上信線紀行(23)城下町小幡 後編

お茶をご馳走になった後、甘楽町の観光案内所・無料お休み処の大手門【案内マーカー】から、武家屋敷や大名庭園「楽山園(らくざんえん)」を見に行こう。距離2.5km程度、所要時間2-3時間の観光周遊コースになっている。風も無い快晴で、気持ちが良い。

大手門交差点から、南にもう少し歩いて行くと、道幅は狭くなってくる。この付近は、東西約600m・南北約760mの広さの小幡陣屋の敷地跡で、藩邸を中心に60あまりの藩役所、武家屋敷とふたつの神社が構えていた。また、冬の午前中であるためか、他の観光客は見かけない。


(大手門交差点から南に延びる大手通り。)

200m程歩くと、右手に大きな通りが接続している。藩主も通ったと伝わる中小路(なかこうじ)と呼ばれる道幅14m(7間)の武家屋敷通りで、この通り沿いに、江戸時代の面影を残す白壁の武家屋敷や石垣が残っている。自動車の無い時代に、この様な広い道路を造ったのは大変珍しく、右大臣、内大臣正二位の高位を授かっていた織田家の格式の高さを表していると言われれいる。なお、城下町としては、南北道が屈曲・湾曲しているのは、城下町の形成以前の名残である。T字路やL字路が多いのも、江戸時代初期の町づくりの特徴で、殆ど変わっていない。


(中小路入口付近の櫓灯籠と案内標識。)

(中小路。あまりにも道幅が広いので、今は、一部しか使われていない。)

突き当りを左に曲がる内角には、高橋家【赤色マーカー】が構えている。小幡の武家屋敷の中では、最も昔の雰囲気を残していると言われており、書院造りの大きな屋敷と見事な庭園がある藩勘定奉行の役宅跡である。庭園には、心の字を型どった左心字の池(心という文字をひっくり返した字)があり、心の点として置かれた浮石は富士山を型取り、落差10cmの蓬莱の滝がある風流なものになっている。ご厚意で見学が出来るが、門の来客チャイムが大きく鳴ったので、躊躇してしまった。


(旧勘定奉行役宅である高橋家。)

高橋家の向かいを見ると、石垣【黄色マーカー】が続いている。江戸時代の明和4年(1767年)の書物に、この石垣が描かれている事から、寛永19年(1642年)の小幡陣屋の移転時に造られたらしい。雄川で採れる緑色片岩(りょくしょくへんがん)を矢羽積み(やばねづみ)したもので、石垣部分の高さは1m程度、石垣最上段を大きな石で押さえ、植栽や垣根が上に設置されている。なお、この小幡は建築用石の産地でもあり、長厳寺裏の連石山(れんせきさん/標高300m)から、富岡製糸場の礎石も供給した。


(山田家の石垣。)

中小路を南に歩き、T字交差点まで行くと、質素な感じの平屋木造建築がある。大奥と数人の腰元が住んでいた松平家大奥【黄色マーカー】である。幕末、ペリーの黒船が浦賀にやって来て、江戸中が大騒動になった際、十二代将軍徳川家慶が江戸城大奥の女官達15-16人を、親藩である小幡藩のこの屋敷に疎開させたと伝えられている。母屋前の庭園は、江戸後期のもので、「静の庭」と呼ばれる流れの無い池になっている。


(松平家大奥。母屋は、近年に補修されているらしく、綺麗になっている。)

(松平家庭園池「静の池」。勿論、堰から引水している。)

松平家大奥の向かいには、石垣が変形に配置されている場所がある。喰い違い郭(くいちがいくるわ)【青色マーカー】と呼ばれ、本来は、陣屋を守る為に交互にずらされた防塁であるが、下級武士が上級武士に出会うのを避ける退避所であった。


(山田家の喰い違い郭。奥は、一般民家の庭先になっている。)

喰い違い郭の角を右に曲がると、御殿前通りになり、170m先に楽山園【名勝マーカー】が見える。調査に基づいた復元庭園であるが、国の名勝になっており、この甘楽町のシンボルになっている。なお、豊臣秀吉の小田原北条家攻めの際、小幡周辺にあった国峰城等の諸城も落城している為、小幡陣屋がここに設けられ、江戸時代以降は城の無い藩であった。正門横の番所で、入場券(個人大人300円)を購入して、見学してみよう。


(御殿前通り。左手に、町立甘楽第二中学校がある。)

