わ鐡線紀行(47)通洞駅下車観光 その3

通洞(つうどう)駅の近くには、足尾歴史館と言う郷土資料館がある。この足尾の鉄道関係の展示もあると聞いているので、行ってみよう。ロータリー左手の軽便鉄道軌道跡のトロ道に入ると、近道が分かれている。そのまま、わたらせ渓谷鉄道の線路を横断する。渡って良いものかと思うが、所謂、赤道(あかみち)と呼ばれる非公式の踏切である。鉄道敷設前からの人道であったり、線路先に自宅や畑がある等の特別の理由で黙認されているが、危険な為に廃止される傾向がある。


(足尾歴史館への近道。)

(通洞駅南側の赤道。)

この先の駐車場を通り抜けた向こうに、足尾歴史館がある。元々は、スケートリンク場であった。なお、自治体の運営ではなく、NPO法人が運営している純民間資料館であり、足尾町在住のボランティアが中心となって、運営していると言う。


(足尾歴史館外観。)

正面玄関を入ると、かつて、街中を走っていたトロッコの1/12模型が、歓迎してくれる。玄関横の受付で、一日会員券(入館券)350円を購入。維持経費は、この会員券の売上で賄われており、運営協力金(カンパ)みたいなものである。

館内の一階は、メインの展示場として、足尾銅山の歴史や初代社長・古河市兵衛氏の紹介、当時の貴重な写真や絵画、銅山の採掘に使用した道具の実物展示、鉱夫達の暮らしぶり等の紹介が、広いスペースにゆったりと展示してある。なお、資料や当時の生活道具類などの展示品は、地元住民から譲渡・貸与されており、地元の大きな協力の上に、成り立っていると言う。

階段にも設置された大きな写真パネルを見ながら、二階に上がると、小さなカフェがあり、喫茶休憩することも出来る。また、足尾銅山関連や足尾の軽便鉄道や国鉄足尾線に関する、貴重な書籍も販売している。

実は、この足尾歴史館の最大の見所は、外にある。一階に戻り、外に出てみよう。スケートリンクであった場所には、軌間610mmの軽便軌道を敷設してあり、本物の小型内燃機関車を動態保存し、客車を牽引した走行実演・体験乗車も行っている。郷土歴史館でありながら、鉄道色の濃い展示が特徴になっている。


(スケートリンクに設置された、エンドレス線の軽便軌道。)

この足尾周辺では、古河市兵衛氏が馬車鉄道を整備し、昭和28年(1953年/貨物は2年後に廃止)まで、軽便鉄道が運行されていた。足尾鐡道(後の国鉄足尾線、現・わたらせ渓谷鐵道)開通以前から、銅、生活物資や町の人々を乗せて、地元の足として走っていたのである。その後、馬からガソリン機関車に動力が代わり、この軽便線では機関車時代を再現するコンセプトになっている。また、足尾以外の軽便鉄道や鉱山鉄道で使われた車両も、多数引き取っている。

今日は、加藤製作所製のガソリンカーが牽引するトロッコ列車が、実演走行中である。昭和16年(1941年)前後の製造、いすゞ製のガソリンエンジンDA120を搭載する小型ガソリン機関車は、旧海軍航空基地で施設工事用に導入され、戦後は、民間の土木会社で使われていた。

後ろの赤い客車は、神奈川県横浜市内の向ヶ丘遊園地で、使われていたもの。閉園後、協力関係にある鉄道保存団体が引き取り、足尾歴史館に貸与されている。状態は良好らしく、テント屋根付きの2両編成となっており、製造は昭和50年(1975年)頃、自重は1両あたり約1.0t、定員12名(着座)になる。


(加藤ワークス・ガソリン機関車。B軸配置の小型機である。)

(運転席。)

機関車の自重は約4.0t、水冷直列6気筒ガソリンエンジン、排気量6126cc、最大馬力120馬力で、このエンジンは、当時のバスやトラック等によく使われていた。なお、昔、国鉄のガソリンカー(ガソリン気動車)横転事故が起き、引火爆発の大惨事になった為、ガソリンエンジン搭載車両は、現在の鉄道では運行する事が出来ない。そのため、現代の気動車は、揮発引火性の低い軽油を使っている。


