わ鐵線紀行(34)上州桐生めぐり6「桐生伝統的建物群エリア・無鄰館から桐生駅へ」

無鄰館を出ると、向こう側には、古い木造建築の中村弥市商店【赤色マーカー】がある。本町通りに面した店舗の間口は、12mしかないが、奥行きは82mもあり、江戸初期からの桐生の町割りを典型的に残している。店舗の後ろには、新座敷、文書蔵、奥座敷、浴場や石蔵が並んでいる。

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(中村弥市商店。今でも、現役の商店で、ペンキ等を販売している。)

本町通りに面したこの店舗は、大正11年(1922年)築の木造二階建て寄棟妻入・出桁造りになっており、北側の外壁は漆喰塗りである。出入り口はアルミサッシに替えられているが、内部の帳場や座敷等は、殆ど当時のままとの事。なお、季節風が当たる建物北側の漆喰壁は、風防と簡易な防火延焼対策らしい。中村家には、明治27年(1894年)から昭和12年(1937年)までに建てられた歴史的建造物が合計七棟もあり、いずれも、国の登録有形文化財に指定されている(私邸の為、建物内部や敷地内は非公開)。

◆国登録有形文化財リスト◆
「中村弥市商店店舗」

所在地 群馬県桐生市本町1丁目6-33
登録日 平成17年(2005年)11月10日
年代 大正11年(1922年)
構造形式 木造2階建、瓦葺、建築面積88㎡。
特記 本町通に接し、西面して建つ。桁行5間、梁間3間半、桟瓦葺、
東西棟の木造2階建で,正面を寄棟造とする。
東側以外の三方に半間の下屋を張出す。
北側の路地に面する外壁は、大壁とし、鼠漆喰仕上とする。
創建時の店構えを良く残し,織物産業の興隆を伝え貴重。
※中村家敷地内には、他に6件の国登録有形文化財が指定されている。

※文化庁文化遺産データベースを参照・編集。

駐車場を挟み、中村弥市商店の南には、古い蔵がふたつ並んでいる。この平田家住宅旧店舗・旧店蔵【黄色マーカー】は、共に明治33年(1900年)の竣工で、白漆喰仕上げの壁に、重厚な観音開きの土扉が付いている。

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(平田家住宅旧店舗・旧店蔵。現在は営業していない。)

嘉永4年(1851年)に開業した老舗の雑貨商・染料商・生糸商であったそうで、明治31年(1898年)の大火後に建てられた為、火災に強い土蔵造りにした。その後、戦時中の仕入れ困難により、廃業している。


(店蔵の観音開きの土扉。立体・幾何学的な火止めの段差が美しく、鉄製の組格子が入っている。)

また、店の裏手には、大正2年(1913年)築の主屋と土蔵(共に非公開)もあり、合計四棟が国登録有形文化財に指定されている。なお、この本町通り沿いには、店蔵(商品保管用の蔵)は三軒残っている。

◆国登録有形文化財リスト◆
「平田家住宅旧店舗・旧店蔵(袖蔵)」

所在地 群馬県桐生市本町1-6-28
登録日 平成18年(2006年)11月29日
年代 共に、明治33年(1900年)。
構造形式 [旧店舗]土蔵造2階建、瓦葺、建築面積41㎡。
[旧店蔵(袖蔵)]土蔵造2階建、瓦葺、建築面積18㎡。
特記 旧店舗は、本町通りに西面する間口3間半、土蔵造2階建の平入町家。
切妻造,桟瓦葺で,表に瓦葺下屋を付ける。
1階は土間に改修され,北側の店蔵の戸口前と東面に床板を張る。
2階は床構えをもつ10畳の座敷がある。
白漆喰塗の外壁に、2階の重厚な塗戸内面の黒漆喰が映える。

※文化庁文化遺産データベースを参照・編集。

文化財に指定されていない建物も、所々に、目を引くものがある。この伝建エリアの真ん中付近には、石材で造られた大正・昭和風商店建築のふるた文具店と、古い木造平屋建ての八百健商店【緑色マーカー】がある。長く歩いて来たので、喉も乾いてきた。ペットボトルの緑茶を買おう。

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(ふるた文具店と八百健商店。)

