上信線紀行(6)電化と車両 その1

ここで、上信電鉄の電化の歴史について、触れたいと思う。第十代上信電鉄社長の山田昌吉氏は、蒸気機関車に使う石炭価格の変動による経営影響を抑え、鉄道省線(後の国鉄線)と上信線間の貨物積み替え作業の改善や輸送力の増強を図る為、大正13年(1924年)に上信線の改軌と電化を行った。


(本社ビル横にある山田社長胸像。上信電鉄の中興の祖として顕彰されている。※上信電鉄感謝フェア2016の公開日に撮影。)

当時の鉄道は、貨物輸送の比重が非常に大きく、あらゆるものを運んでいた。道路が未整備・未舗装で時間がかかったり、中長距離トラック輸送も発達していなかったからである。上信線は軽便規格の軌間(※)762mm、省線は1,067mmの為に貨車の直通ができず、高崎駅での人手による貨物積み替えが必要で、滞貨も著しく、輸送力も限界に達していた。そこで、省線と同じ軌間にして、貨車の直通をし、積み替え作業を解消する目的も大きかった。

なお、全線電化と省線と同じ狭軌1,067mmに広げる改軌を同時に行った為、準備期間を入れて、三年もの月日がかかっている。烏川(からすがわ)や鏑川(かぶらがわ)に架かる大鉄橋の架け替えやトンネルの拡張工事、新線付け替え工事等もある大掛かりなものであった。また、従来の軽便鉄道用軽量レールである18ポンド(8kg)レールから、当時の省線の標準レールである60ポンド(27kg)レールに交換されている。

しかし、当時の総工費は200万円近く、現在の20億円相当の莫大な予算は、上野鉄道(こうずけてつどう)単独での資金調達や投資は困難であった。そこで、電化を提唱した上野鉄道取締役で、当時若干30歳であった岡部栄信(よしのぶ)氏は、軽便鉄道の上信線を電化された標準鉄道にしなければ、時代の流れに取り残され、甘楽(かんら)の更なる発展に支障になるとの信念で、地元有力者を集めて説得したと言う。この話し合いに参画した地元有力者や地元銀行の協力で、予算の九割を株式増資で賄った。当時、電化要請は沿線住民からも上がっており、上野鉄道への今までの地元発展への感謝や希望も、大きく働いたのであろう。

山田社長が考えるに、上信線の電化については、当時、高崎市内への電力供給を行い、市電(高崎-渋川-伊香保間、後の東武鉄道伊香保軌道線)も経営していた高崎水力電気と合併し、同社の烏川流域にある室戸発電所(水力300kW/現・榛名町室田)の電力を使った電車運行を検討していた。しかし、監督官庁の意向と指示により、室戸発電所を譲渡される代わりに、高崎水力電気は当時の大手電力会社であった東京電燈と合併する事になった。また、譲渡された室戸発電所の一箇所だけでは、渇水時の電力供給に不安がある事を指摘され、東京電燈から高圧電流を受電し、自社の福島変電所で降圧して使う事になったのである。

上州福島駅高崎方の線路際にある福島変電所は、この電化時に建設されたものである。設置された変圧器も、凸型直流電気機関車デキ1形と同じドイツ・シーメンスシュッケルト社のもので、ドイツから技師も来日し、技術指導を受けたと言う。因みに、当時の地方中小鉄道では、イギリス製やアメリカ製の機関車や設備を導入する事が多かったが、上信電鉄ではドイツ製が多くなっている。これは、群馬県出身の代議士・桜井伊平氏が、第一次世界大戦の戦利品として、敗戦国ドイツの鉄道設備を獲得する政界活動をした為と言われている。

また、地方民鉄ローカル線では、設備費が安くて、低圧の直流600Vや750Vを採用する例が多かったが、上信線は路線キロが長く、末端部の電圧降下を抑制する為に電化当時から1,500Vを採用した。高崎線の電化は、戦後になってからなので、上信線の方が早く電化している。


