岳南線紀行(4)岳南江尾へ

実は、この先が岳南線最大の車窓ハイライト区間である。岳南江尾方の線路の先には、製紙工場の大きなコンビナートと煙突が聳えている。この巨大な紅白煙突は、火力発電や焼却炉のものである。


(岳南原田駅ホーム端の岳南江尾方から望む。)

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【乗車経路】
===岳南原田1025======1036岳南江尾(終点)
下り岳南江尾行 7000形(7002)単行

【停車駅と主な橋梁】
[岳南原田]時間限定有人駅・列車交換可・昭和26年12月開業

〓滝川橋梁

[比奈]無人駅・列車交換可・昭和26年12月開業

[岳南富士岡]時間限定有人駅・列車交換可・昭和26年12月開業

〓赤渕川橋梁

[須津(すど)]無人駅・列車交換可・昭和28年1月開業

〓須津川橋梁

[神谷]無人駅・昭和28年1月開業

[岳南江尾]無人駅・終点・昭和28年1月開業
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岳南原田駅での列車交換は無く、定刻の10時25分に発車する。貨物列車の為の長い構内を真っ直ぐに走り、線路がスプリングポイントでまとまった後に、沼川支流の滝川の小さな鉄橋を渡ると、巨大コンビナート【赤色マーカー】の中に突入する。一番のハイライト区間であるが、工場内なので、線路際からの撮影は出来ない。

大きく右カーブをしながら、コンビナートの中を走る。線路の両側に製紙工場があり、それを繋ぐ複雑で無機質なパイプラインが、線路上を交差するのが面白い。元々は、南側の工場は無く、後から建設された様で、国土地理院の昭和27年(1952年)の航空写真には、北側の日本製紙の工場だけが写っており、南側の大昭和加工板紙(今は、日本製紙と合併)の工場は、昭和40年代前半の建設らしい。

なお、日本製紙は、十條製紙をルーツとし、山陽国策パルプや大昭和製紙等を合併して、大きくなった国内有数の製紙メーカーで、家庭用としては、クレシアブランドの製品で知られる。この富士工場では、主にダンボール紙や再生紙の生産を行っている。なお、大昭和製紙(後の大昭和加工板紙)は、地元の斎藤知一郎氏が立ち上げた製紙会社である。貧しい農家出身から身を起こし、日本を代表する製紙会社を創った、地元の名士でもある。


(低速で走るので、まるで、遊園地のアトラクションに乗っている様な感じもする。)

コンビナートトンネルを抜け、巨大プラントを左手に見ながら、大きな工場内踏切を通過すると、左右に貨物専用線が寄り添ってくる。左側には、カーブした北側工場専用の貨物ホーム【黄色マーカー】も見えてくる。貨物ホームは、同じ貨物側線に並んで二ヶ所あり、もう少し奥まで。線路も延びていたらしい。


(貨物ホーム跡。左側の線路は、大昭和側の引き込み線。※当列車後方を撮影。)

緩やかな左カーブが直線になると、視界が開け、広大なヤードが広がる比奈駅(ひな-)に到着する。このヤードも、先程のふたつの製紙工場の貨物ホームから押し出された貨車をまとめて、貨物編成に仕立てる為の場所で、大量の貨車を扱っていたのが、この広さから判る。かつては、昭和3年(1928年)製の古典的凸型機関車が、入替え仕業を黙々と行っていた。この駅で、上り吉原行き列車と列車交換になる。


(比奈駅構内。岳南線で一番広い構内が広がる。※当列車後方を撮影。)

比奈駅を発車する。線路がまとまって、県道踏切を通過すると、再び、五線の大きな貨物ヤード【青色マーカー】があり、列車は一番南側の旅客線(本線)を走る。1番南側の貨物留置線は、吉原方本線と接続した出発線で、岳南江尾方に引き上げ線もある。ヤード北側の白と青の角ばった煙突は、再生紙メーカーの興和工業である。


(興和工業南の貨物ヤード。※当列車最後尾から、後方を撮影。)

