わ鐵線紀行(19)上神梅散策 その3

国道122号線を南下し、上神梅駅(かみかんばい-)に戻ろう。わたらせ渓谷鐡道と共に、川沿いを縫う様に走る上下2車線のローカル国道であるが、日光・中禅寺湖方面への観光国道でもあり、ローカル国道としては交通量が多く、ひっきりなしに車やバイクが走っている。
マピオン電子地図・国道122号線ルート

実は、渡良瀬川を桐生から遡るルートは、関東から日光へ行く最短経路となっており、日光への常連観光客や登山愛好家によく知られている。ハイシーズン中の週末午後は、わたらせ渓谷鐡道の桐生行き上り列車が、都心部の通勤電車並の混雑になる場合もある。

角地蔵尊から、徒歩10分弱で上神梅駅に到着。そのまま、駅南の踏切を渡り、右折する。対岸には、有名な古刹がふたつある。ちょっと、行ってみよう。住宅と土手の間の緩やかな坂を降って行くと、貴船橋(きぶねばし)【水マーカー】が見えてくる。

橋上から上流方を眺めると、心地よい水音を奏でながら流れ、清々しい。川面からの高さも結構ある。


(貴船橋から、渡良瀬川の上流を望む。)

橋東詰先のT字路を右折し、長閑な田園の道を歩いて行く。水利が良い為、田圃や畑が広がっている農村地帯になっている。振り返って見ると、向こうの山の中腹に、先程の深沢宿が見える。


(上神梅駅方向を望む。)

緩いカーブの平坦な道を350m程歩くと、左手の森の中に、赤屋根の楼門が見えてくる。眼病に良く効くと言われる穴原薬師堂【万字マーカー】がある。


(穴原薬師堂。)

この穴原薬師堂の楼門は、現存する大間々町唯一の楼閣建築物であり、昭和60年(1985年)には、本堂と共に、みどり市の指定重要文化財になっている。やや小振りであるが、往年の姿を留めており、保存状態も良い。

左右に一対の阿吽像(あうんぞう)が安置され、二階に十六羅漢(※)が安置されているが、二階は非公開になっている。なお、口が開いているのが阿形(あぎょう)、結んでいるのが吽形(うんぎょう)になり、保護の為、正面にガラス窓、側面に金網が入っている。


(楼門。間口6.41m、奥行き3.97mの入り母屋造り平入り建築である。)

楼門を潜ると、直ぐに石段と本堂があり、境内は大変狭い。石段右横には、沢山の石仏や庚申塔があり、独特な雰囲気を醸し出している。左横のフェンスには、僧侶墓があるらしい。また、堂下には、弘法大師由来の御手洗井戸がある。


(一段高い場所に本堂がある。)

(本堂下の庚申塔群。)

本堂はコンパクトな造りになっており、御本尊の薬師如来が安置され、左右に日光菩薩と月光菩薩、仏を守護する十二神将(眷属/けんぞく)が後ろに配されており、この規模の村の御堂としては、豪華な布陣になっている。


(本堂前。)

本堂横にも、立派な庚申塔と石仏がある。この石仏は、馬鳴菩薩像(めみょう-)と言い、江戸時代中期の寛政4年(1792年)建立らしい。仏名から、馬の仏ではないかと連想するが、貧民に衣服を与える養蚕と機織りの仏である。江戸時代の桐生周辺は、「西の西陣、東の桐生」と言われる程、絹織物産業が盛んであった。繭を供給する養蚕業も、周辺農村で盛んであった名残であろう。


(本堂横の庚申塔と馬鳴菩薩像。)

この穴原薬師堂のはっきりとした由来は不明であるが、明治時代の調査では、平安時代初期・大同年間(806〜809年)頃の作と伝わる薬師如来像があったと言う。寺伝によると、弘法大師空海(※)の開基と伝えられている。

本堂や楼門は再建されており、本堂の棟札から、江戸時代中期の享保15年(1730年)に建てられたらしい。また、昭和60年(1985年)の阿吽像解体修理中に頭部から古文書が発見され、江戸時代中期の寛政4年(1792年)作と判明した。楼門も同時期に建てられたと考えられている。

参拝後、貴船橋の東詰まで戻り、左の長い坂道を登る。坂上の変形T字交差点から、北に更に歩いて行くと、貴船神社【鳥居マーカー】がある。


(貴船神社。)

