小江戸川越めぐり その7「ご当地B級グルメ・喜多院五百羅漢」(最終回)

昼前、かき揚げ蕎麦を食べただけであったので、小腹が空いてきた。如何にもの感じの厄除けだんごの暖簾がかかるバラック売店が山門近くにあり、香ばしい焼き醤油の香りがしてくる。団子3串入りパックひとつと、「やき太麺そば」なるご当地B級焼きそばを注文。そのまま、売店前のベンチで頂こう。


(境内売店の厄除けだんご。昭和風味が全開である。缶ビールなどもあるが、倍の価格の観光地価格である。)

外側の皮がカリッと焼いてある昔ながらの団子である。中は柔らかいが、もちもち感は少ないのも昭和風と感じる。タレも醤油味の強い辛口で、みたらしのタレではない。口がべとつきにくいので食べやすい。


(喜多院厄除けだんご。1パック税込み300円。1本売りもしてくれる。)

団子だけで足りないと思い、追加で頼んだ焼きそばは、大盛り相当の量がある。幅2ミリ程もあるモチモチの角太麺とキャベツだけのシンプルな焼きそばは、店毎にソースが違うらしいが、地元埼玉県本庄市の醸造メーカー・タカハシソースの中濃ソースとウスターソースのダブル仕上げになっている。なお、ウスターソースの辛さの方が勝り、やや辛めの締まる味付けであるのは、団子と同じ傾向である。

最近は、ご当地B級グルメ「川越太麺焼きそば」として、テレビや雑誌などでもよく紹介されているらしい。昭和初め頃から、地元で食べられていたらしく、具の少ないシンプルな焼きそばとのこと。店により、肉入りや目玉焼き乗せも提供している。太麺系の焼きそばと言うと、群馬県太田市の太田焼きそばも有名であるが、それよりも都会的に感じた。


(川越太麺焼きそば。大盛り相当で、税込み500円。)

飲み物も欲しくなった。北側参道寄りの別の売店で、ご当地の名水「小江戸川越の水(税込み120円)」を見つけ、購入してみた。県下で初めて市制がしかれた川越市の市制80周年を記念して、平成14年(2002年)に発売されたとのこと。

川越は名水どころでもある。昔は、三久保町付近(旧・清水町)に湧水があり、藩主の別邸があったと言う。今も、川越の水道水は井戸水と河川水の混合水になっている。徳川家康が鷹狩りの名目で川越によく来ていた頃、川越の水で立てた茶を飲み、「(千利休が茶事によく用いていた)京の柳の水と同じである」と褒め称えた言い伝えがある。この「小江戸川越の水」は、川越城下の深井戸から汲み上げた水で、癖のない、口当たりの柔らかい水は、確かに緑茶によさそうである。


(「小江戸川越の水」 ペットボトル500ml入り、税込み120円。)

実は、川越に来たならば、特産の芋菓子を食べようと、川越まつり会館向かいのごま専門店「ごま福堂」に立ち寄り、大学芋「金ごま蜜芋」も購入してある。某テレビ番組でも、紹介されたとのこと。一口試食してみると、皮カリっと中はホクホク、金ゴマも香ばしく、濃い味がする。かなり控えめの甘さになっているのは、やはり、江戸前が基本だからであろう。


(ごま福堂の金ごま蜜芋。1パック税込み200円。ごま製品を販売する専門店であるが、ごまを使った菓子やアイスクリームなども、テイクアウトできる。)

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遅い昼食の後、山門の北側にある五百羅漢(ごひゃくらかん)を最後に拝観して、帰ることにしよう。江戸城から移築した家光公と春日局由縁の客殿と書院が有名であるが、この五百羅漢もよく紹介されており、人気があると言う。

川越北田島に住んでいた志誠(しじょう/百姓から出家した人物)の発願により、江戸時代中期の天明2年(1782年)から、文政8年(1825年)の約50年間に建立されたと伝えられ、志半ばに逝去してしまったが、喜多院の僧侶達が引き継いで完成させた。羅漢像533尊者と中央部の釈迦如来像などを合わせて、合計538体が安置されている。

境内土産店の一角が出入り口になっており、係員に拝観券の半券を渡して中に入ると、ズラリと並んでいる様に驚く。なお、羅漢は阿羅漢の略称で、尊敬される仏教修行者である僧侶の姿をしている。元々は、中国の唐の時代に発祥し、日本に伝来後は、鎌倉時代以降の禅宗の広がりと共に多数製作された。この喜多院の五百羅漢は、日本三大羅漢のひとつになっている。


