樽見線紀行(3)本巣駅

次の下りの樽見行きは、9時41分発になるので、本巣駅(もとす-)を見学してみよう。昭和31年(1956年)3月開業の社員配置有人駅で、国鉄時代は、美濃本巣駅の駅名であった。国鉄樽見線として、大垣駅から谷汲口駅(たにぐみぐち-)まで、初開通した時の駅になる。起点の大垣駅から8駅目、16.2㎞地点、所在地は本巣市曽井中島、標高37mになる。


(国鉄風の駅名標。貼り直してあるので、第三セクター転換後のものと思われる。)

本巣の地名は、水利の良いこの土地の「川の洲」が由来である。飛鳥時代末期の戸籍には、「本簀(もとす)」と表記されているのが見られるそうで、後に、命を支える全ての意味の「本須」から、命を育む意味の「本巣」になったと、言われている。

また、戦国時代の武将・大名で、武家茶道を極めた古田織部の郷里になっている。この近くの美濃山口城で生まれ、織田信長、豊臣秀吉や徳川家康等に仕え、茶道の大家である千利休に師事した有名な茶人でもある。なお、美濃山口城は、次の駅の織部駅北東の山中にあった。
国土地理院国土電子Web・美濃山口城址(中心十文字付近)

ここで、樽見鉄道の歴史について、簡単に触れておきたい。樽見鉄道の歴史は、昭和31年(1956年)に、国鉄樽見線として、大垣駅から谷汲口駅(たにぐみぐち-)間が開通した。なお、国鉄時代の終着駅は、谷汲口駅の次の美濃神海駅(みのこうみ-/現・神海駅)で、神海駅から樽見駅までの開通は、第三セクター転換後の平成元年(1989年)になってからである。他の旧国鉄線から転換した第三セクター鉄道と比べても、線路の開通時期が新しくなっている。

◆路線データ◆
第三セクター鉄道、大垣から樽見まで、路線キロ34.5㎞、駅数19駅、所要時間約1時間、
軌間1,067mm、全線単線、全線非電化、ワンマン運転。

◆略史◆
昭和31年(1956年)3月 国鉄樽見線として、大垣駅から谷汲口駅まで初開業。
昭和33年(1958年)4月 美濃神海駅(みのこうみ-/現・神海駅)まで延伸開業。
昭和46年(1971年)3月 旅客手荷物輸送を廃止。
昭和49年(1974年)10月 美濃本巣駅(現・本巣駅)以北の鉄道貨物輸送の廃止。
昭和51年(1976年)8月 鉄道小荷物輸送の廃止。
昭和56年(1981年)9月 国鉄第一次特定地方交通線として、廃線が決まる。
昭和59年(1984年)10月 国鉄樽見線を廃止転換し、第三セクター鉄道の樽見鉄道開業。
平成元年(1989年)3月 神海駅から終点の樽見駅まで延伸開業。
平成18年(2006年)3月
定期客車列車の廃止、大垣駅から本巣駅間のセメント輸送貨物列車の廃止。

かつての鉄道網構想では、この本巣と樽見を経由し、樽見の北西にある徳山ダム付近を通り、現在のJR越美北線の城下町・越前大野を経由して、金沢に至る鉄道として計画された。戦前より建設は着手されていたが、太平洋戦争の混乱もあった為、開通は大幅に遅れた。また、谷汲口駅の次の美濃神海駅(現・神海駅)まで延伸開通した時点で、国鉄再建法に基づく第一次特定地方交通線に指定され、廃止ローカル線となってしまった。そして、昭和59年(1984年)に、第三セクター鉄道の樽見鉄道として、再スタートをしている。

転換後は、新駅の増設等を行い、地元密着型の鉄道として経営努力が行われていたが、平成18年(2006年)に、鉄道収入の四割を占めるセメント輸送列車が廃止されてからは、厳しい経営状態が続いている。なお、沿線自治体からの財政支援も行われているが、支援打ち切りの議論も上がり、来年の平成24年(2012年)に結論を出す、危機的状況になっている。

