上信線紀行(8)下仁田散策 その1

下仁田駅の見学をした後は、昼食と下仁田の町並みの散策をしてみよう。鉄道と沿線の町々は密接に関連し、風土や歴史を理解する上でも、出来るだけ見た方が良い。また、鉄道ばかりでは、堅苦しくなるので、息抜きである。

この下仁田は、高崎の西方、甘楽エリア西端に位置する山間部にあり、町の中心地は、鏑川(かぶらがわ)と南牧川(なんもくがわ)が、合流する左岸に発達している。上信線開通当時の人口は2,500人、町域が広がっている現在は単純比較ができないが、約8,000人である。古くは、下仁田道の宿場町として栄え、ここから余地峠経由の南側の南牧道(なんもくどう)と、北側の西牧道(さいもくどう)に分かれていた。また、西牧道の途中にある関所と宿場の本宿(もとじゅく/現・下仁田町本宿)からは、更に三つの街道に分岐していたが、どれも信州へ接続する街道であった。

この様に山中にありながら、明治以前からの交通要衝地であった。信州から運ばれる米等の産物が経由し、下仁田特産の蒟蒻(こんにゃく)や葱、鉄鉱石、石灰石、南牧で盛んであった生糸、砥石の物資や人々が集まり、甘楽エリア第二の中心地として栄えた。駅は町の東外れにあり、この狭い平坦地に住宅が密集しているので、人口以上に混み入っている印象がある。また、周辺は400-500mの山々に取り囲まれ、川床を風が吹き抜ける為か、とても冷涼な空気を感じる。

駅周辺は、かつての物資集積場であったとみられる広い敷地と倉庫群があり、当時の栄華が偲ばれる。駅前通り【緑色マーカー】には、上信電鉄グループのタクシー営業所や数件の商店が並び、まるで、昭和時代に逆行した雰囲気になっている。


(駅構内にある上信電鉄グループの上信タクシー。妙義山等までの参考運賃を掲示しているが、運賃は4,000-5,000円もするので、結構距離があるらしい。)

(駅前通り。駅前から西方を望む。通りの幅は広く、町の中心部は駅から西に集まっている。※秋の追加取材時に撮影。)

丁度、昼なので、先に昼食を食べよう。実は、改札係の若い駅員氏に、駅近くのお勧めの食堂を紹介して貰った。駅員御用達の店は、量・味共に外れはなく、見知らぬ町で左右往来をして、探すよりも良い。駅から歩いて直ぐの所に、きよしや食堂【食事マーカー】があるので、早速、行ってみよう。


(駅近くのきよしや食堂。)

昔ながらの町の大衆食堂で、カラカラと引き戸を開けると、ほぼ満席である。年配の老夫婦が切り盛りしており、入口近くのテーブル席に案内される。ここのカツ丼がお勧めらしいので、勿論、これを注文しよう。

厨房の「バン、バン」と肉を切る大きな音に驚き、昼テレビを見ながら、少し待っていると、「出来ましたよ。お待ちどおさま」と出てきた。ご当地名物の下仁田カツ丼、それもカツの二枚乗せである。東京のカツ丼とは違い、卵で閉じず、タレ煮をしない和風だしトンカツで、きめ細かな赤身とあっさりした風味の上州赤城麦豚を使っている。


(下仁田かつ丼・税込800円。二枚乗せ、味噌汁と漬物付きのこのボリュームでこの価格である。ラーメン、煮カツ1枚と半ライスのラーメン定食・税込850円も人気。)

カットしたばかりの新鮮なカツを揚げた後に、サッと特製ソースに潜らせて仕上げる。オリジナルの醤油ベース特製ソースは、昭和12年(1937年)創業以来の秘伝の味で、一口食べてみると、衣は薄めで、あまり塩辛くなく、程よい甘辛の優しい味がする。肉もとても柔らかで、ベタッとしておらず、肉の旨味がはっきりと判るのが良い。

