銚子電鉄紀行(13)外川観光 その2

この外川港は、重工業地区を擁さない純粋な漁港であるが、意外に大きい。外川港東端の大杉神社【神社マーカー/A地点】を起点にして、西側に行ってみよう。

漁業協同組合ビル先の中央部の突堤【カメラマーカー】に立つと、外川の町並みがよく見える。急斜面の上まで広がる家々が、一面に港を見下ろす様になっているのが、印象的である。厳しい漁から無事に帰ってきた船から眺めると、きっと、安心する風景であろう。


(外川港突堤からの町並み。漁師町でありながら、立体的であるとも言える。)

反対側を見ると、製氷工場の先の西防波堤に、拳の様な大岩が見える。ここからでも、直線距離は200m位あるが、非常に大きい。近くに行ってみよう。


(突堤から見える巨岩。)

船を上げるコンクリートスロープと製氷工場の前を通り、外海に面した西防波堤に到着。外海側には、小さな砂浜が残り、波が引っ切り無しに押し寄せている。砂浜先の突き出ている岩岬は、犬若岬【黄色マーカー】と呼ばれ、海抜20m程のテーブル状になっている。地元では、「本家の台」と呼ばれ、視界の良い日には、富士山が見える事から、「富士見台」とも呼ばれていた(※)。

この犬若岬は、江戸時代末期に初めて日本地図を制作した伊能忠敬が、全国の測量を始めた場所である。山地を除く、富士山を肉眼で望む事が出来る最東端の場所であるり、富士山までの距離を正確に測った。また、この付近は、3つの地層が折り重なる様に集まっている、複雑な地層になっているとの事。


(犬若岬「本家の台」と砂浜海岸。)

この堤防の先へ歩いて行くと、堤防が曲がる角に、千騎ヶ岩(せんがいわ)【赤色マーカー】と呼ばれる、高さ18m・周囲400mの巨岩が聳えている。源義経が千騎の兵を隠したと伝えられており、今は、堤防が繋がっているが、沖の小島であった。今は、外川港を守る防波堤の一部になっていて、外海側は激しく波が押し寄せている。

千葉県最古の地質と言われる約二億年前の硬い砂岩で出来ており、大きな穴が中腹に開いているのが目を引く。かつては、海鵜の越冬地であり、貴重な海岸性植物の自生地で、コツゴツとした岩肌の中腹にへばり付く様に生い茂っている。


(東側堤防上から見た千騎ヶ岩。)

千騎ヶ岩から引き返すと、西堤防の付け根には、漁師食堂の犬若食堂【食事マーカー】がある。外川港周辺にある漁師食堂の有名店で、「汚い店だが、美味しい」の某テレビ番組でも紹介された事がある。

昼食には少し早いが、ちょっと、寄ってみよう。暖簾を潜ると、中年男性の「いらっしゃい」と、威勢の良い声が響く。店内は15畳位で、大きなテーブルと小さなテーブルがふたつ、畳敷きの小上がりもあり、テレビ取材記念や芸能人のサイン色紙が壁に沢山飾られている。大テーブルには、地元の人が何人か集まり、訛りのある威勢の良い浜言葉が飛び交っている。


(漁師食堂の犬若食堂。一般観光客も利用できる。)

この犬若食堂では、地場産のサルエビかき揚げ定食(税込1,100円)が名物である。今では、サルエビの国産品は貴重になっており、関東エリアでは、この銚子近隣でないと、食べられないとの事。早速、それを注文する。

15分位すると、「おまちどおさま」と四枚もの大判かき揚げが出て来た。身がプリッとした小海老で、ほんのりと甘く、上品な旨味がある。天ぷらの油分が多いので、おろし醤油大根を掛けると、さっぱり美味しく食べる事が出来る。力仕事の漁師相手の食堂なので、ご飯も多く、ガッツリ食べたい人にもお勧めである。


(犬若食堂名物のサルエビかき揚げ定食。税込み1,100円。)

新鮮な海老で大満足・満腹になった所で、更に西に向かう。県道横の青年会館から、路地に入った先に小さな砂浜があり、犬岩【名勝マーカー】と呼ばれる奇岩がある。高さは、ビル5階建て相当の約15mもあり、想像以上の巨岩で驚く。この巨岩には、悲しい源義経伝説がある。


(義経伝説由来の犬岩。激しく波が打ち寄せている。)