そのまま貨物ヤード横を通り過ぎると、引き上げ線と並行した擬似複線区間が少し続き、引き上げ線が第二種車止めで途切れると、岳南富士岡駅に到着する。この駅は、車両検修区(岳南電車区)や、かつて活躍した電気機関車が留置されており、鉄道ファンには外せない駅になっているので、後で立ち寄ろう。周辺は、住宅地になっており、吉原駅からの乗客も、この駅で殆ど降りてしまう。


(岳南富士岡駅構内。周辺は、住宅地が多い。)

岳南富士岡駅からは、カーブも少なく、線形も良くなる。また、終点の岳南江尾駅まで、昭和28年(1953年)1月に延伸開通した、最も新しい区間になる。この先は、宅地開発が進み、住宅が多いが、昔は人家は疎らな田園地帯であった。緑の多い住宅地の中を走り、赤淵川の小さなプレートガータ鉄橋【茶色マーカー】を渡る。岳南線沿線は富士山の湧き水が豊富で、水量の多い小川が南北に何本も流れ、小さい鉄橋が何本も架かっている。また、水を大量に必要とする製紙業の立地にも、適している。


(赤渕川橋梁付近を走る。気持ちの良い直線区間が続く。)

直線区間が少し続くと、岳南線唯一の難読駅名と言える須津駅(すど-)に停車。この駅には、コンパクトサイズのきのこ型旅客上屋があるが、駅舎は撤去されている。島式ホームの大きさに対しては、構内が大変長くなっており、隣接する食品工場や化学工場の工場引き込み線もあったが、これも撤去されている。

なお、駅から徒歩5分程の場所に、須戸湖(すどこ)【波マーカー】と言う小さな湖がある。湖と言っても、今では、住宅地の中の小さな沼であり、かつて、「富士八湖(海)」のひとつと言われた、巨大な湖があった名残である。大正の頃までのこの湖周辺は、浮島ヶ原と言う水深約2mの大湿地帯が広がっていたらしい。なお、江戸時代の東海道五十三次の広重画にも、描かれている。

江戸時代までは、現在の「富士五湖」ではなく、「富士八湖」が一般的で、これらの湖を巡礼する龍神参りが盛んであった。現在の河口湖、山中湖、西湖、精進湖、本栖湖に、志比礼湖(しびれ-/四尾連湖とも)、明見湖(あすみ-)と、この須津湖(浮島沼・湖とも言われた)を数えた。なお、巡礼する順番も決まっていた。


(須津湖。今は、農業用水兼消防利水の沼である。水はとても澄み、鯉が泳ぐ。)

(広重東海道五十三次・14番・原「朝之富士」※著作権フリー素材から引用。)

須津駅を発車し、直線区間から盛り土を徐々に上がると、須津川橋梁【灰色マーカー】を渡る。ここは、岳南線の有名撮影スポットで、晴れた春先には、桜、富士山と鉄橋のトリプルコラボレーションとなる。また、橋梁の麓には、岳南線開通記念の石碑【石碑マーカー】と第四種踏切もあり、開通時は、村を挙げての大祝賀であったと伝えられている。


(須津川橋梁と山頂を覗かせる富士山。桜は開花前。※再取材時撮影。)

(岳南鉄道開通記念碑。)

須津川橋梁を渡ると、大きく右カーブしながら盛り土部を下り、神谷駅に到着する。駅舎は無く、旅客上屋も建て替えられた駅で、開業当時は、切符の委託販売があった。


(盛り土部の半径300mの右カーブの終端付近に、神谷駅がある。山も大分近い。)

最後の途中駅の神谷駅を発車する。この先の線路は複線でないが、道床部の三倍程の横幅があり、その外側に新興住宅が建ち並んでいるのは、通過音軽減の為かもしれない。そのまま、直線に走り、緩く弧を描く様にカーブをした後、再び、新幹線の高架橋をアンダーパスすると、終点の岳南江尾駅に到着する。吉原駅からここまで、約20分の旅である。

(つづく)


【参考資料】
国土地理院地図・空中写真閲覧サービス
アイラブ岳鉄(鈴木達也著・静岡新聞社刊・2001年)

線路の撮影は、運転業務や車内精算の支障となる為、
上り吉原行き列車の最後尾から、終点の岳南江尾方を撮影。

2017年7月13日 文章修正・校正

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