長鉄線紀行(7)郡上八幡駅

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北濃854======931郡上八幡
上り8D 普通 美濃太田行き
ナガラ300形(305)単行
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「そろそろ、発車しますよ」と、運転士のM氏から声が掛かる。北濃駅に20分程留まった後、折り返しの8時54分発の美濃太田行き8D列車になる。折り返しの乗客は、鉄道旅行派の鉄道ファンが3人と、北濃駅から乗車してきた4人の家族連れである。子供達は窓を開け、はしゃいでいるのも、ローカル線ならではの光景である。

奥美濃の美しい田園風景が広がる下り勾配を、速い速度で軽やかに走る。行き止まりの盲腸線になっているので、二度も景色が楽しめるのも良い。復路はあまり撮影をせずに、車窓を見る事に専念しよう。起点の美濃太田駅に戻りながら、途中下車観光と気になった駅を訪問したい。先ずは、沿線一の観光地である郡上八幡駅(ぐじょうはちまん-)の途中下車観光をしよう。

北濃駅から郡上八幡駅までの約30分、景色が良いので、あっという間の感覚で戻って来た。この駅で、下り列車のナガラ300形(304)と列車交換をする。お世話になった運転士のM氏に、お礼の挨拶をし、下車をする。今日は連休中なので、向かいの2番線の下り美濃白鳥行き列車からも、大勢の観光客が下車している。


(国鉄時代の長いホームに、1両だけの列車が到着する。)

(改札前の吊り下げ式駅名標は、長良川鉄道発足時のもの。)

この郡上八幡駅は、郡上市の玄関駅として、また、長良川鉄道で一番大きな駅としての貫禄があり、「中部の駅百選」に選ばれた名駅である。市街地に繰り出す前に、見学をしてみよう。昭和4年(1929年)12月、深戸駅からこの駅まで延伸した際に開業し、二面三線の大型ホームと開業当時の大きな平屋建ての木造駅舎が残っている。また、北濃方の延伸開業は昭和7年(1932年)9月の為、約3年間は終着駅であった。起点の美濃太田駅から46.9km地点、25駅目、所要時間約1時間20分、郡上市八幡町稲成、標高は210mの終日社員配置の有人駅になっている。

ホームは南北に配され、駅舎側ホームと島式ホームの組み合わせの二面三線になっている。1番線ホームから北濃方を見ると、駅自体が緩やかなカーブの途中にあり、ホームも弓状になっている。構内踏切は無く、北濃方に長良川鉄道で唯一の跨線橋が北濃寄りに設置されている。以前は、三番線に接続した転車台が、向こうの車庫の付近にあったが、撤去されている。


(1番線ホーム。長さは98mあり、蒸気機関車と客車3両編成まで対応できる古いホームである。)

美濃太田方は緩やかなカーブを描きながら、暫く、構内線路が並行した後にスプリングポイントでまとまっている。島式ホームの二・三番線は、長さ115mある昔ながらの美しい玉石積みのホームになっており、古レール柱で支えられたトタン葺きの旅客上屋は、約40mの長さがある。屋根裏の白塗りの板張りや、白い国鉄風待合室が建っているのも、良い雰囲気である。この待合所は、昭和7年(1932年)に追加設置され、ホームも昭和29年(1954年)に改修されている。また、一番外側の三番線は、今は殆ど使われていない。

なお、左向こうの草が生い茂っている辺りが、貨物ホームと側線跡になり、昭和49年(1974年)10月まで取り扱いがあった。貨物ホームは頭端式で、二本ある側線の外側に相対して引込線が美濃太田方に伸び、相当の貨物取り扱い量があったらしい。


(下り北濃行き列車乗車時から、美濃太田方を撮影。)

駅舎本屋南側には、木造小屋があり、転轍機(ポイント)を操作する操作てこもそのままである。また、郡上八幡駅から北濃方は、平均勾配率が9.4‰(パーミル)と急に上がる為、車両逸走を停めるカーキャッチャーも置かれている。

灯室と呼ばれるこの小屋は、現存するものとして、貴重になっている。昭和4年(1929年)開業当時の設備で、屋内に信号関連機器を保管した棚があり、梯子上屋は四本の鉄製信号梯子を装備している。昭和初期の鉄道信号システムの保線小屋であり、国登録有形文化財指定になっている(※)。


(国登録有形文化財の灯室。)

(灯室併設の転轍機の操作てこ。)

(カーキャッチャー。車両の逸走時は、レールの上に置いて、車輪と挟み込む事により、摩擦で停車させる保安器具である。)