(いすゞ製のガソリンエンジンDA120。)

なお、あくまでも、この素晴らしい状態の加藤機は、これでも予備機との事。本命があるのだが、今日は休車している模様である。軌道の周りを見学していると、加藤ワークスを運転している運転手氏から声がかかり、ローカル線の旅の記事を書いていると話した所、車輌関係の責任者がいるので、呼んで貰える事になった。

町内で自動車修理業を営んでいる、車輌関係の中心人物であるMさんに会い、復元時の苦労や状況を聞く事が出来、お目当ての車両を見せて貰える事になった。この資料館の看板展示車両である、ガソリンカーNo.14である。当時の写真や図面から、忠実に新規製作された足尾オリジナルのガソリンカーで、車台は町の鉄工所で一から製作し、当時のフォードエンジンをレストアして搭載してある。勿論、走行も可能である。


(足尾由来のガソリンカーNO.14。)

No.14の近くには、レストア中のオリジナルエンジンも置かれている。このアメリカ製フォードエンジンA型は、直列四気筒の40馬力ガソリンエンジンである。復元にあたり、エンジンの消耗パーツ等をアメリカ本国から取り寄せたり、元運転手にチェックして貰う等、細部まで入念に復元していると言う。


(フォードA型ガソリンエンジン。)

更に、ガソリンカーが牽引していた客車も、当時のままに復元されている。平成22年の製造、自重約1.0t、定員22名(着座)、木製内装の素晴らしい出来になっている。写真は残っていたが、詳細な設計図が無く、復元は不可能と思われたが、地元の自作模型愛好家が忠実に模型化しており、協力を得て、復元できたとの事。No.14機関車と合わせて、当時の編成を再現出来るのは、素晴らしい。なお、機関車が小型で、町内は線路の勾配が多い為、一両のみの牽引であった。窓下の「へ」に「一」はヤマイチこと、古河鉱業を表し、下の番号26が車体番号である。


(ガソリンカーNo.14に連結された客車。)

(客車側面。「一般定時」のサボは、定期列車を示す。)

(車内の様子。民間保存団体のハンドメイドと思えない、完成度である。)

M氏の御厚意で、ガソリンカーと加藤ワークスのツーショットもして貰い、大感激である。静かな山里に、フォードといすゞのエンジンの音が、共に鳴り響いた。


(ガソリンカーNo.14と加藤ワークスのツーショット。)

また、軌道円周内には、静態保存の車両や復元中の車両が、幾つか保管されている。この機関車は、国産ガソリン機関車の最古のものらしく、大変貴重なものらしい。メーカーは渡邊興助商店(わたなべようすけ-)、昭和4年(1929年)頃製作の土木工事用機関車で、エンジンは米国ライカミング製、変速機が原始的な摩擦式の珍しいものである。


(渡邊興助商店製国産ガソリン機関車。)

工事現場や鉱山で使われたトロッコも、多数保存されている。この草臥れ感のある木板が良い味を出しており、トロッコ好きには、堪らないだろう。


(古いトロッコ車両。)

線路脇には、懐かしいカルテックス軽油計量器もあり、このマークも懐かしい。これは、静態保存になっている。なお、カルテックスは、アメリカの国際石油資本シェブロンのブランドで、当時の日本石油と資本関係があり、このカルテックスマークを看板に使っていたので、見たことのある人も多いだろう。


(カルテックス軽油計量器。奥の給油機はガソリン用で、機関車の給油に使っている。)

(アナログなメーター部分。)

この静かな山里に、本物のトロッコが動態保存されているとは、驚きである。M氏に丁寧に御礼を言い、通洞駅に戻ろう。

【足尾歴史館ご案内】
毎週月曜日(祝日は振替で翌日)と、12月1日から3月31日までは休館。
ガソリンカーは、運転日が定められているので、事前に公式HPを参照の事。
NPO法人足尾歴史館公式HP

(つづく)


足尾歴史館より、記事と写真の掲載許可を頂いております。厚く御礼申し上げます。
車両関係の責任者のMさま、ありがとうございました。

足尾歴史館の訪問は、追加取材時になります。
リコーGRD4での撮影の為、若干色調が異なります。ご容赦下さい。

2018年6月9日ブログから転載・校正。

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