久留里線紀行(17)木更津観光 その2

中の島へは渡らず、引き返して、この橋を降りよう。来た道を駅の方向に引き返す。駅前大通りの富士見通りの北側に魚河岸の旧市街エリア、南側に古刹が集まっている。太平洋戦争の頃、東京に近かった木更津には、海軍航空隊、飛行場や軍需工場も置かれ、帝都防衛を担っていた。この散策中、「写真を撮っているのかい」と声を掛けて頂いた地元年配男性によると、「小さな爆弾や焼夷弾の投下、戦闘機の機銃掃射はあったが、大きな空襲被害は無かった」そうで、「占領後に米軍が飛行場を使いたかった為、空襲をしなかったらしい」と、地元では言い伝えられていると話してくれた。そのお陰で、古い寺院や戦前の建物が多数残っている様である。

駅方向に戻りながら、魚河岸・旧市街エリアの代表的な古い建物を見て行こう。なお、大正12年(1923年)9月1日に発生した関東大震災の影響では、津波の被害はなかったが、街中の大部分が家屋倒壊してしまい、大正以前の建物は殆ど無い。関東大震災直後に建て直された昭和初期の木造建築が多い。


(街中に展示されている、昭和4年頃の木更津町の鳥瞰図。)

富士見通りに、道標の石柱【A地点】が立っている。ここからスタートしよう。碑文によると、木更津市制70周年記念として、平成24年(2012年)に設置されたとある。江戸時代末期の木更津にあった道標と、同じデザインとサイズになっている。


(市制70周年記念道標。)

この道標から北に入ると、白亜のアール付き縦窓のある洒落たデザインの金沢美容室【赤色マーカー/営業中】がある。昭和初期の1930年代(昭和5年から15年頃)のモルタル洋風建築で、縦窓は上げ下げ窓になっており、アールの部分は本物ではなく、モルタルで扇窓が表現されているのが面白い。


(金沢美容室。今も営業している現役店舗である。)

一本、港側の通りに戻り、幅がやや広い南方町通り沿いには、木更津の老舗銭湯・人参湯【黄色マーカー/廃業】がある。昭和7年(1932年)の創業、昭和27年(1952年)に建て直したもので、千鳥破風の装飾がある重厚な屋根になっている。


(銭湯「人参湯」全景。総金属製の煙突もレトロである。)

何故か玄関が開いており、外観の撮影をしていると、中年男性が出て来た。挨拶をすると、この銭湯のオーナーとの事。大変気さく方で、「良かったら、中も見てみますか」と声をかけて頂き、ご厚意に甘えて、内部も見学させて貰う事になった。

5年程前に廃業してしまったそうで、親子兄弟三人で営業していたそうだが、父と兄が他界し、後継者問題と人手不足、過酷な重労働から、やもえずに廃業したとの事。町の老舗銭湯として、あの力道山、初代貴乃花や若乃花も、木更津興行の際に貸切入浴に来たと言う。番台も当時のままに残っており、床は総板張りで、二階吹き抜けの大きな格天井(ごうてんじょう)が見事である。湯船の上方に大きな銭湯富士の壁画が描かれているが、浴場を使わないと乾燥する為、塗料膜がベロンと剥がれてしまっている。また、かつての銭湯前の通りは、蒸気船が接岸する蒸気河岸と呼ばれ、市場も設置された最も栄えた場所であった。町の娯楽施設として、この銭湯も大いに栄えたと話してくれた。


(玄関。※内部写真の公開許可を頂いていない為、ご容赦願いたい。)

15分程お邪魔し、昔の木更津と魚河岸の色々な話をして頂いた。丁寧にお礼を言って、出発しよう。木更津の人達は、対岸の横浜よりも、オープンで親切な気質であると感じる。人参湯先の信号機のある交差点を右に曲がると、次の交差点角に安室薬局【緑色マーカー/廃業】がある。金沢美容室と良く似ている装飾アール付きの縦窓のある大きな薬局で、モルタル建築の様に見えるが、木造二階建てになっている。東京銀座の文房具屋をモデルとして、昭和4年(1929年)に建築された。


(ハイカラな雰囲気の安室薬店。)

安室薬店から入った場所には、国登録有形文化財のヤマニ網島商店【史跡マーカー/不明】がある。江戸時代末期の慶応2年(1866年)の創業当時から、乾物屋を営んでいる。この旧市街地で最も古いと思われる建物で、創業当時の木造平屋一部2階建、瓦葺きの店蔵になっており、棟高の異なる蔵造が前後に並ぶ独特の外観になっている。なお、先の市政70周年記念道標から続くこの通りは、「さかんだな通り」と呼ばれ、海産物を取り扱う店が多く連なっていた。


(ヤマニ網島商店。現在、営業しているかは不明である。)

安室薬店まで戻り、駅方向の東に進むと、紅雲堂(こううんどう)書店【青色マーカー/営業中】がある。江戸時代は、干物卸業であったそうだが、明治元年(1868年)に、本屋に業態変更した。業種を変えた明治初期の建物で、関東大震災時の倒壊を免れた貴重な店舗になっている。なお、当時の書屋は「書肆」(しょし)と呼ばれていた。


(紅雲堂書店。民家風の木造平屋建て、トタンの方形[ほうぎょう]葺きである。)

紅雲堂書店の隣には、旧金田屋洋品店【紫色マーカー/別業種が営業中】がある。この旧市街の最も栄えた場所の交差点角の大きな店舗で、本町通りに面している。創業は明治期、現在の建物は昭和7年(1932年)の築、正面の菱形の色ガラスやアーチ上部の櫛形の装飾等の凝った外観になっている。