その伝説によると、吉野山を追われた義経一行は、伊勢国(現・三重県)から船に乗り、当時、下総国三崎庄(しもふさこくみさきしょう)であった、この銚子に上陸した。義経の家来の兄に当たる、ここの領主であった片岡氏に一時保護され、奥州藤原氏を頼って、船で出航する準備を整えて貰った。しかし、出航前、壇ノ浦の戦いで敗れた平家の亡霊が愛犬・若丸に乗り移り、義経は泣く泣く、ここに若丸を置いていったと言われている。出航の時、義経を追った若丸は海を泳ぎ、この岩山に登って七日七晩鳴き続け、この犬岩になったとの事。なお、歌舞伎「勧進帳(かんじんちょう)」で有名な、石川県小松市の安宅の関(あたかのせき)を越える、北陸ルートも有名であるが、この若丸伝説では、影武者の杉目小太郎が義経に扮したとされている。また、この付近の字(あざな)も、義経公の愛犬の名から、犬若と付けられている。

風も無く、波もあまり激しくないので、大防波堤の先端に行ってみよう。西に330m程も伸びる防波堤は、犬若堤防と言い、北側にある犬若漁港【錨マーカー】やマリーナを守っている。

外海側は大型テトラポット、内湾側はスタビックで防御されており、この堤防の効果は絶大で、左右の海面の状態が全く違う。国土地理院の航空写真を参照すると、昭和40年頃に造られたらしく、北側の銚子マリーナ周辺の埋め立ては、その後の昭和40年後半から昭和50年にかけてらしい。

足元が滑りやすいので、気をつけて歩く。何人か、釣り糸を垂れており、ここも釣りの名所らしい。晴れた日には、富士山が見えるが、今日は霞んでいて見えない。


(犬若の大防波堤。)

堤防の先端部【青色マーカー】に到着。右手には、屏風ヶ浦の大展望が見渡せる。古くは、「掛土崎(欠土崎/かけどさき)」と呼ばれ、この防波堤からの直線距離は、5-10kmある。

崖の高さは40mから50m、幅は約10km、約300万年前に造られた地層になる。白い部分は、犬吠層と言われる海底沈殿物の層で、茶色の関東ローム層がその上に乗っかっており、ツートンの美しい景観が見られる。しかし、地質は大変脆く、太平洋の押し寄せる波と強風で侵食された奇景であり、イギリスのドーバーの白い崖に似ている事から、「東洋のドーバー」と呼ばれている。なお、削られた土砂は、南側にある九十九里浜に運ばれて、打ち寄せているとの事。


(屏風ヶ浦。28mm相当で撮影。)

中央付近には、風力発電の風車群が見え、先端部の煙が出ている所は、最新鋭の廃棄物処理工場がある。先端の岬は、刑部岬(ぎょうぶみさき)と言い、飯岡灯台が設置されている。岬の裏側には、広大な九十九里浜と同浜最北の町の飯岡町があり、銚子港の次に漁獲の水揚げが多い飯岡港を擁し、鰯(イワシ)やシラス等が良く獲れる好漁場になっている。


(崖上には、無数の風車がある。112mm相当で撮影。)

この先にも、テーブル状の突堤があるが、テトラポットのみの足場になり、行く事は困難である。しかし、目を凝らして眺めると、何人かの釣り人が、糸を垂れていて驚く。この堤防が出来る前、犬岩から数百m沖合に、沖ノ海老島(古くは、大海老島)と言う小島があったが、近くに島影が無く、あのテーブル上の突堤が元の小島なのかもしれない。

また、堤防から相当離れた洋上には、風力発電の巨大風車が一基のみあり、実証実験を行っている。国・産・学共同の洋上風力発電施設との事で、気象観測タワーも隣に並び、沖合約3km地点にある。
グーグルマップ・外川沖洋上風力発電実験施設

日本初の海底着床式(固定式)風車で、羽根の直径は92m、海面高は126m、水深11m、発電量2.4MW(一般家庭1,200世帯分)の三菱重工業製との事。なお、隣の観測タワーとの距離は285m、タワーの海面からの高さは100mもある。


(テトラポット群と外川沖洋上風力発電実験施設。28mm相当で撮影。)

(小さく見えるが、約100mの巨大風車である。光学4倍ズームをトリミング。)

ここから見渡せば、360度の大展望で、海の孤島に居る気分になってくる。暫く、この大堤防で絶景を眺めてから、ゆっくりと戻る事にしよう。犬若岬と外川の街が、ここからも見える。


(太平洋に面した犬若堤防の先端部から。)

(つづく)


当記事は、冬の追加取材。

(※)民宿の私有地があり、柵が無い危険箇所の為、今回は行かなかった。

【参考資料】
現地観光案内板
旭市公式HP「千葉の民話」(上総国を下総国に訂正。)
千葉県海洋再生可能エネルギー導入可能性研究会PDF資料
銚子ジオパークパンフレット(銚子ジオパーク推進協議会発行)

2017年7月15日 FC2ブログから保存・文章修正(濁点抑制)・校正

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