(上州福島駅東の上信電鉄福島変電所。)

なお、上信線では、古レールを再利用した鉄製架線柱が、連なる様子を見る事ができる。取り付けられたプラスチックの管理標には、昭和20年代末から30年代初めの年月が記されているので、電化当時の老朽化した木製電柱を更新したものらしい。本線の木製架線柱は全て更新されている様で、コンクリート製架線柱も一部に見られる。また、片柱の単ビーム吊架が多いが、両柱のトラスビームもあり、古レールには、1922年製ドイツ・ウニオン社等の刻印が見られる。駅によっては、ホーム柵や線路柵にも、古レールが使われている。

架線の吊架方式(ちょうか-)は、吊架線からハンガーを垂直に降ろし、トロリ線(電車のパンタグラフが接触する電線)を線路に並行に支えているシンプルカテナリ式で、高速運転や重負荷の一部区間は、複雑で丈夫なコンパウンドカテナリ式も見られる。昔は、き電線(饋電線/トロリ線に電力供給をする電線)も、コストダウンの為に吊架線で代用していた。現在は、電流量が大きくなった為、別々になっている。


(千平駅西方に連なる古レール製架線柱。)

上野鉄道では、客車と貨車の混合列車(通称・ミキスト)が運行されていたが、この全線電化により、客車と貨物の列車分離(客貨分離)が行われた。それまでは、2時間毎のダイヤで、途中駅での貨車の入れ替えがある為に遅れが目立っていた。電化後は、1時間半毎に定時運行される様になり、通しの所要時間も2時間30分から、旅客は1時間12分、貨物は1時間25分となった。高崎から下仁田間の運賃は、50銭から79銭に大幅値上げされたので、一部の利用客から不満も上がったが、所要時間の半減、フカフカのクッション椅子や煤煙が無い最新型電車の快適さが喜ばれ、不景気であった当時でも、輸送実績が大きく増えた。

また、当時の鉄道電化は、スピードアップや運転環境改善、輸送力増強と同時に、沿線市町村の家庭用電気普及に大きく貢献し、大きな副収入となる利点もあった(※)。石油ランプを使っていたり、小河川の簡易水力発電で細々と灯す農村や小さな町も多かったのである。上信電鉄も当初、室戸発電所で発電した電力を東京電燈に売電していたが、昭和4年(1929年)頃から、沿線の養蚕農家や民家・工場等に売電を始めている。家庭用60W電球ひとつ1ヶ月1円(現在の2,500円位)の良心的な料金や火災の危険が少ない事から、加入者も順調に増えていったそうで、石油ランプよりも経済的であった。昭和14年(1939年)には、鉄道収入の約25%、全体収入の15%を占める程の好業績で、昭和17年(1942年)の配電統制令よる関東一円の戦時国策合併まで、上信線沿線の電力事業が行われていた。

上信電鉄の車両について、前後編に分けて、簡単に触れたいと思う。明治28年(1895年)に上野鉄道(こうずけ-)として開業した当時は、非電化の軽便鉄道規格で建設されているので、非常に小型な蒸気機関車が導入されている。小型動輪がふたつあるイギリス製タンク式機関車3両、26人乗りの客車と貨車を導入した。後に、40人乗りの大型客車も導入されている。

電化直前の大正10年(1921年)には、8両の小型蒸気機関車が在籍し、うち、2両は大日本軌道鉄工部製(後の雨宮製作所/1916年頃導入)の国産機であった。最初に購入されたイギリス・カースチュアート社製蒸気機関車3両は、西東京の青梅鉄道に導入されたものと同じB1形で、「ミッジ」と呼ばれ、青梅鉄道のものよりもやや大きく、自重8トン級であった。他に、アメリカ・ポーター社製1両、ドイツ・クラウス社製2両が在籍していた。


(1896年イギリス・カースチュアート社製の1号機関車。引用元;上信電鉄百年史より)