【きよしや食堂】
毎週火曜日定休(臨時休業あり)、11時30分から15時まで(昼のみの営業)、
専用駐車場あり(3台分/満車時は、町営無料駐車場が徒歩数分の場所に二箇所あり。
群馬県信用組合とこんにゃく手作り体験道場の近くにある。)。
下仁田きよしや食堂公式HP

きよしや食堂は、下仁田カツ丼の町一番の有名店で、週末は大変混むらしい。今日は平日であったので、直ぐに食べられた。昭和の雰囲気たっぷりの食堂で、少し休憩した後、会計とお礼を言って、出発しよう。

駅北側の高崎寄りに、大きな倉庫が建ち並んでいるので、行ってみよう。駅前通りを東に歩いて行くと、民家風の日本通運の営業所跡【灰色マーカー】があり、かつては、町映画館のキネマ映画館も近くにあった。また、その先の新しく建て直された新聞販売店【黄色マーカー】の壁には、懐かしいブリキ看板が、大切に取り付けられている。


(日本通運下仁田営業所跡。今の宅配便が普及する前は、鉄道小包輸送が大きく担っていた。なお、通運(つううん)は、それ自体が鉄道貨物輸送を指す。)

(小沢新聞店。明治20年創刊の地元紙・上毛新聞は、全国紙を抑えて、県内トップ購読数である。)

駅から120m程東に歩くと、広い敷地に大きな建物が疎らに建ち並んでいる。撮影をしていると、「面白いかい」と、隣の民家の主人らしい中年男性が、道を歩きながら話しかけて来た。話を聞くと、かつて、繭、蒟蒻(こんにゃく)や米等を保管していた、下仁田倉庫と言う倉庫会社の建物群【赤色マーカー】らしい。木造倉庫の他、煉瓦造りの立派な耐火倉庫も、北側に二棟残っている。ここに物資を一時保管し、隣接する貨物ホームから出荷していた。

煉瓦倉庫は、共に二階建ての大正時代のもので、西の二号倉庫の方が大きい。ふたつあるのは、大正10年(1921年)と大正15年(1926年)に建てられており、大きい二号倉庫が後年のものであろう。なお、煉瓦の積み方は、長辺と短辺を一段毎に交互に積む、イギリス積みである。


(煉瓦倉庫。右は東の一号倉庫。間口6間、奥行き4間、延べ約159平方メートル。左は西の二号倉庫。間口10間、奥行き5間、延べ約330平方メートルある。)

下仁田倉庫株式会社は、倉庫業の他、運送業、繭乾燥業、貸金業、委託販売購買業を生業とし、大正9年(1920年)4月に設立した。同年5月には、引込線の許可願を出しており、約80mの引き込み線が引かれている。また、下仁田倉庫は、上野鉄道(こうずけてつどう)や上信電鉄と関係が深い会社でもあった。下仁田社(※)社長や下仁田倉庫取締役を歴任した佐藤量平氏は、上野鉄道の発起人となり、上野鉄道と上信電鉄の社長を24年間も務めた。下仁田社と下仁田倉庫の社長を歴任した桜井朝雄氏も、上野鉄道時代から重役を務め、昭和19年(1944年)から、上信電鉄の社長となっている。

煉瓦倉庫の南側には、木造平屋建ての三号倉庫が建っている。今も、一部は倉庫として使われている様で、当時の雰囲気を十分に残している。この下仁田倉庫は、昭和18年(1943年)に、繭乾燥業と鉄道省の企業合併監奨の為、運送業を廃止したらしい。その翌年、桜井朝雄氏の上信電鉄社長就任も、関連しているかもしれない。なお、全ての事業が廃業した時期は、不明である。


(木札に倉庫名が書かれている三号倉庫。西側には窓があり、事務室があったらしい。)

(損害保険代理店のブリキ看板も吊り下がっている。)

線路際には、若草色の目立つ木造大型倉庫もある。なお、架線柱やホーム擁壁の位置から、古い写真と付け合わせてみると、この若草色の建物は青倉工業の石灰倉庫であったらしい。この倉庫の西隣は、駐車場になっているが、白石工業の大型木造倉庫もあったらしく、大きな石灰倉庫が二棟並んで建っていた。


