冬の秩父路紀行(2)三峰口へ

熊谷から秩父鉄道本線に乗車し、列車の終点である影森(かげもり)駅に到着した。この影森は、秩父市街地南方の武甲山麓の鉱山町である。駅のホームからも、手に取る様に巨大な武甲山の山体が聳え、鉱山の町として大いに賑わったらしいが、今は商店も殆ど閉店し、静かな町になっている。


(影森駅。地下道先の北側に旧駅舎があったが、取り壊され、ホーム上に移転した。)

影森駅は、島式ホーム一面二線と多数の構内留置線を擁する社員配置の直営駅である。大正6年(1917年)9月、秩父から影森間が延伸し、武甲山の石灰石積み出しの貨物専用駅として開業。開業翌年春から、旅客の取り扱いを開始している。三峰口方に、秩父太平洋セメント三輪鉱業所までの貨物専用線が延びているのが見え、石灰石の輸送量は減少しているが、今も積み出しを行っているとのこと。また、近くには、昭和電工の石灰窒素工場もあり、貨物引き込み線跡らしい道路のカーブも残っている。

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【秩父鉄道本線下り停車駅】◎印は急行停車の主要駅。★は難所区間あり。
影森◎=★=浦山口=武州中川=武州日野=★=白久=三峰口◎(終点)
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この影森から終点の三峰口までは、秩父鉄道の第3ステージの区間になる。平坦地が広がる秩父盆地中心地から、荒川上流に更に遡ったこのエリアは、川の蛇行は激しくなく、幅1km・東西8km程の東西に延びる狭い川谷になっている。この川谷の南側に線路が敷かれ、平坦地が終わる場所に、終点の三峰口がある感じになっている。

熊谷からの一本後発の列車である、10時51分発の三峰口行き7500系3両編成がやって来た。この列車に乗っても良かったが、影森駅で一度下車をしたかったので良い。なお、秩父鉄道7500系は、東京急行電鉄(東急)8090系を譲り受け、3両編成化した電車である。同じ元車の2両編成バージョンの7800系もあり、現在の主力車種になっている。


(三峰口行き列車7500系7506編成が、影森駅1番線に到着する。)

なお、土日祝日は熊谷方面からの直通運転を行っているが、平日の日中の直通運転は少なく、この影森止まりが多い。影森から三峰口間は折り返し区間運転がされており、1時間に1本の運行になるので、別のローカル線の感じである。しかし、他社と違って、土日祝日の方が直通や運転本数が多く、観光路線の特性を表している。また、平日早朝の6時台には、三峰口発の西武秩父線直通飯能(はんのう)行き、土日祝日夕方には、帰りの観光客向けの西武池袋行き列車も設定されている。

影森から三峰口間の路線キロは9.3km、途中駅は4駅、所要時間は約17分である。途中に急勾配や急カーブの二箇所の難所区間がある。また、影森から三峰口間は、昭和5年(1930年)に延伸開通した区間である。秩父鉄道は、大正11年(1922年)に東日本の民鉄線で最も早く電化(当初は直流1,200V)し、この区間が当初から電化開業している。

自分を入れてふたりだけ乗車し、車内は数人のみである。影森駅を定刻の10時51分に発車し、直ぐに20パーミルの急勾配を真っ直ぐに登り始める。190m先の踏切付近でピークとなり、今度は返しのような20パーミルの下り急勾配になる。この先から、半径160mから200m級の連続急カーブのある難所区間になり、フランジ音も響かせながら、速度を十分に落として慎重に走って行く。

薄くらい木立の中の切り通し大S字カーブをスルスルと降りると、視界が開けた高所に浦山口駅がある。駅自体が右急カーブ上にあり、各車両の中央部のドアしか開かない。ホームと車両の隙間が広く空いてしまい、両端部の乗降が危険なためである。

浦山口駅先の鉄橋を渡ると、穏やかなS字カーブの上り勾配を登り、川谷南側の高台に上がる。所々の立木の間から、荒川と山間の集落が俯瞰でき、見晴らしの良い場所になってる。


(浦山口駅先の高台からの荒川と集落。)

高台の線路は上り勾配がずっと続いているが、線形も比較的安定した区間になり、急カーブ箇所以外は速度も時速60-75kmまで上がる。そして、家々が集まってきて、右手に大きな製材所が見えると、武州中川駅に到着する。

武州中川駅からも16.7パーミルの上り勾配と半径160mのカーブをこなし、荒川支流の鉄橋を渡る。よく見ると両桁部分の間隔が広くなっており、谷が深いためにアンダートラスになっているらしい。この鉄橋の通過後に少し登ると、武州日野駅に到着する。


(支流のアンダートラス鉄橋。架線トラスが美しい。※列車最後尾から影森方を撮影。)

この先も最大20パーミルのアップダウンが続き、支流を渡る鉄橋を再び渡った先の54キロポスト付近から、山崖にへばり付くような二番目の難所に差し掛かる。ここは川谷が特に狭まった場所で、木立に囲まれ、鬱蒼として湿った感じがする。本線最急の半径149.3mと155mの連続急カーブがあるため、時速35km制限となり、慎重に走る。なお、旧国鉄簡易線規格の本線カーブ半径限界が半径160mであることから、このカーブは相当な急カーブである。

この難所区間は500m程であり、無事に抜けると速度が上がり、武甲山が列車の真後ろに見える。10パーミル前後の上り勾配を走ると、最後の途中駅である白久駅に到着。単式ホームの小さな有人駅で、昭和30年代後半に秩父鉄道直営のスケートセンターが駅前に造られ、人気があった。冬シーズン中は、臨時列車の「銀盤号」も運転されていたとのこと。


