長鉄線紀行(13)大矢駅

徒歩15分程で、城下の郡上八幡中心部から駅まで戻って来た。時刻は14時過ぎである。今度の上り列車の発車時刻を確認すると、時間が少しあるので、駅前の喫茶店で涼む事にしよう。晴天下を長時間歩いたので、ややバテ気味である。

昭和の雰囲気が残る喫茶店は、落ち着いた雰囲気になっており、列車の待ち時間に寄るのも良い感じである。冷たいアイスコーヒーを二杯飲み、体の火照りが取れ、一休みした後に駅に向かう。なお、駅前には、旧・郡上街道が通っているが、往来は国道バイパスに任せ、静かな地元の生活道路になっている。

上り1番線ホームの木造ロングベンチに座り、列車をのんびりと待つ。今や、都市部では、味わえない感覚である。長閑な時間が流れ、向こうの一本葉桜が良い感じである。


(郡上八幡駅下り2番線ホームと一本葉桜。)

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郡上八幡1457======1514大矢
上り14D 普通 美濃太田行き
ナガラ500形(503・501)2両編成
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暫くすると、下り美濃白鳥行きの列車のナガラ300形(304)単行が先着。その6分後に、最新車両のナガラ500形(503)とナガラ500形(501)の2両編成の上り美濃太田行きが到着し、列車交換を行う。この駅からは30人以上が乗車し、シートは既に満席となっているので、先頭車両(503)の後方運転室付近に居座る。車内での切符発券の為、女性車掌も乗り込み、忙しそうである。


(上り美濃太田行き列車に、大勢の観光客が乗り込む。)

14時57分に郡上八幡駅を発車。「フィー」と、短い汽笛をお互いに吹笛の後、ディーゼルエンジンが力強く唸り始める。列車は大勢の乗客を乗せて、再び、長良川に沿って走る。地元客、子供達のいる家族連れ、年配の観光客やカメラを抱えた鉄道ファンが乗車し、盲腸線のローカル線らしくない、大変な混雑ぶりである。

長良川に付いたり離れたり、鉄橋を渡ったり、目まぐるしく車窓が変わる。郡上八幡駅から20分程で、大矢駅(おおや-)に到着。混んだ車内を掻き分ける様に先頭車両運転席後ろの扉に行き、下車をすると、地元と見られる乗客もひとり降り、ホームに接続する田畑の畦道を歩いて行った。


(大矢駅下り2番線に到着する。)

そのままホームで暫く待っていると、レールに鉄輪の音を響かせながら、下り郡上八幡行きがやって来る。この列車も、郡上八幡からの帰りの観光客に対応する為、ナガラ300形(303)と(306)の二両編成になっており、(306)は文字広告ラッピング車になっている。


(ナガラ300形(303)と(306)の二両編成の下り列車。)

汽笛を鳴らし、上り列車が先発。下り列車もエンジンを轟かせながら、大矢駅を後にする。

上り、下り共に列車を見送ると、野鳥の鳴き声と田畑を耕す耕運機のエンジン音が、遠くから聞こえ、とても長閑な雰囲気である。長良川の東岸に約1km四方の平坦地が開けた大矢は、田畑が広がっており、遠く西方には、瓢ヶ岳(ふくべがたけ/標高1,163m)を望む。また、牡丹園で有名な桂昌寺(けいしょうじ)や古道も残り、東の山の中腹には、東海北陸自動車道の高架橋が見える。

長良川に橋が架かっていなかった頃、対岸の集落に郡上街道が通っていた為、この大矢地区側と結ぶ川渡しがあった。駅のすぐ西側には、石積みの大矢港の跡が残っていると言う。現在は、大矢地区を挟む様に、新吉田橋と下田橋の二本の道路橋が架けられている。


(国土地理院国土電子Web・大屋駅周辺 ※新吉田橋のすぐ上流の旧橋は、撤去された。)

国鉄時代の昭和2年(1927年)10月に美濃下川駅として開業した大矢駅は、翌年5月に深戸駅まで延伸されるまで、約半年間は終着駅になっていた。長良川鉄道に転換した昭和61年(1986年)12月に、駅名が改称になっている。起点の美濃太田駅から31.8km地点、19駅目、所要時間約1時間、郡上市美並町大原、標高134mになる。

現在は、終日無人駅化され、南北に配された二面二線の千鳥式ホームと駅舎側に貨物側線が1本残っており、美濃市駅から郡上八幡駅の間で、唯一、列車交換が出来る駅になっている。


