別所線紀行(8)別所温泉散策 後編

外湯の石湯前から急坂を降り、安楽寺【万字マーカー】に行ってみよう。湯川のある川谷から、北西の山中にある。杉が聳え立つ参道の奥に寺があり、とても厳かな雰囲気である。


(安楽寺参道。)

安楽寺は曹洞宗の禅寺で、この塩田平一の大寺である。平安時代初期の天長年間(824-834年)の開山と伝えられており、鎌倉にある建長寺(※)と安楽寺は、対をなすと考えられていたそうで、鎌倉時代中期には、相当の規模であったらしい。塩田北条氏の庇護により栄え、鎌倉幕府倒幕と塩田北条氏滅亡(1333年)後は寺運が傾き、詳しい記録も無くなってしまったが、信州最古の禅寺として、多数の文化財を有している。また、寺裏手の墓地内にある八角三重塔は、国宝となっており、約700年前のものである(8時から17時まで、11月から2月末までは16時まで、八角三重塔拝観料300円、本堂拝観は無料)。


(安楽寺境内参道。緑がとても多い境内である。)

(本堂。国内にある最古の臨済宗寺院のひとつであり、戦国時代末に曹洞宗に改宗した。)

本堂前の庭園には、特徴的な三角形の大木があり、とても目を引く。高野山に多く植生している高野槙(こうやまき)の霊木で、高さは25mもある。常緑の針葉樹で、杉の仲間であり、庭園木、船材や橋材として、良く使われている。


(高野槇。)

国宝を観に行こう。本堂横の小屋で、拝観料300円を支払い、パンフレットを貰う。寺裏の狭い石畳みの参道を登り、折り返しの石段を上がると、山際の墓所の中に、八角三重塔が見えてくる。


(寺裏の参道。)

この八角三重塔は、鎌倉時代末期の正応3年(1290年)の竣工である。多重塔の屋根は、四角形が一般的であるが、八角形のものは全国唯一である。それも、和風様式ではなく、中国宋時代の禅宗建築様式(唐風)となっており、一見、四重塔にも見えるが、三重塔である。また、最下段(初重)に庇(裳階/もこし)があるのも、大変珍しく、屋根裏の詰組も美しい。因みに、山の上から、仏塔を眺め下ろしてはならないそうで、仰いで参拝するものとの事。


(国宝八角三重塔。※強い逆光の為、補正済み。ご容赦願いたい。)

帰りに本堂を参拝後、隣に常楽寺【名勝マーカー】と言う大寺もあるので、行ってみよう。山際に沿った近道があり、展望台【カメラマーカー】もある。別所温泉郷を見下ろし、塩田平と浅間連峰も見える、隠れたビュースポットになっている。一番奥に見える町並みは、上田市街で、直線で10km位ある。


(展望台からの別所温泉郷。)

常楽寺に到着。安楽寺よりは、周囲が開けた明るい山際の場所にある。天台宗別格本山の寺院であり、北向観音堂の本坊として、この寺も規模が大きい。北向観音堂が平安時代初期に創基された際、別所三楽寺「長楽寺・安楽寺・常安寺」のひとつとして建立されたのが始まりで、天台教学の道場として栄えた。また、総本山の比叡山延暦寺座主(ざす/天台宗住職の最高位)を送り出した、名寺でもある。

なお、北向観音と、かなり距離が離れているのが不思議である。実は、長楽寺が元々の本坊であり、北向観音の参道石段下にあった。しかし、江戸時代中期に焼失してしまい、再建はままならなかった。その為、この常楽寺に本坊が移されたとの事。

この常楽寺も、慈覚大師による開山といわれ、現在の本堂は江戸時代中期の享保年間(1716-36年)のものである。本堂は、力強い向拝(こうはい/中央の突き出した屋根)のある、見事な茅葺屋根になっている。また、寺宝も大変多く、境内に常設の美術館もあり、徳川家康直筆の日課念仏も所蔵している。


(本堂。御本尊は、宝冠を被った珍しい阿弥陀如来像である。)

常楽寺裏手の山中には、国重要文化財の石造多宝塔がある。苔生した、しっとりとした参道を滑らない様に登って行くと、杉の梢から差し込む光の下に、大小の石塔が並んでいる。塔の前の土手にも、高さ20cmの小さな石塔が密集してあり、とても霊気を感じる場所である。

平安時代初期の天長2年(825年)、山が鳴り響き、地が裂けて、人畜に被害を与えたので、比叡山延暦寺からやって来た慈覚大師が、大護摩を執り行った。すると、紫雲が立ち込め、金色の光と共に観世音菩薩像が、ここに現れたと言う。この霊像を大師が彫り、遷座供養したのが、先程の北向観音である。

多宝塔とは、天台宗法華経に記された仏塔で、釈迦が法華経を説法していた所、大地から金銀豪華に彩られた多宝如来の巨大な塔が出現し、多宝如来が釈迦を褒め讃えて、並んで座った事が由来である。周囲は鉄柵で囲まれており、中央の大きな石塔がその多宝塔で、安山岩製・高さ2.85mもある。最初は木塔であったが、焼失した為、鎌倉時代の弘長2年(1262年)にこの石塔が建てられた。現存する鎌倉時代の石造多宝塔は、大変貴重であるとの事。この塔内には、経文を奉納している。


(石造多宝塔。右隣りの石塔も、上田市の指定文化財になっている。)

常楽寺前に戻る。時刻は14時であるが、昼食を摂りそびれてしまった。寺入口横に、「お茶の間」【食事マーカー】と言う、お休み処を見つけたので、立ち寄る事にしよう。庭には、美しい花々が沢山咲いていて、とても綺麗である。
食べログ・お茶の間(別所温泉・常楽寺前)


