大鐵本線紀行(20)千頭駅 前編

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家山948======1029千頭
下り 普通 千頭行き 大井川鐵道16000系2両編成 6102に乗車
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9時48分発の下り電車に乗車し、終点の千頭駅(せんず-)に行こう。駅長氏にお礼の挨拶をし、元・近畿日本鉄道16000系に乗車する。2両編成の乗客は数人のみ、乗り心地の良い車両中央の左側席に座る。


(16000系の車内。大井川鐵道の主力電車である。)

タイフォンを鳴らし、家山駅を発車。家山地区と対岸の身成地区を結ぶ大きな駿遠橋(すんえんばし)の袂をアンダーパスし、ふたつのトンネルを通過すると、大茶原(だいちゃばら)が広がる中をゆっくりと走る。この付近は、抜里(ぬくり)と呼ばれ、沿線で一番大井川らしい風景が見られる場所である。


(抜里付近の大茶原。地元では、茶畑を茶原と呼ぶ。)

抜里駅を過ぎ、盛土部を通過すると、赤い橋桁の大井川第一橋梁を渡り、大きな左カーブとその先の山間部の木立の中へと走って行く。

坂を登り切った地名駅(じな-)の先のトンネルを抜けてから、展望が良くなり、有人駅である駿河徳山駅までは、雄大な大井川の流れを堪能できる。電車の方がSL急行列車よりも速いが、ゆったりと静かな感じがある。フワフワとした昔の空気バネに揺られ、とても眠気に誘われる。


(塩郷の大カーブをゆっくりと曲がる。塩郷ダムも見える。地名から塩郷間。)

(中徳橋付近の大井川。塩郷から田野口間。)

駿河徳山駅からは激しく蛇行している大井川を、三つの鉄橋で渡り、本線最急勾配の田代トンネルを抜けると、大井川鐵道本線終点の千頭駅に到着する。

10時29分、家山駅から約40分で、終点千頭駅4番線に到着。沿線の景色が良く、あっと言う間の感覚である。いつもは、40分程度の滞在で折り返す事が多いが、今日はゆっくり見学してみよう。


(千頭駅4番線に到着。)

(古いブリキ製の柱駅名標。)

千頭駅は、昭和6年(1931年)12月1日に、ふたつ手前の青部駅から延伸開通した時に開業し、社員配置の大きな有人駅になっている。起点駅の金谷駅から39.5km地点、18駅目(本線終点)、所要時間約1時間15分、1日乗車客数約450人、榛原郡(はうばら-)川根本町千頭、標高298mにある。

改札の若い駅員氏に切符を見せ、見学と撮影の許可を貰おう。三面五線のホームがあり、支線の井川線の乗り換え駅でもある。本線用ホームは頭端式の二面四線、井川線用ホームは独立している一面一線になっている。大井川鐵道唯一の近代的な鉄筋コンクリート造りの駅舎は、平成4年(1992年)7月に建て替えられた。


(ホーム側からの千頭駅。)

この千頭は、大井川が逆L字に流れ、日当たりの良い両岸の平野部に発達した町になっている。約3-4万年前の旧石器時代から、人が住んでいた。現在は、両岸が川根大橋によって結ばれ、同じ静岡県榛原郡川根本町であるが、かつては、遠江国(とおとうみこく)と駿河国(するがこく)に分かれた国境の町であった。


(国土地理院国土電子Web・千頭周辺。)

古くから、椎茸栽培等の山間部農業、製材や木炭製造等の林業が栄え、近年は、奥大井や寸又峡観光(すまたきょう-)の玄関口、SL急行列車の終着駅や日本一の銘茶といわれる川根茶の代表的産地として有名である。町全体の人口は約8,600人、そのうちの約560世帯1,400人が、この千頭駅周辺の千頭・小長井・田代地区等に住んでいる。

なお、千頭の地名は、珍しい読みであるが、旧仮名遣いは「せんづ」である。平安時代末期、北九州太宰府に菅原道真が左遷された際、道真の一派は京都に居られなくなった。その一派のリーダー格のひとりであった泉頭四郎兵衛の一族や家来が、ここに辿り着いた。そして、精力的に開拓を行い、地元の開祖として崇められ、その苗字の「泉頭(せんづ)」を地名にしたと伝えられている。なお、大井川の上流の広いエリアも、千頭となっており、寸又峡温泉の大字も千頭と呼ばれ、千頭ダムの名がある。