(国指定史跡の楽山園中門と番屋。この中門は、高さ7mもある。)

この楽山園は、織田信長の次男信雄が、7年の歳月と数万両の巨費を投じて築いた池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしき-)で、戦国大名庭園から大名庭園へ移行する過渡期の庭園と言われており、京都の桂離宮(かつらりきゅう)と同じ特徴がある。楽山園の名は、「知者(ちしゃ)ハ水ヲ楽シミ、仁者(じんしゃ)ハ山ヲ楽シム」の論語の故事が由来になっている。広い池を掘り、築山に東屋を建て、周囲の山々を借景にする様式は当時の人気があった造りで、県内唯一の大名庭園になっている。

立派な中門を潜ると、高さ3mはあろうかと思われる大きな土塁と空堀が設けられている。その向こう側に、御殿と呼ばれた広い陣屋跡があるが、建物は既に無く、位置を示すプレートが地面にあるのみになっている。また、織田家転封後の松平家三代藩主・松平忠恵は、50年間に渡り幕府の要職を務めた功績から、嘉永3年(1850年)に城主格を拝命し、それ以降は、小幡城と呼ばれていた。


(陣屋跡。東側は玄関等の公的空間、北側は台所、西側は生活空間と藩主の部屋が設けられていた。)

南側の庭門を潜ると、見事な大名庭園がある。かつては、藩主の許可がないと入れなかったが、今は自由に散策出来る。なお、中学生以下とその引率者の甘楽町民は、入場料が免除されるので、ベビーカーを押した若いお母さん達も何人かおり、小さな子供達の遊び場や散歩場になっている。何とも、羨ましい環境である。

意外に起伏が急で、芝生が丁寧に植えられ、箱庭の中を歩いている感じが楽しい。勿論、雄川堰から水が引かれており、一度、山側の泉水(せんすい/小さな池)を経由し、この昆明池(大きな池)に注いでいて、沢山の大鯉が悠々と泳いでいる。なお、終戦後に庭園が縮小しており、元々は、ひとつの大きな池であった。


(楽山園。複数の茶屋を設けてあるのも、織田家と茶事の関連を良く表している。)

(築山の梅の茶屋からの眺め。藩主が休憩をしたり、庭の景色を眺めた。)

土塁を隔てた東の一番外側(外郭)には、拾九間長屋(じゅうきゅうけんながや)がある。萱葺き屋根を再現した本格的な復元長屋は、かつて、藩邸の御用人達が暮らしていた。現在は、楽山園や小幡の歴史資料展示の他、事務室、多目的室やトイレが設けられている。長さは約35mもあり、これほど大きいものも珍しく、驚いた。


(十九間長屋。)

また、152年間に渡り、この小幡を統治した織田宗家の七代の墓が、楽山園から雄川上流方約1.5kmにある崇福寺(そうふくじ)にある。元々、宝積寺が菩提寺であったが、四代藩主信久(のぶひさ)が廃寺を復興させ、菩提寺と初代から三代までの墓も移した。二度の火災にあった為、回廊や覆屋は無くなって、苔生した七つの五輪塔が並んでいる。時間の余裕があれば、足を延ばし、運気を分けて貰うのも良い。
グーグルマップ・崇福寺織田宗家七代の墓(群馬県甘楽郡甘楽町小幡/画像あり)

楽山園から、雄川を見に行こう。北側の道路を道なりに行くと、川に向かって徐々に下って行く。途中に、長岡今朝吉記念ギャラリー【美術館マーカー】があり、故・長岡今朝吉氏寄進の絵画や須田賢司氏の作品を展示している。洒落た軽食・喫茶コーナーも併設され、楽山園を眺められるので、散策の休憩にも良さそうである。

甘楽町出身の実業家・長岡今朝吉氏が、絵画の寄進を行い、それを記念して建てられた。また、須田賢司氏は、たんす、長持、机等の金属の釘を使わずに板を差合わせて造る木工職人で、東京都の出身であるが、この甘楽町に工房を設けている由縁らしい。その作品群は、宮内庁に納められる程の出来で、人間国宝になっている。


(長岡今朝吉記念ギャラリー。)

記念館先の急坂を下り、雄川に架かる裏門橋【橋マーカー】を渡る。藪が生い茂っていたので、今回は通らなかったが、せせらぎの路【水色マーカー】と呼ばれる河岸遊歩道が、東岸に整備されている。アカシヤや菖蒲、セリなどの野花が咲き、シーズンには蛍も見られる。