ここは、「本町四つ角」と呼ばれ、木更津の古地図を見ると、銀行や呉服屋などの商店がびっしりと集まっていた。商店街が元気だった頃、この通りでは、七夕まつりが毎年催されていたという。


(旧金田屋洋品店。現在は、骨董品店になっている。)

旧金田屋洋品店の交差点向かいには、崩れかけた大きな白土蔵の店舗【灰色マーカー/廃業】がある。ガイドマップに記載が無く、何の建物か不明であったので、帰りがけに駅前の観光協会に尋ねると、「砂糖濱田屋(はまだや)」と呼ばれる砂糖商だったとの事。かなり古そうであるが、築年時期は不明である。なお、浜田一族はこの付近で、広く商売をしていたらしく、ここは本家であったという。正面向かいには、「呉服はまだや」が構えていて、今も営業している。


(砂糖濱田屋。創業は江戸時代後期の寛政2年[1790年]頃と伝わる。)

一度、大通りの富士見通りに戻り、駅前の与三郎通りの狭い路地に入る。入って直ぐの所の志保沢園【茶色マーカー/営業中】は、昭和23年(1948年)創業の茶店で、創業当時の建物になっている。店頭には、茶器がガラス越しに端正に展示されている。


(志保沢園。終戦直後に建てられた店であるが、しっかりとした造りになっている。)

その奥の方に行くと、内山洋品店【黒色マーカー/営業中】がある。昭和10年(1935年)に建てられた、木造モルタル平屋建ての看板建築である。洋服にした仕立てに使う机や道具も残っており、ショーウィンドウにも、若干展示されている。また、蔦が絡んで良く判らないが、正面の壁上部には、米軍の焼夷弾の破片がめり込んだ跡がある。


(内山洋品店。)

(古い仕立て道具が展示されている。※トリミング拡大。)

この内山洋品店を見学後、ちょっと、休憩をしよう。西口駅前のデパートに戻って来た。


(数分で駅前デパートに戻る。やや閑散としているが、店舗も営業している。)

散策を始めてから、約二時間が経過している。少し早いが、昼食も取るとしよう。駅の近くの食事処でも良いが、この木更津に来たら、あの例のモノを外す訳にはいかない。かつては、木更津駅の名物駅弁として有名であった「浜屋BBQ(バーベキュー)弁当」である。現在、駅構内の販売は撤退し、西口階段下の日本食堂(NRE)系駅弁販売所で、少量を委託販売しているが、駅前デパートと観光案内所の間の路地先の直営店【丼マーカー】に買いに行く。

道路角に大きな看板が出ており、直ぐに判る。ここで調製も行っており、出来たての弁当を提供してくれる。勿論、お目当ての「BBQ弁当(御飯普通盛り・税込み565円)」を購入。イートインが無く、「何処か食べられる場所がないですか」と、愛想の良い中年女性店員に尋ねると、デパート正面エントランスを入った所の休憩スペースで、食べられるとの事。


(浜屋木更津西口店。他に、市内に二店舗ある。)

デパートのエントランスに入ると、大きな円形の児童用遊具の周りに、テーブルと椅子が沢山設置されている。ここで良いのかと思うが、周りの人達も軽食取ったりしているので、大丈夫そうである。

早速、食べてみよう。證誠寺(しょうじょうじ)の狸が料理をしている掛け紙がトレードマークである。初期のデザインの復刻になっており、昭和37年(1962年)に木更津駅の駅弁として登場した。なお、この木更津駅西口のみまち通りに戦前から店を構え、既に看板商品であったBBQ弁当を駅弁化したという。


(地元では、「バー弁」と呼ばれ、木更津名物の味になってる。)

掛け紙と蓋を開けると、温かいご飯の上に国産豚ロースが二枚乗っているだけである。しかし、一口食べると、衝撃の味なのである。40年以上、製法を変えていない秘伝のタレが美味しく、甘すぎず、辛すぎず、ほど良い味の円やかな旨味を深く感じさせる。外がカリッとした直火焼きの肉は、油っぽさが無く、地元米「かずさの純粋米こしひかり」を炊き上げた白飯は、米粒の立体感もあって、凄く美味しい。これらが組み合わさって、食べ終えても、また直ぐに食べたくなる。更に、揚げポテトも二個付いており、これもまた美味しい。木更津に寄る機会があったら、是非、現地で食べて頂きたい。


(この御飯普通盛りの他、大盛り669円や、ご飯と肉の両方大盛りの特製772円もある。)

また、もうひとつの看板的商品「あさり飯」も、なかなか美味しいので、紹介したい。国産の大粒アサリをたっぷり使った筍入り炊き込みごはんは、港町・木更津の名物料理になっている。生姜と醤油と味醂のみでふっくらと炊き上げ、あさりの旨味と優しい味が楽しめる。特に3月~8月の旬の時期は、地元水産加工場で剥いた生アサリの剥き身を使っているとの事。


(「あさり飯」。税込895円。オフシーズンは、旬に剥いた冷凍アサリを使用。)

(味のパンチ感のあるバー弁とは対照的な味わい。)

【お弁当の吟米亭・浜屋木更津西口店】
定休日なし、10時から19時まで(持ち帰りのみ、イートインなし)、
駐車場なし(周辺の有料駐車場利用)
千葉県木更津市富士見1-10-24
(アクア木更津ビル南側/西口階段下から、180m・徒歩2分)。
※駅西口階段下の駅弁販売所でも、少量の取り扱いがあるが、昼頃には売り切れるとの事。
直営店まで行けば、温かい出来たてを購入出来る。

(つづく)


【参考資料】
現地観光案内板・解説板
ぶらり木更津まち歩き(みなと木更津再生構想推進協議会発行・2014年)
房総ローカル線歴史紀行(伊藤大仁著・崙書房発刊・1990年)

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