また、東岸の小長井地区の南側の崖には、小長谷城址(徳谷城址)がある。駿河守護大名・今川家に属する小長谷氏が、この付近を治めており、戦国時代の甲斐武田氏の侵攻により、武田側になったが、武田氏の滅亡と共に廃城になったという。現在は、徳谷神社になっており、土塁や空堀が残っている。
国土地理院電子国土web・千頭徳谷神社

3番線ホーム南端には、SL急行列車の長編成に対応する為に、木製デッキが延長されている。駅構内の配置は、川側の東寄りにホームがあり、山側の西寄りに広大な側線が配されている。

国鉄が乗り入れていた頃には、湘南色の国鉄113系電車や国鉄貨車がやって来ていた。昭和50年(1975年)頃の4月から5月のハイシーズンには、静岡から快速奥大井号が1.5往復(行きの午前発は休日のみ運転、午後発は土曜日のみ運転、帰りは土休日共に運転。)、浜松から快速すまた号が1往復(休日のみ運転/千頭は5分で折り返し)運転されていた。


(3番線のホーム延長部と駅全景。)

川側の1・2番線ホームは、南側の延長部が無いホームになっている。旧型客車六両分(約120m)の長さがあり、改札寄りの旅客上屋下は舗装されているが、大部分は砂利のままになっている。昔は、駅の東側の配置が今と違っていた。昭和40年頃は、1・2番線は側線になっており、現在の3・4番線が1・2番線、井川線ホームは3・4番線になっていた。


(昭和40年代に増設された1・2番線ホーム。)

3番線ホーム南端から金谷方を眺めてみると、列車は駅の直前のカーブを曲がり、入線して来る。線路際の木造の建物は、構内作業員の詰所らしい。


(金谷方。)

井川線専用ホームの山側には、階段があり、一段低いプラットホームになっている。なお、川側は通常の乗降に使われておらず、子供達向けのSL教室等のイベント時の会場に使われている。


(井川線ホーム。)

井川線ホームの南側には、明治30年(1897年)製の50フィート転車台が残っている。英国RANSOMES&RAPIER(ランソムズ・アンド・ラピア)社製の輸入品であり、国鉄東北本線、晩年は新潟の赤谷鉱山専用鉄道東赤谷駅に設置されていたものを、昭和55年(1980年)7月に保存移設されたものである。

銘板等で年号が確認できる転車台の中では、最古といわれている。平成13年(2001年)には、国登録有形文化財に指定されている。


(英国輸入転車台。)

今日は、始発電車乗りの早朝出発であった為、お腹が空いてきた。昨日、大鉄フードに事情を話し、駅弁を千頭駅の直営売店で受け取れる様にして貰っている。

駅弁を無事に受け取り、駅前のベンチで頂こう。今回は、「大井川ふるさと弁当」(1,050円/オリジナルお茶缶付き)を選んでみた。名物の「汽車弁当」に並ぶ看板商品になっており、紙製のレトロ籠風には、静岡方言のウンチクが書いてある。


(大井川ふるさと弁当。税込み1,050円。お茶缶はサービスである。)

(静岡方言集。緩めの暖かい感じである。)

ワカメや梅入りの大きなおにぎり、山女の甘露煮、桜海老の佃煮、野菜の旨煮、田舎味噌付き蒲鉾等のご当地静岡特産のおかずが、盛り沢山になっている。全体的に甘い味付けであるのが、お国柄と言える。また、御飯は蒸気焚きになっており、冷めても粒がふっくらとし、大変美味しい。見かけによらず、量も多い。


(盛り沢山のおかずが入っている。)

掛け紙は記念に取っておこう。また、C11-190号機の訪問記念絵葉書が付いており、絵柄は数種類ある。オリジナルの静岡茶缶もサービスで付いており、量と内容共に大満足である(※)。


(掛け紙と記念絵葉書。)

(つづく)


(※)大鉄フードは、静岡駅の大手駅弁業者・東華軒に譲渡された。おにぎり弁当は継続販売されている。お茶缶のサービスはなくなった模様。

2017年8月6日 ブログから保存・文章修正・校正
2017年8月6日 文章修正・音声自動読み上げ校正

千頭の地名由来について、川根本町教育委員会よりご教授頂いた。厚く御礼申し上げる。

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