なお、全線電化に伴い、16m級ボギー台車の三等木造車体電車4両や貨車を、日本車輌製造にて新製している。終戦になると、東武鉄道や国鉄から木造車体電車が譲渡され、昭和30年代前半までに、これらを鋼製車体化し、デハ10形・20形として運用されていた。しかし、流石に製造から40年を超え、走行装置の老朽化が著しくなった。その為、戦後初の新製電車200形・300形を、昭和39年(1964年)に自社発注している。

平成28年(2016年)2月現在の旅客用車両は、2両編成の電車運用となっており、8形式12本と多彩である。路線キロが30km以上あり、毎時上下各2本のダイヤの為、日中は半分以上が運行している感じである。大手民鉄からの譲渡車の他、地方民営鉄道では珍しい自社発注のオリジナル電車もあり、派手なラッピング電車も多いので、見ているのも楽しい。

■譲渡車グループ■

現在運行している譲渡車は、東京の西武鉄道からの譲渡車をワンマン改造して運用している。2形式5本が運行中で、全て左運転台仕様である。これらの元・西武車は、下仁田方の車両にツーパンタグラフ(※)が装備されているが、片方は使わない場合もある。

◆150形◆
平成4年(1992年)から導入。西武所沢車両工場製。2両編成3本。第一編成は西武401系、第二編成は801系、第三編成は701系が元車になっており、正面デザインや細部は異なるが、基本性能は同じである。

20m級車体、三扉車、ロングシート、中空軸平行カルダン駆動(※)、空気式ばね台車、
左運転台。

<第一編成・クモハ151+クモハ152>
国鉄101系似の切妻デザインの大きな三枚連続運転窓と豚鼻ヘッドライトが特徴で、どことなく愛嬌のある懐かしい顔は、鉄道ファンに人気がある。このクリーム地と編成両端に大きな段差がある緑帯は、現在の上信電鉄の標準車体色となっている。また、空気ばね台車であったが、従来のコイルばね台車に換装している。


(150形第一編成。ステンレス化粧板や検電アンテナが西武車らしい。)

(アナログライクな運転台。昭和39年製の車両で、上信電鉄の最古参になる。)

(車内の様子。西武鉄道時代に冷房化されている。)

<第二編成「群馬サファリパーク号(ラッピング列車)」クモハ153+クモハ154>
上州富岡駅から、車で約15分南に行った場所にある群馬サファリパークの広告ラッピング電車。上信電鉄のラッピング電車の中でも、とてもインパクトの強いデザインである。通称「しまうま電車」として親しまれ、地元沿線の子供達に人気があるが、実は、ホワイトタイガーの模様である。側面にも、動物達の大きな写真が幾つも貼られている。この編成は、二両共に中間電動車であった為、運転台移植の大改造が譲渡時に行われた。


(150形第二編成。昭和43年製で、冷房化済みである。)

<第三編成「下仁田ジオパーク号(ラッピング列車)」クモハ155+クモハ156>
下仁田の豊かな自然をアピールする広報ラッピング電車で、「ジオトレイン」の愛称が付いている。下仁田周辺は、クリッペと呼ばれる大変珍しい地質である事が、ジオパークの由来になっており、クリッペの山々、妙義山、荒船山、下仁田ねぎや蒟蒻芋の大きな写真を車体側面下部に貼っている。また、西武時代に、中間電動車を運転台付きに大改造している車両である。


(150形第三編成。昭和41年製で、冷房化済みである。)

(車体側面のロゴと下仁田葱。下仁田ジオパークの公式キャラクターも描かれている。)

◆500形◆
平成17年(2005年)導入。昭和54年(1979年)東急車輌製造製。2両編成2本。西武鉄道の新101系を譲り受け、西武鉄道でワンマン改造と床やシート等のリニューアルを行っている。