左の八百健商店は、野菜や果物の他、食品等も置いている地元ミニスーパーになっている。会計時、店主と思われる年配女性に、「大変古いお店ですね」と言うと、戦前の建物だそうで、戦後に家主から買い取ったと言う。また、「(太平洋戦争の時の)空襲は、大丈夫だったのですか」と尋ねると、「絹織物で世界的に有名な桐生を空襲してはいけない事を、アメリカさんも解っていたのよ」との事で、空襲を全く受けなかったらしい。実際、現在の富士重工業こと、中島飛行機の航空機製造工場があった桐生南方の太田や、群馬県中心地の高崎や前橋は空襲を頻繁に受けており、桐生に空襲があると言われた日の前日に、終戦を迎えたとの事。「絹織物が、桐生の町を空襲から守った」とも言え、それ故、戦前の建物が多数残っている。また、昭和30年頃まで、近くを流れる桐生川から取水した用水路が、この本町通りの中央部にあったそうで、今は地中化されて流れていると教えてれた。

女将に御礼を言って出発し、伝統的建物群エリアの入口まで、戻って来た。矢野商店の隣には、有鄰館(ゆうりんかん)【水色マーカー】がある。元々は、矢野商店所有の建物群で、醤油、味噌や酒の仕込み蔵が、多数立ち並んでいる。江戸時代から大正時代にかけて建てられた大規模蔵群は大変貴重であり、平成4年(1992年)に、桐生市が矢野商店から借り受け、後に寄進された。現在は、市の文化施設として活用されており、国登録有形文化財の指定はされていないが、煉瓦蔵・塩蔵・味噌醤油蔵・酒蔵・穀蔵の五棟が、市指定重要文化財に指定されている。


(桐生市有鄰館。現在は、市の公共施設になっている。)

(明治22年(1889年)に描かれた当時の矢野商店全景。現地の観光案内板より。)

本町通りに面した煉瓦蔵は、醤油や日本酒の醪(もろみ)タンクを貯蔵した仕込み蔵で、大正9年(1920年)築、約130坪(431.1m²)の広さがある。本瓦葺きの立派な煉瓦蔵になっており、当時の矢野商店の勢いを感じさせる。また、長い年月を耐えた煉瓦の色が、なんとも言えない風情がある。


(本通り側の大型煉瓦蔵。)

(仕込み蔵の出入口。大きな鉄扉が取り付けられている。)

約1,120坪(3,700m²)の広大な敷地があり、奥の中庭に樹齢300年の大楠が聳え、小さな祠が祀られている。合計11棟の蔵があり、その内の5棟を公演や展示等の会場として、活用している。


(敷地奥の大楠と小さな祠。後ろの草色の蔵は、酒蔵である。)

その中でも、代表的な蔵を見てみよう。事務室東並びの味噌蔵は、江戸時代末期の天保14年(1843年)築と言われ、最も古い。この味噌蔵の北側には、大正3年(1914年)築の醤油蔵が並んでいる。


(中庭から。左は味噌蔵、右は醤油蔵。)

中庭の南東隅には、味噌や酒の原料の米、大豆、麦を保管した穀蔵(穀物蔵)があり、明治23年(1890年)以前の建築と言われている。


(中庭に面した穀蔵。)

有鄰館外の南側路地に出てみると、塩蔵・酒蔵・穀蔵の壁が続く、酒屋小路になっている。背の高い土蔵壁が続く様は、雰囲気満点である。


(有鄰館南側の酒屋小路。)

有鄰館南側の繊維会社の駐車場も、矢野商店の元敷地であり、石蔵がふたつある。敷地外から見学していると、有鄰館の職員に声を掛けられ、案内して貰った。二階建ての米蔵は、大谷石ではなく、地元太田産の薮塚石(やぶづかいし)を使っている。一階は、倉庫として使われているが、二階は、古い映画館の懐かしいエンジ色シートを並べた、ミニステージが設置されている。時折、コンサートや演劇等が催されると言う。


(米蔵。)

米蔵の北側に砂糖蔵もあり、砂糖専用の蔵も、珍しいかもしれない。


(砂糖蔵。)

