国鉄分割民営化と「我田”残”鉄」に思う。[前篇]

《1.国鉄と巨大債務》

本日、2017年4月1日で、国鉄分割民営化30周年になりました。若い鉄道ファンでは、国鉄時代を体験していない方も居るようですので、その年月を感じる瞬間でもあります。鉄道旅行のブログですが、今回は特別編として、簡単に振り返ってみたいと思います。

国鉄の分割民営化は賛否両論があり、今でも、鉄道趣味界隈で度々議論され、「国鉄分割民営化反対」の意見が多いのですが、あくまでも個人的な所感を述べさせて頂くと、巨大債務に押し潰され、身動きができなかった国鉄を救済する為、致し方がなかったと感じます。

華々しく東海道新幹線が開通し、驚異的といわれた高度成長期やあの日本列島改造論の下で、戦後の国鉄も次々と路線を伸ばしてきました。戦前の鉄道は、輸送近代化と産業自生鉄道の明確な目的があり、その需要を十分に享受しておりましたが、戦後は大規模なモータリゼーション化、貨物の小口戸別輸送化などの物流改革が広がった上、地元政治家の土建利権・実績づくりも絡み、国鉄とは別機関の鉄道建設公団が、次々と政治的思惑の路線を建設し、不採算路線を国鉄に無理に押し付けたのが、最大の原因であると思います。

また、職員数が膨大な国鉄は、戦後の大きな社会労働運動の中心となり、「公共の福祉」に奉仕する機関でありながら、ストライキを繰り返し、国民からは不評を買ってしまいました。鉄道が動かなくなれば、会社や学校には行けず、地域の経済活動は著しく制限され、出勤ができませんから、給与も減ります。給与が減れば、家計への影響も大きいですから、働いている人だけの問題では無かったのです。当時、ストライキを体験した国鉄利用者は、その不甲斐なさに大いに憤慨したものですが、利用者側ではない鉄道関係者からは、当然聞かれない事例で、当時の職員側の身勝手さを感じる所です。また、一部の職員に左派思想や過激派が浸透した状況となったのも、冷戦時代の社会的雰囲気と国の機関として許される状況ではなく、先述のストライキや運賃値上げの繰り返しから、国民世論の支持が徐々に得られなくなったのも、大きな原因でしょう。

1980年代に入ると、危機的状況が国鉄自身にも理解できるようになり、効率化や新しい取り組みを始めたりしましたが、巨大な船でもある国鉄が素早く変化することも難しく、その後は、ご周知の様に、赤字地方ローカル線の大規模廃止と分割民営化に繋がって行きました。最大の原因であった政治的思惑の路線建設を、ここでやっとストップできたのは、遅すぎた感もあります。

そして、国鉄の末期には、債務残高が約37兆円にもなり、年利子だけで約1兆円。利子を払うだけでも困難な状況に追い詰められます。これは当時の国の一般会計予算56兆円の半分以上で、国の機関の借金としてこのまま放置すれば、国の財政破錠、国家信用の失墜により、国鉄だけではなく、日本経済全体を壊滅的な状況にした可能性が高いです。当時の経済状況や国際情勢を考えると、それは絶対に避けなければならなかったはずです。破錠国家については、近年のギリシアの例を見れば明らかで、貿易立国である日本が成り立たなくなると考えられます。


(旧国鉄二俣線・天竜浜名湖鉄道天竜二俣駅構内に保存されている、国鉄キハ20-443。)

《2.赤字ローカル線と国鉄分割民営化》

まるで、時限爆弾のような国鉄債務問題でしたが、原因となる国鉄の赤字ローカル線問題は、国鉄債務問題が深刻化する以前にも、取り上げられており、昭和40年代前半の「赤字83線」が戦後初の内部レポートとして、国鉄上層部に報告されていました。その時に実際に廃止された路線は、このリストの一部でありましたが、債務問題が深刻化した際に再指定された路線が多く、暗にそのベースにもなっていた様です。そして、昭和55年(1980年)に国鉄再建法が成立し、三回に分割をして、廃止赤字ローカル線を選定をする、所謂、「特定地方交通線」のリスト作りに進んでいきます。

