽しみたい。

なお、正真正銘の源泉掛け流しは、約44度の三号源泉を使っている大師湯のみで、湯温が低い時は、より高温の四号源泉に切り替える事もある。大湯や石湯は、約50度の四号源泉を使用し、湯温を下げる為に加水をしているとの事。

(つづく)


【参考資料】
現地観光歴史案内板
別所温泉案内図パンフレット(別所温泉観光協会発行/現地観光案内所で入手)

2017年7月14日 ブログから保存
2017年7月14日 文章修正・校正(濁点抑制と自動校正)
2025年1月18日 文章修正・加筆・校正

© 2017 hmd all rights reserved.
文章や画像の転載・複製・引用・リンク・二次利用(リライトを含む)や商業利用等は固くお断り致します。