(青倉石灰の倉庫らしい建物。古い写真を見ると、当時は線路側に出庇が付いていた。)

倉庫群の東端には、第四種踏切(※)【黒色マーカー】があるので、行ってみよう。ここから見る下仁田駅は、鉄道雑誌でよく紹介されている有名撮影ポイントである。正面手前のお椀を伏せた様な山は、下仁田のシンボルとなっている川井山(標高453m)で、後方のふたこぶの山は、鹿岳(かなたけ/標高1,015m)になり、下仁田町と南牧村の境になっている。昔、鹿を峰から追い落として狩りをしたのが、山名の由来である。


(踏切から撮影。初めて下仁田駅に来ると、この山々の奇っ怪な形にとても驚く。)

駅反対側の南側にも、白石工業のコンクリートブロック製大型倉庫【青色マーカー】がある。石灰や炭酸カルシウムは、水に濡れると発熱する為、雨水を避ける倉庫になっている。元々、白石工業は広島の企業であったが、江戸時代からの良質な石灰石産地である甘楽郡青倉村(現・下仁田町青倉/余地峠方面の旧・南牧道沿い)に工場を建設し、昭和7年(1932年)から、上信線での製品出荷が行われていた。現在も、工場は稼働しており、地元の空っ風を利用した、昔の石灰自然乾燥棟(風乾処理庫)が残っている。

また、白石工業創業者の白石恒二氏は、炭酸ガス化合法と言う、合成炭酸カルシウム生産方法を発明した。白艶華(はくえんか)のブランドで、今も、全国に販売されている。製造には、大量の電力が必要で、当時の上信電鉄が給電を行った。しかし、あまりにも大電力なので、下仁田周辺の一般家庭の電灯がちらつく程で、急遽、千平駅近くに変電所を増設した逸話が残る。


(白石工業倉庫。道路側の扉の上には、雨水を避ける出庇のフレームが残っている。)

駅周辺を一周し、駅に戻る手前のきよしや食堂の駐車場から、青々とした鏑川【カメラマーカー】が見える。結構な高さがあり、三角山の大崩山(おおぐいやま)も見事である。直ぐ下流には、取水堰があるので、ここは滞水しているらしい。


(鏑川と大崩山「おおぐいやま/標高467m」。水も青々と美しい。)

なお、この下仁田出身の有名人としては、元祖バラエティーアイドルで有名な井森美幸嬢がおり、群馬県の「ぐんま大使」として、観光キャンペーン等に出演している。また、中曽根康弘元総理の選挙地盤でもある(※)。

ここで、下仁田のグルメについて、紹介したいと思う。山中の小さな町であるが、食道楽も行きたくなる美味しい食べ物がいっぱいあり、これを目当てに、上信線でやって来るのも良い。

最近は、きよしや食堂で食べた、下仁田カツ丼が有名である。この卵で閉じないカツ丼は、大正頃から地元食として、よく食べられていた。タレ煮をしないあっさり目の仕上げで、揚げ置きもせず、キャベツも使わないのが特徴である。町内の数店舗が提供しており、下仁田カツ丼の会も結成され、スタンプラリー大会も催されている。
下仁田カツ丼の会公式HP

伝統的な地場農産品としては、やはり、蒟蒻(こんにゃく)が有名である。蒟蒻自体の歴史は古く、仏教伝来と共に日本に伝わった外来種である。下仁田の気候風土が栽培に適している事や、下仁田倉庫社長の桜井朝雄氏が、蒟蒻粉の製品化や拡販に尽力し、全国的に有名になった。また、生芋から作った腰のある蒟蒻は、スーパーで販売されている粉から作ったものとは、品質が違うらしい。町内には、蒟蒻懐石料理、刺身蒟蒻や味噌田楽を食べられる割烹旅館、飲食店や蒟蒻専門店がある。