路線の選定は、基本的に1日当たりの旅客輸送密度で判断されましたから、シビアだったと思います。基準となる輸送密度としては、最小値側から優先で選定が始まり、1日4,000人以下が対象となっていて、報道などでは、判りやすい営業係数(100円の収入に対する経費)も、よく参考にされていました。当時、「日本一の赤字ローカル線」といわれた北海道内陸部の美幸線(びこうせん/21.2km)は、1日あたり24人、営業係数は4,731(円/1984年当時)のありさまで、鉄道建設公団による強行的な路線建設と国鉄の経営体制が大いに批判されましたが、政治的思惑に翻弄された国鉄に全責任を負わせるのは、今思うと、酷な一面もあると感じる所です。

結局、83線の赤字ローカル線廃止の選定と発表が行われ、長年の絶対的安寧であった「親方日の丸鉄道」の廃止は、その地方にとっては衝撃的であり、地元での議論や激しい廃止反対運動、数々のマスメディアの評論活動が活発になっていきます。各地域のその活動力の差が見られたことも、大きな特徴であり、比較的大きな町を沿線に有し、経済力のある沿線自治体は、第三セクター化の道を選ぶことになります。なお、輸送密度が1,500人程度以上の路線は、当時、ある程度の経済力があった様で、第三セクターに転換した路線が多いです。

この「第三セクター(鉄道)」の言葉も、最近は、やや聞かれなくなった感がありますが、県市町村や地方銀行などの地元有力企業が共同出資した、半官半民鉄道、もしくは、ほぼ自治体の公営に近い鉄道であり、当時の雰囲気としては、新しい鉄道の形として持て囃された感じでした。また、短距離な盲腸線(行き止まり線)が多いですが、国鉄池北線の北海道ちほく高原鉄道(2006年廃止)、国鉄足尾線のわたらせ渓谷鐵道、国鉄二俣線の天竜浜名湖鉄道や国鉄越美南線の長良川鉄道など、多数の沿線自治体が協力した中長距離の大きな第三セクター鉄道も誕生したのは、驚きでありました。しかし、一方で、沿線の経済力が弱い路線は、廃止かバス転換の道を歩まざるを得ませんでした。

また、国鉄内部では、民間企業にあたるリストラ、大規模な人員削減が行われ、大いに揉めたのもよく知られている所です。通常であれば、穏便に段階を踏みながら希望退職を募ったりしますが、国鉄が危機的状況に陥ってから、分割民営化までの時間が数年とあまりにも短く、膨大な職員への対応の必要性が、それを急かした印象があります。結局、個々の職員の資質や実績よりも、所属労働組合と当局・新生JRへの協力姿勢が踏み絵的に問われ、振るいにかけられたのは、法や社会通念上、今でもよくなかったと思います。失意と無念の中、退職した有能な国鉄マンも多かったと聞きます。


(典型的な国鉄らしい佇まいの木造駅舎が今も残る、旧国鉄足尾線・わたらせ渓谷鐵道足尾駅。)

そして、昭和62年(1987年)4月1日深夜0時。日本の鉄道発祥地の初代新橋駅である汐留駅の式典会場で、国鉄C56形蒸気機関車の汽笛が高らかに響き、明治5年(1872年)からの115年の歴史を閉じ、国鉄は分割民営化となります。廃止された赤字ローカル線は53路線、退職者は7万2千人、それまでの殉職者は2万1千人(※)でした。当時は、バブル崩壊前の右肩上がりの経済情勢で、イケイケドンドンの世相でしたから、大波を越えたばかりでも、前途は明るく見えた印象もありました。

地元の廃止反対運動や国鉄職員の新会社(JR)への採用方法など、大きな問題点を強行突破し、見切り発車した感じもあるのですが、分割民営化をして、利用者側にもよくなった点もあります。

