わ鐡線紀行(31)上州桐生めぐり3「桐生伝統的建物群エリア・伝建まちなか交流館から桐生天満宮へ」

桐生市の施設である伝建まちなか交流館【案内所マーカー】の担当者から、桐生市発行の「桐生本町1・2丁目まち歩きマップ(平成19年版)」を貰い、見逃せない観光箇所を教えて貰う。伝統的建造群エリアの見学所要時間は、約二時間は必要との事。このマップは、A4サイズ大の見開きカラー印刷で、歴史的建造物や桐生所縁の人物の簡単な説明がついており、大変判り易い。

伝建まちなか交流館南側の路地に入り、80m程歩くと、石造りの大きな建物がある。旧・曽我織物工場【青色マーカー】である。大正11年(1922年)築の五連の大きなノコギリ屋根と大谷石で出来ている重厚な建物で、昭和45年(1970年)頃まで操業していたが、現在は民間会社の倉庫として利用されている。


(旧・曽我織物工場/現・佐啓産業本町工場。)

鉄製の重厚な窓扉が並び、煙突状の換気塔と建物妻面上部の通風用丸窓が、特徴になっている。このノコギリ屋根は、自然採光の為に造られたもので、急斜面の採光面が北西に向いている。なお、均一な自然光を取り入れる為、南側ではなく、北側に採光面が設けられる。創業家の曽我家は、生糸相場で財を成し、この織物工場を建てたと言う。桐生の織物産業最盛期の代表的建築物のひとつになっており、国の登録有形文化財に指定されている。


(工場イメージにもなっているノコギリ屋根と鉄の窓。)

◆国登録有形文化財リスト◆
「旧・曽我織物工場(現・佐啓産業本町工場)」

所在地 群馬県桐生市本町1-7-15
登録日 平成18年(2006年)3月2日
年代 大正11年(1922年)竣工
構造形式 木骨石造平屋建、鉄板葺、建築面積550㎡。
特記 桁行8間の石造平屋建で,梁間20尺の鋸屋根5連をかける。
屋根は東西棟で、鉄板葺、アルミサッシュ建具に改修されている。
小屋組は木造、外壁は大谷石の切石整層積みで、戸口と窓はまぐさを入れ、
両開き鉄扉を吊り込む。西妻に円形の換気窓を開く。

※文化庁文化遺産オンラインのデータベースを参照・編集。

旧・曽我織物工場角を曲がり、北に伸びる小さな路地に入ると、無鄰館西側のトタン塀【橙色マーカー】には、一面に歴史的人物の名言ペイントがある。大分、剥げているが、何とか読める。この無鄰館も、織物工場であったとの事。


(無鄰館西側のトタン塀。)

無鄰館の北側には、ノコギリ屋根工場、防火煉瓦外壁や煉瓦塀【緑色マーカー】も残っている。万が一の火事の際、木造建物への延焼を防ぐもので、冬の季節風が吹き付ける北側外壁を、防火壁を兼ねた煉瓦積みとし、当時の住宅密集地や工場によく見られる。なお、工場に隣接していた女工宿舎の外壁と塀であったが、平成5年(1993年)に、木造部分を焼失してしまったとの事。この外壁と防火塀も、国の登録有形文化財に指定されている。


(左の背の高く、蔦に覆われた部分が防火煉瓦外壁跡で、現在は、鉄骨で補強してある。)

◆国登録有形文化財リスト◆
「無鄰館煉瓦塀一(旧・北川織物工場女工宿舎煉瓦造外壁)」、
「無鄰館煉瓦塀二(旧・北川織物工場煉瓦塀)」

所在地 群馬県桐生市本町1-5-5
登録日 平成17年(2005年)11月10日
年代 大正5年(1916年)頃
構造形式 煉瓦造(イギリス積み、一部は長手積み)
特記 [旧女工宿舎外壁]
敷地北側境界に沿って建つ高さ6.2m、延長18.3m煉瓦塀。
防火を目的に、工場女工宿舎の北側外壁として建てられた。
煉瓦をイギリス積で積上げ、現在は鉄骨で補強する。
工場主屋の鋸屋根と共に、地域の歴史的景観を特徴づける。
[煉瓦塀]
旧・女工宿舎煉瓦造外壁の両端から、
無鄰館敷地の北西隅及び北東隅まで延びる煉瓦塀。
高さ2.4m、東側延長14.0m、西側延長19.2mになる。
煉瓦の寸法ならびに積方は女工宿舎煉瓦外壁と同じイギリス積で、
一連の景観を形成する。