勾配が連続する路線では、貨車等の留置車両がひとり勝手に走行をして、事故を起こす危険がある。過去例では、数kmもの勾配を下り、他車や駅構造物に衝突し、大惨事になる事もあったので、「流転(るてん)」と呼ばれる車両逸走事故は、特に注意が払われている。このカーキャッチャーは制動靴の通称で、昭和47年(1972年)に開発整備された鉄道保安器具である。最近の事故では、平成21年(2009年)4月、JR名松線の気動車1両が8.5km逸走した例があり、駅間で自然停車し、大事故は避けられた。

上り1番線の改札周辺を見てみよう。駅舎本屋の屋根が庇状にホームに掛かっているが、廃レールの柱に支えられた屋根が北濃寄りにあり、跨線橋の出入口まで続いている。柱や構造が違うので、後年に増築された部分だろう。

改札並びの窓に沿って、国鉄の駅舎によく見られる木造ベンチがある。とても長く、大型の縦窓が連続しているのが、この駅の特徴になっている。駅舎は築80年を経過しており、残念ながら、窓枠はサッシに交換されている。


(駅舎のロングベンチ。)

駅舎横には、観光地の駅らしく、団体用と思われる臨時改札口跡もある。「出口 EXIT」の文字が、国鉄まる丸ゴシック体であるのが、懐かしい。


(駅舎横の臨時改札口跡。)

この郡上八幡駅の北濃寄りには、長良川鉄道唯一の跨線橋がある。それも、戦前の古い木造跨線橋なので、登ってみよう。跨線橋の1番線階段横には、国鉄時代の駅名標もひっそりとあり、捨てずにここに置いているらしい。一度、国鉄時代に新調されたと思われるが、何とも言えない汚れ具合になっている。


(戦後国鉄時代のものと思われる駅名標。)

(1番線ホーム側の跨線橋出入口。)

コツコツとした柔らかい感触の木の階段を登って行くと、太い斜め梁、小さな明かり取り窓、低い天井である渡り廊下を渡る。内部各所もペンキが丁寧に塗られており、保存状態も大変良い。一瞬、国鉄最盛期に戻る雰囲気があり、懐かしい感じで一杯になる。

この跨線橋は、昭和19年(1944年)に追加設置されたもので、橋長16m・幅2mあり、平成27年(2015年)に国の登録有形文化財に指定されている(※)。なお、美濃太田方(南側)の渡り廊下の側板は外されており、半透明のプラスチックパネルになっている。オリジナルの採光窓が小さく、薄暗い為、採光の改善で改造したらしい。


(跨線橋階段。)

(渡り廊下。)

なお、線路上の渡り廊下の部分は、鉄骨フレームで外側から強固に支えられているが、階段部と接続部は支柱も木製になっており、ハウトラス形式と呼ばれるトラス橋である。鉄骨部分を極力少なくしているのは、戦時中の鉄不足の影響と言う。また、渡り廊下の蒸気機関車の煙を避ける除煙板は、取り外しされている。


(跨線橋の柱部。)

跨線橋から戻り、駅舎の中に入ってみよう。改札口の間口は広く、両側の鉄製ポールのみが残っている。なお、改札口真上の駅時刻表は、長良川鉄道では珍しい電光表示になっている。改札前の吊り下げ式駅名標の裏側は、国鉄時代のままの案内板である。


(改札口。)

(電光式駅時刻表。国鉄時代のものを、差し替えてある。)

待合室は、30畳位ある大変広いもので、天井も高い。大きな木製のベンチが6つ置かれ、壁上には、記念ヘッドマークが飾られている。出札口もあるが、シャッターが設置される等の大幅な改造がされており、出札口の左横には、きっぷの自動券売機もある。


(記念ヘッドマーク。)

駅前に出てみよう。二階建て位の高さがある平屋建ての貫禄ある駅舎は、トタン葺きの傾斜がかなり急である。出入口には、名物の郡上おどりの提灯が吊り下げられ、観光客を歓迎してくれる。

桁行十三間半(24.5m)、梁間三間半(6.4m)の切妻造平入り木造駅舎は、昭和4年(1929年)開業当時に建てられ、昭和29年(1954年)に増築されている。壁面の白い人造石洗い出し仕上げ(モルタル工法)が印象的である。


(駅前からの駅舎全景。)

(つづく)


(※)訪問時は未指定。平成27年(2015年)8月4日指定。

2017年10月31日 ブログから保存・文章修正・校正
2017年10月31日 文章修正・音声自動読み上げ校正

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