【1】国民に非常に不評であったストライキが、ほぼ無くなったこと。

労使関係改善により、利用者の立場に配慮するようになりました。悪く言うならば、当局に反抗する労働組合や過激派を徹底排除したと言うことです。最大組合の国労指導部は、末期に分割民営化反対を主張する左派先鋭化し、既に分割民営化を容認する主流派と錯誤したため、個々の組合員にとっては、非常に不利になったと感じます。

【2】本州の旅客三社は、消費税導入・税率変更以外の運賃値上げを行っていないこと。

これは意外に知られていない点で、国鉄はコスト意識や効率化に疎かったと感じさせる所です。繰り返される大規模ストライキが、国鉄の資金繰りを大きく悪化させたことも、運賃値上げの原因でした。また、国鉄時代の運賃値上げの繰り返しが、利用者の反発や減少を招いていたこともあり、実際、「国電(国鉄電車)は(私鉄と比べて、運賃が)高い。」とも、よくいわれていました。

【3】列車の運用は細切れになったが、地域の輸送ニーズや乗客増減に対応し、地域密着化したこと。

国鉄時代の本線では、1本200km以上も走る長距離昼行鈍行列車もザラにありました。運用上では列車本数が減り、単純化しますが、大規模主要駅を優先としたダイヤになりやすく、運転区間や時間帯によって乗客数は大きく増減し、ムダも多かったのです。また、需要を過度に見積もった列車の長編成、よく揶揄されていた「空気輸送」も見られました。実際、客車10両編成で2両毎に1人の乗客の鈍行列車に乗車し、驚いたことがあります。これらの列車も、需要に合わせて短編成化され、運行コストの削減になっています。

【4】乗客が戻ってきて、鉄道復権の傾向となったこと。

バブル期の影響もあると思いますが、ストライキが無くなったことやダイヤの地元ニーズ密着化、東京などの都市部では、バブルの地価高騰で、若者が自家用車を持たなくなったこともあると感じます。JRに転換後、国鉄よりも明るい印象になった、心理的な面も少しはあるかもしれません。

【5】全体的に顧客対応サービスの質が向上したこと。

国鉄時代の職員の対応は、今考えると、あまり褒められたものではありませんでした。全員ではなく、特急などの優等列車の車掌職などでは、丁寧な人が多かったのですが。

この国鉄分割民営化の最大の目的は、やはり、お金の問題です。国の財政破錠リスクを回避し、巨額の債務返済の分担計画を作るの一点でした。本州三社と貨物、各島毎の北海道、四国、九州の通称「三島会社(さんしま-)」に分割されましたが、三島会社は規模が小さいため、債務の返済を免除されています。

本州のJR東日本・東海・西日本と貨物が、返済可能な範囲内として、国鉄債務37兆円の1/3を負担し、年間いち千億円単位の返済を現在も続けています。なお、残り債務の2/3は国鉄清算事業団が引き継ぎ、土地や資産の売却で引き当てる予定でしたが、バブル崩壊の経済的困難に直面し、行き詰まってしまいます。結局、16兆円が国の借金として引き継がれ、タバコ特別税により返済がされていますが、最終的な返済の目処が立っていないのが実情で、更なるJRの負担を求めるのか、自動車税等の他財源を活用すべきか、長年の議論になっており、その場合には、もうひと波乱がある予感もします。

この様に政治的強権ともいえる方法で、革命的な構造改革を断行した国鉄は、多数の犠牲や負担を出しながら、何とか、墜落直前に軟着陸しました。しかし、あくまでも、リスクを分散させただけであり、巨大債務の根本的な解決には、まだ相当時間がかかる様です。

(つづく)

(※鉄道殉職者について)
列車衝突事故や踏切事故などの運行上の事故もあるが、トンネルなどの鉄道建設工事、かつては、車両の連結解結作業による死者が多かった。特に、貨車などの連結は非常に危険な作業で、年間数百人が死亡し、大問題であった。その為、大正14年(1925年)7月に、従来のネジ式連結器から自動連結器に一斉交換している。2万人は非常に多いと驚くが、明治から大正までの連結手死亡者数が、相当含まれると考えられる。

2020年9月1日 ブログから転載・校正

© 2017 hmd all rights reserved.
記事や画像の転載、複製、商業利用等は固くお断り致します。