わ鐵線紀行(27)大間々観光 その3

岡直三郎商店の醤油工場見学を終え、国道西側にある河岸段丘の方に行ってみよう。なお、現在の国道122号線こと、本町通りにあった常夜灯は、合計三基が里帰りしている。残りの二基は、岡直三郎商店の向かいの足利屋横と、その南の交差点脇にある。

岡直三郎商店向かいの四丁目常夜灯【青色マーカー】は、江戸時代後期の文化9年(1812年)設置され、「四丁目」も右横書きになっている。
マピオン電子地図・四丁目常夜灯


(四丁目常夜灯。)

その南の交差点脇にある五丁目常夜灯【赤色マーカー】は、江戸時代後期の文化10年(1813年)設置のものである。
マピオン電子地図・五丁目常夜灯


(五丁目常夜灯。)

五丁目常夜灯の交差点向かいには、造り酒屋の近藤酒造【酒マーカー】がある。明治8年(1875年)、近藤玉吉氏が越後から大間々に移住し、蔵働人(酒造働人)の出稼ぎ酒造店(※)として、創業している。
近藤酒造公式HP


(近藤酒造。)

代表銘酒は、大間々駅ホーム吊り下げ駅名標の広告になっている「赤城山」である。端麗、辛口、すっきりとした飲み心地の男性風の日本酒は、南部杜氏(なんぶとうじ※)の伝統技法を用いた酒造りを継承し、全国新酒鑑評会において、連続受賞する程の出来栄えになっている。


(裏の工場入口の大看板。)

なお、江戸時代の酒造は、幕府の酒株制度による免許制であり、各藩の城下町で発達した。後には、地方町や農村にも造り酒屋が発達した。明治時代になると、酒株制度は廃止され、新規参入が多くなっていった。

みどり市役所大間々庁舎(元・大間々町役場)前の大通りの「まま通り」を、西に歩いて行くと、町を南北に縦断する河岸段丘【カメラマーカー】がある。ビル五階建て相当の大きな段丘になっており、大間々高校や中学校が段上にある。この崖こそが、地名由来になっている「まま(間々/河岸段丘)」である。
マピオン電子地図・大間々

45度程ある斜面には、階段が整備され、登る事が出来る。ここからは、大間々の街並みを西から見渡せ、ちょっとした展望地になっている。岡直三郎商店の煉瓦煙突もよく見え、向こうの山並みは、高津戸城があった要害山になる。


(間々からの町並み。下は、市役所の駐車場になっている。)

(岡直三郎商店の仕込み蔵とレンガ煙突。光学ズームで撮影。)

間々を降り、岡直三郎商店の裏手【工場マーカー】に行ってみよう。本町通り(国道)側から見えない古い仕込み蔵が見られる。大きな仕込み蔵が、南北に三列、敷地いっぱいに連なっている。古いものは、明治時代の建物になる。


(岡直三郎商店の醤油仕込み蔵。)

一番南側にある仕込み蔵は、屋根部分が厚く、煙出し風の腰窓がある。屋根の傾斜も急になっており、重そうな瓦屋根が美しい。


(腰窓のある仕込み蔵。)

岡直三郎商店には、三本の煉瓦煙突があり、中央の角錐形煙突が一番高い。デザインも一本毎に違い、この大間々町のシンボルになっている。他、奥村酒造の煉瓦煙突や、近藤酒造のコンクリート製煙突もある。


(仕込み蔵と煉瓦煙突。)

市役所の駐車場の一角には、古い石蔵【黄色マーカー】もある。マンホール蓋等が置いてあり、今も、みどり市の倉庫として使われているらしい。


(市役所駐車場の古い石蔵。鉄扉が取り付けられている。)

そのまま、コノドント館の裏手【汽車マーカー】に歩いて行く。コノドント館の駐車場には、何故か、腕木式信号機とトロッコがある。説明板等が無く、由来は不明であるが、国鉄足尾線のものと思われる。
マピオン電子地図・コノドント館駐車場

レール上に小さなトロッコが置かれており、台縁に金枠が取り付けられており、前後方向の木製緩衝器(バンパー)がある。製造年や形式は判らない。また、腕木式信号機、転轍機操作てこや鉄道電話箱も保存されている。


(コノドント館駐車場一角の鉄道保存施設。)

(かなり古いトロッコ。)

このコノドント館駐車場からは、隣の奥村酒造の煉瓦煙突と酒蔵も見える。


(奥村酒造の酒蔵と煉瓦煙突。廃業の為に取り壊された模様。)

岡直三郎商店の北側の壁際には、白壁小路【水道マーカー】と呼ばれる小さな路地がある(※)。駅への近道になっており、ここを通ってみよう。
マピオン電子地図・白壁小路


(裏通り側から。地面は土のままである。)

(国道側から。この岡直三郎商店の土蔵の白壁が、小路の由来である。)

幅1.5m程の土のままの真っ直ぐな小路が、蔵に沿って続いており、その途中に、「三方良しの井戸」がある。

昔、地域の生活用水として、岡直三郎商店が作った井戸である。無料開放されており、お金をこの井戸水で洗うと、三方良しのご利益が付くとの言い伝えがある。大間々にやって来た近江商人の「売り手よし、買い手よし、世間よし」と言う、三方良しの心意気を伝えるものである。


(三方良しの井戸。井戸組合もあると言う。)

三方良しの井戸の向かいには、銭湯「千代乃湯」がある。煙突も細く、懐かしい昭和下町銭湯の様な風情が堪らない。創業は100年を超え、東京芸術大学の学生が男湯の湯船絵を描いたと言う。地元の人しか知らない界隈に、ひっそりとある小銭湯は、旅の途中のひと風呂も良いかもしれない。


(銭湯千代の湯。内装も、昭和のままらしい。)

時刻は15時半を過ぎた所である。一旦、大間々駅に戻ろう。駅と国道を結ぶ停車場通りには、古い洋風建築の民家もあった。


(停車場通りから、大間々駅を望む。)

(つづく)


(※出稼ぎ酒造所)
昔、冬の酒の仕込みの時期には、出稼ぎの蔵働人が住み込みで働いた。灘(なだ/兵庫県尼崎市)、丹波(京都府中部・兵庫県北東部)、丹後(京都府北部)、南部(青森県南部・岩手県北部)からの出稼ぎが有名。
(※南部杜氏/なんぶとうじ)
岩手県石鳥谷(いしどりや)町を拠点とする日本酒を造る酒造技術者集団。日本最大の杜氏組合を有し、国内を代表する杜氏集団である。
(※白壁小路)
平成23年(2011年)12月に、岡直三郎商店の古い醤油木樽を再利用し、木道が整備された。手動ポンプも、井戸の揚水が出来る様になった。

2017年8月12日 ブログから保存・文章修正・校正
2017年8月14日 文章修正・音声自動読み上げ校正

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