京都の貴船神社の分社であり、関東平野を干ばつから守る水の神社になっている。平安時代、東国(現・関東エリア)が酷い干ばつに見舞われた際、山城国(現・京都府)貴船神社の御祭神・高おかみ大神(※)を分奉し、祀った所、雨がもたらされたと伝えられている。その御利益から、渡良瀬川流域の山中に祀られ、江戸時代初期の寛文8年(1668年)に、渡良瀬川が山間部から関東平野に出る現在地に移転した。

今は、心願成就、商売繁盛、厄除けや交通安全の地元一番の地鎮として、また、自動車の安全祈願(お祓い)が盛んになっている。多くの初詣参拝者も訪れる為、上神梅駅止まりの臨時初詣列車も毎年運行している。
群馬貴船神社公式HP

参道の石段を登ろう。幾つかの踊り場のある長い石段になっている。途中には、末社の祠もある。なお、貴船は水を司る神社であり、古くは、「気生根(きぶね/同じ読み)」と記されていた。水は生命の気の生じる根元であり、気が蘇ると元気が出て運が開け、衣食住の生活充実や願い事が授受する考えが、基本になっている。


(石段参道を見下ろす。)

最上段に達すると、少し広い平坦地になっており、正面に社殿が鎮座している。主祭神の高おかみ大神の他、山の精霊を治め、五穀豊穣をもたらす大山祇大神(おおやまづみのおおかみ)と、護国と人々の病や不幸を救う大穴牟遅大神(おおなむちのおおかみ)も祀られている。境内には、銀杏や楓の大木が枝を張っている。


(昭和46年(1971年)に再建された社殿。)

(境内案内図。)

主祭神の高おかみ大神は、水の神様であり、その御姿は龍神と言われている。境内奥の洞窟の湧水を引いた本殿前の手水舎は、龍神が彫刻された蛇口になっており、御利益があると信じられ、参拝者がお水取りもする。


(龍神の手水舎。)

社殿向かいには、心願成就、方位除けや交通安全の絵馬が、沢山掛けられている。いちローカルの神社としては、大変多く、地元信仰の厚さを感じる。交通安全祈願は一般的な絵馬になっており、方位除け祈願等は短冊状の割符になっている。


(絵馬祈願所。)

(かなり数も多い。)

平日も社務所は開いており、宮司や神社の人達が務めている。山中の静かな神社であるが、ほぼ途切れる事が無く自動車が入り、ドライバーと共に交通安全のお祓いを受けているのが印象的である。

何故、水の神様が交通安全の御利益があるかと言うと、昔、渡良瀬川流域は地形が険しい為に道路網が貧弱であり、川運が主な交通手段であった。水の神様である貴船神社は、河川交通の安全が祈願された事から、後に、道の神・乗り物の神に転じ、陸上交通の安全も祈願される様になった。


(社務所とお祓いを待つ自動車。この下には、トンネルが通っている。)

社殿の後ろに行くと、木立の陰に末社の石祠がずらりと並んでいる。稲荷神社、菅原神社、赤城神社、日枝神社等が祀られており、鮮烈な赤鳥居と共に、もの凄い霊気を感じる。


(本殿裏の末社石祠群。)

社殿の西側は、渡良瀬川の断崖になっており、そそり立つ場所に鎮座しているのが判る。川には砂防ダムがあり、大きな水音が聞こえる。また、地元の霊峰の赤城山(あかぎやま/標高1,828m)も見えるが、雲に隠れていた。


(渡良瀬川と砂防ダム。)

(赤城山を望む。)

(つづく)


(※十六羅漢)
阿弥陀経が説かれた時に、集まった仏の16大弟子(聖者)。永らくこの世に在住し、仏の教えを護持している。羅漢を祀る羅漢寺もある。
(※弘法大師空海)
平安時代の僧。真言宗の開祖。単に、大師とも言う。「弘法大師」の名は後醍醐天皇から贈られたもの。
(※高おかみ大神)
「おかみ」の漢字は、雨の下に口が3つ並び、一番下に龍。「淤加美神」とも記す。

【歴史参考資料】
現地観光案内板・解説板
みどり市公式HP「歴史・文化財/穴原薬師堂」
群馬貴船神社公式HP

薬師堂と貴船神社は、追加取材時の訪問。
薬師堂はGRD4で撮影している為、若干画質が異なる。ご容赦願いたい。

2017年8月11日 ブログから保存・文章修正・校正
2017年8月11日 文章修正・音声自動読み上げ校正

© 2017 hmd all rights reserved.
文章や画像の転載・複製・引用・リンク・二次利用(リライトを含む)や商業利用等は固くお断り致します。