遠く上流には、関東山地北端の稲含山(いなふくみやま/標高1,370m)の山々が見える。稲含山は山岳信仰の山であり、かつては参詣者が小幡を経由して、山頂の稲含神社に参拝したと言う。麓の雄川沿いには、国峰城下であった秋畑地区があり、独自の山間民俗文化も残っている。


(道の駅近くの県道橋から、雄川上流方とせせらぎの路。)

雄川沿いから県道の新しい橋に上がると、道の駅甘楽【ショッピングマーカー】がある。地元産の新鮮野菜や農産物加工品等を販売する物産センターと、甘楽産小麦を使った窯焼きピザ、輸入イタリアワインや定食が食べられる食堂もあり、昼食、土産選びやドライブの休憩場所として、多くの人達が立ち寄っている。

この道の駅甘楽は、平成26年(2014年)年3月にリニューアルオープンしたばかりで、とても新しい。何故、窯焼きピザやイタリアワインなのかと思うが、イタリア内陸北部にあるチェルタルド市と姉妹都市になっている関係である。また、町特産のキジ肉とキビ入り御飯を詰めた「桃太郎弁当」(おかず付き各種税込480円から)が、ご当地名物になっている。


(道の駅甘楽。)

駐車場の大法面を見ると、甘楽町のマスコットキャラクター「かんらちゃん」も、迎えてくれる。楽山園をイメージした緑の鎧兜(よろいかぶと)、雄川堰とソメイヨシノが描かれ、緑と織田家由縁の歴史をアピールしている。被り物もあり、イベント、観光広報や交通安全運動等で活躍している。


(甘楽町公式マスコットキャラクター・かんらちゃんのウェルカムペイント。)

道の駅の建物裏には、江戸時代に名主を務めた松井家住宅が、小川地区から移築保存されている。トタンに葺き替えられているが、18世紀から19世紀初頭の江戸中期の平屋の寄棟造りは、この甘楽の典型的な農家の造りである。なお、内部見学も可能で、日中は休憩所としても利用できる。


(松井家住宅。屋根がとても高く、草葺き・平屋建ての寄棟造りである。)

(土間からの座敷。冬は氷点下以下と厳しいので、土間内に馬屋がある。)

また、小幡に伝わる伝統的行事に、「十日夜(とうかんや)」と呼ばれる面白いものがある。旧暦の10月10日に、子供達が3-4人のグループになり、巻藁(まきわら)、蒟蒻芋の葉、茗荷(みょうが)の葉等を束ねて手に持ち、家々の玄関で地面を叩きながら、

十日夜、十日夜、十日夜はええもんだ
朝そばきりに、昼だんご
よう飯食っちゃあ、ぶっばたけ
こんにゃく芋も、じゅうぶんに
菜大根も、じゅうぶんに
鏡のような餅食って
油のような酒飲んで
十日夜、十日夜、十日夜はええもんだ
十日夜、十日夜、十日夜はええもんだ

と、唱える。迎えた家では、菓子等を子供達に振る舞う。その年の豊作を祝い、収穫を終えた田の神が山に帰る行事とされ、北関東の農村に広く見られる。なお、「十日夜」と連呼した後の歌詞は、地域により異なり、その土地の特産品や風物が取り上げられている。しかし、近年では、廃れてきている地域も多いらしい。

道の駅の前にある県道の急坂を、東に登って行くと、雄川堰沿いの小幡交差点に出る。信州屋の前を再び通って、町営無料お休み処大手門まで戻る事にしよう。

(つづく)


【参考資料】
現地観光案内板・解説板
歩きたくなるまち「小幡」まち歩きマップ(甘楽町産業課・2015年)
城下町小幡観光マップ(発行元不明。町営観光案内所・大手門にて入手。)
国指定名勝楽山園見学者用パンフレット(甘楽町教育委員会・2015年)
甘楽町公式HP
「甘楽町歴史的風致維持向上計画PDF資料」・「甘楽町指定文化財」・「観光情報」

小幡観光は、本取材の同年秋の追加取材。本取材時とカメラ機種が違う為、若干色調が異なる。ご容赦願いたい。なお、上州福島駅での滞在時間は、編集上は短くなっているが、移動時間を含めて、小幡観光に約3時間かかる。

2017年7月24日 FC2ブログから保存・文章修正・校正
2017年7月25日 音声自動読み上げ校正

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