(駅名標。)

下りホーム側には。郡上八幡駅に似た貫禄のある大型木造駅舎も残っている。駅舎並びの小屋は、信号てこ小屋(灯室)らしいが、がらくたが放り込まれいて、かなり荒れ放題である。


(上りホームからの大矢駅本屋。)


(下りホームと本屋並びの小屋。郡上八幡駅の灯室と似ている建物が並ぶ。)

郡上八幡寄りから、美濃太田方とホーム全景を眺めてみよう。構内の複線部分がかなり長いのは、この駅に安全側線(※)が無い為、冒進(※)事故防止と、客貨混合列車や貨物列車の長編成に対応する為だろう。

国鉄の蒸気機関車時代、越美南線を走っていた客貨混合列車(ミキスト)は、蒸気機関車の直後に数両の貨物を連結し、最後尾に郵便車を含む4両程度の客車を連結する事もあった。客車をホームの位置に合わすには、蒸気機関車と貨車がホームを行き過ぎる必要があり、貨車解結も行う為、美濃市駅や大矢駅の列車交換可能駅では、ホーム先の線路がとても長く造られている。


(美濃太田方と大矢駅全景。)

郡上八幡方は、古い保線詰所とポイント小屋があり、今は倉庫になっているらしい。国鉄時代から、保線区が置かれていたのであろう。レールや枕木等の鉄道資材が、大量に保管されている。


(郡上八幡方。)

構内踏切を通り、待合室に入る。15畳程の広さがあり、窓沿いの据え付けベンチ以外は何も無く、殺風景になっている。出札口や手小荷物窓口は、テーブルのみが残っていて、板が打ち付けられている。


(構内踏切と改札口。)

そのまま、駅前に出てみると、砂利の大きな広場になっており、40m先に県道が接続している。バスやタクシーの乗り場は無く、古桜が沢山植えられ、地元の隠れた花見の名所となっている。今では、人気の無いひっそりとした駅だが、当時は、沿線の中核駅として栄えたのだろう。


(駅前からの駅舎。)

貨物ホームは、駅舎の北側の郡上八幡方に残っている。擁壁はコンクリート板で補修されており、かなりの高さがある。貨物は昭和49年(1974年)10月まで、取り扱いがあった。


(貨物側線と貨物ホーム。)

現在は、保線用に使われており、真新しい木枕木が積み上げられている。独特なクレオソートの匂いが懐かしい。近年は、耐久性の良いコンクリート製枕木が多く、木枕木は珍しくなっているが、木が最も理想的と言われている。重量制限の厳しい鉄橋や分岐器部は、専ら木枕木が使われている。

なお、枕木は意外に大きく、標準の並枕木は長さ210㎝・横20cm・厚さ14㎝、重さは約50kgある。明治33年(1900年)に定められた仕様になっており、檜(ヒノキ)等の狂いの少ない良質な樹種が使われている。平均耐久年数は約15年との事であるが、JRや大手民鉄などから、状態の良いものを譲り受け、リサイクルをして使う場合も多い。


(真新しい木枕木。妻面の楕円は、割れ止めの鋼製リングである。)

次の上り列車は1時間後なので、構内踏切の階段に腰掛けて、缶コーヒーを飲みながら一休みしよう。カバンを置いてみると、あの「いい旅、チャレンジ2万キロ」の感じである。


(構内踏切から撮影。)

日も徐々に傾き、夕方の黄昏感になって来た。そろそろ、下りホームに移動しよう。郡上八幡寄りに大きな桜の木があり、ホームの半分は野原に戻っている。小さな野花が、静かにいっぱい咲いているのをみると、とても落ち着く。


(上りホームの郡上八幡寄りの野花達。)

至福の1時間は、あっと言う間に経過し、上り16D・16時24分発の美濃太田行き2両編成がやって来た。


(上り美濃太田行き列車が到着。)

(つづく)


(※安全側線)
ホームの停止位置を越えて、列車が本線に進行した場合、対向列車との正面衝突の危険が非常に高い。本線分岐器(ポイント)の前に道床外側に逃がす短い側線を設置し、冒進時は砂利に突っ込ませて回避し、緊急停車させる鉄道保安設備。
(※冒進)
所定の停止位置を超え、その先に列車が進行する事。単線区間では、正面衝突事故の原因になり、重大な運転ミスに当たる。

2017年11月12日 ブログから保存・文章修正・校正
2017年11月12日 文章修正・音声自動読み上げ校正

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