(五百羅漢出入り口のある境内土産店。先程の厄除けだんご店とは、別にある。)

(出入り口付近からの五百羅漢全景。約200年前のもので、緑苔も付き、良い侘び寂び感である。)

(「いらっしゃい」と優しい顔の羅漢にホッとしてしまう。)

同じ顔をしている如来や菩薩などの仏像と違い、僧侶の姿ながら庶民的で、色々な顔や仕草があり、自分に似た、若しくは、誰かに似た羅漢を探すのも面白い。その中でも、目についた個性的な羅漢を紹介したい。欧米からやって来た中年の男性観光客も、デジタル一眼カメラで熱心に撮影していた。


(木魚を叩く羅漢。単独の立像が殆どであるが、石に掘ったレリーフタイプもある。)

(二人で経典を掲げる羅漢。かなり風化しているが、「南無阿弥陀仏」と掘られているらしい。)

(色々な表情の羅漢。右は真面目な僧侶風であるが、左は鼻をほじっているのが面白い。)

(ふたりの子供をあやす羅漢。台座には、「施主 子供中世話人同心町 名古屋壱治郎 母」とある。なお、年号は刻印されていないが、江戸時代のものだろう。)

(寝転んで、マッサージをして貰う羅漢。まるで、テレビの前で寝転ぶ現代人と同じである。左右の羅漢も面白い。)

(うずくまる羅漢。悲しいのか、可笑しいのか分からないが、この二体だけのポーズらしい。)

(犬と戯れる羅漢。)

(絶妙な配置で、まるで会話をしているような二人の羅漢。)

(靴を脱ぐ羅漢。足の匂いが気になるようで、顔をしかめているのが面白い。)

色々な羅漢様を楽しく拝見した後、少し早いが、帰ることにしよう。時刻は15時を過ぎたところである。また、今回は町歩きがメインで、撮影は二の次であったが、素晴らしい被写体も多く、撮影メインでも楽しめるだろう。

最後に鉄道ブログらしく、川越の鉄道駅の歴史に触れて、この旅の終わりにしたい。現在、川越の中心部には、JR川越線、西武鉄道新宿線と東武鉄道東上本線の三線が乗り入れている。明治28年(1895年)3月に、川越鉄道(国分寺〜所沢〜川越)が開通したのが最初で、現在の西武鉄道新宿線の一部である。現・本川越駅は川越鉄道時代の終点であった。次に開通したのは、池袋から群馬県渋沢を目指していた東上鉄道(現・東武鉄道東上本線)で、大正3年(1914年)5月に、池袋〜川越町〜田面沢(たのもさわ/現在は廃駅)間が開通。川越町駅は現・東武川越市駅で、翌年4月に現在の川越駅である川越西駅が開業した。なお、国鉄川越線(当時は鉄道省線)が最後になり、戦時中の昭和15年(1940年)9月に開通している。平成の初めまで、川越駅が東武鉄道の管理駅(JRは東武鉄道に駅業務を委託)であったのは、この歴史関係による。なお、国鉄川越線の開通により、大宮から川越を結んでいた路面電車の川越電気鉄道(後の武蔵鉄道、西武鉄道大宮線)は、翌年2月に廃止になっている。

また、国鉄川越線の開業時、3線合同駅の設置が検討されたが、川越全町の猛烈な反対運動により、実現できなかった。しかし、太平洋戦争末期、旧帝国陸軍の命令により、西武鉄道の線路が川越駅まで延ばされ、「幻の線路」と呼ばれている。川越中心部に駅が三つも散在しているのは、これらの由来になっている。

喜多院を出発し、午後から歩行者天国になったクレアモールを戻り、JR川越駅に到着。改札内の喫茶店ベッカーズのコーヒーで一服した後、高麗川経由で出発駅の八王子に帰る。八王子に着く頃には、日が暮れているだろう。


(歩行者天国になったクレアモールを通り、JR川越駅に戻る。)

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川越1604===高麗川===1712八王子
JR川越線下り 普通 八王子行き(八高線直通運転)
※列車番号1675Hから1674Eに高麗川で変更。
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(おわり/川越散策編)


【参考資料】
現地観光案内板・解説板
時薫るまち「小江戸川越散策マップ」(小江戸川越観光協会・2016年)
川越大師喜多院拝観者向けパンフレット(喜多院発行・発行年不明)
瓦版川越今昔ものがたり(龍神由美・幹書房・2003年)
川越大師喜多院公式ホームページ

【取材日】2017年10月1日と10月8日
【カメラ】RICOH GRII

2017年12月17日 ブログから転載

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