20m級、三扉車、ロングシート、中空軸平行カルダン駆動、空気式ばね台車、左運転台。

<第一編成「ぐんまちゃん電車(列車)」クモハ501+クモハ502>
上信電鉄創立120周年を記念して、群馬県の公式ゆるキャラ「ぐんまちゃん」をフィーチャーした、広報ラッピング電車。玩具会社トミーテックのアニメ風鉄道キャラクター「鉄道むすめ」や高崎達磨とコラボもしている。運転台周辺や車内天井まで、あのぐんまちゃんづくしで、何だか恥ずかしくなるが、意外にも地元や観光客に好評である。


(500形第一編成。正面は、ぐんまちゃんの顔に見立てているのがユニーク。)
(下仁田方クモハ501の車体側面ラッピング。屋根上のツーパンも格好良い。)

(特製ぬいぐるみも置かれている運転台周辺。)

<第二編成「マンナンライフ電車」クモハ503+クモハ504>
地元の有名食品会社であるマンナンライフの広告ラッピング電車。平成28年(2016年)春夏に、赤色の新塗色に変更された様である。群馬サファリパークと並び、上信電鉄沿線の有名スポンサー企業になっている。


(蒟蒻畑ララクラッシュ塗装の500形第二編成。ツートン塗装になっている。)

(マンナンライフ赤塗装。正面ロゴも、製品名から会社名となった。)

(つづく)


(※軌間)
二本のレールの幅。国鉄やJRは1,067mm(狭軌/3フィート6インチ)。通称サブロク。
(※電力事業と鉄道)
当時の都市電力事業は高収益・高配当の新しい事業として、投資家から人気があった。電力会社が副業で市電を経営したり、市電経営と共に電力事業を行った自治体も多い。鉄道会社が電力事業を行うのも同様。
(※高崎水力電気の市電)
高崎水力電気は馬車鉄道を買収し、電化改軌を行い、後に伊香保まで路線を伸ばしていた伊香保電気軌道も買収。合併後の東京電燈も鉄道事業を継続した。昭和2年(1927年)に東武鉄道に譲渡されたが、昭和28年(1953年)に高崎市内の渋滞改善の為、市の要請により高崎から渋川間を廃止。その3年後に伊香保までの全線が廃止されている。
(※ツーパンタグラフ/ツーパン)
1両にふたつのパンタグラフが装備されている事。略して「ツーパン」とも言う。昔はパンタグラフの架線離線が多く、安定して集電する為に二基搭載する場合があった。近年はパンタグラフの性能向上で、ひとつのパンタグラフ(ワンパン)で十分である事が多い。なお、離線が頻繁であると、アーク放電が起きて摩耗が早まり、架線断線の原因になる。
(※前パン/まえぱん)
先頭車進行方向の運転台真上にパンタグラフを装備、または、上げて運行する事。パンタグラフが一基の場合は、一般的に編成中央寄り(運転台の無い方)に設置する(後パン)。
(※カルダン駆動。)
車軸の上にモーターを載せ、大歯車で直接駆動するのが吊り掛け駆動、車軸の上に載せずに台車枠上にモーター置き、継手(カルダン)を介して、車軸を駆動するのがカルダン駆動である。イメージ的には、FR式自動車のプロペラシャフトを使う様な駆動方法である。振動が少なく、乗り心地が良くなる長所や高速運転化、線路へのダメージ軽減になる。
(※制御車)
運転台が付いているが、モーターのない非動力車両。国鉄車両種別では「ク」。上信電鉄では、運転台付き車両で単独運行できない車両は「ク」、できる車両は「デ」となり、「ハ」は普通車を示し、国鉄の表示法と独自の表示法が混在している。

【参考資料】
「上信電鉄百年史-グループ企業と共に-」(上信電鉄発行・1995年)
「ぐんまの鉄道-上信・上電・わ鐵のあゆみ-」(群馬県立歴史博物館発行・2004年)
鉄道ファン 各号

電化記事部分の写真と150形第三編成、500形第二編成赤塗装の写真は、秋の追加取材時の撮影。カメラ機種が違う為、色調が若干異なる。スナップ撮影なので、撮影時間帯によっては、車両に影が入る。ご容赦願いたい。

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