ホーム周辺を見てみよう。ローカル線の駅としては、広大な構内で、駅舎とホームは県道寄りの南端にある。南北に配された3-4両停まれる一面二線の幅細の島式ホームに、国鉄風の開放式待合所、警報機や遮断機の無いスロープ付構内踏切がある。


(本巣駅ホームと開放式待合所。ハイモは転線後。)

ホーム端から樽見方を眺めると、左に長い貨物側線、右に機関区(車庫)や給油所がある。丁度、この駅まで乗ってきたハイモ295-516が、引き上げて行く。なお、右手から迫り出している山の尾根が、美濃山口城があった場所になる。


(樽見方。先程のハイモ295-516が転線を行う。)

大垣方は、スロープ付構内踏切と駅舎があり、分岐器の向こうに県道踏切がある。県道踏切の自動車の往来は、結構多い。


(大垣方と構内踏切。)

暫くすると、樽見方から、上り大垣行き列車がやって来る。映画「Railways」の大きなヘッドマーク付きのハイモ295-617は、平成20年(2008年)に廃止された三木鉄道から譲渡された気動車で、三木鉄道時代そのままの塗色で活躍している。


(上り大垣行き列車のハイモ295-617。)

停車時間は3分間。3人の乗客を降ろし、駅長氏に見送られながら、大垣に向けて発車する。こう見ると、国鉄時代の風景そのままで、懐かしい感じがしてくる。この後、青いハイモ295-516が、1番線に転線して来た。


(上り大垣行き列車が発車する。)

ホームには、木製電柱に括り付けられた日本専売公社の灰皿も残っている。昭和49年(1974年)から実施された、通勤ラッシュ時の禁煙や喫煙マナー向上運動「Smokin’ Clean 街を自然を美しく」の標語も懐かしい。


(柱タイプの専売公社灰皿。)

構内踏切を渡って、駅舎に入ってみよう。テラゾーと呼ばれる人造大理石製のコの字型改札が残っており、今では珍しいかもしれない。駅舎は、木造モルタルの平屋建てになっており、向こうの小屋は昔ながらの汲み取り式トイレである。また、カーキャッチャー(制動靴)や使われなくなったタブレットホルダーも、近くに置いてある。


(人造大理石製の改札口。表面が粒模様のツルツルとした石になっている。)

(逸走車両を止める制動靴。左右のレール上に置いて、車輪と挟み込み、摩擦で停車させる。)

(使われなくなったタブレットホルダーが、吊り下げられている。)

待合室は10畳位の広さがあり、古い木製ベンチ、駅文庫や沿線の写真が置いてある。昔ながらの出札口もあるが、自動券売機も1台設置されている。なお、椅子に注意書きの張り紙がしてあるのは、天井に燕の巣がある為。


(国鉄時代のままの木造ベンチがある駅待合室。)

(改札口と出札口。トタン板で補修はされているが、ほぼ原形のままである。)

駅時刻表と運賃表を見ると、土日祝日の10時台と13時台は列車が無いが、意外に遅い時間まで列車がある。なお、大垣駅までの大人運賃は510円で、JR東海地方交通線の同じキロ数の320円と比べると、1.6倍にもなる。経営規模が縮小し、苦しい経営環境下なので、致し方無かろう。


(駅時刻表と運賃表。)

駅前広場に出てみよう。少し大きめの広場があり、駅舎の右横に、樽見鉄道本社のプレハブ建物が増築されている。バス停は無く、客待ちのタクシーが、のんびりと一台停まっていた。


(駅出入口。)

(駅前からの本巣駅。)

そろそろ、樽見行きの列車の発車時間なので、ホームへ向かおう。この駅には、本巣機関区があるが、後で戻って来て見学する予定である。先ずは、終点まで、車窓ロケハンをしよう。

(つづく)


2017年7月28日 ブログから保存・文章修正・校正
2017年7月28日 音声自動読み上げ校正

© 2017 hmd all rights reserved.
文章や画像の転載・複製・引用・リンク・二次利用(リライトを含む)や商業利用等は固くお断り致します。