(下仁田葱。長さが非常に短く、太いのが特徴である。1本300円位する高級葱である。畑から収穫して直ぐに火で炙り、焼けた皮を剥いで食べるのが、一番美味しい。※帰路、JR高崎駅自由コンコースで開催されていた、上州ぐんま産直市で撮影。)

もうひとつの地場農産品は、下仁田葱(ねぎ)である。江戸時代から贈答用に使われていた高級葱で、当時の大名や旗本からも引き合いがあり、別名「殿様ねぎ」、「大名ねぎ」と、呼ばれている。戦中から終戦直後は、地元農家が家庭用として栽培していたが、一部の農家が贈答用に使っていた為、徐々に口コミで評判が広まった。生では辛味が強く、薬味に適さないが、煮たり、焼いたりすると、とろけるような舌触りと甘みと香りの絶品となる。下仁田以外で栽培すると、育ちすぎて堅くなり、食べられない珍現象もあり、ご当地限定生産の特産品になっている(※)。なお、栽培が難しく、収穫まで15ヶ月以上かかる為、冬場のみの流通(11月から2月頃まで)になる。また、毎年11月中旬には、下仁田ねぎ祭りが開催され、巨大なねぎまや大名焼きが作られる。大名焼きとは、下仁田葱一本をそのまま素焼きにした豪快な逸品で、他にも、ねぎ煎餅、ねぎ茶やねぎ一本漬け等も、作られている。

また、蒟蒻から作られた白滝や下仁田葱を使ったすき焼きも、下仁田の名物である。肉質の良い地元群馬産の上州和牛(赤城牛等)を使い、大変美味しいらしい。町内には、格安で食べられる専門店や割烹旅館がある。

◆駅周辺の下仁田グルメの食事処◆

【カツ丼】
きよしや食堂(食堂・下仁田385)、鍋屋(食堂・下仁田358)、
一番(食堂・下仁田362)、れすとらんヒロ(食堂・下仁田384)、
常盤館(割烹旅館・昼食可・下仁田359-2)など。

【すき焼きと下仁田葱】
コロムビア(鍋料理専門店・下仁田葱は冬のみ・下仁田362)、
鍋屋(食堂・冬のみ・下仁田358)、常盤館(割烹旅館・昼食可・冬のみ・下仁田359-2)、
一番(食堂・すき焼きは無いが、冬は餃子に下仁田葱を使用・下仁田362)など。

【蒟蒻】
まるへい(製造小売専門店・隣に直営の軽食処あり・下仁田334)、
常盤館(割烹旅館・昼食可・下仁田359-2)など。

※「きてみて下仁田・下仁田商店街マップ」(下仁田町商工会発行)より抜粋。

(つづく)


(※下仁田社)
富岡にあった製糸組合の甘楽社から、下仁田以西の組合と養蚕農家が分離して設立された。繭や製品の取引の他、共同工場の経営、乾燥室の設置や製糸技術の向上等も行い、地元雇用を生み出して、女工の他所への流失を防いだと言う。初代社長は佐藤量平氏。
(※第四種踏切)
警報機や遮断機の無い踏切。
(※中曽根康弘元総理)
出身は高崎市。選挙区は中選挙区時代の群馬県第三区。小渕恵三元総理や福田赳夫氏も同選挙区。
(※下仁田葱)
最近は、富岡周辺でも、栽培されている。下仁田町では、箱の統一、生産者明記や夏の植え替え必須を図り、差別化をしている。農業試験場の栽培試験では、長野では育たず、前橋付近では、育ちすぎて、食べられなかった。

【参考資料】
「しもにた小旅」(下仁田町観光協会発行)
「下仁田まちあるきマップ」(下仁田まちづくり委員会発行・2016年)
「きてみて下仁田・下仁田商店街マップ」(下仁田町商工会発行)
「上信電鉄百年史-グループ企業と共に-」(上信電鉄発行・1995年)
「ぐんまの鉄道-上信・上電・わ鐵のあゆみ-」(群馬県立歴史博物館発行・2004年)

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