長鉄線紀行(1)美濃太田駅・富加へ

昨晩は、美濃太田駅南口前のシティホテルに宿泊し、良く休めた。美濃三鉄めぐりの旅の2日目は、長良川鉄道の訪問である。朝5時に起床。朝食は抜きにし、長良川鉄道の朝一番の列車に乗車しよう。乗り鉄の基本は、長時間乗る為に「朝早起き、一番列車乗車」が鉄則である。今日は、曇りがちであるが、日中は晴れ、暑くなる天気予報である。

6時過ぎにチェックアウトをし、ホテル向かいの駅に向かう。美濃加茂市の玄関駅であるが、駅名と市名が一致していない。木曽川と飛騨川が合流する場所にあった中山道六十九次・五十一番目の宿場・太田宿が、駅名の由来になっている。なお、現在の市人口は約5万5千人である。

江戸幕府が全国に五街道を整備した際、中山道の宿場をここに設けてから急速に栄え、後に尾張藩の代官所も置かれていた。当時は、近くを流れる木曽川に橋が架けられておらず、「太田の渡し」と呼ばれる川渡し場であり、増水時に川留めになる中山道の三大難所のひとつであったと言う。因みに、旧中山道の三大難所は、崖に沿って木で造った道の「木曽の桟(かけはし)」、国鉄信越線の難所の碓氷峠(うすい-)と、この「太田の渡し」である。

最近、建て替えられたらしい近代的な駅舎になっている。国鉄分割民営化から20年を超え、昭和中期以前に建てられた主要駅は、建て替えられている事が多い。国鉄の遺産が徐々に無くなっているが、これも致し方無いと言えよう。


(美濃太田駅南口。)

南口と北口を結ぶ自由通路が設けられており、階段を登る。この自由通路から、東を望むと、二面四線のホームと側線の大きな駅である事が判る。JR高山本線、JR太多線(たいた-)と長良川鉄道の三線の乗換連絡駅になっており、この先を直進すると、太多線の中央西線・多治見方面、左にカーブすると、高山本線の下呂・高山方面に行く。


(自由通路コンコースから、東側を望む。)

自由通路に掲げてある電光観光地図を見ると、駅南側の木曽川沿いに中山道と太田宿があり、歴史的観光地になっているらしい。時間があれば、見に行きたい所である。
美濃加茂市観光協会公式HP「みのかもとりっぷ」


(観光案内地図。)


(国土地理院国土電子Web・美濃太田駅周辺。)

長良川鉄道のホームの入り口は、自由通路コンコースの北端にある。この階段を降りよう。改札は無く、階段を降りた正面には、プレハブの駅事務室と自動券売機が設置されている。ホームは3両程度の単式一線になっており、朝9時から夕方17時30分までの時間限定の有人駅になっている。


(階段やホーム等は、駅改築時にリニューアルされている模様。)

(駅名標。左上のNのマークは、長良川鉄道の社章になる。)

路線が長い割に利用客が少なく、経営が大変厳しくなっており、以前よりも運行本数を減らし、沿線自治体からの支援を受けている。駅時刻表を見ると、毎時1-2本の運転であるが、午前10時と正午12時台の発車の列車は無い。終点の北濃行きの列車は、1日下り7本になっており、途中の美濃市駅止まりが多くなっている。


(駅時刻表。)

先に、長良川鉄道について、簡単に触れておきたい。国鉄末期の赤字ローカル線・第二次地方特定交通線であった旧国鉄越美南線(えつみなんせん)を、昭和61年(1986年)12月に、第三セクターに転換した長大ローカル線である。

美しく水量が多い長良川に沿って北上し、刃物の名産地の関、うだつのある町家が残る美濃市、水の城下町の郡上八幡を繋ぎ、風光明媚な風景と観光資源に恵まれた路線でもある。国鉄時代は、九頭竜湖(くずりゅうこ)まで鉄路を延ばした越美北線と、県境を越えて接続し、150km近い縦断線となる大構想もあった。しかし、越美北線の工事が戦後まで大幅に遅れた事や、国鉄末期の赤字で工事は中止になり、夢に消えている。

◆路線データ◆
第三セクター鉄道、旧国鉄越美南線、美濃太田駅から北濃駅間、路線キロ72.1km、
所要時間約2時間、狭軌1,067mm、全線非電化、全線単線、駅数38駅。

◆略史◆
大正12年(1923年)
国鉄越美南線として、美濃太田駅から美濃町駅(現・美濃市駅)開通。
昭和4年(1929年) 順次延伸開通しながら、郡上八幡駅まで開通。
昭和8年(1933年) 順次延伸開通しながら、美濃白鳥駅まで開通。
昭和9年(1934年) 現在の終点である北濃駅まで開通。
昭和49年(1974年) 鉄道貨物全廃。
昭和59年(1984年) 第二次地方特定交通線に指定され、廃線対象になる。
昭和61年(1986年) 長良川鉄道として、第三セクターに転換。
平成4年(1992年) トロッコ列車運行開始(平成15年まで運行)。

長良川鉄道ホームで待っていると、高山方からキハ40系5000番台の5両編成が、ディーゼルエンジンを轟かせながら、向かいのJR4番線ホームに入って来る。太多線の美濃川合駅近くには、国鉄時代の美濃太田機関区であった美濃太田車両区があり、そこからの送り込み列車である。