この矢野商店は、近江商人の創業者・矢野久左衛門が、江戸時代中期の享保2年(1717年)に桐生にやって来て、行商からスタートした。寛延2年(1749年)には、二代目久左衛門が、現在の地に店を構えている。以降、桐生の商業発展に大きく寄与した豪商であり、「有鄰」は孔子の故事から引用し、矢野商店が造っていた醤油や日本酒の商標でもあった。なお、江戸時代から、醤油・日本酒の醸造や質屋を営み、明治時代以降は、荒物、薬、染料、呉服や銘茶等を幅広く取り扱い、支店が最大5店舗もあった。現在、みどり市笠懸(かさかけ)町に本社を移転し、各種産業用機械・化学製品の販売や物流事業を行っている。職員から、「(併設している喫茶有鄰で、)お茶でも如何ですか」と誘いを受けたが、予定が詰まっている為、丁寧に事情と御礼を行って、有鄰館を後にした。

【桐生市有鄰館の見学について】
開館時間・9時から21時まで。
休館日・当分の間は無休、12月28日から1月4日までは年末年始休み。
見学料・無料(イベント等の主催利用は、要問い合わせ。)
※蔵内部の見学は、現地の管理事務室にご相談下さい。

桐生駅を出発してから、約三時間が経っている。駅に戻る途中、もうひとつ寄って見たい場所がある。本町通りを南に歩き、桐生駅北側を通る県道3号線との交差点まで行く。南に行く程、ビルも高く、近代的なデザインになり、矢野商店前から歩いて行くと、時代が進む不思議な感じがする。

本町五丁目交差点を東に曲がって、暫く歩くと、桐生倶楽部会館【黄色マーカー】がある。明治以降、機械化された近代的織物産業で発達した桐生は、明治後期から大正時代に入ると、海外輸出も増えて、町は更に好況となった。この桐生倶楽部会館は、大正8年(1919年)に、地元実業家の社交場として建築され、福沢諭吉が設立した実業家社交クラブ「交詢社(こうじゅんしゃ)」(東京都中央区銀座)が、その手本になっている。

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(桐生倶楽部会館。)

スパニッシュ・コロニアル様式の木造洋風建築の小さな切妻屋根、玄関ポーチの列柱や半円形の欄間等が特徴になっている。この桐生は、海から遠い内陸であるが、ここで西欧のビジネスや社交を学び、桐生の文化水準の向上に大きく寄与したと言われている。また、桐生への鉄道駅や銀行誘致等にも、大きな働きかけをしたとの事。現在も、社団法人として、活動している。

【桐生倶楽部会館の見学について】
現在、社団法人桐生倶楽部が所有管理しており、敷地内と建物内の見学が出来ます。
必ず、事務所に見学申請と記帳をして下さい。
見学可能時間・平日の9時から17時まで、休館日・土曜日・日曜日・祝日、見学無料。

◆国登録有形文化財リスト◆
「桐生倶楽部会館」

所在地 群馬県桐生市仲町2-9-36
登録日 平成8年(1996年)12月20日
年代 大正8年(1919年)
構造形式 木造2階建、瓦葺、建築面積485㎡。
特記 木造二階建寄棟造瓦葺で、外壁をリシン吹き付けとする。
赤瓦の屋根、上げ下げ窓、小さな切妻の屋根をのせた四本の煙突、
オーダーの見られる列柱の玄関ポーチ、上部を半円形の欄間とした
出入口など、スパニッシュ・コロニアル洋式が見られる。
織物で栄えたモダンな桐生を代表する建物。

※文化庁文化遺産データベースを参照・編集。

桐生倶楽部会館の見学後、道路の両側に大型アーケードが残る駅前商店街を歩いて、桐生駅に戻ろう。このアーケード商店街にも、昭和風の店舗が沢山残っている。


(商店街のある県道を駅に向かって歩く。)

桐生Walker・桐生観光協会公式HP

(つづく)


【参考資料】
桐生本町1・2丁目まち歩きマップ(平成19年・桐生市発行)
桐生市有鄰館観光パンフレット(桐生市発行)

【謝意】
桐生市教育委員会さま、有鄰館の敷地内写真掲載の承諾を頂き、
ありがとうございます。厚く御礼申し上げます。

2017年11月26日 ブログから保存・文章修正・校正

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