(武甲山の勇姿が列車の後ろに見える。)

白久駅を静かに発車し、半径160mから200m級の急カーブを幾つかこなし、上り勾配を登って行くと、11時10分に終点の三峰口駅に到着する。列車は島式ホームの2番線にゆっくりと入線し、直ぐに山側の引き上げ線に引き上げてしまった。

この三峰口駅は、影森駅から延伸開通した昭和5年(1930年)3月15日開業の社員配置直営駅である。SLパレオエクスプレス号の終着折り返し駅であり、霊峰雲取山や三峯神社への参詣駅であるが、モータリゼーションが進んでいる今は、その役割は低下しているらしい。今日は週末の土曜日ながら、下車した乗客も数人で、とても閑散になっている。


(三峰口1番線ホーム。)

先に、改札口の駅員氏にフリーきっぷを見せて、見学と撮影許可を貰おう。ホーム端から眺めると、視界は左右に開けているが、川谷の行き止まりのような地形になっているのがわかる。この先は渓谷となり、鉄道の敷設は難しかったらしい。また、駅舎側の単式ホームと幅広の島式ホームの2面3線、貨物側線や引き上げ線のある大きな駅になっている。現在、影森から三峰口間の貨物列車はなく、かつては、駅から約15km北西にある秩父鉱山から産する鉄鉱石や硫化鉱の積み出しを行っていたとのこと。


(1番線ホーム影森方から、三峰口駅全景。)

駅は、ほぼ東西に配され、南側に古い木造の大型駅舎がある。関東の駅百選にも選ばれた駅舎の東隣には、木造の臨時改札も残っており、SL列車着時や年末年始等の多客時の改札として使われている。なお、駅周辺に町が形成されているが、建て込んでいる感じはなく、どこか寂しげな雰囲気が漂う。


(三峰口駅駅舎。標高は意外に低く、316mである。屋根より高いコカ・コーラの大看板が名物。)

(出札口と改札口。1時間に1-2本の典型的ローカル線ダイヤである。)

島式ホームの北側を見ると、蒸気機関車の方向転換に使われる上路式電動転車台と秩父鉄道の鉄道車両公園が設置されている。ホームからは直接行けず、一度、改札を出て西に180m程歩き、引き上げ線の踏切を渡ると、近くに行ける。

鉄道車両公園東側の電車や電気機関車の展示場は、老朽化のために閉鎖されているが、西側の貨車群は見学可能である。一般的な国鉄貨車よりも大きな車長15m・積載30トン級の巨大貨車もあり、秩父鉄道が貨物輸送で今以上に栄えた頃を偲ばせる。


(上路式電動転車台。SLの転車時には、近くで見学ができる。)

(鉄道車両公園西側の貨車群。向こうの高い山は、武甲山である。)

丁度、昼時なので、昼食を取ろう。駅前には、三軒の食堂が並んで開いている。看板を見ると、蕎麦、カツ丼、もつ煮がご当地名物らしい。

駅改札正面には、福島屋というとても古い町家の食堂があり、中の様子を覗いていると、「どうぞ」と木の引き戸をカラカラと開け、中年の女性に招き入れられた。折角なので、ここで食事を取ることにしよう。店の中に入ると、まるで、昭和の初めにタイムスリップした感じである。駅が開業した同年の昭和5年(1930年)創業で、これ程の古い町家も秩父市内中心部でも、あまり見かけない。元々は、駅前旅館であったらしい。

道路側には、土間に一枚板切り株椅子のテーブル席が4つ程、西側に上りがあり、上がりの方がとても広く、神棚も祀られている。薪焚べのだるまストーブもあるが、隙間風が多く、この時期はちょっと寒い。逆に夏は心地良さそうである。


(駅前食堂の福島屋。)

秩父は蕎麦が名物であるので、ざる蕎麦(税込み700円)を注文した。一応、手打ちであるが、味的には、普通の田舎そばである。つゆはかなり醤油が濃い。スルスルと食べられる感じで、尖った個性は無く、これが本来の家庭風田舎そばと思う。品書きには書いていなかったが、小さなかき揚げも付いていた。


(ざる蕎麦。税込み700円。時期的に、温かい蕎麦のほうが良かったかも。)

秩父は蕎麦が名産であるが、小麦の割合がやや多く、家庭では蕎麦3:小麦7で打つのが普通とのこと。また、「小昼飯(こじゅうはん)」と呼ばれる農作業の合間の小腹を満たす郷土料理もあり、食道楽も楽しめる。他、蕎麦・うどん・じゃがいも・まんじゅうなど10種類以上もある。

蕎麦で体が冷えたが、食後に熱いお茶を頂き、大分暖かくなった。時刻は12時30分前である。そろそろ、出発しよう。このまま、三峯神社に参拝しようと考えたが、駅の案内板を見るとバスで片道1時間もかかるので、参拝や帰りの時間を考えると3時間以上かかってしまう。今回はパスし、代わりに、沿線一の観光名所の長瀞に行ってみることにしよう。

(つづく)


【参考資料】
週刊歴史でめぐる鉄道全路線「公営鉄道私鉄17」秩父鉄道ほか
(朝日新聞出版刊・2013年)

2017年7月11日 ブログから転載
2017年7月13日 文章修正・校正(全話分の濁点抑制と自動校正)
2020年8月22日 画像再処理・追加(カラー化・4K化)

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