なお、国鉄美濃太田機関区は、昭和7年(1932年)4月に設置された歴史ある機関区になっている。蒸気機関車時代は、中型テンダー式蒸気機関車のC50形やC58形等が配属され、12線もある扇形車庫、大型給炭槽やクレーン等が配されていた。無煙化後は、国鉄形気動車やディーゼル機関車が配され、現在は、JR東海の非電化路線の大きな車両区として、気動車を中心に配属している。


(長良川鉄道ホームと送り込みの高山本線列車。)

高山行き先頭車のキハ40-5501の後には、片運転台のキハ48-5511が連結されている。高山本線の鈍行5両編成は長過ぎであるが、手前の2両は高山行き、後ろの3両は回送送り込み(客扱い無し)らしい。なお、この5000番台は、元・500番台の寒冷地・空気ばね仕様改造車になっており、ハイパワーなカミンズエンジンに換装され、鈍重と揶揄された走行性能も大幅に改善されている。


(JR4番線ホームの高山行き先頭車のキハ40-5501。)

そろそろ、長良川鉄道の入線の時間に近づいてきた。6時10分になると、発車を待つ高山行き列車の横から、あずき色の気動車がやって来る。勿論、ローカル線お約束の1両編成の単行列車である。


(長良川鉄道の列車が到着する。)

この列車の折り返しが、朝一番の6時25分発北濃行きになる。富士重工製の第三セクター向け軽快気動車であるナガラ300形(305)は、明知鉄道のアケチ10形と基本的に同じであるが、車長が1m長い16mになっており、側窓も1枚多い6枚仕様になっている。

終点の北濃駅までは、路線キロ72.1km、約2時間の長丁場になる。車内にトイレが無い為、乗車前に済ましておこう。


(朝一番列車のナガラ300形305。)

ステップを上がり、車内に入ると、千鳥配置のセミクロスシート車になっている。朝方は肌寒く、暖房もよく効いている。中央クロスシートの左側席に陣取ろう。


(千鳥式のクロスシート。)

運転台を覗くと、富士重工業製軽快気動車LE-DCの標準的な仕様であり、明知鉄道のアケチ10形とほぼ同じデザインである。長良川鉄道は明知鉄道程の山線では無い為、ブレーキハンドル手前の抑速ブレーキスイッチは無い。また、運転台横のU型の変わっている部品は、何だろうと思うが、後でのお楽しみである。


(運転台。左がマスコン、右がブレーキハンドル。)

愛想の良い中年の運転士に挨拶をし、1日フリーきっぷ(土日祝日のみ/大人2,000円)をお願いした所、途中の関駅の到着時に発券する為、そのまま乗車して良いとの事。列車無線を使い、関駅に予め発券依頼の連絡をしてくれると言う。また、出発までの時間、沿線の車窓や観光情報も教えて貰った。

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【停車駅】
美濃太田626==前平公園==加茂野==634富加
下り北濃行(ナガラ300形(305)単行)
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定刻の6時26分に発車。他の乗客は、同じ乗り鉄と思われる中年男性がひとりのみである。先ずは、終点の北濃駅までの通し乗車をし、沿線風景を眺めながらのロケハンをしよう。列車は暫くの間、JR高山本線の上り岐阜方と並走するが、高山本線の道床が低くなって行き、列車は緩やかに右カーブをしながら、徐々に分かれて行く。この付近は、多少のアップダウンはあるが、濃尾平野の平坦線になっている。

そのまま、戸建て住宅の多い市街地の中を、軽く低音が効いた気持ちの良いエキゾーストとジョイントの二重奏を奏でながら、真っ直ぐに走って行く。2駅目の加茂野駅付近に差し掛かると、少しずつ、緑や田畑が多くなって来る。このナガラ300形は、ハイパワーディーゼルエンジンと軽い車重が相まり、電車並みの加速性能がある。走行速度も速く、発車時も軽快である。


(濃尾平野の平坦線を軽快に走る。)

単式ホームと待合所のみの前平公園駅と加茂野駅に停車し、大きく緩やかな弧を描く左カーブを曲がると、富加駅(とみか-)に到着。国鉄時代からの古い木造駅舎と低い客車ホームが残る簡易委託駅になっている。なお、国鉄時代は、加茂野駅と呼ばれ、第三セクター化の際に駅名が改称された。隣駅の加茂野駅が、国鉄時代は加茂野口駅であった。2分程停車し、上り列車のナガラ300形(304)単行と列車交換をする。


(富加駅。木造駅舎と構内踏切があるコンパクトなローカル駅である。)

古代、この富加は「半布里(はにゅうり)」と呼ばれ、国内最古の戸籍の故郷になっている。1,300年前の大宝2年(702年)の戸籍の記録が、奈良の正倉院に保管されている。富加町の郷土資料館には、その複製を展示してあり、当時の集落の跡も残っていると言う。
富加町公式HP「富加町郷土資料館」(複製戸籍の画像あり)

(つづく)


2017年8月16日 ブログから保存・文章修正・校正
2017年8月16日 文章修正・音声自動読み上げ校正

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