(お休み処・お茶の間。)

大きな旧家の一部を改築して、家族で経営している様である。カラカラと引き戸を開けて、中に入ると、10畳程の素朴な民家風店内に、テーブル席が設けられている。メニューを見ると、おやきセットがあるので、これが良さそうである。信州に来ると、いつも、昼食は蕎麦かおやきばかりであるが。「直ぐに出来ますよ」と案内され、10分もしないうちに出てきた。


(おやきセット。税込650円。他に、甘酒・あんみつ等の甘味やコーヒー等もある。)

小豆、野沢菜、切り干し大根の具の三つのおやきに、コールスローサラダ、小梅、切り干し大根と漬物付きで、勿論、全て自家製との事。しっとりとしながら、パフパフな皮のおやきは絶妙で、少し塩味のある素朴な美味しさが味わえ、腹に入るととても膨れる。漬物もシャリシャリと美味しい。

おやきは、北信州エリアの郷土食である。山菜や野菜を信州味噌や醤油で味付けし、小麦粉で練った皮で扁平状に包み、蒸した後に鉄板で焼き目を付ける。囲炉裏のあった昔は、熱い灰の中に転がして焼いた事から、「灰ころばし」、「へいころがし」とも言った。昔、信州の寒冷で山がちな風土では、稲作は不適である為に蕎麦料理と並んで、寒冷でも育つ小麦を使ったおやきが、各家庭でも作られる料理であった。なお、余所者にとっては、野沢菜、きのこや切り干し大根が信州的な具材に感じるが、茄子が最も代表的との事で、おやつや昼食に今でも食べられている。また、この塩田平は、国内有数の松茸・薬用人参の産地でもあるらしい。9月下旬には、山際に松茸小屋が建ち並び、秋の味覚が楽しめる。

食後のコーヒーも頼み、休憩後にお礼を行って、駅に戻るとしよう。一直線の坂道を下って行くと、交差点角にこんもりとした小山がある四差路に出る。平維茂将軍塚(たいらのこれもち-)【緑色マーカー】である。平将門の乱(935年※)で活躍した平貞盛の養子で、後に将軍、信濃守になった人物である。

伝説では、戸隠で郎党を組み、富豪を襲っていた妖術使いの鬼女・紅葉を成敗する為に、京都から塩田(現・上田市)に維茂が派遣された。北向観音の加護もあり、討ち取る事が出来たが、維茂も負傷してしまった。この別所温泉で湯治をしたが、その甲斐もなく、亡くなってしまったと言われている。なお、この鬼女退治の様子は、能「紅葉狩」で、よく知られており、戸隠にも同様な話が伝承されている。


(平維茂将軍塚。頂上には、七輪塔が安置されている。)

この交差点の近くには、七苦難地蔵尊堂【茶色マーカー】もある。枕草子に記された「七久里の湯」は、七つの苦難から解き放たれる(七苦離)とも言われ、常楽寺の地蔵尊をここに遷座したとの事。また、この前の道を登って行くと、大師湯がある温泉街の中心地に行く。


(七苦難地蔵尊堂。新しいお堂である。)

大分歩いて、脛が固くなってきた。折角なので、無料の足湯に入って帰ろう。足湯は二箇所あり、新しく、綺麗な大湯下の足湯【波マーカー】が良さそうである。

足湯に向かう途中、北向観音下には、湯かけ地蔵【灰色マーカー】がある。上田に住む春蔵と言う男が、佐渡に流刑された日蓮上人を慕って佐渡ヶ島に行き、沼地を通りかかると、名前を呼ぶ声がした。「泥にまみれて、永いこと此処にいる。一度信濃の湯につかりたい。身を清められたら、お前の願いを叶えよう」と告げられた。春蔵は沼から一体の地蔵尊を取り出し、持ち帰って、別所の湯に入れた。それから、春蔵は美人を娶り、子宝にも恵まれて、幸せな日々を送ったと言う伝説がある。


(湯かけ地蔵。近くに、もうひとつの無料足湯「ななくり」がある。)

大湯下の足湯に到着すると、誰もおらず、贅沢な貸し切りである。靴を脱いで、のんびりと浸かろう。湯も適温で、中々、気持ちが良い。ここは、温泉水を利用した共同洗い場も兼ねており、別所温泉に13カ所もある(定休日なし、無料、4-11月は6時から21時まで、12-3月の冬期は休業。足湯の利用は、観光客も可能であるが、共同洗い場は不可)。


(足湯「大湯大師の湯」。弱アルカリ性の単純硫黄温泉である。)

(つづく)


(※建長寺)
神奈川県鎌倉市にある臨済宗建長寺派の大本山。鎌倉時代の建長5年(1253年)に、鎌倉幕府第5代執権北条時頼により建立された。
(※平将門の乱)
平将門は相続問題から、叔父の国香を殺害し、関東の国司達も次々に追放。関東八国を掌握し、新皇(しんのう)を名乗った事件。国香の子である平貞盛らが、将門を討ち取った。

【参考資料】
現地観光案内板・解説板
上田電鉄別所線沿線ガイドマップ(上田電鉄発行)
別所温泉案内図パンフレット(別所温泉観光協会発行)
安楽寺観光リーフレット(安楽寺発行)
常楽寺観光リーフレット(常楽寺発行)
別所温泉観光協会公式HP

2017年7月12日 FC2ブログから保存
2017年7月14日 文章修正・校正(濁点抑制と自動校正)

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