※文化庁文化財オンラインページのデータベースを参照・編集。

無鄰館の北側にある買い場通りの物産売買所(買場・上市場)【水色マーカー】は、織物産業全盛期の当時、大変賑わった場所である。現在、「買場ふれあい館」として活用され、毎月第一土曜日に、この通りで「買場紗綾市(-さやいち)」が開かれ、往年の様な賑わいになるらしい。通りの両側には、出庇のある長屋の商店が連ね、本町通り側に番屋と門があった。今は、番屋や門も無く、多くが空き地になり、一部の建物が残るのみである。


(旧・物産売買所/現・買場ふれあい館。)

本町通りに戻り、左に曲がって、北に歩いて行こう。買い場通りから本町通りに出る、本町一丁目交差点角に、森合資会社事務所と店蔵【黄色マーカー】がある。右の事務所は、大正3年(1914年)に建てられ、銅板葺き、外壁に白磁タイルを使ったハイカラな洋風建物である。森家は金融業を営み、大正時代には、桐生一の富豪であった。事務所、店蔵と森家住宅石蔵(穀物蔵/事務所棟の北隣)が残っており、店蔵に和釘が使われている事から、事務所棟よりも古く、明治前期の建築と言われている。


(森合資会社事務所・店蔵。)

事務所北側の森家住宅石蔵(穀物蔵)【紫色マーカー】には、天然染色(そめいろ)研究所がテナントとして入り、天然染糸の販売や手織り体験、草木染め体験が出来る(要予約)。


(森家住宅石蔵/現・天然染色研究所。)

なお、大谷石ではなく、地元の藪塚(やぶづか)産の溶結凝灰岩を、石材に使っている。内装は漆喰仕上げにし、落ち着いている感じである。この藪塚石は、地元の太田市藪塚町に産出していた軽石の火成岩で、栃木県産の大谷石と同じ石質になる。明治中頃から昭和30年(1955年)頃まで産出され、石質は柔らかで、熱に強く、カマドや住宅土台に適した。しかし、水に弱く、割れ目が多いのが欠点で、需要が徐々に減少し、閉山となっている。この両毛エリアでは、大谷石ではなく、藪塚石の石造り建築が少数残っている。これらの古い建物を見ると、当時の森家の勢いを感じさせる。勿論、この三つの建物は、国の登録有形文化財に指定されている。

◆国登録有形文化財リスト◆
「森合資会社事務所・店蔵」、「森家住宅石蔵(穀物蔵)」

所在地 [事務所・店蔵]群馬県桐生市本町1丁目3-11
[穀物蔵]群馬県桐生市本町1丁目3–9
登録日 平成17年7月12日
年代 [事務所・穀物蔵]大正3年(1914年)[店蔵]明治前期
構造形式 [事務所]木造平屋建、瓦葺。[店蔵]土蔵造2階建、瓦葺※。
[穀物蔵]石造平屋建、瓦葺。
特記 森合資会社は明治37年(1904年)の創業。事務所は大正3年(1914年)の
建築であり、外観は白磁タイル張りの擬洋風建造物である。
大正3年以前に建てられた隣接する店蔵と共に、和洋が一体となっている。
一部に改修が見られるが、大正期の創建当初の商店建築として価値が高い。
石蔵(穀物蔵)は、大正3年に森家の穀蔵として建築された。
石造であるが、外装は漆喰塗りで土蔵風に仕上げてある。
石材は大谷石ではなく、薮塚産溶結凝灰岩を使用しており、珍しい。

※桐生市公式ページの国指定文化財等データベースを参照・編集。
※店蔵の屋根は東日本大震災被災の為、トタンに葺き替えられた模様。

そして、森合資会社の前を過ぎた先に、桐生天満宮【鳥居マーカー】の大鳥居が見えて来る。関東五大天神のひとつに数えられている大きな神社で、南北に長い境内に平坦な参道が伸び、一番奥の小さな森に社殿が鎮座している。この周辺は、かつては、「赤城の森」と言う、森が広がっていた。
桐生天満宮公式HP


(桐生天満宮大鳥居。)

(参道と灯籠。)

この桐生周辺は、関ヶ原の戦いの直前、徳川家康の直轄領になっている。天正19年(1591年)、この天満宮を宿頭とした桐生の新しい町造りをする為に、古町の久方町から、桐生五十四郷の総鎮守である梅原天神を遷座したのが、始まりと伝えられている。なお、言い伝えによると、元々は、紀元1世紀頃の景行天皇の頃に創祀したと言われ、南北朝時代の頃に、桐生天満宮の社号と総鎮守として相成った。

(つづく)


【参考資料】
桐生本町1・2丁目まち歩きマップ(平成19年・桐生市発行)

2017年11月26日 ブログから転載・文章校正

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